1123 202412月にインターネッティングで検索したコンテンツ 電気自動車みずほ資料など
みずほ 欧州BEVシフト
https://www.mizuhobank.co.jp/corporate/industry/pdf/msif_238.pdf
みずほ 日産・ホンダによる経営統合に関する基本合意書締結発表
https://www.mizuhobank.co.jp/corporate/industry/pdf/msif_236.pdf
リスクモンスター
業界ごとの市場概要や業界動向、与信管理のポイントなどをまとめた業界レポートです。
データ名pdf業界レポート 業務用機械器具製造業 2024.11(405KB)業界レポート はん用機械器具製造業 2024.11(262KB)業界レポート 無店舗小売業 2024.10(228KB)業界レポート 織物・衣服・身の回り品小売業 2024.10(239KB)業界レポート 飲食料品小売業 2024.09(238KB)業界レポート 食料品製造業 2024.09(286KB)業界レポート 飲食店 2024.08(306KB)業界レポート 職業紹介・労働者派遣業 2024.08(247KB)業界レポート 娯楽業 2024.07(254KB)業界レポート 自動車整備業 2024.07(215KB)業界レポート 廃棄物処理業 2024.06(345KB)業界レポート 飲食料品卸売業 2024.06(241KB)業界レポート 宿泊業 2024.05(345KB)業界レポート 洗濯・理容・美容・浴場業 2024.05(241KB)業界レポート 広告業 2024.04(345KB)業界レポート 繊維・衣服等卸売業 2024.04(408KB)業界レポート 印刷・同関連業 2024.02(348KB)業界レポート 窯業・土石製品製造業 2024.01(370KB)
その他各種データ
リスモンの持つ企業データベースを集計したレポートです。格付変遷や都道府県別の企業数分布、上場会社の法人番号一覧をご覧いただけます。
データ名pdf
https://www.riskmonster.co.jp/study/report/pdf/industryreport202411_1.pdf
ユーザベース・スタートアップに対する実態資料
https://www.meti.go.jp/meti_lib/report/2022FY/000586.pdf
ユーザベース・スタートアップが上場後も成長を続けるための
https://www.meti.go.jp/meti_lib/report/2023FY/000432.pdf
経産省・半導体に関する戦略
https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/joho/conference/semicon_digital/0012/handeji3.pdf
企業の買収行動における行動指針
https://www.meti.go.jp/press/2023/08/20230831003/20230831003-a.pdf
大谷翔平 メジャーリーガー大谷翔平2024 NHKスペシャル 2024/12/29
【期間限定公開:2025年1月5日まで】TOKYOーFM 『TOKYO SPEAKEASY』中井貴一、木梨憲武
【対談】令和ロマンくるまxLINEヤフー会長「大喜利力は問題解決力」
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川邊健太郎(LINEヤフー)・髙比良くるま(令和ロマン)
2024年12月24日発売の「Forbes JAPAN」2月号では、国内外の賢人たちによる「2025年総予測」を特集。第2次トランプ政権が発足する25年1月以降、世界経済はどうなるのか。また、加速する人口減少のなかで日本経済はどう変化するのか。今年のノーベル賞受賞者ジェイムズ・A・ロビンソンをはじめ、マルクス・ガブリエル、石黒浩、川邊健太郎、JO1など国内外の研究者・経営者・アーティストなど各界の第一人者へにインタビュー。そこから見えてくる未来から、今を生きる私たちにとっての「希望」を描き出す。
「Forbes JAPAN 30 UNDER 30 2024」のアドバイザリーボード、受賞者による異例の特別対談。世代も職業も異なるふたりの「2025年のキーワード」はどのように新結合したのだろうか。
日本を代表する起業家・経営者と同じく日本を代表するお笑い芸人。このふたりの共通点は、世界を変える30歳未満30人の日本人を表彰する「Forbes JAPAN 30 UNDER 30 2024」である。LINEヤフー代表取締役会長・川邊健太郎はアドバイザリボード、令和ロマン・髙比良くるまは受賞者という関係性だ。対談前に「2025年のキーワード」をそれぞれ3つ挙げてもらったところ、川邊からは「繁栄」「瞑想」「推し活」、そして髙比良からは「大喜利力」「決めつけ」「宗教」と回答があった。異例の特別対談は、気になるキーワードから語り合うことから始まった。
川邊健太郎(以下、川邊):まず気になるのは「大喜利力」ですね。これはどうしてですか。
髙比良くるま(以下、くるま):お笑い芸人って、何か失敗してもエピソードトークにして嫌な気持ちを発散できるから幸せなやつが多いんです。でも、普通のお仕事だと失敗は発散にならないですよね。みんなが幸せに生きるためにお笑いの能力のなかでほかに何が使えるのか。そう考えたときに浮かんだのが「大喜利力」でした。
大喜利はお題からズレないようにしつつ、そこに創造性を加えて答える芸です。例えば「アホアホ高校の校則とは?」というお題があるとします。このとき「けんかしてOK」だと、ヤンキー高校の校則になってズレすぎてしまう。一方、「1時間目が給食」だと、きちんとアホアホで答えになっています。つまり大喜利とは、創造性のある問題解決。大喜利力がある人は、現実の問題に対してもユニークなやり方で解決したり、解決できないにしても悲観したりしないでいいのかなと。
川邊:説明を聞くと、大喜利力は人生を生き抜くために必要な力ですね。25年に向けてはどうでしょう。
くるま:僕は社会情勢に詳しくないですが、社会の「お題」がどんどんややこしくなってるじゃないですか。今までの解き方では通用しないから創造性が要るし、お題の意味をきちんとくみ取って答えないと、同じお題なのにみんなバラバラのお題に取り組むような状況になり、解決に向かわない気がしています。
川邊:確かに問題の複雑性は高くなっていますね。そういう意味では、「お題」を解く前に「今そのお題で合ってる?」と問うことが大事かもしれません。例えばビジネスで「来年の利益額をどうするか」という問題が出てきても、「いや、今解くべきは利益額じゃなくて利益率では?」と問題自体を疑うんです。そうしないと間違った課題を解くことになりかねませんから。
かわべ・けんたろう◎青山学院大学在学中の1995年にスタートアップ企業・電脳隊設立。2000年ヤフー入社。21年にZホールディングス社長。23年4月から会長。グループ再編に伴い、同年10月からLINEヤフー代表取締役会長。
「情報爆発の時代」にのみ込まれないために
くるま:次は僕から聞いていいですか。「繁栄」はどうしてですか。
