【政治論考】2020年代における「民主党」

10/27投開票 第50回衆議院議員総選挙に際して

 かつて存在し、政権を担った「民主党」は、2012年の政権陥落以降、瓦解した。最大で衆院308議席を占める大勢力だった民主党は、その後つねに衆院で1/3に満たない議席しか確保できていない。今日において、「民主党」はどのように存在しているのだろうか。

「民主党」の歴史

 2024年現在、民主党系の政党としては議席数順に「立憲民主党」「日本維新の会」「国民民主党」の3党を挙げることができる。この3党について概観する前に、そもそも民主党がどのような勢力を糾合していたのかを振り返っておきたい。
 民主党は大きく分けて、「旧自民離党組・旧民社党」「旧新進党中心勢力」「旧社会党・市民運動出身者」の3つの潮流があった。それぞれ中道・保守・リベラル色が強く、鳩山由紀夫・小沢一郎・菅直人がその中心的な人物として挙げられる。この3人はゼロ年代民主党においてつねに中核的な存在だった。
 この3つのグループが政権下野以降どうなったか。基本的にはまず、リベラルグループがその後の民主党の主流派となった。保守グループは第三極勢力に接近し、中道グループも多くは民主党に残ったが、自民党の巨大な磁場のなかで、少なくない保守系議員が与党へと接近、参加していった。

 2017年に希望の党が立ち上がると、その構想への参加をめぐり、後継政党たる民進党は再び空中分解した。結果として、枝野幸男らリベラル系議員を中心とする立憲民主党、玉木雄一郎ら保守系議員を中心とする国民民主党、岡田克也・野田佳彦ら有力議員からなる無所属グループが形成された。この分裂状態は2020年まで続くが、立憲・国民の両党とも、議員間の政策距離が近くなった結果、従来の包括政党的な面は薄れ、それぞれが志向する社会像に基づく政策パッケージが形成されていった。
 この政策のパッケージ化は、シンパシーを感じる層を囲い込める一方で、新しい支持層の開拓についてはあまり見込めなくなる。支持層がサークル的になってしまい、内側での強烈な熱狂のうらはら、外側からの冷めた目線が醸成されてしまうという、小政党・ベンチャー政党にありがちなパターンである。まさに大政党・既成政党たる自民党の性質とは真逆である。自民党は消極的支持層が多いかわりに、無党派への訴求力が著しく強い。当然ながらこの時点では、立憲・国民両党は自民党に同等に対峙できるような存在では到底なく、支持層を囲い込む防衛戦を行うことが精一杯だった。

2020年代における変化

 変化が起こったのは2020年の政党再編である。この政党再編の結果、国民民主党、そして社会民主党の大部分が立憲民主党へと合流することとなった。登記上、合流後の立憲民主党は新党であったが、引き続き枝野が代表を務めたため、その潮流を引き継ぐものと一般的には解された。合流後の立憲民主党は政策幅としては保守派からリベラル派まで存在する包括政党的様相を見せていたものの、党運営・イメージにおいては、未だリベラル色が強く無党派への訴求力に欠け、結果2021年の衆院選では議席を減らす敗北となった。一方で、国民民主党は議席を微増させた。この両党の選挙結果は、その後の党運営方式に重大な影響を及ぼす。

 立憲民主党は総選挙の敗北の責任をとって枝野が辞職、泉健太(中道派)へと交代した。その後はご存知のように野田佳彦(保守派)へと再度交代する。この二度の代表交代により、リベラル色の強い党イメージを徐々に軟化させることに成功した。一方で国民民主党はどうであろうか。2017年の旧国民民主党結党以来、玉木が代表を一貫して努めており、党イメージは大きく更新されていないといえる。これは選挙での大きな敗北を経験することなく歩んでこれたためであるが、その反面で代表のイメージに大きく依存する運営方式になってしまったともいえる。
 立憲民主党を野田佳彦の党であると考える人はあまりいないだろうが(自民党を石破茂の党だと考える人が少ないのと同様に)、国民民主党を玉木の党だと考える人は少なくないだろう。代表への支持が政党への支持に結びつくという点で、典型的なカリスマ型の小政党といえよう。皮肉にもこれは、かつて民主党を体現する存在であった鳩山・菅・小沢がとっていたポジショニングと被る。旧民主党(ここでいう「民主党」とは法的には別政党)における、鳩山・菅の国民的人気を背景とした党イメージ、新進党・自由党における小沢のワンマン的党運営はまさに、現下の国民民主党のそれと同様だと評価できる。対して立憲民主党は、単純に政党の規模が大きくなったことに加えて、社会民主党の一部合流により小さいながらも旧社会党の組織的地盤を獲得したことで、よりカリスマ的運営から組織的運営へとシフトしたことが対比的である。

