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安宅和人さんは、いかに『シン・ニホン』を書いたか。

2月20日に発売になった安宅和人さんの『シン・ニホン』。このプロジェクトにプロデューサーとして参加し、執筆の経緯を見ることができた。それら書き残したいことをまとめた。

2019年6月

安宅さんが本を書くと聞いたときは、驚いた。
安宅さんと出会って6年、年々忙しくなっている。ヤフーCSOという肩書きに、いつの間にか「慶応義塾大学環境情報学部教授」も加わっていた。ヤフーがある東京の紀尾井町と湘南キャンパスを行き来する日々。仕事はそれだけではない。データサイエンティスト協会では主導的立場で長らく活動されているし、今や政府系の委員会や講演会などに引っ張りだこ。おまけに「風の谷を創る」というプロジェクトも主宰されている。

そんな多忙な安宅さんは、書籍を執筆する時間が取れるのか。驚きとともに「ついに来たか」と興奮した。

いまや編集者が放っておくはずがない。テクノロジー企業の戦略参謀であり、慶応SFCでデータサイエンスを教える安宅さんは、AIとデータが創る未来のど真ん中にいる人。おまけにイェール大学で脳科学の博士号を取得し、マッキンゼーで戦略コンサルタントとしての経験など多彩なキャリアである。サイエンスやテクノロジーが社会を変えようとしているいま、まさに安宅さんのような稀有な知見を持つ人が求められて当然だ。

そして書籍の編集者にとっても著者としての安宅さんにはもう一つの魅力がある。それは、2010年に執筆された『イシューからはじめよ』の存在である。

本書はいわゆるロジカルシンキングや問題解決という分野で括られるが、「考える」という行為の本質を示した本だと思う。結局、人は意思決定のために考えることが求められる。そのためには現状を正確に把握するためファクトを分析し、「解くべき問い」を正確に見定めること。これを誤ると、どれほど解決法に優れていたとしても、そもそも答えを出すべき問いとは異なり、そのインパクトは小さい。つまり労多く益少なしという仕事になってしまう。まさに「イシューからはじめよ」という言葉通り、見極めの重要性とその分析思考が、一睡の曖昧さもなく書かれているのだ。
本書は累計25万部。しかも多くの書籍は時間が経つ毎に売り上げが下がっていく中、この本は年々、増刷部数が増えるというバケモノのような存在である。
僕も、もしいま書籍の編集者をしていたら、執筆を依頼しないはずはない。そんな安宅さんがついに書籍の執筆に取り組むという。

2019年8月

「安宅さんの本の編集を手伝ってもらえないか」。
NewsPicksパブリッシング編集長の井上慎平さん経由で連絡をもらった。出版されるのを楽しみにしていた本のプロセスに関われる。しかも著者が安宅さんなら断る理由は微塵もなく、即答した。

これまで安宅さんには、前職の「ハーバードビジネスレビュー」(DHBR)誌で何度か寄稿してもらった。中でも印象深いのが、2015年11月号「人工知能」での寄稿である。依頼のためにヤフーのオフィスに伺ったのは、安宅さんが夏休みを取る前日だった。申し訳ないと思いつつ是非お願いしたい旨を話すと、「つまり、休暇中に構成を考えろということですね?」と言いながらも引き受けてくれた。
安宅さんの執筆スタイルは一風変わっている。「どんな問いに答えを出して欲しいか、問いを欲しい」とリクエストされる。こちらは、それこそモレやダブりに目をつぶってもらって、こんなことを知りたいという点を疑問形にして箇条書きでいくつも投げる。安宅さんはそれらを俯瞰して、こちらの質問を並び替えながら全体の構成を作られる。そのやり取りを何度かしながら全体構成が決まり、いよいよ文章化が始まる。
原稿は書き上げる度に送られて、こちらはそれに対してフィードバックをする。この繰り返しで、おそらく20回以上のやり取りがあったのではないだろうか。こうして出来上がった安宅さんの論文は、以降、日本のAI議論の中心的な役割を担うことになる。