川邊:24年は世界的な選挙イヤーで、ロシアから始まってイタリア、ドイツ、日本、アメリカと選挙がありました。指導者の顔ぶれが変わって明るくなったのかといえば、そうでもない。むしろ新しい秩序がどうなるのかと不安を感じている人は多く、25年は暗いムードに覆われそうです。
ただ、冷静に考えたら暗くなる必要はないんです。それを教えてくれたのが『繁栄─明日を切り拓くための人類10万年史─』(マット・リドレー著)という本でした。この本を読むと、短期的にはいろいろあっても、人類はきちんと前に進んで繁栄してきていることがわかります。
大切なのは数字で見ること。幸せかどうかは主観だからムードに引きずられがちですが、例えば飢餓で苦しむ人は減っているし、トイレの普及率は上がっている。ファクトを見れば、人類はやばいくらいに繁栄し続けているんです。
くるま:ファクトの話でいえば、どのファクトを選ぶかがけっこう大事な気がしています。僕が子どものころは情報が今より少なくて、知的好奇心をもってどんどん情報を取ったやつが賢くなっていきました。でも、今は情報が多すぎて、ファクトを集めれば集めるほど何から考えていいのかわからなくなって、身動きが取れなくなる。
僕はふたつめのキーワードを「決めつけ」にしたんですが、「これが好きだ」と自分の世界を区切ってファクトを見ないと、しんどいだろうなと思ったからです。
川邊:くるまさんの場合は、それが漫才だった。
くるま:はい。僕が芸人になったときはYouTuberが花開いた時代で、芸人にもさまざまな選択肢ができたんです。でも、いろいろ手を出してパンクしてるやつが多かった。それを見て、自分たちは漫才だけやろうと逃げてきた感じですね。
決めつけると視野が狭くなると思われるかもしれませんが、「絞り込んだから見えてくる世界」もある。例えば漫才は大きな会場でやるとウケにくい。本当は声をパキッと届けたいのですが、音響の世界は音楽の専門家ばかりで、あえて響かせてしまうからです。ただ、今年のオードリーさんの東京ドームライブは革命的に漫才向きの音響だったらしく、僕もそこにアプローチしたくなりました。漫才、なかでもライブにこだわっているからこそ、音響にも関心が広がった。絞りこむからこそリアルな選択肢が出てくるんだと思います。
川邊:僕はふたつめのキーワードに「瞑想」をあげましたが、言いたいことはほぼ同じです。ブッダは人間の欲とか社会のいろいろなものから解脱するための修行法として、瞑想して「空」になることを推奨しました。インターネットビジネスをやっている僕が言っていいのかわからないけれど、情報爆発でフェイクも含めて情報が流れ込んでくる現代は、瞑想のように外と遮断する機会をつくらないと、どうにも生きにくい。
くるま:川邊さんは瞑想しているんですか。
川邊:いや、実はぜんぜんしていなくて……。
くるま:えっ、ここは突っ込むところ?(笑)
川邊:ははは(笑)。ただ、最近は千葉の館山で暮らしてハンターをします。イノシシを取って解体して食べる生活をしていると、忙しくてSNSを見る時間もない。期せずして情報社会から遮断されているからいいかなと。
くるま:情報ってデトックスできないんですよね。一度知ると老廃物みたいに体外に出せないから、最初から完全遮断する生活はいいのかもしれませんね。
自分の外に「熱源」をもつ
川邊:くるまさんの3つめのキーワードが「宗教」です。これは僕の3つめのキーワード「推し活」と通じるものがありそうです。
くるま:嫌なことがあったとき、本当に自分だけで自分の機嫌を取るのは簡単じゃないですよね。自分をアゲていくには、恋人なりコンテンツなり趣味なり、まるで宗教的な行動のように自分が100%でできるものを何かしら自分の外にもっていたほうが便利です。25年がハードな一年になるなら、「一人ひとりにとっての宗教」がより大事になる気がします。
川邊:くるまさんの「宗教」は何なのですか。
くるま:僕は「自分教」の信者です(笑)。昔からメッチャ運命論者なんです。電車を一本乗り遅れたら「これは何か意味があるかも」と思うし、街で人に肩をぶつけられたら痛いんですけど、「今止まっていなければ事故にあっていたかもしれない」とホッとする。アクシデントが起きるたびに、全部自分のためにやってもらっている、自分には何かミッションがあってそうなったと信じてます。
川邊:ミッションは、まさに宗教用語。神から与えられた使命を果たすために自分の命があるという感覚だと、強いでしょうね。
くるま:僕の言うミッションはTV番組「逃走中」のイメージで、もっとゲーム感覚です。例えば白線があると、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』のジャック・スパロウになり切って「ロープから落ちると死ぬ!」と思って歩いたりします。もともと幸せでも不幸でもない中途半端な状態で生きてきたから、そんな毎日に抵抗したくて日々楽しむ癖がついたのかもしれません。僕は「アプリを開発するぞ」と起業する人ほどエネルギッシュなタイプではありません。それくらいの工夫で、十分に自分をアゲられます。
川邊:起業しなくても、発想は起業家。暮らしのなかで、心のスタートアップをしている。
くるま:川邊さんの「推し活」はどうなんですか。起業家は人に頼らなくても自家発電できそうですが……。
川邊:おっしゃる通り、前は「元気をもらう」という言葉が好きになれなくて、「自分で元気出せや!」と思ってました。でも、24年に突如としてハロプロ(ハロー! プロジェクト)にハマりまして(笑)。佐々木莉佳子さんという大エースが先輩の卒業コンサートで泣いているシーンを見て、こっちまで泣けてきたんです。僕はどちらかというと冷めてるタイプで、もらい泣きなんてありえなかった。若い力が努力して何かを達成していく姿はキラキラしていて、「元気をもらう」は本当にあるんだなと思いました。くるまさんは推される立場ですよね。演者から見て、推し活はどうですか。
くるま:僕は「歓声浴びて最高〜!」とは酔えないです。新幹線に乗ってライブに来てくれる人もいて、「絶対笑わせて帰さなきゃ」と使命感が増していきます。ただ、それがプレッシャーになるわけじゃなくて、むしろうまくできることにつながることが多い。マジで力になってます。
川邊:推す人にぜひ聞かせたい話ですね。推すことで推される人が研さんして、その姿から推す人が元気をもらい、また声援に変えていく。この「好循環」が広がると、社会はさらに元気になるはずです。最後にひとつ聞かせてください。くるまさんは20代で結果を出して「30 UNDER 30」に選ばれた。次の10年のイメージはありますか。
くるま:自分が面白くなるというより、お笑いを広げまくって人を幸せにしたいですね。これまでお笑いは粋の世界で、体系化・学問化されていませんでした。体系化すればほかの分野でも使えるようになって、世の中を明るくできる。他ジャンルの人とお会いするお仕事も増えてきましたが、写真撮って終わりじゃなくて、本当に一緒に仕事をしたい。目指せ、お笑いブローカーです。
川邊:いいですね。人生の先輩として言わせていただくなら、今お話ししたことを一生懸命やっていたら、10年後には今想像している以上のことができていると思う。10年後、答え合わせができる日を楽しみにしています!
