長すぎる近況報告です。
最近、文章がまとめることに時間がかかりすぎて、書いていても途中でギブアップということがとても多いです。
noteに限らず、Instagramもfacebookもそんな調子で、なかなか自己開示するタイミングを逃しています。
今日こそ、頭の中を整理したいですし、周りの人に私が最近していることと、頭の中身を公開したいので、100%の言語化を目指すのではなく、とりあえず80%くらいの出来で、このnoteの文章を書きあげたいです!
校正しないと恐ろしく長い文章になる気がしますが、文章を書く癖をつけるべく頑張ります!
※書き終わりました!
30分くらいで書く予定が、5時間くらい書き続けました、、。
最初は近況を書く予定だったのですが、近況を書くためにはだいぶ過去にさかのぼる必要があったようです。
読み返したら、文章を直したくなっていつまでたっても公開できない気がするので、とりあえず公開し、その後誤字脱字を確認しようと思います。笑
1万字を超えてしまい、案の定無駄に長いので、流し読みするか、目次からいくつかピックアップして読んでいただけると幸いです。
精神状態
大学の春休みは2月に始まり、4月11日(日)まで続きます。普段なら長期休みは地方に2週間くらい滞在して色んな経験をさせてもらうというのが私の恒例だったので、2か月を超える休みも長いと感じたことはありませんでした。しかし、この緊急事態宣言下での春休みは長すぎて、かなりしんどいというのが正直なところです。新学期になり大学の授業を受けるのが楽しみにで仕方ありません。
1月末に父がコロナに感染しました。幸い家庭内感染とはならず私も陰性でした。
自分自身が濃厚接触者かつ家族に陽性者がいる2週間の自宅待機というのは、ただ外出自粛する2週間とは、かなり違います。鬱のような症状で、毎日が辛かったです。
暇だったか、というと微妙にそうではないのです。毎日zoomのMTGが複数入っており、todoリストもぎっしりでした。ただ、エネルギーがどこからも湧かない、笑おうとしても笑えない、コロナ前の大学の写真を見て泣くということを繰り返していて、私大丈夫???と自分のことがすごく心配でした。
最近は、おかげさまで徐々に精神状態が良くなってきました!
緊急事態宣言下なので、あまり褒められたことではないですが、ある程度外出する予定を入れるようにしています。ちょっと出かけるだけでかなり疲れるので、体力の低下をとても感じます。
「久しぶりに対面で人と話します」と言うと驚かれます。こんなに家で過ごしているのは大学生だけなのか?と感じることもしばしばです。
日常
毎日、大体9時過ぎに起きます。寝るのは、1時から3時の間くらいです。
zoomをしている時間が最も長いです。友達や知り合いの方と、zoomを繋いで作業をする、ということも多いですし、所属している団体が多いので各MTGの回数も多いです。
本も読みます。最近は「チェルノブイリの祈り」や村上春樹さんの短編集「女のいない男たち」を読みました。本を読んでいると、自分の考え事から一度離れることができ、心が落ち着きます。
英語
1月の頭からDMM英会話を始めました。新年早々、大学2年生のときに、同じ英語の授業を受けていたメンバーとネイティブの先生でzoomをしました。1年間英語を放置した私は一言もまともな英文を発することができなかった一方で、きちんと英語を勉強していた他の友達は話すのがすごく上手になっていたことが悔しく、先生にも申し訳ない気持ちになりました。それがDMM英会話を初めたきっかけです。
ありがたいことに、立教のグローバルセンターの方が毎週水曜に英語で話すzoomを開催してくれているので、他にも話す機会を得ることができています。高校で海外経験がある学生は、大学1年生でもとても流暢に話すので羨ましくなります。
資格
旅行業務取扱管理者の資格の勉強もユーキャンのテキストで始めました。5万円もして高いなと思ったのですが、たまたま知り合いの方が「合格者の声」という欄に掲載されていて、何かのご縁かも!と思い勢いで申し込みをしました。
2月から自動車学校に通い始めました。久しぶりにひたすら暗記する中学校のような授業を受けるので、ある意味新鮮です。
震災
震災を自分事として考えられるようになりたいと思い、昨年11月からNPOきっかけ食堂に関わっています。東北のことを深く知る機会がゴロゴロ転がっていますし、これまでよりも震災や東北を身近に感じることができるようになりました。ただ、これもどこかでモヤモヤがあり、その要因は私が防災の知識を身につけていないことにあると感じています。
先月の大きな福島県沖の大きな地震を覚えていますか?