さて、今回の書籍のテーマは「シン・ニホン」である。これだけでは何のことかわからないだろうが、それはAIとデータがもたらす社会の変貌と日本の現状を訴え、これからの残すべき未来を提示するという内容だ。映画「シン・ゴジラ」に着想を得たネーミング、安宅さんが「シン・ニホン」と名づけた講演が話題を呼び、同様の講演が相次いだ。実際に講演を聞かれた人も多いだろうし、Tedxの動画などを見た人も相当いるのではないだだろうか。いまでも「シン・ニホン」で検索すると、財務省で安宅さんが講演された時のプレゼン資料が最初に出てくる。安宅さんは講演内容をオーディエンスによって毎回変える。その時々に応じて、経済、教育、財政、あるいは地方再生や環境問題まで取り込む。そのため、シン・ニホンは無数のバージョンが出来上がっているのだが、今回のプロジェクトでは、それを1冊の本にしようというのだ。

僕が参加した最初の打ち合わせでは、すでに4万字ほど書き進んでいた。しかし安宅さんの表情はさえない。「なんというか、書くのが苦痛で」と意外な言葉を口にされる。これまでなんども話してきた内容である。スラスラと書き進められるのではないかと思っていたが、実際は違ったようだ。
「これまで何度も話してきたことを書くって、辛いですね」と。
なるほど、安宅さんにとって、すでに考え表現したことのあるものを改めて言語化するのが知的好奇心を満たさず、作業化してしまうのだ。自分で書いていてワクワクしないものが、読者に面白がってもらえるか。そんな不安も抱えながら執筆されていたようで思うように筆が進まない。

打ち合わせは、安宅さん、編集の井上さんと僕の三人。改めて全体構成を見直すことにした。無数にある「シン・ニホン」に対し、本書は何を軸にするのか。最近では社会問題や環境問題などに関する委員会や講演も担う安宅さんのスコープはさらに広がっている。これらをモザイクのように組み合わせると、逆にこの本のメッセージが届きにくくなる。それぞれの要素の関係性を見直し、もう一度新しい構成に作り直した。僕らはこれを「新シン・ニホン」と呼び、「これまで講演を聞いた人が読んでも新しいものと思ってもらえるような、アップデートされた新しい『シン・ニホン』として書籍を出そう」ということで方向性は定まった。

2019年10月

本来は9月末が原稿締め切りだったが、執筆は遅れていた。最大の原因はいうまでもなく安宅さんの忙しさだ。ヤフーと慶應大学の仕事だけでもいっぱいいっぱいである。

その上、政府関係の委員会や時には大臣クラスへのプレゼンも依頼される。講演やイベントは極力お断りされているようだが、それでも土日も必ずと言っていいほど予定が入っている。

今回の執筆はグーグルドキュメントで安宅さん、編集者の井上さんの三人で共有していた。僕は毎朝ファイルを確認するのを日課としていたが、安宅さんのファイルの更新頻度が凄まじい。夜中の1時、2時まで書き込み履歴が残っていれば、朝も4時や5時にはすでに履歴がある。日中はさすがに時間がないようだが、それでも5分、10分の空き時間で、細かな修正などをされている。一体いつ寝ているんだろうか。僕は原稿の進み具合よりも安宅さんの健康が気になるようになった。とにかく物理的に時間がない。そして体力的な限界もある。

10月末に再設定した締め切りもあっさり流れた。編集の井上さんは緻密な刊行スケジュールを立てていたが、状況を鑑みフレキシブルに対応できるように社内調整を早急に進めた。

ところで、このグーグルドキュメントの更新履歴を見ていると、書くプロセスが垣間見れて面白い。安宅さんの場合、同じ箇所の言葉を何度も変えることがある。前日の夜に書いたものを翌日の朝、書き直す。そして日中に何度か、それらの表現をまた変える。まるで石を削って彫刻を作るように、文章が少しづつでも形になり、より適正な表現へと洗練されていくのだ。