KEYWORDS 1|大喜利力
髙比良くるまが挙げたキーワード。大喜利とは、「お題」に対して複数の回答者が当意即妙に洒落の利いた回答をして面白さを競うもの。くるまは「お題からズレないようにしつつ、そこに創造性を加えて答える芸」とし、「大喜利力がある人は、現実の問題に対してもユニークなやり方で解決したり、解決できないにしても悲観したりしないでいい」と話す。
KEYWORDS 2|繁栄
川邊健太郎が挙げたキーワード。『人類とイノベーション』などの著者マッド・リドレーの著作『繁栄─明日を切り拓くための人類10万年史─』を指している。川邊は暗いムードに覆われそうな2025年だからこそ、冷静にファクトで「人類はきちんと前に進んで繁栄してきていることがわかる」ことが大切だと説く。
KEYWORDS 3|決めつけ
くるまの挙げたキーワード。ネガティブな使われ方もする言葉だが、情報氾濫時代で、「ファクトを集めれば集めるほど何から考えていいのかわからなくなって、身動きが取れなくなる」とし、「『これが好きだ』と自分の世界を区切ってファクトを見ないと、しんどいだろうなと思ったから」と選んだ理由を説明する。
KEYWORDS 4|瞑想
川邊の挙げたキーワード。インターネットで検索すると、瞑想とは「目を閉じて静かに考えること。眼前の世界を離れてひたすら思いにふけること」。川邊は選んだ理由について、情報氾濫時代において、フェイクも含め情報が流れ込んでくるなかで「瞑想のように外と遮断する機会をつくらないと、どうにも生きにくい」としている。
KEYWORDS 5|宗教
くるまの挙げたキーワード。仏教やキリスト教のような宗教ではなく、自分をアゲテいくために「まるで宗教的な行動のように自分が100%でできるものを何かしら自分の外にもっていたほうが便利です。2025年がハードな一年になるなら、『一人ひとりにとっての宗教』がより大事になる気がする」と挙げた理由を説明する。
KEYWORDS 6|推し活
川邊の挙げたキーワード。「アイドルやキャラクターなどの『推し』、いわゆるごひいきを愛でたり応援したりする活動」のこと。川邊は自身が最近になってハロー! プロジェクトにハマり、「推し活」をしている。「推し活」による、推す人と推される人の間に起きる「好循環」が、世の中を良くする。
M-1グランプリ2023-2024 令和ロマン 王者
正力松太郎ポダムCIAスパイ文書
https://www.cia.gov/readingroom/docs/SHORIKI%2C%20MATSUTARO%20%20%20VOL.%202_0016.pdf
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei23/dl/03_h1.pdf
ホール・アース・カタログ
Whole Earth Catalog
アメリカの編集者、スチュアート・ブランドによって1968年に創刊され、継続的に発行された出版物。発行元は、サンフランシスコの非営利団体ポートラ・インスティテュート。通常カタログ号とは別に『サプリメント』と呼ばれる冊子も発行され、年2回という通常号の刊行ペースを補った。
『ホール・アース・カタログ』(以下『WEC』)は、数々の書籍や道具、情報がカテゴリー別に分類され、それらを紹介する複数の記事が併置される誌面構成をとった。品目の掲載基準は、「道具として有益であること」「自主教育に関連すること」「高品質、もしくは低価格であること」「郵送で容易に入手できること」の4点。掲載された商品は、カタログに挟み込みされた申込用紙を使用して、発売元から購入することもできた。
『WEC』の構想は、当時全盛を迎えていたカウンターカルチャーとの接触を通じて練り上げられたものである。それは、支配的な体制や文化形式から離れ、オルタナティブな生活環境・生活様式を志向するヒッピーたちの存在が念頭に置かれた、状況的な性格の強い書物であった。想定されたカタログの役割は、コミューン生活における自給自足に必要な道具、実用知識へのアクセスを提供することであり、掲載品目は読者や編集スタッフの体験や提言を毎号ごとにフィードバックし、編み直された。
『全地球カタログ』の意味が示唆するように、『WEC』のコンセプトは、アメリカの工学者・発明家であり、「宇宙船地球号」の概念を提唱した思想家としても知られる、バックミンスター・フラーからの決定的な影響を反映したものである。地球環境やその限られた資源のなかでいかに生き延びるか、という課題は、「最小の資源で最大の効果を得る」ことを優れたデザイン設計の条件とする、フラーの工学概念と結びつくものである。この点は『WEC』が、自然地帯に開拓されたコミューンで実践される、自立的な生活や精神活動のために有益な諸情報の索引として意図され、DIY的なサバイバル志向を体現する出版物であった事実にも深く関連している。
71年に発行された最終号『The Last Whole Earth Catalog』は150万部を超えるベストセラーとなり、全米図書賞を受賞。その後もアップデート版や続刊の発行が、断続的にではあるが続くこととなった。以降ブランドの活動は、『CoEvolution Quarterly』の創刊(1974)や、コンピュータ・ネットワークによる電子掲示板サービス「WELL(Whole Earth 'Lectronic Link)」の運営(1985〜)へと展開していく。こうした流れのなかで、「ホール・アース」プロジェクトは、コミューンへの退却を必ずしも前提としないものへと変貌していった。
2005年、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学で行なったスピーチの中で、『Whole Earth Epilog』(1974)に記されていた言葉 「Stay hungry. Stay foolish.」 を引用し、話題を呼んだ。また11年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)で『WEC』に焦点化した「Access to Tools」展が開催されるなど、再評価の動きが注目される。現在、『WEC』の公式アーカイブサイトでは、バックナンバーのPDFが購入可能となっている。
文=勝俣涼
参考文献
『SPECTATOR』第30号(幻冬舎、2014)
『SPECTATOR』第29号(幻冬舎、2013)
池田純一『ウェブ×ソーシャル×アメリカ 〈全球時代〉の構想力』(講談社、2011)
たたかう東京
https://www.chisou.go.jp/tiiki/kokusentoc_wg/hearing_y/ito.pdf
"クラフトインターネット"という古き良きウェブへの回帰運動に期待している。
個人ブログのこれから
「古き良きインターネットを掘りおこす」を2024年の目標の一つにしていたので、新年はそういう記事を書いていこうと思っている。
・・・とそんなこんなでネットをさまよっていると、
クラフトビールやクラフトコーラ、ナチュールワインと同じように
