Pと「映画」を見たのが楽しかった緑のオオカミ r.bとも映画を見たのが楽しかった。ナイスヒッブ s.rは本当にかわいい一緒に遊べてよかった。もっと二人でゆっくりしたいなぁ。
見たこと無い物を見たと思い、聞いたこと無い事を聞いたと思う。 話したことのない話を話したと思い、言われたことのない恨み節を吐かれたと思う。 自己と他者、両者の好意を疑い悪意と認識して嫌悪する。 一言一句が墓穴を掘っているように思える。 嘘の塊を吐いているように思える。 友達って?
個人の思う普通が普遍だとすれば会話の中で省かれる前提によるズレは起きないし思い違いで起こる諍いもなくなるしとてもいいなぁと思いました。 ただ、知っていても知らないフリができるのであれば、やはり諍いやズレはなくならないんだろうなぁとも思いました。
面白くない話 御節介は厄介(自己満足は自己完結させないと)。誰かが言う「寂しい」「腹立つ」「悲しい」はどれも「あなたに助けてほしい」とは云われていないのだけれど助けたいと思ってしまう。中途半端に動いて苦しめる。
自分が人と話す時に使う言葉は本や音楽や映画の一節ばかりで中身がなく、発する度に「自分は詰まらない奴だな」と思っています。(馬鹿げていますね)
「普通」とか「悪い」とか「止めろ」とか自分の中にしかない基準を説明せずに使うとろくな事はにはならないと思う(ろくな事にならないとてどんな事になる?とか)けれど、そうは言っても省略しないと時間かかるよねとも思う。 多人数相手に言葉は発さない方が良いなとなる(ボイチャ切る言い訳理由付け)
言語化は自分の頭の中にある景色(内情、感情、現状)を模写することなのではないかと思います。そう思うと正確に模写するのは難しいでしょうし二人以上でする会話ではお互いの曖昧な景色を眺めることしかできないので「完全にはわからんよなぁ」と開き直ってたりします。一人模写の精度を上げてもむなしくなりそうだなぁ( 「自分のことを理解って欲しいし相手のことを理解りたい」って思うこともあるけれど全部は無理ゲーなのかもしれないなぁ。