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私的「Web1.0」「Web2.0」「Web3.0」「Web4.0」「Web5.0」の違いまとめ インターネットの未来を作る34話目

「Web2.0」や「Web3.0」「Web4.0」といった言葉がインターネット産業では未だにある。永遠に進化し、変化し続ける原理であるインターネットにおいて、バージョンアップを指す言葉で、完全なるバズワードだ。

今回は実際の事実に基づくこととは全く無関係の「未来から振り返ってWeb5.0」から帰ってみる思考をしてみる。インターネットおじさんたちは黙って聞いてください。

・「Web1.0」

「Web1.0」は不思議とあまり言われないワードだが、やはりまだ「インターネット以前」が大きい。インフラとなる電話回線やモデム、PCなどデバイスとインフラ環境の普及化である。

この時期で、コンピューター会社はどうだったか?マイクロソフトのウィンドウズ95が爆発的大ヒットを記録する一方、かつてのマイクロソフトの「元請け」の存在でもあったアップル・コンピューターは瀕死の倒産に近い売上不振時代。ついに、ネクストのジョブズにオファーを出し、アップルトップ・暫定CEOに返り咲く。そして、ビルゲイツとの喧嘩が終焉し、マイクロソフトの投資で、アップルは復活を遂げる。アップルの乱立していた製品カタログを一新し、「iMac」にフォーカスを当て、見事に復活する再生劇が起こった。

そしてなんといっても、インターネット上で、「ホームページ」が作れるようになった。これが初期Webのまさに「印刷革命」に類する革命である。いわばオウンド・ビジネスや会社、自分自身の広告看板ができるようになった発明である。自分で「オルタナティブ出版社」をつくる感覚で、これがとっても楽しかった。

だが、いうまでもなく、そんなアナーキー時代はすぐに終わった。

で、肝心の儲かった=事業継続ができたのは、無数にできた大学生ベンチャーのホームページ制作企業ばかりだった。だがそれも長くは続かない。そして「ライブドア(オン・ザ・エッヂ)」を除いて、例外なく潰れたり、成長しないまま個人事業や家族経営レベルのままで終わった。最初は企業がHPを開設しただけでニュースになった時代があった。今ではもちろん、信じられない。これがWeb1.0時代の幕開けで、2000年のITバブル(ドットコム・バブル)崩壊まで続いた。

・Web2.0

「Web2.0」はその直前から始まった。やはりこれらは、「ウェブログ」と初期は呼ばれていたブログブームである。ついにオタクやエンジニア、パソコンマニアだけだったインターネットに、一般の専業主婦などのエンドユーザーが大量に参加してきた新インターネット時代の幕開けだ。

それまでのウィンドウズ95は、とにかくCD-ROMこそ売れたが、購入したのは、会社のメカに詳しいお父さんがほとんど。会計や経理計算、伝票整理にPCは多く使われていたが、これがいよいよマイクロソフト経由による「PC入力・PC会計・PC経理・ネット接続」が、日本でも当たり前になる。そして、このことによって、せいぜい機械好きの変わった家庭の子供が遊ぶだけだったPCが、家庭では「テレビ」のようにデファクトの「主力家電製品」となっていく。

さてそうなると、誰もがWeb上の掲示板に書き込んだり、ネット上でHPを作ったり、ブログを開設したりするようになった。

今では「論破ネット芸人タレント」化した西村ひろゆき率いる「2ちゃんねる」の誕生もこのころだ。初期2ちゃんねるはとにかくアングラだった。

そして、その数年後、私たちは「ひろゆき」というWeb上の「単なる4文字の記号」から、あの恐怖の「サイコパスの裏ボス」のような本人の姿を「NEWS23」で、初めて実物をみることになる。

この動画は、まだ日本にyoutubeが普及化する前の「2006年」に投稿されており、貴重一次動画資料だということがわかる(笑)。今は猫もシャクシもひろゆきを知っているだろうが、これで初めて「ひろゆき」をみたとき、めちゃくちゃ怖かった(今見るとほぼ、おどろおどろしいBGMのせい)。その「日本の影の裏ボス感」に戦慄が走ったものである。だいたいこの「西洋風」の撮影スタジオのバックは一体どこの一室なのか。「Web25.0」以降の未来でも、永遠の「謎」とされている。第一級の知性による、研究論文が待たれる。