あの"手作り感"をWebの世界でも再現しようとする流れが生まれつつあるを知った。
多くの反響があったそうで、数日後にエントリーは続く。
参照元の徳谷柿次郎さんのHPをクリックするとわかるけれど、
灰色で落ち着いたデザインのページが見やすくて良い。
「note」や「しずかなインターネット」もいいけれど、
やっぱり独自ドメインで自分のサイトをつくるのが一番良いんだよなぁ。
はてなブログの標準的なデザインでは、
文字タイトルだけをざっと表示してくれるものはなさそうなので、
そいういうのもあればいいなと思いつつ、
(ドラクエ風のテーマとかはイカしたデザインが実はあったりする)
ほったらかしだったポッドキャスト用のWordpressを
とりあえずはシンプル目なデザインに変更してみたり。
ちなみに「クラフトインターネット」というコンセプトは
ポッドキャストでもよく登場される小倉ヒラクさんとの会話で生まれたそう。
『ウェブログ・ハンドブック / レベッカ・ブラッド著』を訳されたyomoyomoさんが、2023年末にあとがきを公開されていたりするのもなんとも示唆的だなと。
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明石家さんま 芸能生活50周年SP1
https://www.homes.co.jp/cont/press/rent/rent_00872/
世界トップ大学の全寮制がお手本。下北沢「SHIMOKITA COLLEGE」は暮らしを学びに変える学生寮
住まいと街の解説者
目次
世界基準では大学は全寮制が一般的
下北沢駅からすぐ、緑が目立つ、開放的な建物がシモキタカレッジ
ここ数年、「住む」「働く」「学ぶ」その他、人の行動とその意味するもの、そしてそれぞれの行動の場が従来とは異なる形を取るようになってきた。分かりやすいのは「働く」の変化だろう。「住む」場所とは遠く離れ、他人が定めた時間のうちで従事するものであった「働く」は最近、かなり自由になった。すべての人がというわけではないものの、住まいも含め、オフィス以外の場所で働くこともできれば、最終的な成果につながりさえすれば働く時間を自分で裁量できることも。
同様に「住む」も変化しつつあることを教えてくれるのが2020年12月に世田谷区代田に開業した「SHIMOKITA COLLEGE」(以下シモキタカレッジ)である。
下北沢では小田急線の複々線化、地下化に伴って生まれた土地を活用、さまざまな施設が誕生しているが、そのうちのひとつがシモキタカレッジ。一言でいえば学生寮だが、ただ住むだけではなく、レジデンシャル・カレッジ、「居住型教育施設」を標榜する。住む、暮らすことを学びに変えようというわけである。
運営に当たるHLABの小林亮介氏によると、そもそもオックスフォード大学、ケンブリッジ大学、ハーバード大学など世界のトップ大学はほとんど学内に学生寮があるのだという。複数学部の年代、背景の異なる多様な学生が同じ場で一緒に暮らすことにより、紙に書かれた、教えられるものとは異なる学びを得る。時としてそこから新しいビジネスなどが生まれることもある。最近の有名なところでは全世界で27億人以上が使っているFacebookや大ヒットした映画「ラ・ラ・ランド」は寮での人間関係から起業、発案されたもの。そうした偶発的な学びを生むことを意図した場がシモキタカレッジなのである。
授業のオンライン化で注目される「意図されない学びや対話」
全寮化と同時に世界ではもうひとつの動きがある。それがオンライン化だ。コロナ禍で日本の大学でも授業をオンライン化する動きが加速しているが、世界的にはこれは以前からあった動きだと小林氏。
例に挙げられたのは、2014年9月に開校したミネルヴァ大学。授業はすべてオンラインで行われ、本部はカリフォルニア州サンフランシスコにあるが、特定のキャンパスはない。全寮制で学生は4年間で世界7都市を巡り、地元の活動にも参加する。オンラインでの授業のため、授業料は安いが、それ以上に他大学では得られない経験ができると現在ではハーバード大学に入るよりも難しいと言われるほど。
今後もっとオンライン化が進めば、従来の学びと言われたものの多くは共有され、その大学独自のモノでなくなることも考えられる。となれば大学はどうやって差別化を図るのだろう。
そこで出てくるのが人が出会うことによる意図されない学びや対話である。そのため、海外の大学は多様な住環境を提供することも大学の役割のひとつと認識、これまで以上に緻密な計算の下、人が出会う場としての寮を重視しているという。日本でも2014年の早稲田大学国際学生寮などここ数年、入居している学生同士のコミュニケーションを意図した学生寮建設が目に付くようになってきているが、これは世界的な流れの一環というわけだ。
当然、シモキタカレッジでもハード、ソフトの両面から入居する人たちが交わる仕組みを考えている。
人と人が自然に交わるような造りの建物
建物の造りでは食堂やラウンジなどの共有スペースを通らないと居室に行きつけないような設計となっているのが特徴。住んでいる人は否応なしに他の居住者のいる場所を通ることになる。5階建ての建物のうち、特に印象的なのは大きな吹抜けのある1階の食堂、階段を上がった2階にあるコモンキッチンと広いラウンジだ。
1階には居住者専用の食堂「リラックス食堂 下北沢」があり、平日朝と夜の1日2食が提供される(運営開始は2021年4月の予定)。同じ空間で日に2度の食事を共にしていれば自然と住む人同士の距離は近づく。学生向けにはかつて賄い(食事のこと)付きと呼ばれる下宿があったが、十年ほど前にはほぼ見なくなっていた。それが現在、食もコミュニケーションを促進するもののひとつとして見直され、食事が提供される寮が新たに作られているのは面白い現象。「食べる」の意味も変わってきているということだろう。
1階、2階も含め共有スペースに置かれた家具その他は容易に動かせるような品が選ばれている。これはイベントその他が頻繁に開かれることを想定したもの。その時に応じて場を作れるようにという配慮だ。本棚、スクリーンなども用意されている。
また、2階には常駐するHLABスタッフのオフィスもある。気軽に訪ねてもらいやすいようにと部屋はガラス張りだ。スタッフは入居者と月に1回程度の面談を行うほか、平均して週に2回、延べ6時間程度行われる予定のプログラムなどを担当する。偶発的な学びの場とはいうものの、最初から自然に生まれるものではない。手助けするスタッフが必要というわけである。
左上から時計回りに、1階、奥にリラックス食堂が見える、1~2階は吹き抜けになっており、人の雰囲気を感じる、階段を上がったところにあるのがコモンキッチン、そしてイベントの場ともなる広いラウンジ
複数大学の学生に社会人、高校生も対象
共有スペースとしては3階にコモンキッチン、ライブラリー、4階にコモンリビング、男女別のランドリー、5階にコモンキッチン、ルーフテラス、4~5階以外にはバスルームなどの水回りも用意されている。どの階でも建物中央に共有部を配し、そこから両側に住戸が広がる形になっており、効率よりも人の動線が交差することが意図されている。
