ヒロイックファンタジーの人名について_R.E.ハワード「黒い予言者」の場合
ヒロイック・ファンタジーの源流コナンシリーズに登場する地名と人名に注目したら、ハイボリア世界の歴史が垣間見えたような気がした。
ハワードの命名法については、すでに先行研究があるらしく、詳しくは新訂版5巻末の「解説」を読んで頂くほうが良いと思うので(ここであれこれ書いても孫引きにしかならないので)、ちゃちゃっと話をすすめる。
【念の為】本稿には特定の地域、文化、国家、人物などを誹謗中傷する意図はありません。
気になること
さて、コナンシリーズの「黒い予言者」に「イラニスタンから来た王子ケリム・シャー」と名乗る人物が「トゥラン国のエズディゲルド王」(『新訂版コナン全集3』p18)と述べる場面がある。
なぜ、ハワードは、歴史や文学に登場する人名と地名の中から、トゥラン、エズディゲルドと、いう二つの単語を組み合わせたのか?
トルコを連想させるトゥランと、ペルシアを連想させるエズディゲルドがつながっていることから、なにを読み取れるのか?
歴史・文学上の固有名詞
まず、ハワードの作品から離れて、古典文学に出てくる固有名詞にあたる。
ツーラーンとイーラーン
ペルシア文学の『王書』に、ツーラーンとイーラーンという国家(というか、勢力というか)を示す固有名詞が出てくる(『世界文学大系68アラビア・ペルシア集』p276)。
ちなみに、ツーラーンではなくトゥラーンと転写されることもある(『王書 ペルシア英雄叙事詩』p426, 428)
エズディゲルド
エズディゲルドはペルシアの人名で、サーサーン朝の王の名前でもある(『世界文学大系68アラビア・ペルシア集』での表記)。
とりあえず、ハイボリアより東に関わる固有名詞を考えるとき、ハワードがペルシアを意識したと、いう仮定をおいても一応さしつかえなさそう。
コナンシリーズの記述
ハワードの作品に戻って、コナンがハイボリア世界の東側にいたころを描く作品を参照してみる。作品の執筆順は、新訂版にある解説によるもの。
執筆順で8番目「月下の影」では、ヒルカニアの「アムラト王」が出てくるほか(『新訂版コナン全集2』92p)、文脈からしてヒルカニア王またはトゥラン王だろう「イルディズ王」への言及がある(前掲書p152)。
執筆順で13番目「鋼鉄の悪魔」におけるコナンのセリフの中では、ヒルカニアとトゥランは同じとして扱われている(前掲書p359)。同作には「トゥラン国の太守ユンギル汗」(前掲書p247)や「トゥランの国王エズディゲルド」の名も出てくる(前掲書p308)。
執筆順で14番目「黒い予言者」をよむと、トゥランとイラニスタンは別々の国らしい(『新訂版コナン全集3』p18)。また、おそらくトゥラン人の名前として「セクンデラムの太守コスル汗」とある(前掲書p41)。
執筆順で20番目「ザムボウラの影」では、ヒルカニア人がザムボウラの都を治めていて(『新訂版コナン全集2』p243)、統治者はトゥラン人とある(前掲書p245)。
話が脇道にそれるけれども、「月下の影」と「鋼鉄の悪魔」の間で、トゥランないしヒルカニアの王が交代したように読める。
きっと、ファンの間では何度となく話題にされているのだろうけれども、「月下の影」から「鋼鉄の悪魔」までの間に、コナンとトゥラン国(あるいはヒルカニア)の間で一大騒動があったのだろう。
「ハイボリア時代」(『新訂版コナン全集1』所収)も忘れずにチェックすると、ヒルカニアはレムリア人の国で、ヒルカニアの一氏族がトゥランを建国したとされている(前掲書p325)
このあとも記述はつづくけど、具体的な理由は思いつかないものの、おそらくコナンの時代より後の記述だろうから省略。
最後にイラニスタンについて。私が読んだ限り、「ハイボリア時代」にも、ハワード直筆の地図(前掲書p364)にも、イラニスタンが見つからなかった。そもそも、ザモラとスティギアから東と南には、ほとんど言及がない。
ここまでの話をまとめるとこんなところ。
重要なのは「ハイボリア時代」から、ハワードが自身の創作を現在の歴史につなげたと読み取れることだ(『新訂版コナン全集1』p349以降)。
これにより、コナンシリーズの固有名詞を深読みすることにも意義があるといえる。
要するに、ハワードの著作に登場する固有名詞と、歴史上の固有名詞の間に関係を「読み取れる」。
推測
ここからは私の推測。
ハワードの作中の固有名詞を、歴史と文学上の固有名詞に紐付けていく。
さて、最初の問いに戻る。
なぜ、ハワードは、歴史や文学に登場する人名と地名の中から、トゥラン、エズディゲルドと、いう二つの単語を組み合わせたのか?