私は、10年前の3.11のとき札幌に住んでおり、震災の揺れは震度3程度しか感じませんでした。そのため、2月の地震の揺れは震度4程度だったのですが、それでも私にとってはかなりインパクトのある大きな揺れでした。
その時に思ったのです。私は半年東北に関わる活動をしてきたけれど、震災を東北のものだと考えて、結局自分の備えをしていない。多くのことを学んでいるようで、何も実践していないのでは?と。
それがきっかけで、消防団に電話をし、来週消防署に説明を受けに行くことにしました。有事の時に、誰かのせいにしたり、救助や救援を待つだけの受け身な姿勢になりたくないのです。
話すこと
clubhouseは少しやりましたが、どうも私の体質には合っていないようです。その場でパッと思いついたことを話すのではなく、時間をかけて丁寧に言葉を紡ぎたいと思っています。
先日、環境省で行われたエコツーリズム大賞の表彰式内の司会を一部担当させてもらいました。オンラインイベントの司会はこの1年ずっとしてきたのでだいぶ慣れてきましたが、オフィシャルな場での司会は全く異なるもので、とても緊張しました。カジュアルな場を盛り上げるようなことは得意ですが、どうも式典のような場の司会は向いていないような気もします。それは船橋の成人式の司会をしたときも思いました。
書くこと
毎日、日記をつけています。
日付、天気、体重、その日のニュース、その日の予定、3食食べたもの、3行思ったこと、を書いています。
これについては、いつかnoteに書きたいと思っていました。
私の日記は、「3食食べたもの」を書くことに重きを置いています。
私はもともと「家庭の味」「母の味」という概念が消滅するのではないか、ということに危機感を持っています。もし、明日私の母が亡くなったとしても、私は母の味を再現することはできません。レシピが分かりません。どんなにその味が恋しくなったとしても、もう食べることはできないのです。
「家庭の味」とは、何だろう。家庭の味は、バーモンドカレーのルーの味なのか?大事な味付けは既製品ばかりで、家庭の味、母の味などほとんど存在しなくなるのではないか、と感じています。
そのような危機意識からとりあえず始めたことが、3食食べたものを記録することです。これは、私の母が何を作ってくれたか記録することでもあります。料理はその時代や家庭の状況を反映します。私の精神状態やダイエットの傾向、どこで誰と食べたご飯かの記憶も蘇ります。食べることが生きることの基本であるなら、食べたものを記録することにはかなりの意味があると思っています。
他に、私が文章を書いているのは、slackの#雑談というチャンネルです。その日の出来事や考えたことについて思うままに書き綴っています。仲良しの友達4人とお世話になっている先生が見れる場所です。
日々、いろんなことを感じ、考え、それを発信したいと思う一方で、一つの物事に対しても多様な考え方があると思うと、いろんな人が見れるfacebookやnoteに投稿することが憚られます。
そのslackは私が思ったことをストレートに書くことのできる唯一の場です。このような友人と先生に恵まれたことに、いつも感謝しています。
聞くこと
最近、学生の1番の特権は「聞くこと」にある、と感じるようになりました。
以前から、
「就活は色んな大人から話を聞くことができるいい機会だから、有効に使おう」というアドバイスは散々各所で聞いていましたが、私自身が就活という言葉にネガティブなイメージしか持っていなかったがために、そのアドバイスは私のものにならず、耳を通り過ぎていました。何事も自分の経験として落とし込まない限り、自分の糧にはなりません。
最近、船橋のタウン誌の市民ライターを始めました。まだお試し期間中ですが、得るものが多く楽しいです。
これまで色んな地域でお世話になりたくさんのことを勉強させてもらいましたが、好きな地域が増えてもどこか、モヤモヤするところがあり、それは自分の地元に対する愛着のなさにあると思っています。コロナを契機に、自分の地元である船橋を好きになりたいという気持ちは高まっています。
