見出し画像

タイ旅行 その1 〜クマントーンを探せ〜

タイに降り立つ。海外旅行は2年ぶり、初めての東南アジアだ。
11月でもかなり蒸し暑い。
タイに来た目的は地獄寺に行くこと、魔術を見て体験することである。
前者は幸運にも縁あって某地獄研究者にあらかじめ直接おすすめスポットを聞くことができたので一応の予習はしてある。というかこの縁と地獄寺への関心が私がタイに興味を持った契機でもある。
問題は後者である。比較的よく知る日本ですら特別な場所に赴かなければ難しい。果たして可能であろうか?いや、タイならもしや日常的に体験することになるのかもしれない。行き先はほとんど決めているわけだはないし、2週間の滞在は長いようで短いだろう。この目論見はうまくいくのだろうか?

まずはドンムアン空港から電車で数駅、さらに川沿いの路地を抜けてバンコク現代美術館へ向かう。


川岸ギリギリの住宅

いきなりローカルなエリアを歩くことになり、東南アジアに来たんだなと実感する。

バンコク現代美術館

仏陀?
ヒンドゥー?

仏教的なモチーフのみならずヒンドゥー教的なモチーフもあるらしい。

魔女?

魔女のようなモチーフのものもあり、早速タイの信仰の多様性を覗かせる。

男根たち

男根の彫刻。男根のお守りはマーケットで売っていたりする。

サクヤン

サクヤンというタイで広く伝わるタトゥー。実はこの一週間後、私はサクヤンを自らに入れてもらうことを予定しているのだが、その話は改めて書くことにしよう。

現代美術館というわりには具象的で古典的なイメージのものが多い気もする(私の関心がそこに向いていたというのは多いにあると思う)が、これがそのままタイの現代であるのかもしれない。いずれにせよ、少なくともアートにおいては仏教が一面的に支配的であるというわけではなく、信仰しているかは別としても他宗派のイメージを借用したり、底流にあるアニミズムが表出したりしているようではあるらしい。
それから、5階まで展示があり、軽い気持ちで行くにしては全て見て回るのは大変だった。

バンコク市街地に向かう。この日の夜は「ロイクラトン」という灯籠流しのお祭りで街が賑わっていた。水の女神に感謝するお祭りらしい。このお祭りの日程は満月と決まっているらしく、丁度日程が重なっていたのはラッキーだった。
ちなみに北部のチェンマイでは川に流すのではなく、ランタンを飛ばす「コムローイ祭り」が行われるらしい。


灯籠流しの出店


ロイクラトンの様子

その後は大麻の路上販売が並び、レイヴのような爆音がひたすらに流され続けるカオサン通りを抜けて衝撃を受ける。ヒッピーたちが目指した街はここに完成しているのでは…?
ともかく初日からかなりの満足感があった。

しかし、まだ疲れ倒れるような時期ではない。クマントーンを探すのだ!
その前に定番人気スポット(?)シリラート医学博物館に寄る。

撮影は残念ながら禁止だったので写真は上げられないが、ぜひ検索してみて欲しい。
ただ、死体のホルマリン漬け画像が大量に出てくるので閲覧注意!
自殺遺体や事故の遺体の写真や熱帯雨林で猛威を奮う毒蛇や寄生虫などが展示されている。特に目を引いたのは奇形児のホルマリン漬けである。まわりの観光客はキャッキャと写真を撮っていたが、私にとってもどういうわけか魅入ってしまうようなものである。この不思議な魔力は何だろうか。
そしてタイ人の死体に対する興味、関心、あるいは愛着(?)は一体何なのだろうか?
地獄寺にしてもグロテスクな表現には妥協がないようにみえる。
そういえば死体写真家の人もタイでは簡単に死体が撮れるとyoutubeで言っていた。死体見たさでレスキューに参加することもよくあるらしい。しかもひと昔前は死体専門雑誌が刊行されていたという。
その理由を考えるにはあまりにも判断材料が少なすぎるが、死体や奇形児に対する寛容な文化は確実に存在しているようである。