トルコを連想させるトゥランと、ペルシアを連想させるエズディゲルドがつながっていることから、なにを読み取れるのか?
エズディゲルドというペルシアの名前は、トゥラン(ツーラーン)よりもイラニスタン(イーラーン)のほうに馴染みそうだ。つまり、素人目にみると「イラニスタンのエズディゲルド王」という組み合わせにしたほうが、現実の歴史と小説が繋がりそうに見える。
にもかかわらず、なぜ、ハワードはトゥラン(トゥラーン, トルコ)の人間に、ペルシアの名前を付けたのか。
解釈が三つできる。
一つ目は、コナンの世界では、トゥランがイラニスタンを征服して、トゥラン王が「ペルシア文化」(*1)の名前を宣言して、イラニスタン王を兼ねたと、いうもの。
二つ目は、「ペルシア文化」をもつイラニスタンがトゥランを征服して、ペルシア名を持つイラニスタン王がトゥラン王を兼ねたと、いうもの。
三つ目は、トゥランとイラニスタンの間に軍事的な征服はなかったものの「ペルシア文化」は、イラニスタンからトゥランへと伝播した。ゆえにコナンの世界では、トゥラン王がペルシア名を名乗ったというもの。
私には三つ目の解釈がよさげにみえる。「黒い予言者」でトゥランとイラニスタンが別々の国とされているように見えることに、もっとも整合するのは、三つ目のようだから(読み直した時ふと「コナンシリーズにとってのアラビアとは?」と、いう疑問が浮かんだ)。
なにはともあれ、推論はこのへんにして、ハワードの作品「黒い予言者」に話を戻すと、本作は登場人物同士の関係が、次々に切り替わっていくので、とても楽しい。
と、ここまで書いたところで、こんな資料を発見。
Guenther Dierk Clemens「History in Robert E. Howard's Fantastic Stories: From an Age Undreamed of to the Era of the Old West and Texas Frontier」2019
とりあえず機械翻訳DeepLにかけてみた(読んで意味が通る文章を出力してくれる、大変ありがたい機械翻訳)。
私個人としては、この論文に出会えて嬉しい。
もしラヴクラフトやクトゥルーに興味がある人は「象の塔」(The Tower of the Elephant)について述べているところが目を引くかもしれない。また、コナンシリーズ以外のハワード作品についても取り上げているので、上記論文はハワードを読んだがコナンは未読の人にも訴えかけるだろう。
つまるところ、ハワードの作品は、コナンシリーズであれ、それ以外の作品であれ、悪い意味でのパルプフィクションの水準を超えて、英米文学研究という世界でも十分に通用するのだと、いうことが伝わってきた。
参考文献
ロバート・E・ハワード 宇野利泰・中村融訳『新訂版コナン全集1黒い海岸の女王』東京創元社、2006
ロバート・E・ハワード 宇野利泰・中村融訳『新訂版コナン全集2魔女誕生』東京創元社、2006
ロバート・E・ハワード 宇野利泰・中村融訳『新訂版コナン全集3黒い予言者』東京創元社、2007
ロバート・E・ハワード 中村融訳『新訂版コナン全集5真紅の城砦』東京創元社、2009
フェルドゥスィー 黒柳恒男訳『王書』(蒲生礼一ほか訳『世界文学大系68アラビア・ペルシア集』筑摩書房、1964所収)
フェルドゥスィー 黒柳恒男訳『王書 ペルシア英雄叙事詩』平凡社、1969
Guenther Dierk Clemens「History in Robert E. Howard's Fantastic Stories: From an Age Undreamed of to the Era of the Old West and Texas Frontier」2019