タウン誌の取材や個人的な社会人の方との繋がりの中でお話を伺い、色んな価値観や新しい知識を得ることができています。私が学生だからこそ、より丁寧に話してもらえていると感じることも多いです。学生が聞きたいと言ったら皆さんそれを喜んでくれるのです。この特権は使い果たした!と思えるまでガツガツ使いたいと思っています。
進路
周りの友達のほとんどが就活に本腰を入れて頑張っている中、いまだに私は院進するか就職するかで悩んでいます。
何度も、大学院に行くぞ!と決心したのですが、その度に、違う人にそのことを伝えると「大学院なんてやめた方がいい!」と言われ、また振り出しに戻ります。自分の中に、院進する確固たる理由がないのが原因だと思われます。
就活支援の団体や企業は多くありますが、大学院について相談できる機関や人はそう多くありません。大学院というのはミステリアスな空間です。
大学3年から就活するということに対しての違和感はぬぐい切れず、就活について考えようとしても、「今は大学生でしかできないことをしたい」という気持ちにいつも落ち着き、一向にキャリアについて考えることができていません。
これがあまり正解とは思っていないのですが、最近、学生の特権を感じる場面も多く、今を楽しみたいという気持ちは高まるばかりです。
地域
大学2年生までは、まちづくりや地域活性化にとても興味を持っていましたし、卒論もそのようなテーマで書くのかなと漠然と思っていました。
この1年、地方創生や関係人口、まちづくりなど様々オンラインイベントに参加し、地域で活躍されている社会人の方や、地域に関心を持っている大学生と話す期間が多くありました。様々な出会いから、エネルギーと刺激をもらうと同時に、「これだけ多くの人が地方創生に関心を持っているなら、私は必要ではないのでは?」と思うに至りました。
大学1年のときは、「地方創生に関心がある」なんて言おうものなら、「すごいね!うちの活性化の方法も考えてよ!」というような驚きの反応や私の知識や活動への期待を感じました。
この1年、2020年から現在にかけては、学生の地方創生やまちづくりへの関心の集まり方に大きな変化を感じました。これまで興味を持っていなかった層の人が興味を持ち始めたと感じています。とてもいい変化だと思っています。
その一方で、「地域に関心のある学生」というカテゴリーに属する人が増えたことで、私は私の必要性を感じなくなりました。私は常に、自分が必要とされている場所にいたいですし、多くの人が目を向けていない問題に焦点を当てたいと思っています。という経緯で、私の地域への関心の度合いは以前ほどは強くはなくなりました。
と言いつつも、観光学部という学部上、観光を用いた地域活性化やコミュニティ形成の話は授業を受けているだけで自然と耳に入るので、今後も情報をアップデートしたいです。そして何よりも、これまでお世話になった地域やそこに住む方への感謝の気持ちは忘れたくないです。これは私が観光を勉強する一番の原動力になっていたからです。
卒論
では、一体何を卒論にするのか。
現在、考えているテーマは、「大学生の学習意欲の維持における課題」を立教の観光学部の事例をもとに検討してみたいと思っています。
もともと大学における観光教育や、産学連携の意義、高大接続など、自分を取り巻く身近な事柄に興味を持っていました。今後コロナが終息するのか不透明な状況の中、遠くに赴かなくても調査できるテーマ。かつ、自分に当事者性が高く、調査の中で他の人の語りを聞くことができるもの、などいくつかの条件を設定し、現段階で一番ピンときたのがこのテーマでした。
「ふくちゃんは観光学部生の鏡だね!」という褒め言葉は、1年の秋学期からよく友達に言われ、自分の自信にもなっていました。私は幸運にも色んなフィールドワークの機会や地域との繋がりに恵まれ、大学1年のときから大学外に出ることが多く、それが私の勉強のモチベーションになっていました。