住戸は4~5階を除き、水回り共用の間取りとなっており、一人部屋で約9.8m2がメイン。全体として非常にコンパクトに作られており、バス・トイレ付きの一人部屋でも約13.0~14.7m2、4人部屋などの場合(新型コロナウイルスに配慮、当面は一人部屋のみ稼働予定。2人部屋、8人部屋もある)には2段ベッドの1段分とその前に置かれたデスクひとつが自分の空間ということになる。自室に籠るのではなく、他人と暮らす場と考えれば自室はコンパクトでよいということなのだろう。
入居者募集はすでに始まっているのだが、面白いのは一般的な学生寮は特定の大学の学生のみが対象だが、シモキタカレッジでは複数の大学を想定しているだけでなく、社会人、高校生(募集は2021年以降を予定。学生、社会人は2年契約だが、高校生は学期単位を想定)も対象と考えていることだ。幅広い年代の多様な人の入居は互いにとっての刺激の幅を広げることでもあり、高校生にとっての大学生は身近なロールモデルになろうし、大学生にとっての社会人も同様。
18歳から20代といえば、ほんの1~2歳違うだけで見えている世界が変わる年代であり、その時期に少し先あるいは少し前の世界を見ることができれば人生の感じ方、考え方が大きく変わりそうである。
建物内の各階に多様な共用スペースが設けられており、その日の気分で場所を選んで過ごすことができる
下北沢というまち全体もキャンパスに
ただ、応募はイコール入居ではなく、書類、面接を経る必要がある。募集要項を見ると積極的に場作りに関与する人が求められており、誰かに何かを教えてもらいたいと考えている人には難しいだろう。
ところで、多様な人という言葉があると外国人を想定する人もいよう。実際、近年の他大学の学生寮では留学生との交流を目玉にしている例も少なくない。だが、シモキタカレッジはそこだけに注視しているわけではないという。
「日本では国籍などのわかりやすい属性が違う人がいれば多様と考えられることが多いのですが、関心や経験、背景など多様性にもいろいろな側面があると考えております。 ただ、コロナ禍で日本も含め、ほとんどの大学がオンライン授業を始めたので、逆に世界中の大学が対象になったと考えています。また、海外の大学に在学、進学予定で現状、国内にとどまらざるを得ない人も対象とし、世界中の大学の学生さんが住み始めています」
もうひとつ、興味深いのは施設内だけでなく、下北沢というまち全体をキャンパスと考え、線路跡地「下北線路街」に生まれた複数施設とも連携してまちにも関わっていくという構想。下北沢は地下化に至る前から地元の人たちの活動が非常に活発な場所で、自分たちのまちをどうしたいか、主張のはっきりした人たちが多い。その中でまちに関わるのは大変そうではあるが、得難い経験になるはずだ。また、ここで一緒の時間を過ごした人たちと良い関係が築け、それが継続するとしたら、それは一生の宝にもなろう。うらやましい施設の誕生である。
その一方で意地悪く思ったことがある。こうした施設を利用、世界レベルの学びを受けられる人とそうではない人。格差は開いていく。ここで学ぶ人たちは学べない人たちがいることも同時に学んでほしいと思う。
SHIMOKITA COLLEGE
https://shimokita.college/
https://www.buffett-code.com/company/299A/
新制大学
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新制大学(しんせいだいがく)は、1947年(昭和22年)制定の学校教育法に拠り、高等教育を行う教育機関。
概要
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学制改革により学校教育法が施行され、これ以前の帝国大学令や大学令等による大学は旧制大学と呼ばれるようになった。 そして、戦前の旧制大学、旧制高等学校、師範学校、高等師範学校、大学予科および旧制専門学校が4年制の新制大学として再編された。特に新制国立大学の設置については、文部省が総合的な実施計画を立案することになり、1949年(昭和24年)施行の国立学校設置法に基づいて設置された。
学制改革:1948年(昭和23年)4月
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学校教育法の施行に際し、文部省としては新制大学は1949年(昭和24年)から発足させる方針であった。ところが、一部の私立大学は将来計画の確立と改組準備の整備を理由に、1948年(昭和23年)4月から新制大学を発足させるべく名乗りをあげた。そして、占領下の特殊事情もあり、これらの学校が最初の新制大学として認可されることとなった。
私立大学
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東京
関西
公立大学
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学制改革:1949年(昭和24年)5月
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注記
()内は学制改革時点での併合校である。特記事項は矢印の後に示した。
公立から官立に移管された場合や官立から公立に移管された場合もあるので、国公立各大学合算して示す。公立大学と公立学校の場合【公】にて付記。また私立大学と私立学校の場合【私】にて付記。
1966年(昭和41年)施行の国立学校設置法の一部を改正する法律により東京学芸大学以外の学芸大学は教育大学に改称した。校名は学制改革当時のものである。
高岡経専と彦根経専と和歌山経専は戦時に工業専門学校へと転換された。戦後彦根経専と和歌山経専が再設置されて、学制改革時に和歌山工専が廃止された。高岡経専は再設置されなかったが、1953年に富山大学に経済学部が設置されている。また秋田県立女子医学専門学校と山梨県立医学専門学校と山梨県立女子医学専門学校は設備不良で廃校となり、一時的に秋田県立高等学校と山梨県立高等学校に転換されたのち学制改革時に廃止された。のち1970年に秋田大学医学部が、1978年に山梨医科大学が設置されている。
略称は、経専→経済専門学校(高商を母体)、工専→工業専門学校(高工を母体、あるいは戦時に設立)、農専→農林専門学校(高農を母体)、獣畜専→獣医畜産専門学校(高獣を母体)、薬専→薬学専門学校、医専→医学専門学校、繊専→繊維専門学校、水専→水産専門学校、女専→女子専門学校。特異なものは全表記。その他学制改革の項参照。
国公立大学
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北海道
東北地方
関東地方(東京都を除く)
東京都
東京都立大学 (1949-2011)【公】(都立高校高等科【公】、都立工専【公】←府立高工【公】、都立理工専【公】←都立航空工専【公】←都立航空高工【公】←府立航空高工【公】、都立機械工専【公】←都立機械高工【公】、都立化学工専【公】←都立化学高工【公】←府立化学高工【公】、都立女専【公】←府立女専【公】)
