スキルだけで語れない「仕事のできる人」の条件とは?
桑田佳祐の何がすごいのか?
以前、音楽系の学部を出ている妻に「桑田佳祐って、音楽的に何がすごいの?」と聞いたら「わかんない」の一言だ。「じゃあ、なんでサザンの音楽はあれだけ人気なの?」と聞き方を変えてみたら、「それがわかんないのよ」というのが答えだった。
野暮な問いだったかもしれない。だけど、このようにスペックで表現できない人間の力に僕は興味がある。桑田佳祐の才能だと言ってしまえばおしまいだが、それが実に多くの人を魅了している。人に価値を提供している紛れもない事実があるのだ。そのリソースは定量化も言語化もできないにも関わらず、生み出す価値は(金銭的に表現したとしても)ものすごく膨大なものとして可視化されるのである。
これは音楽など芸術やデザインといった感性の世界だけの話ではないと思っている。僕は編集者という仕事をしてきたが、「編集者はどんなスキルが必要ですか」と聞かれて、毎度答えに窮していた。文章力は必要だし読解力も必要、そもそも企画力も必要だし、協力してくれる人に向けたコミュニケーション力も欠かせない。そもそも読んできた本の数がものをいう。
こんなことを並べても、「すごい編集者」の条件に一致しないのだ。社会に影響を与えるコンテンツを作る力とは、これらスキルベースでは説明できない。元同僚の編集者は、文章を書くのも下手だったし、読書家にも見えなかったが、ベストセラーを生み続けた。また先輩編集者も、人前で話すのが下手なのだが、多くの著者やクリエイターを引きつけ、面白いコンテンツを出し続けていた。こんな「すごい」人たちを一括りにして「才能」という言葉で片づけるのはあまりに乱暴すぎる。このスキルじゃない仕事の能力について、ずっと考えていた。
楠木建先生の「仕事のセンス論」
僕は現在VOOXという音声メディアでコンテンツを作っているが、(手前味噌だが)この「仕事の成果を上げるスキルじゃない得体の知れないもの」の正体を考えるのに格好のコンテンツが出来上がった。
経営学者の楠木建さんが語られた「仕事におけるスキルとセンス」である。
楠木先生は、一橋大学教授で経営学の中でも競争戦略という企業経営のど真ん中を専門とされている。その魅力は、専門性の高さのみならず、これまで言葉になっていなかったけど、なんとなくその存在が気になっていた概念を言語化するところである。しかもそれが分かりやすい。代表作の一つ『ストーリーとしての競争戦略』では、競争優位を築いている企業には、一つ一つの「打ち手」の卓越さだけでなく、繰り出す打ち手の「流れ」が秀逸であることを解き、それを「ストーリー」と表現された。この「打ち手」の順番に着目するという視点は欧米の経営学者にも見られない、ユニークさとともに聞いた人の腹落ち感がある。
こんな楠木先生は、昨年山口周さんとの共著で『「仕事ができる」とはどういうことか?』という本を出版された。これがめちゃくちゃ面白かったです。
この本でお二人は、ビジネスで必要とされるスキルを十分に身につけているにもかかわらず、なぜか評価の低い人についても言及されている。英語力、論理思考、プレゼン力などが十分なのになぜか生み出す成果が小さい。一方で、これらのスキルが凄いわけじゃないのに、なぜか仕事で成果を出す人がいる。要領がいいのか、人たらしなのか、なんなのか?皆さんの身の回りにも、そういう「なぜだか仕事のできる人」がいるんじゃないだろうか。
こんなスキルでは語れない、仕事で成果を出す力について、この本では「センス」と表現されている。このセンスとは何か。お二人の会話では、それを掘り下げるのだが、それはあたかも部分に分解しても見えない「全体」の構造を掘り下げることでもある。まさに機械論の限界を超えた、生命論的な発想だ。
この本で書かれている「仕事におけるセンス」をもっと深く語ってもらいたい。そこでこの本の呼びかけ人である楠木先生にお願いして、今回のコンテンツが実現した。楠木先生は、かつてのテレビ番組「月光仮面」の歌詞「どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている」を引き合いに、センスの存在を明かしその正体がどのような時に現れるのか、そしてどう育めばいいのかを語られている。そして、競争戦略と同じように、コモディティ化を避けてセンスは違いを生む源泉になると言う。
実際に「仕事のできる人」は何がすごいのか?