・「Web2.0」以降にくっきりしてきたインターネットビジネスの世界観。

基本的に「アート」や「ヒッピー」の革命的なムーブメントは初期段階で崩壊する。すなわち、特別な人たちだけの「選民自由空間」になってしまうのだ。初期インターネットにもそんな感じがあった。そしてミュージシャンがたくさん初期入り、ホームページを立ち上げ、PVを自分で解放したり、アップしたりしていた。私も実は、最初にインターネット接続して、同時の馬鹿高いネット料金(1分6円とか?)の時代に見ていたのは、ピンク・フロイドのホームページとかであった。

2000年前後、すでに子役として売れていた女優「宮崎あおい」「松本まりか」のファンサイトなんかも見ていた。二人ともその後も売れるとは夢にも思わなかったが。そのときにフジテレビが「テレビの頂点」として、企画したコンテンツが「お台場・ドットコム」だ。まさにドットコムバブルの時代2000年。主演がなんと「松本まりか」と「栗山千明」で、当時はその後国民的タレントとなる「ベッキー」や国民的女優になる「宮崎あおい」よりも格上扱いであった。というか、めちゃくちゃファンだった。動画もあった。

栗山千明、松本まりか、宮崎あおいがまだ幼い。

で、今思い出したが、ここで宮崎あおいが着てるシャツとリストバンドと、全く同じものを買った記憶が蘇ってきた(笑)。

この番組はとにかく「画期的」で、「斬新」だったので、今でも思い出深い。すでにインターネットは結構身近だったが、ドラマなどの「コンテンツベースでは、「IT・ネット」が出てくるものは、まだ少なかった。あと本編で「ゲーム実況」もやっていた。いろいろ先取りしていたドラマです。実験枠だからできたことが多いでしょうけれど。

コンテンツでも、確か本編と違う編集物か何かをWebのホームページ版で流した番組で、当時としては、そんな番組は、他にほぼなかったと思う。

これの仕掛け人は、今見てもすごいですが「ウゴウゴルーガ」や「アインシュタイン」作った「福原伸治」さんなんですね。いま知ったわ。さすが。

wikiにもある「ストリーミング生放送 リアルシスターズファン感謝祭インターネット生放送(2001年3月10日)進行:武田祐子アナウンサー
内容:ファンとの大喜利対決、リタのお悩み相談室、リアルシスターズダービー」。

これも、めちゃくちゃ生で見てた記憶がある。もうさすがに動画データは残っていないでしょうけれど、もう一度見たいな。

いろんな斬新な企画で、当時のガキでも「インターネットの凄さ」が体感できた。

ただ、「ウゴウゴルーガ」や「3D・CG電脳化」「お台場ドットコム」などの「アート路線」の方には、結局その後のインターネットはいきませんでしたし、これからも、「ますます行かない」でしょうね。結局斬新な「アイデア企画」や「実験作品」レベルで、単発で終わってしまうのでしょう。


パソコンやIT・Webの歴史でも、主に「コミュニケーションと教育革命」と「経理・会計・ビジネスデータ革命」の二つの主流の流れがあり、いわばアップルなどが前者、IBMやマイクロソフトが後者のプレイヤーだった。

考えてみても、コミュニケーションと教育レイヤーの革命は起こすことが難しく、競争優位性が高い。TWITTERのAPIやコード開発は多少エンジニアを集めればできる。だが、世界中のセレブやタレント、ブロガーにTWITTERのようなマイクロブログのようなものを中・長期的に使ってもらうのは、本当に大変である。TWITTER経営陣は、「こんな短文、ブログでいいじゃん?」と何度、何千回言われたんだろう。

で、そのプラットフォームが使われ続けて、「広告情報」なり、「有料会員ユーザー」なり、「手数料収入」を増やし続けなければならない。一度使われればインフラとなり、ネットワーク効果で、中期的にはアクティブユーザーが自動的にコミュニティを形成してくれるが、多くは資金調達しても、うまく顧客シェアの予測通りに伸びず、脱落してしまう。

一方で、後者の「会計・経理・ビジネスデータ」系は、常に着実かつ市場がすでにある分、「バトル」となる主戦場だ。マイクロソフトがいまだにエクセルやパワーポイントなどのオフィスで強いが、これだって、10年後はどうなっているかはわからない。「超簡単経理・会計整理ソフト!」「超簡単1クリック・喋るだけでできるプレゼン資料作成ソフト!」なんてのがすぐに出て、競争が起こり続けるような気がします。

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