東京工業大学(東京工業大←東京高工、東京工業大附属予備部、東京工業大附属高等工業教員養成所)
東京学芸大学(第一師範、第二師範、第三師範、東京青師)
電気通信大学(中央無線電信講習所)
中部地方
近畿地方(京阪神を除く)
京都
大阪
大阪市立大学【公】(大阪商科大【公】、大阪商科大予科【公】、大阪商科大高等商業部【公】、市立都島工専【公】、市立女専【公】)
大阪学芸大学(第一師範、第二師範)
浪速大学【公】(大阪青師、大阪工専、府立化学工専【公】←府立堺工専←府立堺高工【公】、府立機械工専【公】←府立第三工専←府立航空高工【公】、府立淀川工専【公】←府立電機工専←府立淀川高工【公】、府立大阪農業専【公】、府立大阪獣畜専【公】)
大阪外国語大学(大阪外事専)
兵庫
中国地方
四国地方
愛媛県立松山農科大学【公】(県立農専【公】)
高知女子大学【公】(県立女医専【公】)
九州地方
国公立短期大学
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図書館短期大学(帝国図書館付属図書館職員養成所←文部省図書館講習所)
盛岡短期大学【公】(岩手県立女専【公】)→1998年岩手県立大学盛岡短期大学部
金沢美術工芸短期大学【公】(金沢美術工芸専【公】)
愛知県立女子短期大学【公】(県立女専【公】)
滋賀県立短期大学【公】(彦根工専)
広島女子短期大学【公】(県立広島女専【公】)
島根女子短期大学【公】(県立島根農科大学女子家政短期大学部【公】←県立松江女専【公】)→1961年分離
山口女子短期大学【公】(県立女専【公】)
長崎県立女子短期大学【公】(県立女専【公】)
尾道短期大学【公】(市立女専【公】)
岐阜短期大学【公】(市立岐阜専【公】←市立岐阜女専【公】)→1998年岐阜市立女子短期大学
長野県短期大学【公】(長野県女専【公】)
鹿児島県立短期大学【公】(鹿児島県立大学短期大学部【公】←県立女専【公】)→1958年分離
私立大学
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文部省、4月から開設する新制大学(第1次分)として64私立大学を設置認可。[1]
花園大学(京都市:仏教)
日本大学(東京都千代田区:法/文/経済/芸術/工/農/農二工)
日本獣医畜産大学(東京都武蔵野市:獣医畜産、日本獣医生命科学大学と改称)
二松學舍大学(東京都千代田区:文)
法政大学(東京都千代田区:法/文/経済)
東邦薬科大学(千葉県津田沼町:薬)
東洋大学(東京都文京区:文)
東京理科大学(東京都新宿区:理)
東京家政大学(東京都板橋区:家政)
東京農業大学(東京都世田谷区:農)
東京薬科大学(東京都新宿区:薬)
東京経済大学(東京都国分寺町:経済)
東京獣医畜産大学(東京都世田谷区、52年に日本大学農獣医学部に吸収合併:獣医畜産)
同志社大学(京都市:商/工)
同志社女子大学(京都市:学芸)
中央大学(東京都千代田区:法/経済/商/工)
中央労働学園大学(東京都港区、52年から法政大学社会学部となる:社会)
立教大学(東京都豊島区:文/経済)
立命館大学(京都市:理工)
立正大学(東京都品川区:文/仏教)
龍谷大学(京都市:文)
早稲田大学(東京都新宿区:経済/法/文/教育/商/理工)
神奈川大学(横浜市:商経/工)
学習院大学(東京都豊島区:文政/理)
関東学院大学(横浜市:経済/工)
大正大学(東京都豊島区:仏教/文)
玉川大学(東京都町田町:文/農)
津田塾大学(東京都小平町:学芸)※学芸学部に数学科を設置
南山大学(名古屋市:文)
武蔵大学(東京都練馬区:経済)
武蔵野音楽大学(東京都練馬区:音楽)
武蔵工業大学(東京都世田谷区:工)
大谷大学(京都市:文)
大阪経済大学(大阪市:経済)
大阪樟蔭女子大学(大阪府布施市:学芸)
慶應義塾大学(東京都港区:文/経済/法/工)
佛教大学(京都市:仏教)
神戸女学院大学(兵庫県西宮市:音楽)
神戸女子薬科大学(兵庫県本山村:薬)
紅陵大学(東京都文京区、52年から拓殖大学と改称:商/政経)
工学院大学(東京都新宿区:工)
高野山大学(和歌山県高野町:文)
駒澤大学(東京都世田谷区:仏教/文)
天理大学(奈良県丹波市町:文)
青山学院大学(東京都渋谷区ほか:文/商/工)
愛知大学(愛知県豊橋市:法経/文)
京都薬科大学(京都市:薬)
京都女子大学(京都市:文/家政)
近畿大学(大阪府布施市:理工)
金城学院大学(名古屋市:英文)
明治学院大学(東京都港区:文経)
明治大学(東京都千代田区:法/商/経済/文/工/農)
明治薬科大学(東京都世田谷区:薬)
名城大学(名古屋市:商)
宮城学院女子大学(仙台市:学芸)
実践女子大学(東京都渋谷区:文家政)
種智院大学(京都市:仏教)
女子美術大学(東京都杉並区:芸術)
広島女学院大学(広島市:英文)
成蹊大学(武蔵野市:政治経済)
専修大学(東京都千代田区:商経/法)
文部省、4月から開設する新制大学(第2次分)として24私立大学を設置認可。[2]
日本体育大学(茨城県阿見村:体育)
東京神学大学(東京都中野区ほか:神)
東京電機大学(東京都千代田区:工)
東北学院大学(仙台市:文経)
東北薬科大学(仙台市:薬)
立教大学(東京都豊島区:理)
大妻女子大学(東京都千代田区:家政)
和洋女子大学(市川市:家政)
久我山大学(東京都杉並区、50年廃校:工)
國學院大學(東京都渋谷区ほか:政治)
駒澤大学(東京都世田谷区:商経)
相模女子大学(神奈川県相模原町:学芸)
共立女子大学(東京都千代田区:家政)
近畿大学(大阪府布施市:商)
芝浦工業大学(東京都港区:工)
昭和女子大学(東京都世田谷区:学芸)
ノートルダム清心女子大学(岡山市:学芸)
西南学院大学(福岡市:学芸)
椙山女学園大学(名古屋市:家政)
学制改革・追加的新制移行
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1949年5月以降も学制改革は引き続き、残された新制への移行が遅れていた旧制学校が併合新設された。
国公立大学
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商船大学(高等商船清水分校←清水高等商船、海務学院、1949年11月)→静岡の清水にありほかの国立大学より半年ぐらい遅れていた
千葉大学(千葉大学、東京医歯大予科、1950年)→同年文理学部設置
東京医科歯科大学(東京医歯大←東京医歯専←東京歯専、1951年)
神戸商船大学(高等商船神戸分校←神戸高等商船、1952年)→校地と施設だけで、教職員は海技学院(1957年海技大学校)へ
札幌医科大学【公】(道立女医専【公】、1950年)
京都市立美術大学【公】(市立美術専【公】←市立絵画専【公】、1950年)
北九州外国語大学【公】(小倉外事専【公】、1950年)
香川県立農科大学【公】(県立農専【公】、1950年)
福岡女子大学【公】(県立女専【公】、1950年)
静岡県立静岡農科大学【公】(県立農専【公】、1950年)
