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あぁ無常

自分を労る
自分のほんとうの願いを叶えてあげる

そんなことを
意識しながら過ごしてきた日々

なんとなくわかってきたよ
と思っていると
さらなる発見があって衝撃を受ける

そう
ほんとうの願いを知るってことは
自分がなにを思ってどう感じていかように観じているかを知るってことになる
なにを思っているかは
これまでの軌跡によって構成されている

箱のような。

それはわたしにとって勲章のようなもの
『よくやった!』と自慢げで褒めてあげたくて。

それはいつの間にか執着にもなっている
わかっているような人には
「もうそんなに頑張らなくていい時代だよ~」
とか
「義理?!古いっ」と気軽に言われて笑われる

そんなときココロの奥ですんごい反発の感情が湧いてくる
『箱』に触れられたからだ きっと。

そうなの?ガマンしすぎ?
古い?
モヤモヤ〜ムカムカ〜
それらは今のわたしを形成している。
自分の環境や信頼関係が積み上げられている

時代が変わっても
きっとそういったこと大切って思っているだろう

だけど
その箱にしがみついている部分もあったのでは。
執着ってやつですね
そこから手を放したら軽くなるのかも
というか頭の中で重たい=ダメって決めつけてない?わたし。

わたしは重たいのも好きなの

認めたときからそこから脱出して
なにかが流れてゆく

要はそこにずっと動かないのが重たいという表現になるんじゃないかな
この自然界の万物は常に動いていて大きさを変え流動しながら周りのものとバランスを取り合い共存しあっている
陰と陽☯のように

箱の形をカスタマイズしていく
執着と勲章の区別がつかなくてわかりにくいこともあるけど
そうやって誰かの言葉でふと立ち止まり知ることができたりする

防備録