大学1年生というのは、言語や教養科目ばかりで、大して専門を勉強していないのですが、社会人の方は容赦なく、「観光学部って何勉強してるの?」という疑問をぶつけてきます。これはとてもありがたいことです。
自分自身、何を勉強しているのか分からないのに、それを何度も聞かれるので、考えざるを得ません。説明も上手くいかないので、何度も失敗し、何とか観光学部を説明できるようになりました。
「法学部です」「文学部です」と言ってもあまり「何勉強してるの?」と掘り下げてくる人は多くないかもしれませんが、観光学部の場合、かなりの確率で「何勉強してるの?」「旅行会社(もしくはCA)になりたいの?」と聞かれます。大学で学んでいること、そして自分のキャリアイメージを常に説明できる状態にしないといけませんでした。
そして、【地域】のセクションで書いたように、地域に入ると、観光学部としての知識を求められます。観光に関する知識を求められたときに、「そのような内容は学んでいません。立教の観光は実学ではなく学術的な側面から観光を学んでいて、、、」という逃げは大学1年までは通用しましたが、さすがに大学2年になると、そうは言っていられません。
大学は全てを教えてくれるのではなく、考えるきっかけを提供してくれるだけです。観光についての知識が乏しいのは、大学の責任ではなく自己責任、という認識を持つようになりました。
このような考えを持ったのは、私が大学1年のときからフィールドワークの機会が多くあり、社会と接することができたからです。もし、ひたすら座学だけしていたならば、私は大学は面白くない、と言って勉強とは違うことに力を注ぐようになったと思います。
私が問題意識を持っているのは、この点です。
フィールドワークや社会との繋がりが私の学習意欲を支えていた、としたときに、その機会に恵まれなかった学生は、「大学では勉強を頑張ろう!」というモチベーションの高い状態で入学してきたとしても、そのモチベーションを向ける場所が与えられないまま、時間が過ぎ、モチベーション自体も低下しているのではないか、という予測をしています。
もちろん大学に入る目的意識は人それぞれですし、全員が勉強が最優先になる必要はないと思っています。しかし、大学入学前の高いモチベーションを発揮することができないまま大学生活を送るのは、大学、学生、社会どの立場から見ても損失でしかないのです。
私は、大学生の学習意欲が何によって支えられ、どのようなことをきっかけにモチベーションが向上、あるいは低下するのかをまず明らかにし、その上でより多くの学生がベストな大学生活を送れるような仕組みを作りたいと思っています。
転校
先月、「モチベーショングラフ」を作成する機会があり、自分の21年の人生を振り返りました。それまで、自分の転校や引っ越しの経験が自分に与えた影響についてあまり言語化することがなかったのですが、振りかえると自分の価値観やアイデンティティの形成に大きな影響を与えていたと感じました。
私は、祖父母の家がある熊本で生まれ、その後福岡、東京、千葉、札幌と転々とし、中学2年生から今住む千葉県船橋市にいます。
小学校で2回、中学校で1回転校しました。
3つの小学校に通いましたが、学校の雰囲気や授業の内容、生徒や保護者の様子はかなり違いがありました。それは小学生ながら強く感じていました。
そして、周りが気がつかないこと、当たり前だと思っていることに違和感を覚えます。学校には理由の分からない不思議な規則や慣習があるのは広く知られていますし、問題視されているところではありますが、小学生の私も色んな違和感を持ったのです。
最近、思い出して自分で笑ってしまったエピソードがあります。
札幌の小学校に通っていた時、私の記憶に間違えがなければ、水筒を持っていくことが禁止されていました。千葉の小学校では水筒を持っていくことは当たり前だったので、おかしいと思った私は、ノートに手書きで署名用紙を作り、クラスの友達に名前を書いてもらい、校長室に持っていったのです!