2019年11月

安宅さんの時間と原稿との闘いは相変わらず続いている。グーグルドキュメントを見ていると、半ば徹夜状態ではと思える日もある。予定より大幅に遅れているが、それでも確実に進んでいる。そして何より、原稿のクオリティと執筆にかける安宅さんの姿勢が素晴らしい。

まずこれだけ忙しい人は執筆をライターに手伝ってもらうことも多い。ところが安宅さんは一切、そのようなことを望まないし、しない。編集の井上さんが「僕にできることはやりますので」と言っても、データの収集から図表の作成まで、すべて自ら行う。自分の名前で出す文章として、一言一句、自分の言葉で書くという姿勢だ。

喋ったことをこなれた文章にするだけなら、確かにライターの方に手伝ってもらったほうがいい。だが、どんな小さな文言であろうと、安宅さんは編集者に提案だけ求めて、更新は自らやると決めている。過去に語ったことも、過去に書いたことも、この本の原稿として、一から文章を書き直す。それは、1年前に話したことであっても、今語るとなると違う言葉を使うからであろう。手間がかかっても、改めて考え直し、一から表現を作る。この知的誠実さこそ、安宅さんの最大の魅力だと思う。

この姿勢は文章にも現れる。本書の中では、少子化問題や安楽死、そして憲法25条の解釈などについて、独自の主張を展開されている。それらはこれまでの世論とは異質なもので、議論を呼ぶ可能性がある。僕らはこれらの表現について何度か話し合ったが、誤解を生まないような表現を模索しながらも、安宅さんは「臭いものに蓋をしてはいけない」と明確に書かれることを選ぶ。

またファクトベースが徹底している。自分の主張に合うデータを探してくるという順ではない。ファクトを探しそこにフェアな分析を加えることから持論の展開を始める。自分が感じている世の中の「傾向」も、まずはファクトに当たってその傾向の正当性を確かめる。時に、自分の思い込みで実際にはそうではなかったと気づけば、すぐに持論を修正する柔軟性を持ち合わせる。

論理の展開に詰まると、ファクトに当たる。すると新しいファクトが発見され、それによって文章はまた修正される。こうした作業を一つ一つこなされるので、どうしても時間がかかる。

一方で、新しいファクトを見つけた時の安宅さんは本当に嬉しそうで、図表にして、僕や井上さんに「これ見てください」と送ってくる。ちなみに本書に150点余りの図表が掲載されているそのほとんどが、安宅さん自身がファクトデータを探し自ら分析したもので、初めて気づくような日本の課題が浮き彫りになっている。

このプロセスを通して、まさに「イシューからはじめよ」を実践する安宅さんを見ることとなった。今の日本のイシューは何か? それをファクトベースで分析していきついたのが本書のテーマになっており、その分析に注ぐ知力と体力は想像を超えていた。

『イシューからはじめよ』の中に「やるべきことは100分の1になる」という趣旨のことが書かれている。イシューを見極め、そこに注力することで最大の成果を生み出すことができると解く。この一文は、今日の働き方改革における生産性の議論で再び脚光を浴びた。根性論や無駄な努力が大っ嫌いなのが安宅さんだ。

そんな安宅さんは、『シン・ニホン』の執筆には一ミリも労力を惜しまない。この姿勢を見ていると、安宅さんが主張する生産性の議論とは、単にインプットを減らす事だけではないことがわかる。生産性とは、インプット量におけるアウトプット量の比率である。今回の執筆に関して、「楽して本を出して、そこそこの成果」を求めるのではなく、無限の可能性のあるインパクトを社会に出そうと考える。だからこそインプットを惜しまないのであろう。

2019年12月

原稿はようやく完成し、図表150点の最終チェックが始まる。ほぼ全てが安宅さんが自らが集めてきたデータを分析してきたものだ。そのチェックは元データから遡らないとできない。これらの作業を安宅さん、それに編集の井上さんが一つ一つこなしていく。図表のチャックと同時に本文はゲラ刷りとしていよいよ形になってきた。ここでも安宅さんは知的体力を見せつける。通常、ゲラのチェックは初校と再校2度程度だが、安宅さんは三校、そして念校まで入念に読み込み、図表のチェックと本文の表現の修正を繰り返す。