川を渡り、ついにお守り市場(タープラチャン市場)に向かう。王宮の北西側の川岸のエリアにこのタープラチャン市場は存在する。


タープラチャン市場のプラクルアン

プラクルアンと呼ばれるお守りが所狭しと並べられ、入り組んだ路地の中にお守り屋さんが何十軒とひしめき合っている様子は圧巻であった。
ところで、タイ人はお墓を持たない。タイでは一般的に火葬が行われるが、遺骨は家の壺に入れて保管しておいて残りは川に流すらしい。

(ロイクラトンの灯籠流しも多かれ少なかれ祖先が流れていった川に手向けをするという意味合いもあるのではと思う。)
あるいは、あえて遺灰の一部を川に流さずに、遺灰を固めてプラクルアンを作る。全てのプラクルアンが遺灰から製造されているわけではないが、故人を大切に想う人が身につけておくためや徳の高い僧侶の遺物から御利益を得るためにこのようにプラクルアンが作られるそうだ。
プラクルアンには特定の人物をモチーフにしたものやヒンドゥー教の神を模ったものまで無数にバリエーションが存在しており、非常に奥深い。
隣接している寺院で火葬し、川に遺物を流してしまうまでの経路上に一大お守り市場であるタープラチャン市場が立地しているのは合点がいく。

この市場だけでなく都市部でも田舎でも関係なく至るところで売られているプラクルアンもかなり興味深いが、今回探したいものはクマントーンである。
探すと言っても、もうここまで来れば案外簡単に見つけられる。


わからないが色んな物が売っている

購入したクマントーン。↓

金箔が貼られた人形
なぜかこれをお店の人に強く勧められた

クマントーンとは「黄金の胎児」という意味で、タイで信仰されている胎児の精霊である。その依代としての人形のクマントーンが幸運のお守りとして広く知られている。日本では呪物としてよく紹介されるが(私もそういう特集を見て足を運んでいるが)、本来的には人を呪い殺すためのものというよりも幸運のお守りであると一般的には言われる。
しかし、呪物としての禍々しいイメージはクマントーンの製造過程にあるだろう。
古典的な方法では、母親の胎内で死産した胎児を取り出し、乾燥させてミイラにする。これをクマントーンとして子供のように世話をして祀るのである。
死産した赤児でも生者を守護し、良運をもたらすことで徳を積むことができると(仏教的な説明では)されている。
タイで有名な英雄譚『Khun Chang Khun Phaen』でも主人公のKhun Phaenはクマントーンを駆使して国家を守ったという筋書きがされている。

Even though he was a womanizer and a cold-blood murderer whose revenge led him to kill his own mistress and pulled a still-born fetus from her womb to make use of the soul of his dead son to be his invisible servant, he has become a role model for Thai men till these days.

Magical Powers in Thai Culture

胎児というのは英雄にとっても欠かせないほどの非常に強力な魔力を持つとされるようだ。
シリラート医学博物館で奇形児を見る生者たちの眼差しはどのようなものだっただろうか。
もちろん市場で普通に売られているものは生身の胎児を用いたものではないが、現在でも本物の胎児で作られたものが祀られているところもあるようだ。
ちなみに、類似するものでルッククロックというものもある。子宮にいる状態で死亡した胎児を使うものがクマントーン、生まれて間もなく死んだ胎児を使うものがルッククロックらしい。←重要!
他にもKumarn Tong, Mae Takian, Hun Payont, Mae Hoeng Prai, Hoeng Prai, Prai Ngern Prai Tong, Prai Faed, Rak Yom….と似たようなものが無数に存在しているが、検索してみても私程度の素人には判別できなかった。
わかる方がいれば是非教えてもらいたい。

