日記 あの人は今日も来ている
・魚住陽子さんの「公園」を読み終えた。
小説の冒頭は『あの人は今日も来ている』から始まり、最後の章も同じく『あの人は今日も来ている』で始まり、それから締めくくっている。
「あの人」は夫の愛人でもあり、ある老婆の死んだ娘であり、誰かの母親であり、ある人の殺したい人でもある。
「あの人」はいつもこの公園にいる。
「あの人」は蜃気楼のようであり、誰もがそれぞれ思い浮かべる「誰か」であり、最も会いたい人でもあり、最も恨んでいる人でもある。
この小説に、解決も完結も起承転結も必要ないと思った。
ただ、それぞれの現実が過ぎていき、それを見ている「あの人」がいる。それだけだった。
あの人は今日も来ている。
裏も表も黄金色に輝く銀杏があの人とあの人の黒い自転車の上に休みなく落ちる。静かに重なる黄金色の波の上であの人は身動きひとつしない。布製の鍔の狭い帽子を目深にかぶり、誰かを待ち伏せているように遊歩道に目を凝らしている。
桜はもうみんな落葉した。や機も踏みしだかれた茶色のモザイクになってしまった。
あの人はじれるふうもなく、飽きもせず長い時間立ち尽くしている。緊張とも放心ともつかぬいつも同じ姿勢。黒いセーターにおおわれた二本の腕はほっそりした身体の線にそって垂れ、頭も首も自然な角度に上げられている。
あの人は何を待っているのだろう。
・首都高湾岸線を車で走りながら、「人間ってとんでもないものを作るんだな」と漠然と感動した。
道路の上に道路を作るって、めちゃくちゃだと思う。
「なんか渋滞するね…道路を空間に作ったら良いんじゃない?」って思いついた人がいたってことでしょう?
めちゃくちゃすぎる。
信号無しにして、めっちゃ走れるようにしようって思いつきもやばすぎる。
高速道路の下の普通の道路を走っている時は考えないけど、高速道路を走ると、「こんなとんでもないスピードを頭の上でデカい鉄の塊が走っていたのか」と恐ろしくなる。
高速道路を作る人間、本当にとんでもない。