「民主党」政権の克服

 「民主党」政権が失敗に終わったことは誰の目にも明らかだろう。では、その失敗の原因とは何か。立憲・国民両党が語る内省においても、自民・公明・維新勢力の語る批判の文脈においても、必ずしもその力点は一致しない。私が思うに、その失敗とは、政権運営計画の破綻と、それをめぐる混乱・内紛・分裂の二点に大きく分類できる。豪華絢爛なマニフェストは具体的な財源の裏付けがなく殆どが頓挫した。そして方針の修正は、党内の対立を顕在化させ、やがて決裂して政権を失った。先述の立憲・国民両党の現状の党運営体制、イメージ戦略において、これらの受け止め方には大きく差があるのではないか。
 立憲民主党が組織的運営へシフトし、壮大な政策構想を掲げないのは、総花的で実現可能性のないマニフェストへの反省からであると思われる。国民民主党が小政党に甘んじてもなお、結党以来一貫して党のイメージ・方針を変えていないのは、混乱や分裂のために下野したことへの反省があるためではないか。その裏返しとして立憲民主党は政権を奪取できるようなエネルギッシュなイメージ・支持層拡大に欠け、国民民主党は掲げる政策の実現可能性・整合性という点に欠けている。そしてあまり述べてこなかったが、もう一つの民主党系政党である維新については、現状においてはその両方に欠けているといえよう。

 また、政権奪取後の自民党が使う常套句として、「悪夢の民主党政権」という言葉がある。実際自民党は、2012年に民主党政権への失望感を支持に変えて政権に返り咲いたのであるから、その意味では真っ当な成功体験に基づくものといえよう。しかしながら、その「民主党」はすでに存在しない。その言葉で立憲民主党を攻撃しようにも、国民民主党を攻撃しようにも、現状に照らせば片手落ちの感は否めない。与党一強体制の下で、前述の通り民主党系勢力は大きく変容しているのであるが、まるで自民党の中でのみかつての「民主党」のイメージが生き続けているようでもある。第三極として頭角を表し、同じく民主党政権への激しい内部反発から生まれた維新の会は、最も傍流ながら結果的にはかつての「民主党」に重なる要素を多分に合わせ持つ政党となってしまっている。
 我々が「民主党」をイメージするとき、それは現在の諸政党にどれほど重ね合わせることができるだろうか。

「民主党」を超えた先に

 かつての小泉旋風への期待の反動が民主党政権を生み、民主党政権の瓦解と失望が第二次安倍政権以降の政界地図を生み出した。そして今日の政局は、まさに第二次安倍政権以降の自民党が作り出したものとはいえないか。「民主党」は明らかに過去であり、克服する必要がある。過去10年、「小泉旋風」の残り香がほとんど感じられなかったように、これからの政局を「民主党」への批判や懐古で語ることは時代遅れである。「民主党」メソッドを踏襲する維新の会の党勢は衰退し、「民主党」批判から脱却できない自民党も、猛烈な逆風の前ではもはやその効果は感じられない。立憲民主党・国民民主党も手法は異なるが、互いに「民主党」を脱却しようとしている。
 ここで私にとって、「民主党」の復活は決して求めるところではない。過去の再演には何の価値も意味もなく、その意味で両党の安易な合同にも賛同できない。メソッドの違いを克服しないままでは、「民主党」の失敗を繰り返すだけだ。どちらが「民主党」の失敗を完全に克服できるかどうかはわからないが、少なくとも今次の総選挙によって、大きくその土壌が形成されることは間違いないだろう。

 私は改めて、歴史の流れを見つめ返しながら、新しい政治を作り出す最もふさわしい選択を厳に熟考して、投票に赴こうと思う。

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