クマントーンやルッククロックは仏教の教義とは区別されるタイの土着的な民間信仰のものであるが、寺院によっては入魂の儀式を行い製造販売しているところもあるようだ。
タイでは僧侶が民間的な魔術をする。すなわち仏教と民間信仰に由来する魔術が互いに排他的ではない。仏陀自体が魔術や精霊を駆使して奇跡を起こしてきたと信じられているから当然といえばそのような気もするが、日本人の感覚からすれば土着的な信仰は同祖神や神社の領域で、厳格な教義があるのが仏教の領域であるという認識があるからこの状況を不思議に思ってしまうのだろうか。
アニミズム的な民間信仰を仏教がうまく取り込んで、仏教の教義から外れない程度に道徳的な意味を付与しているようにみえる。
日本で藁人形が呪術の道具として用いられるよりも遥かにクマントーンの信仰はタイでは一般化しているだろう。従って認知の分だけさらに効果もあるような気がしてくる。
それだけ強力なクマントーンを呪いの人形として使うことも、祝福を得るために使うことも結局は持ち主(親)次第だろう。

↓はとある寺院のホームページである。

このサイトでは黒魔術と黒魔術からの護身術が紹介されている。寺院がこれを紹介しているのがとても興味深い。ある程度権威を持つであろう寺院が黒魔術を邪悪なものとはみなしつつも無いものとしたり禁止したりしている訳ではない。
何なら仏教に帰依することで黒魔術から身を守る方法を教唆したりお守りを販売したりできることすら目論んでいる節すらあって、黒魔術をうまく利用しているのではないかと思わせられる。反対に、魔術もそのように仏教に取り込まれることでここまで顕在化したものとして普及するものになっているのだろう。
『Khun Chang Khun Phaen』で主人公が魔術で国を守ったというように、実際の歴史でも黒魔術で国の安定が守られてきたということもあるはずだ。黒魔術であっても何が好ましく、何が好ましくないものなのかも立場による。
宮廷とタープラチャン市場の隣接しているわけでもなく離れているとも言えない微妙な距離感がタイの国としての魔術に対する態度を暗に示しているようである。
タイは魔術の可能性を温存している。

話をネットから現地へ戻そう。
タープラチャン市場の写真はもっと撮りたいところではあったのだが、写真禁止の店舗も多い。買い物に来た黒魔術師からすれば写真に撮られることなどとんだ迷惑だろうから、そういう配慮だとしたら妙にリアルだと思った。

そのあとは夜行列車の時間までバンコク中を歩き回る。

中華街
ドリヤン
中華街の中
どこかの市場

バンコクの中心部、エラワン祠では金色の象が奉納されている。
かなりアニミズム推し。

エラワン祠の奉納
エラワン祠

タイ仏教とアニミズムについては次回に回そうと思うが、マスクをしながらもこれだけ人が密集するようなパワーは中々のものだった。
そして10kmくらいは歩いただろうか。
リュックサック一つで来たのは英断だった。疲れ果てたので夜行列車で休もう。

三等車室

……休めなかったが。

🐘🐘🐘🐘🐘🐘🐘🐘🐘

🐘🐘🐘🐘🐘🐘🐘🐘

かわいい
かわいい
これは貝を用いた対魔術用のお守り'Bia Gae'

さて、購入した人形をどのように使おうか。
クマントーンは赤ちゃんなのでおもちゃや牛乳をお供えして精霊との信頼関係を結んでいくことが推奨されている。ちゃんと契約を交わして、然るべきことをしていれば霊力を発揮するだろう。
呪いに使うか幸福のために使うか、、さて…
いずれにせよ、どのように使うとしても、あるいは使わないとしても、それらの選択肢が常に付き纏うことになる。白魔術にしても黒魔術にしても、これまで深く考えてこなかった事柄に関しての責任が、実物が手元にあることによって意識させられる。
人形を媒介することによって、魔術を行う側の人間と施される側の人間だけの二者間の関係から三者間の関係に変化することで、魔術に関する重みも変化する。
つまるところ、強いものを使ってつまらないことができなくなるような気持ちになる。それは実物としての人形がある故に愛情や責任が発生するためである。
実物を手元に置くということによって、魔術(あるいは意識から生まれる情念)についてまともに向き合わなければならないと考えさせられる。

次回はタイ東北地方南部スリン県で地獄寺と象を巡ります!!