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おべんとふたつ ~オネエの中学生日記~

風のつめたい日だったわ。
秋が終ろうとしていたの。
中庭のいちょうがレモン色に染まってね、学校から帰って見あげると、葉っぱがぱらぱら落ちてきて、制服の肩に乗っかった。
中庭なんていうとお屋敷みたいだけど、ちがうのよ。中学生のわたしがお母さんとふたりでくらしてたのはオンボロ団地。
あの日はお母さん、工場の食堂の仕事、早番だったのかな、それとも夜勤前だったのかな。小さな台所に立って、せっせとごはんつくってた。
「おべんと箱は? 洗っちゃうから」
せかされて、わたしはからっぽのおべんと箱をさしだした。そしたらお母さん、にんまりして
「ぎんなん」
って言うの。
わたしはなんのことかわからなくて、ぽかんとしたわ。
「はいってたでしょ?」
「どこに?」
「ハンバーグによ」
「さあ」
「さあって……わたるちゃんがぎんなん好きだから入れたのに」
おべんと箱を洗うお母さんの、つまんなそうな、ちょっぴりかなしそうな横顔――
それ見ちゃうと、わたし、お母さんに話そうって気になった。
「ハンバーグ食べてない」
「どうして?」
「かっぱらわれちゃうの」
お母さんは水をとめ、びっくりしたようすでわたしを見た。
「じつはね……」
少し前からないしょにしてたことを、わたしは打ちあけたわ。
かっぱらわれたのは、その日のハンバーグが初めてじゃないこと。ねらわれるのもわたしだけじゃないこと。おひるの時間になると、クラスメイトのおべんとに手をのばして、おかずをくすねてまわる子がいること。
名前はケン。
ワルでね。机に足のせてふんぞり返って携帯いじってるでしょ。先生に注意されたら机をバン!とたたいて教室を出ちゃって、体育館の裏で枯草に火をつけたところを教頭先生に見つかって、しかられたらツバを吐きかけたそうよ。
ケンは両親に捨てられたの。
なんでも、実の父親のもと愛人とそのヒモみたいな男がくらすアパートに置かせてもらってるという話だった。
もちろん、おべんとなんかつくってくれない。パンを買うおかねももらえない。
そんなわたしの話を、お母さんは下を向いてだまって聞いてた。そして聞き終ると、「よしわかった」とだけつぶやいた。
 
あくる朝、わたし驚いちゃってね。
だって「はい、おべんと」ってわたされたおべんと箱がふたつなの。
わたしのぶんと、ケンのぶん。
「これから毎日つくってあげる」
お母さんはそう言ってにっこりしたけど、わたしはちょっと気が重かった。
みんながケンを避けてたの。わたしだって口をきいたことなかったわ。
それで、おひるの時間――
「あの、これ」
わたしはおそるおそるケンの机におべんとを置いた。それをケンは見つめてるだけ。「ふたつあるから」って、わたし、逃げるように自分の席にもどったわ。
それから十分もたったかどうか。
たまごやきをムシャムシャやってるわたしの真正面にケンがぬっとあらわれてね。無表情で、無言で、さっきのおべんと箱、カチャンと置いて、どこかへ行っちゃった。カチャンという軽い音で、中身はからっぽだなってわかったわ。
それにしても、「ありがとう」のひとこともないのよね。
うちへ帰ってそれをなじったら、お母さん、
「いいのいいの」
って気分よくおべんと箱を洗ってるの。
「ごはんつぶひとつ残さず食べてくれて……」
あの時のお母さんは、ほんとにうれしそうだった。
つぎの日も、そのつぎの日も、そのまたつぎの日もおんなじよ。
おべんとふたつ。
ちょっぴり重たいわたしのかばん。
ケンはあっというまにたいらげて、カチャン。そんで、にこりともせず行っちゃうの。
帰りのかばんは軽かったわ。
えびフライのしっぽまでなくなったおべんと箱ですものね。
それ見て、お母さんは「うんうん」て感じでよろこんでる。
 
