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ふとした思いはラジオのよう

〈ふと〉、という言葉は漢字で、〈不図〉と書くらしい。

〈不図〉、つまり〈図らず〉ということ。私はふと、とりとめもないことや疑問が頭に浮かんでくることがよくある。きっと多くの人が、ふとした思いを抱いた経験があるはずだ。
ふとした思いというのは、図らずも立ち現れるもので、どうして今こんなことが思い浮かんだのか。自分でもよくわからなくて戸惑うことがある。

ベロ酔いからの路上ライブ、週末のルーティン

でもやっぱり、そんな思いも自分の内側から現れるもの。だから、ふとした思いは自分でも意識できないような、心の深い部分に沈んでいるもの。それがほんの少しだけ、思いとして浮かんでくるみたいだ。

〈不図〉の対義語は、〈意図〉になるのかな。とても当たり前のことだけど、私たちはたいてい、意図的に行動している。
それは生活に必要不可欠なことで、意図をもって行動できる人は、考えて行動できる人だ。日々の充実したものにする、目標や夢にむかって努力していく、相手を思いやる。行動をともなうかどうか、それはともかく、私たちはあらゆることを意図できる。
もちろん、どうにもならないことはたくさんある。不条理も。それでも〈意図〉を重ね塗って、人はそれぞれの生活を描いていくのだと思う。

花が好きだ

意図と不図の関係は、〈CD〉と〈ラジオ〉みたいだと思うことがある。
意図はCDのよう。「このアーティストのこの楽曲が聴きたい、だからこのCDを聴く」というようなものだと思う。あらかじめCDの収録曲はわかっているはず。
だとすれば、不図はラジオみたいだ。「どんな楽曲が聴けるかわからないけど、とりあえずラジオを流そう」というようなもの。もちろんラジオを聴く理由はさまざまある。けれど、思ってもみなかった楽曲が流れてくることもある。

一面のカブ畑をゆく

私はふと、という言葉が好きだ。
ふとした思いは、思いがけない新しい自分の姿を、思ってもみなかった視点を、私に託してくれることがある。
それはまるで、ラジオから流れてきた聴いたこともない楽曲に、ハートを掴まれるようなもの。突然の出会いだ。

何気ない生活のくり返しの中にも、ふとした思いが浮かんでくる瞬間があるはずだ。そんな思いにも日々、素直に向きあっていたい。
それは、自分の心をじっと見つめるためのチャンスなのかもしれない。


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