日記 植物と脳
・短歌
「踊り場の隅に掃かれた死にたさのカドを合わせて折る白い鶴」
・心身共に体調がだいぶ良い日が何日が続いている。心療内科の主治医「攻めの井上」先生に「以前のあなたを知らないけれど、きっと本来のあなたに少し近いんじゃないですか?」と聞かれ、ああ、確かにそうかもしれないなと思った。
以前の私のように人との用事を毎日のように入れたり、仕事を楽しめる程ではないけれど、人との会話を楽しんだり、時間の滑らかさを受け入れたりする点で、本来の私のように前向きだなと思う。
日記以外の私を知らない人は意外に思うかもしれないが、本来の私はすごくお喋りが好きで、人が好きで、楽しい事が好きで、嬉しい気持ちが好きで、生きることが好きだった。
希死念慮が全くないというわけではないのだけれど、私の感情の中で隅の方に運び、それがただあるという事実を受け入れ、少し楽しんでさえいる。
明日も明後日もそうだったらもちろん良いけど、いつか来るであろう希死念慮や不安に羽交い絞めにされるような日を怯えているわけでもない。
自分の皮膚の内側の事象と(私が観測している)世界の事象に対して、全てを諦めとも愛しさともどちらとも言えないような寛容さを含んでいる。
こんなに爽やかな気分は久しぶりだななんて思った瞬間、「今を最後にできたら良いのにな」と思った。
私はいつだって、自分の命の最後を自分で早々に決めたがる。
・三浦しをんさんの「愛なき世界」の上巻を読み終えた。
植物学を研究する女の子に料理人の見習いの男の子が恋をする話だが、内容の殆どは「なぜ植物はこうなんだろう」という疑問を読者に問いかけるものだ。
『「植物には、脳も神経もありません。つまり、思考も感情もない。人間が言うところの、『愛』という概念がないのです。それでも旺盛に繁殖し、多様な形態を持ち、環境に適応して、地球のあちこちで生きている。不思議だと思いませんか?」』
(このセリフは本の帯にも書かれていたのだが)これを読んで、すぐさまこの本を購入した。
私の母は植物を増やし育てることが趣味なのだが、バラの挿し木をしたり種を発芽させたりするたびに「植物に脳が無いのが信じられない」と言う。
脳が無いのに根を張り、成長し、花をつけるって、どういう事なんだろうか。
ただ本能に従っているように見える虫にも脳はある。
植物には無いのに、動物にはある。
そもそも、脳って何なのだろうか。本能って、思考って、何なんだろうか。
昔読んだ本には植物も動物も同じように、全ての生き物は有機物のスープから誕生した単細胞生物から偶然の連続で進化したと考えられていると書かれていた。(小学生の時読んだ本なのでうろ覚えではある)
聖書にはシンプルに、「神が地球に植物を生い茂らせた」と書かれている。
この複雑なシステムやデザインを考えたとき、どっちが現実的なんだろうか。