茨城県立農科大学【公】(霞ヶ浦農業大【私】、1950年)
鹿児島県立大学【公】(県立女専【公】、鹿児島県立大学【公】、1950年)
島根県立島根農科大学【公】(県立農専【公】、1951年)
岐阜県立大学【公】(県立医大【公】←県立女医専【公】、岐阜県立大学【公】、1952年)
京都府立医科大学【公】(府立医大【公】←府立医専【公】、1952年)
福島県立医科大学【公】(県立医大【公】←県立女医専【公】、1952年)
大阪市立医科大学【公】(市立医大【公】←市立医専【公】、1952年)
兵庫県立神戸医科大学【公】(県立医大【公】←県立医専【公】、1952年)
和歌山県立医科大学【公】(県立医大【公】←県立医専【公】、1952年)
奈良県立医科大学【公】(県立医大【公】←県立医専【公】、1952年)
広島県立医科大学【公】(県立医大【公】←県立医専【公】、1952年)
山口県立医科大学【公】(県立医大【公】←県立医専【公】、1952年)
静岡薬科大学【公】(県立薬専【公】、1953年)
私立大学
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東京文政大学(東京都豊島区:日文/中文/政経、←大東文化学院専門学校←大東文化学院、1949年6月)52年に大東文化大学と改称
東京写真短期大学(東京都中野区:写真、←東京写真工業専門学校←東京写真専門学校←小西寫眞専門学校)66年に東京写真大学を開学、77年に東京工芸大学と改称
この節の加筆が望まれています。
学制改革後:1950年(昭和25年)~
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以下は旧制高等教育機関を母体とせず独立法人化までに学制改革後設置された新制大学である。
国立大学
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改称
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北海道教育大学(北海道学芸大学改称、1966年)
東京商船大学(商船大学改称、1957年)→静岡清水から東京へ移転
愛知教育大学(愛知学芸大学改称、1966年)
奈良教育大学(奈良学芸大学改称、1966年)
京都教育大学(京都学芸大学改称、1966年)
大阪教育大学(大阪学芸大学改称、1967年)
福岡教育大学(福岡学芸大学改称、1966年)
併合
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茨城大学(茨城大学、茨城県立農科大学【公】、1952年)
静岡大学(静岡大学、静岡県立農科大学【公】、1951年)
岐阜大学(岐阜大学、岐阜県立大学工学部【公】←岐阜医工科大学工学部【公】、1952年)
岐阜大学(岐阜大学、岐阜県立医科大学【公】←岐阜県立大学医学部【公】←岐阜医工科大学医学部【公】、1964年)
宇都宮大学(宇都宮大学、宇都宮工業短期大学、1964年)
三重大学(三重大学、三重県立大学【公】、1972年)
神戸大学(神戸大学、兵庫県立神戸医科大学【公】、1964年)
神戸大学(神戸大学、兵庫県立農科大学【公】、1966年)
広島大学(広島大学、広島県立医科大学【公】、1953年)
島根大学(島根大学、島根県立島根農科大学【公】、1965年)
山口大学(山口大学、山口県立医科大学【公】、1964年)
香川大学(香川大学、香川県立農科大学【公】、1955年)
愛媛大学(愛媛大学、愛媛県立松山農科大学【公】、1954年)
鹿児島大学(鹿児島大学、鹿児島県立大学【公】、1955年)
分離
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宮城教育大学(東北大学教育学部教員養成課程←旧宮城師範、旧宮城青師 分離、1965年)
上越教育大学(新潟大学教育学部高田分校←旧新潟第二師範 分離、1978年)
富山医科薬科大学(富山大学薬学部←旧富山薬専 分離、1975年)
鳴門教育大学(徳島大学教育学部←旧徳島師範、旧徳島青師 分離、1981年)
新設昇格
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1970年代以降、医科大学等の国立大学が多く設置された。()内は母体大学、設置年である。学問系統別の分類に依った。
文科系単科大学
兵庫教育大学(新設、1978年)
工科系単科大学
医科系単科大学
旭川医科大学(新設、1973年)
山梨医科大学(新設、1978年)
福井医科大学(新設、1978年)
浜松医科大学(新設、1974年)
滋賀医科大学(新設、1974年)
島根医科大学(新設、1975年)
香川医科大学(新設、1976年)
高知医科大学(新設、1974年)
大分医科大学(新設、1971年)
佐賀医科大学(新設、1974年)
宮崎医科大学(新設、1973年)
その他単科大学
大学院大学
政策研究大学院大学(新設、1997年)
総合研究大学院大学(新設、1988年)
北陸先端科学技術大学院大学(新設、1990年)
奈良先端科学技術大学院大学(新設、1993年)
沖縄科学技術大学院大学(新設、2012年)
総合大学
公立大学
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改称
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愛知県立大学(愛知県立女子大学改称、1959年)
京都府立大学(西京大学改称、1959年)
大阪府立大学(浪速大学改称、1950年)
県立広島女子大学(広島女子大学改称、2000年)
山口県立大学(山口女子大学改称、1996年)
北九州大学(北九州外国語大学改称、1953年)
北九州市立大学(北九州大学改称、2001年)
長崎県立大学(長崎県立国際経済大学改称、1991年)
熊本県立大学(熊本女子大学改称、1996年)
奈良県立大学(奈良県立商科大学改称、2001年)
併合
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新設昇格
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1990年代以降、看護系大学を中心に公立大学が多く設置された。現在でも新たに設置されている。()内は母体大学、設置年である。系統別の分類に依った。
文科系単科大学
経済系単科大学
釧路公立大学(新設、1988年)
青森公立大学(新設、1993年)
高崎経済大学(高崎市立短大、1957年)
奈良商科大学(奈良県立短大、1990年)
下関市立大学(下関商業短大、1962年)
長崎県立国際経済大学(長崎県立短期大学、1967)
尾道大学(尾道短大、2001年)
工科系単科大学
公立はこだて未来大学(新設、2000年)
会津大学(新設、1993年)
前橋工科大学(前橋市立工業短大、1997年)
東京都立科学技術大学(都立工科短大、1986年)
