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送料無料という言葉に慣れていた私

私は物を送る・届くことに掛かる送料は、できるだけ小さくするかもしくは、掛からないようにしています。私と同じように実践している人は、多いのではないでしょうか。

送料は物を送るときに、運送業に対して支払います。また、ネットで商品を購入した時にも送料が掛かります。最近では、何円以上購入した場合には、送料無料になるという条件付きの物が多いです。その条件には、2000円以上から無料になる場合や、10000円以上から無料になる場合と金額はまちまちです。

最近、私は友達の結婚祝いとして、友達にリクエストしてもらったものを送ろうとしています。リクエストしてもらった商品をネットで探して、どんどんカートに入れていきました。商品を入れ終えたあと支払いまで進むと、商品の合計金額が大きく増えていたことに驚きます。どうやら増えた金額はすべて送料でした。なぜこんなにも増えたのか。確認すると、発送元がそれぞれ違っていたため、ほぼ商品一つ一つに送料が掛かっていたのがわかりました。買った商品の値段に対して、送料の割合が大きすぎたため、購入を一旦中止することに。そして、ネットで購入するものと店頭で買って持っていくものに分け、送料を少なくしました。

私は、送料を支払うことに対して、サービスを利用するので当たり前のことであると思っています。しかし、送料無料という言葉を見慣れすぎて、自分の中に送料が掛かることに対して拒否反応が生まれ、次第に強くなっているのを感じました。

私は、物を送る・届くサービスを利用する人が、送料無料という言葉に支配されることを気にしています。物を購入し届くまでの過程を気にすることなく、送料が掛かることだけを異常に嫌うのは危険です。対価を払って、サービスを利用するという感覚を忘れ、無料であることだけに価値を感じてしまいそうです。

送料無料も購入者が直接支払っていないだけで、運送業に対して発送者から送料を支払われているので問題ないと思います。しかし、これらは企業努力で効率化を図り、コストを削減しているため実現できていることです。

物を送る・届くまでに、多くの人が関わっていること。物を送る・届けるといったものは無料ではなく、そこには必ずお金が発生していること。これらのことを忘れずに、感謝の気持ちを持って利用したいと思います。

それと、送料をなるべく小さくする工夫は続けていきます。

最後まで、読んでいただきありがとうございました。


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