そうやって冬はすぎ、やがて春――
といっても、まだうすら寒い夜だった。
こたつでみかんをむきながら、お母さんが何を言い出したと思う?
「ねえ、ごはんに呼んだらどうだろう」
そう言うの。ケンをうちにまねいて、晩ごはんをごちそうしようって。
あんまり突然だから面くらっちゃったけど、いま思えば、お母さん、ケンにあったかいごはん食べさせたいって、ずっと前から考えていたんでしょうね。
あくる日わたしは、おべんと箱を返しにきてすぐに去ろうとするケンを呼びとめた。
わけを話して「くる?」ってきくと、ケンはだまってうなづいた。
「ほんと? 日曜日の六時だよ。きっとね」
わたしは念を押して、住所を書いたメモをケンの手ににぎらせた。
そして日曜日、お母さんは朝から台所にこもりっきり。
おいしそうな匂いがうちじゅうにただよってね。
夕がたになると、こたつに乗せきれないほどの大ごちそうよ。
ケンは時間ぴったりにやってきた。
「さあ、湯気の立ってるうちにめしあがれ」なんて、お母さんは張りきってるんだけど、盛りがらないんだな、これが。だって、
「からあげ好きでしょ?」
「はあ」
「スダチしぼりましょうか?」
「ども」
「レンコンきらい?」
「いえ」
てな調子で、ケンがろくにしゃべらないんだもの。
お皿から湯気が立たなくなったころには、気まずい沈黙で空気もさめちゃってね。どうしようかっていうふうに、お母さんもこまり顔。でもその時、ケンが箸を置いて、ぽつりと言ったの。
「弁当」
って。
お母さん、やっとお礼なり感想なり聞けると思ったんじゃないかな。けれど違った。ケンはうつむいたまま、こう言ったの。
「なんで……あんなことするんだよ」
それは刃物のように冷たいことばだった。わたしは胸がどきどきしてね。でもお母さんは少しもひるまず、おだやかに答えたわ。
「わたしね、ひとにごはんをつくる役目をさずかってうまれてきたんだと思うのよ。だからいっしょうけんめい、工場で百人前つくって、わたるにつくって、そしてあなたにも……」
「なんでオレなんかに……」
「だれに、は問題じゃないの。いいものよ。ひとのために何かしてあげるって。気がついたら心がきれいになってる。自分にもそんな心があったんだって驚いちゃう。それは相手あってこそ。心はひとりではみつけられないの」
ケンはさめきったお母さんのごはんを見つめて聞いてたわ。やがて顔をあげ、ゆっくり立ちあがった。そして、ひとりごとのように言ったの。
「なんの役にも立たない石ころみたいにうまれて、けっとばされて投げすてられて、どこにころがってもひとりぽっちの人間だっているんだ」
すかさず「じゃあ」って帰ろうとするのをお母さんが引きとめたけど、ケンはふりはらうように出ていった。
月曜日もそれまでとおなじように、わたしはふたつのおべんとをかばんにつめたわ。
ちょっぴり重たいわたしのかばん。
そして、帰りも重たいわたしのかばん――
手つかずのケンのおべんとのふたをあけ、お母さんは「どうして?」と心配そうにわたしを見た。
ケンは学校にこなかったの。
わたしは先生や友だちから聞いたとおりをお母さんに話したわ。
日曜日の夜おそく、ケンは逮捕されたんだよって。
アパートの部屋で、ケンは父親のもと愛人とヒモを突きとばし、なぐりつけ、女には打撲、男には腕の骨を折る大けがを負わせ、通報した隣人にもつかみかかって、あげく警官にも暴力をふるったらしいよって。
「そう……」とつぶやいて、お母さんは台所のいすに力なく腰をおろした。わたしが「あしたから、ひとつでいい」と言ったのも聞こえたのか聞こえないのか、そのままなんにも答えなかった。
結局、ケンは少年院に送られたの。
おべんとひとつのかばんはヘンに軽くて、月日がたっても、ふとケンのことを思い出したわ。
でも、こっちからは手紙を出すことも許可されないし……。
 
また秋がきて、空の青い午後だった。
学校から帰ったわたしを「早く早く」ってお母さんが呼んでるの。
天からの宝ものをうけとめたかのように、お母さんが両の手のひらに乗せてるのは、一通の白い封筒。少年院にいるケンからの手紙だった。
「わたるちゃん、あけてみて」
なかに入ってたのは、便箋がわりのノートのページ。それから、こがね色したひとふさの稲穂。
稲穂にはお米のつまったもみがたわわにみのって、つまんで持つと、しなやかにおじぎをするの。
わたしはお母さんに稲穂を預け、声に出して手紙を読んだ。まるっこい文字でつづられたケンの手紙を――
 

わたる
そして
わたるのお母さん
 
お元気ですか
これはオレがうまれてはじめて書く手紙です
はじめてというなら
少年院でははじめてのことばかりで
オレは早寝早起きもはじめて
本をよむのもはじめて
土にさわるのもはじめてでした
土ってあったかいんだね
そんなことも知らなかった
少年院の畑と田んぼで
オレはまいにち土をさわって
ナスやイモやお米をそだてています
そだててるうち
はじめて
だんだん
ひとの気持をかんがえるようになりました
なぜそんなにやさしいんだろう
なぜそんなにいっしょうけんめいなんだろうって
わたるのお母さんがおべんとをつくってくれた気持
かんがえてたら
あってるかわからないけど
その気持がつたわって
オレの気持がぶるっとふるえた
そしたら
うまれてはじめて
ありがとう
ってことばを言いたくなった
痛くも くやしくも さみしくも ないのに
なみだがはじめてながれました
「心はひとりではみつけられない」
あのことばの意味がわかった気がします
稲穂はここの田んぼでみのったお米です
会える日をどうか待っていてください
それでは              
               ケン


ケンの声がわたしにとどいた。
きっとお母さんにもとどいてる。
 
カチャン
ありがとう――
 
稲穂を静かにゆらしながら、お母さんは聞いていた。

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