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振り飛車は最後の希望 王将戦第1局、菅井ー藤井


振り飛車の絶望

年末に刊行された一冊の本が「現代の将棋ファンにとって必読の書」という評価をするのに不足ない本だという事は、見識のある方であれば同意頂けると思う。
その本は著者あらきっぺ氏による「現代振り飛車の絶望、そして希望」である


この本では振り飛車が理論的に弱点が多い戦法であることを次々に明らかにして、具体的な局面については代表的な指し手とAIによる評価値を示し、最後にはこのような文章で振り飛車にとどめを刺す。

対抗型の振り飛車は、後出しや多様化を使い諸々の問題を改善してくる。ゆえに、居飛車はそれを許さない策が必要であり、その具体案が「両立」と「相対化」だ。

「現代振り飛車の絶望、そして希望」240P

対抗型の居飛車は、両立で相手の自由を奪い、相対化で相手の主張を消す。そうすれば自ずと優位性が残り、作戦勝ちを収めることができる。

「現代振り飛車の絶望、そして希望」242P

私自身も現役時代は振り飛車党であり、体感的には振り飛車の不利を認めつつもあの手この手で誤魔化す事を一生懸命に考えていた事が懐かしく思い出される。
しかし、振り飛車党のプロ棋士にとっては自身のアイデンティティがかかる事態である事は自明だ。懐かしがっている場合ではない。この本が突きつけている事実は、振り飛車が存亡の危機にあることを改めて言語化したもので、理論的に弱点がある戦法を使い続けられるのか、棋士生命に関わる事態と考えられるだろう。

プロ棋界における振り飛車の立ち位置

ところが、である。不利な事が自明なはずの振り飛車を指す棋士が減るどころか、2024年年初においては、逆に参入してくる棋士が現れてきているのが、とても興味深い事実である。具体的にはトッププロの豊島九段、佐藤(天)九段が代表例だ。
この理由については、先日、渡辺九段が興味深い考察をしていたが、「AIによる研究合戦を避けた」というのも一因だろう。これも渡辺九段の言によるAI研究のトップ3「藤井(聡)、永瀬、伊藤(匠)」に研究の質・量では敵わないとなれば、持ち球に変化球を増やして駆け引きで勝負しようというのも、立派な一つの戦略と言える。
また、居飛車党のトップ棋士が藤井八冠に全てを叩き潰された今、振り飛車に活路を見出すしかない、というのも正直な所だろう。

そのような状況の中、トッププロの中で唯一の振り飛車党であるのが、今回王将戦の挑戦者となった菅井八段だ。トッププロが揃う王将戦リーグを制し藤井王将への挑戦権を握った今、八冠ストップへの大きな期待が菅井八段に掛けられている。
加えて、藤井王将は居飛車党との対戦が多いために、振り飛車対策が相対的にやや弱いのでは?、という憶測もある。対居飛車党では八冠達成という極北に辿り着いたが、対振り飛車として果たしてどういう結果が出るのか?という期待感もある。

王将戦第1局概要

注目の第1局に先手を握った菅井八段の作戦は三間飛車穴熊。藤井王将も居飛車穴熊に組み、2日目の午後まで駒がぶつからない緊張感が溢れる戦いとなった。濃密な時間が流れる中、一時は千日手の気配もあったものの、ほぼ互角の局面で戦いが始まり捻り合いが続くと思われた。
しかし、中盤の途中で少しずつ振り飛車が損な形になり、終盤に入る頃にははっきりと藤井良しの局面となってしまった。相穴熊は序中盤が命であり、一度差がついてしまうとプロの将棋では逆転が起こりにくい。藤井王将の残り時間切迫がどう響くか、という感じもあったが、そこはさすがに正確無比の手順を続け、リードを確実に広げる"強い勝ち方"で勝ち切った。

菅井八段としては、先手番で用意の作戦をぶつけたという所で、是が非でも勝ちたい一戦だったと思う。しかし、エースを出したにも関わらず、結果は残念な事になってしまった。ただ、まだ用意している作戦は色々あると思うので、第2局以降にどのような戦法をぶつけるのか、注目していきたい。

振り飛車は最後の希望

冒頭にも書いたが、振り飛車はスタート時点での不利を甘んじて受けなければいけない。にも関わらずこれがプロ棋士の選択肢として生き残っていくかどうか、今シリーズは正念場である。
個人的には、菅井八段がタイトルを奪取するまでは行かなくても、良い勝負を繰り広げ、何勝かできるようだと、他の棋士にとっても有力な選択肢として、採り得る戦法の一つに組み込まれるのではないだろうか。つまり、マイノリティとしての地位が確立出来ると思う。
反対に、色々な振り飛車をぶつけても藤井王将の牙城を崩す事が出来なければ、結局は二流戦法との位置づけになってしまい、マイノリティとしての地位も危なくなり、絶滅の危機に立たされる可能性もあるかもしれない。

今シリーズは、単なるタイトル戦ではなく、八冠崩しなるかという大きな注目される要素もあるが、それよりも「振り飛車戦法の未来」という将棋界の歴史におけるターニングポイントとなる可能性があるという意味で、本当に注目すべき戦いとなる。
菅井八段の益々の奮闘と、より白熱した戦いが見られる事に期待したい。

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