《意識》という「戦略」
もし、動物が生存するために、何らかの「戦略」を有しているのだとすれば、われわれ人類の「戦略」は、《意識》なのかも知れない。それは、認識を超えた、動物の複雑な機構に比べて、あまりにも粗雑かつ単純なために、その機構との連携において、様々な「失敗」を繰り返すのである。それを別の言い方にすれば、「経験」ということになる。そのように蓄積された「失敗」を、置換可能な「技術」にするのは言うまでもないだろう。《意識》が、適当に反応していても、そうではないことが、はっきりしていることがある。例