富山県立大学(富山県立短大、1990年)
保健系単科大学
青森県立保健大学(新設、1999年)
山形県立保健医療大学(県立保健医療短大、1999年)
茨城県立医療大学(新設、1995年)
埼玉県立大学(県立衛生短大、1999年)
東京都立保健科学大学(都立医療技術短大、1998年)
神奈川県立保健福祉大学(県立栄養短大、県立衛生短大、2003年)
山梨県立看護大学(新設、1990年)
長野県看護大学(新設、1995年)
石川県立看護大学(新設、2000年)
岐阜県立看護大学(新設、1990年)
愛知県立看護大学(新設、1995年)
三重県立看護大学(新設、1997年)
大阪府立看護大学(府立看護短大、1996年)
神戸市看護大学(神戸市看護短大、1996年)
兵庫県立看護大学(新設、1993年)
大分県立看護科学大学(新設、1998年)
宮崎県立看護大学(新設、1997年)
沖縄県立看護大学(新設、1999年)
広島県立保健福祉大学(県立保健福祉短大、2002年)
香川県立保健医療大学(県立医療短大、2004年)
愛媛県立医療技術大学(県立医療技術短大、2004年)
群馬県立県民健康科学大学(県立医療短大、2005年)
名寄市立大学(市立名寄短大、2006年)
芸術系単科大学
その他単科大学
大学院大学
情報科学芸術大学院大学(新設、2003年)
総合大学
岩手県立大学(新設、1998年)
秋田県立大学(新設、1999年)
宮城大学(新設、1997年)
愛知県立大学(県立女子短大、1957年)
滋賀県立大学(滋賀県立短大、1995年)
福井県立大学(福井県立短大、1993年)
岡山県立大学(新設、1997年)
広島県立大学(広島県立農業短大、1988年)
広島市立大学(新設、1994年)
尾道大学(市立尾道短大、2001年)
山口女子大学(山口女子短大、1975年)
福岡県立大学(福岡県社会保育短大、1992年)
県立長崎シーボルト大学(県立女子短大、1999年)
札幌市立大学(札幌市立高専、市立高等看護学院、2006年)
私立大学
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新設
[編集]
立命館アジア太平洋大学 (新設、2000年)
この節の加筆が望まれています。
独立法人化:2004年(平成16年)〜
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国立大学
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2003年(平成15年)10月施行の国立大学法人法に基づいて、2004年(平成16年)4月1日、すべての国立大学は国立大学法人の設置する大学となった。これに伴って各地で国立大学の統合が行われている。
併合
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東京海洋大学(東京商船大、東京水産大、2003年)
山梨大学(山梨大、山梨医科大、2002年)
福井大学(福井大、福井医科大、2003年)
神戸大学(神戸大、神戸商船大、2003年)
島根大学(島根大、島根医科大、2003年)
香川大学(香川大、香川医科大、2003年)
高知大学(高知大、高知医科大、2003年)
大分大学(大分大、大分医科大、2003年)
佐賀大学(佐賀大、佐賀医科大、2003年)
宮崎大学(宮崎大、宮崎医科大、2003年)
公立大学
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2004年(平成16年)施行の地方独立行政法人法に基づいて、各地で公立大学の統合が行われている。公立大学法人の設置する大学として統合した大学は以下の通りである。岩手県、長崎県、横浜市、北九州市が具体的な統合を策定中である。
併合
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首都大学東京(東京都立大、東京都立科学技術大、東京都立保健科学大、東京都立短期大、2005年)
山梨県立大学(山梨県立看護大、山梨県立女子短大、2005年)
大阪府立大学(大阪府立大、大阪女子大、大阪府立看護大、2005年)
兵庫県立大学(神戸商科大、姫路工業大、兵庫県立看護大、2004年)
県立広島大学(広島県立大、県立広島女子大、広島県立保健福祉大、2005年)
島根県立大学(島根県立大、島根県立島根女子短大、島根県立看護短大、2007年)
新設
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国際教養大学(新設、2004年)
私立大学
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私立大学に独立法人化の直接の影響はないが、2004年(平成16年)以降に動きのあった大学は以下のとおりである。
この節の加筆が望まれています。
関連項目
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外部リンク
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渡辺恒雄さん すべて「老害」批判は勿体ない 瀕死のわが国のジャーナリズムは臨終を迎えてしまったのでは
2024.12/30 10:00
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若い世代と同じ発言をしていても、年寄りが言えば「老害」。過去の貴重な体験を語り継ごうとしても、「昔話をするなんて老害だ」と…もちろん、やたらと話の長いお爺さんや、昔は美人だった、モテたなど自慢話ばかりのお婆さんは老害の域かもしれませんが。年上の人の貴重な経験は、今、混乱の時代を生き抜くためのヒントがたくさん詰まっているはずです。
それでもナベツネは老害だった!と思う人には是非、彼が残した著作を、改めて読んでほしいと思います。1945年4月、東京帝国大学(現東京大学)入学直後に学徒動員で徴兵。戦争の愚かさを身をもって知り、終戦後は一時共産党に入党するも若干26歳で政治記者として永田町に足を踏み入れた渡辺さん。その目で見たものは、日本の「戦後史」そのものです。渡辺さんの死によって、瀕死(ひんし)のわが国のジャーナリズムは臨終を迎えてしまったのでは。
もう15年近く前ですが、皇居お濠畔(ほりばた)で車椅子の奥様と佇んでいる姿をお見かけしたことがあります。水鳥の行方を静かに眺めていたあの背中が忘れられません。
■長尾和宏(ながお・かずひろ) 医学博士。公益財団法人日本尊厳死協会前副理事長。映画『痛くない死に方』『けったいな町医者』をはじめ、出版やインターネット配信などさまざまなメディアで長年の町医者経験を活かした医療情報を発信する傍ら、ときどき音楽ライブも行っている。
デリー目論見書
https://pdf.irpocket.com/C299A/jQ9P/DJqG/OZNB.pdf