その当時、将来の夢が国会議員でした。署名活動という手法はそういうところから導かれたような気がします。
この行動の背景には、他の小学校を知っているからこそ持った違和感がある、ということは間違いなさそうです。
中学校でのエピソードはこのようなものです。
札幌の中学校には1年、中学2年から船橋の中学に通いました。札幌の中学校は本当に優秀な子が多く、どんなにテスト勉強を頑張っても順位は中の下ほどでした。部活も幽霊部員でしたし、塾の自習室には通いつめ、かなり勉強していたはずなのに、結果は出ず、私は頭が悪いのだ、と思っていました。
それが、船橋に転校して来たら、一瞬にして変わりました。最初の学年合同のテストで1位を取り、天才転校生扱いされるようになったのです。
この時、私は、自分のレベルが同じでも、環境によって評価のされ方が違うことに気がつき、自分は実は頭が悪くないかもしれないという希望が見えました。まだ相対評価、絶対評価という言葉の意味を理解していない時でしたが、言葉は分からずとも自分の経験からそれを理解していました。
キャラを変える、自分を演じる、ということも小学生のときからかなり意識的にしていました。大学生になってから、そんなことを一切考えなくなりましたが、小中学生、特に転校を重ねていた時は、キャラを作ることはクラスに入り込むための手段であり必要条件だと思っていました。
今思えば、そんなことは息苦しいですし、のびのび遊ぶのが小学生の仕事ですが、どうもそういう小学生ではなかったようです。
これも今だからこそ言えるのですが、小学生のとき東京でも千葉でも友達にいじめられていた記憶が断片的に残っています。私は記憶に自信がないので、古い友達に話を聞きたいくらいですが、おそらく。
その当時は、それをいじめだと思っていなかったのですが、振り返ると、いや、ひどくないか?というエピソードが多々あります。
実は、私にとって転校は大好きなライフイベントでもありました。
全てリセットできるからです。
どんなに仲の悪かった友達も、私が転校すると聞くと、素敵な手紙とプレゼントをくれました。急に周りが私がいなくなることを惜しんでくれるのです。これは、自分の存在意義を感じられる瞬間でもありました。
転校ばかりの子供はかわいそう、という話はよく耳にしますが、少なくとも私の場合は、圧倒的に良いことの方が多かったです。
最近興味を持っているのは、転校経験を持つ子供のライフストーリーです。両親の職種によって、県内、国内、海外などスケール感が異なりますし、その転校の頻度も違うはずです。このデータを丁寧に集めて分析すると面白いことが明らかになる、そんな予感がするのです。
私が研究したいところですが、少なくとも今はできなさそうなので、是非そのようなテーマで卒論を書ける人がいたら、お願いしたいです。とても興味があります。
観光学部生インタビュー
「観光学部生インタビュー」というのは、私が昨年秋に始めたnoteへのインタビュー記事を投稿する活動で、立教の観光学部に所属する友人に時間を取ってもらい、聞いた内容を文章にまとめています。
この活動は本当に楽しく、気づきが多いです。観光学部に入る動機は人それぞれで、第一志望でない人も多いのですが、インタビューの終わりにはみんなが口そろえて「観光学部に入って良かった」と言います。ここまで観光学部の満足度が高いとは思っていませんでした。
インタビューをお願いしているのは、仲のいい友人ばかりですが、インタビューの中で語られるのは、私が知らないその子のことばかりです。複数人で話していると、均等に話すことが重んじられるので、1人が多くを語ることはありません。たとえ2人きりだとしても、お互い同じ量の発言をするのは暗黙の了解になっていることが多いです。
インタビューという会話の方法には、かなりの可能性を感じています。現代社会における対話の問題の多くを解決する手立てとなる気がします。
相手を知ることは信頼関係を築く第一歩となるにも関わらず、大学でできた友達と話しているのは、実は課題やバイト、長期休みの予定など、現在もしくは近い未来のことばかりで、過去のこと、将来のことを話す機会は作らなければありません。
