日記 働けない無職/Kちゃん

・短歌作りました。
「歌うたい踊りを踊る昼も夜 雨を吸った脱げないTシャツ」
 
・短歌作りました。
「朝日だと思って弾んだ胸を見て常夜灯だと叫ぶ舌の裏」
 
フルートを吹けるようになり、筋トレをやる意欲も湧き、やりたい事が沢山出来るようになった今週の月火水。
木曜日は夜から今日の午前中にかけて友人ら5人で友人宅でお泊り会をした。
午前中から起きる日が重なるにつれ少しづつ身体が重くなってくるが、今日限界を迎えた。
藁一本で崩れ落ちるラクダのように平気で笑顔に過ごしていたと思ったら自室に戻った瞬間憂鬱が泥のように身体にのしかかってくる。
午前中起きる日が週に4日あるだけで耐えられないのか…?
 
無職2年目に入っていると、周囲から「そろそろ働けるんじゃない?」と言われることがある。
働きたくないというより働けないから働いていないと説明することが多々ある故に、元気そうだし働けるんじゃないかと思われるのは正直納得もするし、私自身も思う。
でもこうやって実際に活動的に生活すると数日足らずで寄せた波が勢いよく返していくように力が遠くへ行っていき、代わりに濡れた地面に憂鬱を残す。
そのたびに心の中で働くことを期待する自分や周囲の人間に叫ぶ。
元気な時に笑顔でいられるからって正常な人間なわけじゃない。こんな人間がまともに働けるわけないだろ。
無職なのは無職の理由があるんだぞ。
こんな文句の塊の文章を書くくらいしか出来ない。こんなんなら書く力も無い方がマシかもしれない。
 
体力が戻りつつあって、以前は週に1日しかなかった活動的な日が2日になり3日になっているのは確かに嬉しい事なのだけれど、この落差のせいで病気になりたての頃のように憂鬱な日の何も出来なさ加減に絶望する。
ただ純粋に「体調が良い日もあるし悪い日もある。良い日に出来ることをすれば良い」と思えられればどれほど楽か。
 
 

・最近仲良くなった友人と毎日作った短歌を送り合うのを始めた。
その友人は短歌を「5・7・5・7・5」だと勘違いするほど短歌のことを何も知らない人で、参考に木下龍也さんの「あなたのための短歌集」を貸したのだけれど、その毎日送ってくれる短歌が、本当に本当に素敵でびっくりする。
私もまだ作り始めたばかりだけど、へたくそなりに頭を悩ませて良いものを作ろうと努力しているつもりだけど、彼女の独特な観点と等身大なワードチョイスに心を打たれる。
短歌のセンスがある人ってこんなにすごいんだなと毎回驚かされる。
その友人はもうすぐ引っ越してしまうのだけれど、短歌を送り合うのを続けられたらずっと続けられたら良いなと思っている。
彼女もそう思ってくれていたら嬉しい。

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