この話を聞きながら、自分の周りにいたスキルベースで表現できない「仕事のできる人」を思い浮かべてみた。
あるグローバル企業の研究所で管理部門の責任者をしている女性である。彼女は、新卒でこのメーカーに入り創業社長の秘書を務めた。その後、マーケティングを中心に国内外の事業を担当し、数年前から現在のポジションについた人だ。
彼女は話し方や雰囲気から、まるで管理部門の人っぽくない。音楽は美術にも造詣が深く、文化や自然も興味対象だ。普段の服装もカジュアルで独特の個性があるのだが、その個性を前面に出そうとするタイプでなく、自然と滲み出てしまうような人だ。話し方も理路整然というより、あちこちに飛ぶ。スポーツ選手の競技による体型の違いを話していたら、芸人さんの体型を持ち出すなど、想像を超えた発想をする。
どちらかというとクリエイティブ系の人に見えるのだが、一緒に仕事をすると、プロジェクトを進める力が見事なのである。スケジュールを大胆に引き、関係者の時間を確保する。そして、常にバッファーをも落ちつつ、不測の事態に応じて柔軟にスケジュールを変更していく。意思決定についても、じっくり相談しながら決めることと、独断で素早く決めることの線引きが見事だし、予算の使い方も、切り詰めるところとふんだんに使うところのメリハリが上手だ。
1年がかりで準備したあるイベントをご一緒させてもらったのだが、イベントのビジョンを具体的なプログラムや会場作りに落とし込む力が見事だった。しかもこんな複雑なプロジェクトを笑顔で楽しそうにやるので、側からはその緻密さが見えないのが、なおさらすごいと思った。彼女は、ご自身でマーケターとしても管理部門のキャリアとしても中途半端だという。そう、彼女の凄さを数値化するのが難しいが、一緒に仕事をした人にはその価値は十二分に伝わっており、現在は個性豊かな研究者を束ね、絶大な信頼を得ているのだ。
この人はおそらく、このプロジェクトのゴールが絵として見えていたのであろう。そして、その絵を実現させるための優先順位やリソースの使い方など、大まかな計算ができていたのではないか。そしてコンセプチュアルな抽象的な概念を、実際に表現する具体物に落とし込む力がある。ただこう書いても、彼女の「本当の力」がなかなか表現できない。言い切れるのはプロジェクトを独自の感性で実現できるところである。
社会で価値ある違いを生み出すには?
楠木先生の話を聞き、改めて仕事のセンスについて考えてみた。その正体は、いまだなかなか言葉にできない。
しかし、仕事の能力をスキルで評価すると、それはスキルの数でしかその人の能力を測れないことになる。つまり規格化された物差しでしか人を評価できなくなる。人を部品として使いたい企業なら問題ないのだろうが、本来ビジネスでも価値を生み出すのは「意味ある違い」である。この「違い」を生み出すのは、規格化されたスキルではなく、その人独自に持つもと、楠木先生の言うセンスではないだろうか。センスに着目すると、多様な価値が生まれる源泉にたどり着けるのではないか。人の能力は多様だし、それに着目することから、社会に違いのある多様なユニークなものが生まれる。まさにイノベーションを目指す企業こそ、このセンスに着目すべきではないか。
楠木先生の「仕事におけるスキルとセンス」は、ビジネスパーソンが自分のキャリアで何を目指して磨いていくかを考える上でとても示唆的な考えが示されていると思う。同時に、多様な価値が生まれる社会へのヒントも提示されている。皆さんにもぜひ聞いてもらいたい。