就活のことを友人同士で気軽に話せない、と言う人は多いですが、「就活」というトピックが繊細なものだからという理由に全てをまとめるのは違和感があります。就活について話すということは、その人のキャリアイメージや人生観について話すことでもあり、その人のキャリアイメージと価値観を形成しているのは、その人の過去の経験です。つまり、その人の過去のことがわからないと、その人の相談を受けたところで、参考になるような返答はできません。対話をする信頼関係を築けていないなら、なおさら無理があります。
今の大学生に不足しているのは、友人同士で丁寧な対話をする時間と関係性のように思います。
母校
「観光学部生インタビュー」もマイプロ感覚で取り組んでいるのですが、もう一つ好きでやっているプロジェクトがあります。出身高校での現役大学生講演企画です。
私は高校に限らず、母校とそこにいる先生が好きで、卒業後も遊びに行くことがよくありました。ただ、そうは言っても公立であれば、5年も経つとお世話になった先生は大体異動でいなくなってしまい、母校に行く機会もなくなります。
昨年の秋に、ほぼ卒業ぶりに高校に行き、ほとんどの先生が異動されていてショックを受け、あと1,2年もすれば会いたい先生が一人も母校にいないという状況になるということが想像されました。
幸い、私の出身高校は、県内でも文化祭のクオリティが高い(高すぎる?)ことで有名で、卒業生は文化祭という母校に帰るきっかけを得ることができます。しかし、今年度は文化祭はオンライン。オンラインでよくやった!!!と在校生を誇りに思うのですが、卒業生としては年に一度の母校とのつながりが途絶えたと感じました。
卒業生が母校との繋がりとどうしたら持てるか、と考えたときに思いついたのが、卒業生である現役大学生が大学生活について在校生に話す企画でした。他にも、いくつか背景があるのですが、ここでは割愛します。
立教には、校友会という卒業生の組織があり、今年度もオンラインで様々な企画を実施されていました。どんなに年の離れた方でも、立教卒で同じキャンパスで学んでいたと思うと親近感を感じます。
ゲストスピーカーとして立教のOBOGの方が授業でお話しされることも多く、やはり立教卒というだけで受ける刺激が大きくなります。そして、思うに、ゲストスピーカーとして母校で話すことは、その卒業生の方にとっても大変名誉なことだと思います。大学で話すということは、研究者にでもならない限り、そう多く巡ってくるチャンスではありません。このことを、中学・高校でもできないだろうか、というのが私の企みです。
日本の学校教育に対する悪評はそこかしこで聞きますし、私自身、日本の教育制度を良いものとは思っていません。ただ、その責任を現場で働く先生方や教育委員会に押し付けたくないのです。小中高を通じて、私は素敵な先生方に恵まれ、その出会いにとても感謝しています。先生方はいつ見ても忙しそうにしていて、これ以上に何を学校の先生に求めるのか、と思っています。
口で言うのは簡単ですが、言うだけでは何も変わらないということはよく分かっています。大学に入ってから、私の違和感センサーが発達しすぎたのか、色んなことに対して問題意識や不満を持つようになり、もはやそれが窮屈で耐えられなくなりました。自分でどうにかしたい、アクションを起こしたいという欲求が溢れてきます。
ボランティアでは持続性がない、一つの場所でやっていても社会全体を変化させることができない、など小さな地道な活動はそのような意見をぶつけられることもあります。ただ、どう考えても何もしないよりマシ、であることと同時に、小さい活動の方がアクションに移す時間的費用的なコストがかからずに済みます。
「個人的なことは政治的なこと」という言葉は友達から教えてもらいました。自分が違和感を持っていることは、実は社会問題の欠片でもある。その違和感はライフステージの変化とともに消えるかもしれませんが、それをまた次の世代が感じるのです。私は自分が感じた違和感を、放置して、また誰かがそれの被害を被るのが見過ごせないらしく、大学4年が近づいてきた今、やりたいことが溢れています。
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