こんな時間だけどお腹が空き、スープでも飲むか〜と台所へ。 前職の上司のタイ土産(インスタントっぽいなにか)を発見したので、どんなもんかと、いったんGoogle翻訳にかけてみた。 パッケージに書かれた絵を見た感じも、なんかお湯かければいけそう! と思い、さっそくT-fal師匠に湯を沸かせた。お湯を注いで2分待つ。 (ジャスミンライスってあるし、米も入ってて雑炊系かしら) なんて湯を沸かせる間に思っていた。 完成したのは、ぜんっぜん固形じゃない、しゃびしゃびとしたスープの
本を読むのがすき わたしと、本の中の誰かだけの、特別なせかい、という感覚がたまらなく好き 好きな本に出逢うと、というか、大切にしたい本に出逢うと、その本を読み進めるのが少し怖くなってしまう だって、本を読み終えてしまったら、この楽しみが永遠ではなくなってしまうから 読み終えなかったら、この本とのお別れは訪れないから 屁理屈みたいなことを未だに考えながら、大切にしてるのかしてないのか、甘えた態度をとりながら、 だからわたしは人との別れが苦手なのだと知覚する さよな
近所にたい焼き屋さんがある。 ごく一般的な、線路脇にそっと佇むたい焼き屋さん。 駅近だからそれなりにお客さんも入ってる。と、思う。昔ながらの感じがとても好き。ちなみに、こちらのお店は養殖タイプ。 夏は冷やしたい焼きなんかもあって、季節ごとに限定味が出てる。 最近は冷やしたい焼きが値下げされてて、もうすぐ夏も終わるな〜なんて思ったりしていたところで。 今日は少し肌寒かったから、無性にあったかいたい焼きが食べたくなって、買いに出かけた。 秋だなあ、なんて思って、栗味のたい焼き
先日、『cocoon』という作品を観た。 今日マチ子さん原作の演劇。 マームとジプシーの作品は好きで何本か観ていて、念願叶っての観劇だった。 しかも、大好きな彩の国さいたま芸術劇場で。 2年前に再演決定のニュースを見て以来、ずっと心待ちにしていた。 この2年間を経て、自分がどのように感じるのかといったことも含めて、どきどきしながら劇場へ向かった。 劇場に足を踏み入れた瞬間、目に飛び込んできた「cocoon」というワード 舞台上を軽やかに駆け回る少女たちの「いっせーのーせ
自分に興味を持ってくれたこと 好きなものがひとと違うことがコンプレックスで あんまり周りの友人には話さずに なんとなくじぶんひとりで楽しむことが多かったし、そういうものだと思っていた けれど、好きなものを共有することがこんなに楽しくて、わくわくすることなんて 受け容れてもらえたような、やっと居場所を見つけられたような気がした この場に帰って来られるように 好きなことを好きなだけ、極めたいな
ひさしぶりのお酒の場。 といっても、知り合いのお家に集まって呑む、みたいな感じで。でもちゃんと、打ち上がった。 コロナ以降こんな生活ができるなんて思ってもみなかったし、この1ヶ月みんなで頑張ってきたからこそ、のものだった。 楽しくて愉しくて、それはもうしあわせな空間で。 ここに戻って来るために、頑張ろうと思えた時間だった。がんばる。 好きな映画も音楽も、似ている人たちが集まる場というのはまあたのしくて。でも、ひとりひとり違って。 学びの場であり語りの場であり心地よい空
やさしさをもらった。 正確に言うと、お菓子をもらった。 1ヶ月間勤めたアルバイトの最終日だった今日、毎日優しく仕事を教えてくれた方々と、もしかしたらもう二度と会えないかもしれない方々と、笑顔でお別れをした。 別れは好きじゃない。また会えるかもしれなくても、しばらくの間は寂しさが付き纏う。しあわせな前向きな別れであっても、やっぱり悲しくなる。 「どうぞ、お菓子が入っているよ」と言って退勤間近、隣のデスクからそっと差し出された包み袋。 帰り道でこっそりと開封した。 可愛ら
わたしは褒められて生き生きするタイプ、怒られたり悪いところを指摘されるとしゅんってなったり意地を張ってしまったりするタイプ。 ということは前から知っていたけれど、改めてそのことを実感している。 良いところを伝えてくれた後、何か改善点があればそれを解り易いことばにして伝えてもらえる、今の環境はとても心地が良くて。自分が此処に居ていいのだという安心感があって。 何よりも、自己を肯定されているという感覚に、なる。 思えば続いた習い事も、いつも先生が努力を認めてくれて、改善点と良