対する編集の井上さんも、自らの出番とばかりに本領を発揮する。安宅さんから返却してもらた校正紙を素早くチェックして、翌朝にはデザイナーやDTPオペレーターが作業できるようにする。図表のみならず、単純なファクトチェックや写真の著作権の確認など膨大な作業を次々とこなしていく。

このころの井上さんはランナーズハイならぬ、「エディターズハイ」になっていたように見える。夏の終わり頃は、見えない執筆プロセスに不安もあったようだ。しかしどこかの時点で、腹が決まったような、タガが外れた。「この本は安宅さんの全てを出し切ってもらうんだ」と、彼の迷いがなったら一気に火がつく。気がついたら400頁を越す本となり、また著者が培ってきた知性と体力を限界まで費やして、命を削って出来上がった原稿である。

これを受け取り世に出すことこそ編集者冥利につきるのではないか。30代前半の井上さんは若いから体力があるといえばそれまでだが、彼も持てる全ての力を総動員しているように見えた。僕はプロデューサーという立場で今回関わっているが、製作の責任を負う編集者としての井上さんに、少し嫉妬した。

12月のある日夜、打ち合わせが終わった後に安宅さんとご飯を食べる機会があった。井上さんは、翌朝までにゲラのチェックをするというので先に帰った。
この時、以前から聞いてみたかったことを聞いてみた。「多くの出版社から執筆依頼があったと思うが、なぜ今回NewsPicksを選んだんですか」と。
安宅さんのところには確かに多くの出版社、何人もの編集者がきていたようだ。しかしその多くが、売ることばかり語る。中には安宅さんが「楽をして本をつくります」という提案もあったという。そんな中、井上さんは何度も訪ねてきて、自分の話を面白がって聞く。いかに売るかを語らず、安宅さんが書きたいテーマが出てきたら力になりたい、と。だから本書を書こうと思った時、真っ先に井上さんの顔が浮かんだという。
NewsPicksパブリッシングは「本で、希望を灯す」をビジョンに掲げた、新鋭の出版社であり、まだ海のものとも山のものともわからない。新星の出版社で若手の気鋭の編集者と組むというのが、いかにも安宅さんらしい。「若い人にチャンスを与える」というのは安宅さんがよく口にする言葉だが、自著の出版に関しても、リスクをとってと言ったら大げさかもしれないが、安パイではなく、未来につながる可能性にかけた。そんな気がしてならない。

2020年1月

年末年始の休みもゲラの校正に追われたが、ようやく先が見えてきた。1月中旬には装丁デザインも決まり、一気に出版が現実化してきた。半年強のプロセスだけを見ると長いとはいえないかもしれないが、濃厚なプロセスと時間だったことは間違いない。
全6章からなる本書は、A5版で150点の図表と膨大な注、そして文字数はおそらく30万字を超えているだろう。これら一つ一つの図が、文字の一言一句が、著者が熟考し、念入りに選んだ言葉である。執筆作業は数ヶ月だったが、この本で書かれている内容は著者の50年余りの知的生産活動がひとつの結晶となって生まれたものである。そして、この国の未来を、そしてこの星の未来を少しでも希望あるものにしたいという祈りのような信念が詰まっている。そのためには、このメッセージを一人でも多くの人に伝えたい。そう著者が信じ、覚悟とともに、持てる知性と体力を最大限発揮して書かれたものだ。

こんなプロジェクトに参加させてもらったことは、僕にとっても最大の幸せである。
同時に、このように出来上がった本書を、一人でも多くの人に読んでもらいたい。同時代に同じ国で育った著者が、渾身の力で、この国の未来を希望あるものにしたいという強い意思と、磨き上げてきた知性を総動員して生まれたものだ。一人でも多くの人に安宅さんのメッセージが届き、残すに値する未来をつくるための一員になってもらえれば幸いである。


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