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「著者買い」する本
このブログでは、自分がいいと思ったことを書いている。ただ今回は、最初に断っておくと、自分の関わっているイベントの案内になっている。ただし、いい思うことを書く、という点では変わりないことをご理解いただきたい。
「著者買い」する著者は?
本が好きな人なら「この人が書いたものなら買う」という、いわゆる「著者買い」する著者がいるだろう。皆さんは、どんな著者だろうか? 僕の場合、その一人は、社会心理学者の小坂井敏晶さんである。元々社会心理学に関心があったわけでもなく、きっかけは10年ほど前、当時ライフネット生命の社長だった出口治明さんに教えてもらったことだった。
勧められるがままに読んだ『責任という虚構』は衝撃的だった。社会で問題が起こった際、我々は「誰の責任か?」を問おうとする。そこには、問題を引き起こしたのは、その当事者の意思によるものと考えるからだ。そして、責任の所在を明確にすることで社会の安定が図られる。
『責任という虚構』では、この考えを真っ向から否定する。そもそも人に自由意思などないのだ、と。そして自由意思のない人間に責任を問うことはできるのかと疑問を呈し、そもそも責任とは社会が問題が起きた時の原因を突き詰めるために、生み出された「虚構」に過ぎないと看破する。
「人に自由意志がないので責任を問えない。責任は社会の要請から作り出された虚構に過ぎない」。こんなことは考えてみたこともなかった。社会に生きる一人ひとりに責任は当然求めら得ると疑ってかかったことがなかったので、この論説は僕にとって強烈な揺さぶりとなった。
以後、小坂井さんの本は貪るように読んだ。
小坂井さんの本は不思議である。決して難解な文章ではない。一つひとつ丁寧に説明してくれるし、遠い世界の事例を持ち出すわけでもない。テーマの設定もこねくり回したものではなく、先の『責任という虚構』のように、素直な問いを設定している。なので読見やすいと言えばそうなのだが、読み進めるのに時間がかかる。読んでいることちらが、「そうか?」「そうなのか?」と考えるので立ち止まることが多いのだ。そして、読み終えた時の充実感と達成感が飛び抜けている。著者の思索の壮大な旅に、自分も同行させてもらったような充実感を与えてくれる。なので、どの本も読んでいる最中の集中力が上がり、ずっしりとした読後感は、他の著者の追随を許さないのだ。なので新刊をいつも楽しみにしている。
そう読書の秋というが、こういう季節に読むのにぴったりの本ばかりである。
『答えのない世界を生きる』『社会心理学講義』『矛盾と創造』『格差という虚構』など、読んだ本を残さない自分が珍しく手元にとったままにしている。中でも、『答えのない世界を生きる』はご自身の自叙伝的な内容なのだが、置かれた環境の中で、考えるべきことから逃げない姿勢には、生きる美しさを感じ、今でも大切な一冊となっている。僕が仕事で「問い」を非常に重視しているのも、この小坂井さんの本の影響であることは間違いない。
編集者という仕事の特権
編集者という仕事の特権は、自分が敬愛する著者とお会いしたり、一緒にお仕事をさせてもらったりする機会に恵まれることだ。小坂井さんとのご縁は、2021年のコロナ禍であった。NewsPicksが主催する講座で読書ゼミを担当することになり、小坂井さんの『社会心理学講義』を課題に選んだ。そして、NewsPicksの担当者が、「せっかくだから小坂井さんにインタビューしませんか」と提案された。
一般に、本をよく書く学者や知識人は、メディアに登場することが多いのだが、小坂井さんはパリ在住ということもあり、またお仕事を厳選されているからか、書籍以外で、そのお考えを知る機会が滅多にない。そんな小坂井さんだが、祥伝社の栗原和子さんが間に入ってくれたことから、インタビューが実現した。
画面越しだったが、直に話す小坂井さんは、書籍の印象とはまるで異なり、とても柔和な方だったもし小坂井さんが読まれたら怒られそうだが)。書籍の文章は極限まで研ぎ澄ませた言葉が並んでいて鋭利さがある。一方で、「語る」小坂井さんはこちらの反応を見ながら、対話するようになスタイルだ。これまで何人ものインタビューをさせてもらったが、小坂井さんのそれは、そのギャップも含め印象度の高いものとなった。
小坂井さん4年ぶりの日本での講演!
そんなご縁から、自分が担当している音声メディアの「VOOX」でも何度か登場いただいき、仕事でお付き合いをさせていただくようになった。そんな小坂井さんがこの秋、帰国されるという。実に4年ぶりである。そこで、祥伝社の栗原さんと一緒にVOOXで講演会を企画することになった。そして青山ブックセンターさんもご協力くださり、現在、同店では小坂井さん選書のフェアも開催中である。
小坂井さんが日本で講演されるのは、非常に希少な機会である。いくつかのテーマを相談し、せっかくなら日本でまだ語られていないテーマでお願いしたいとお伝えしたところ、小坂井さんから来たのは「差別」であった。
自分は人を差別するような人間じゃない。そう思っている人は多いのではないだろうか。僕もそう無意識に思っているひとりである。そして、誰しも差別は悪いものと考えているはずである。なのに、社会から差別がなくならないのはなぜなのか?
同時に思うのは、差別の存在は実感していながら、その存在がタブー視されやすいのではないか。薄々その存在を感じながらも、表立って口にするのがどこか憚られる。野暮だと言われてしまうからか?その存在を主張することで、かえって存在の力が増すような恐れがからだろうか。あるいは、誰もが「差別は悪だ」と言いながらも、どこか無意識のうちに自分もその悪に加担しているかもしれないと思うからなのか。
こんなモヤモヤに、小坂井さんは何を提示されるのだろう?これが今回の講演会の醍醐味だと思っている。講演会の告知を実施したところ、高額だったにも関わらずリアル参加の枠は数日で完売となった。オンライン参加は人数制限がなく、現在も販売されている。僕が言っても宣伝になるが、小坂井さんの話は一人でも多くの人に聞いてもらいたいと思う。この公演のために、数ヶ月かけてゼロから話の組み立てを考えてくれている。あれだけの本を書かれる人が、それだけの時間をかけて練られた話が面白くないはずがない。そのお話をリアルタイムで聞く時間を多くの方と共有できたらと思う。
日時は11月17日(日)の午後2時から4時10分まで。秋の休日の一日を、ご自宅で珈琲でも飲みながら、思考の結晶から生まれたような話をじっくり聞き、考える時間に当てるのはどうだろう。皆さんのお越しをお待ちしております。