413 一党独裁制のwikiが面白い。
カールシュミットの「独裁」という本を読んでいます。
近年の独裁制ってどうなっているのか。調べてみた。
一党独裁制といっても、厳密には地球上で、ベトナム、キューバ、ラオス、エリトリアしかない。
中国も北朝鮮もヘゲモニー政党制の「衛星政党の政権与党」であって、一応他の党があります。
日本は多党制で、「自民党戦後一党優位制」なだけで、むしろ他党も強いです。
今のベトナムをかつてのソ連や中国、北朝鮮のような「共産主義独裁国家」と認識する人はほとんどいないはずです。
じゃあ、一党独裁制、つまり、戦前の「ナチス」のようなファシズム政治ってどんなことなのか?これがシンプルに書かれています。
一党独裁制
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一党独裁制(いっとうどくさいせい)とは、単一の政党が国家の政治権力を独占的に掌握している体制であり[1]、権力が唯一の政党に集中され、他党派の活動が禁止・弾圧されている状態を指す[2]。
ナチス党のドイツ、共産党によるソ連のような、単一政党の存在のみが認められているような支配形態や、社会主義時代の東欧諸国における共産主義政党による支配のような、複数政党制のもとでの事実上の一党独裁を指す[1]。また、第2次世界大戦後、植民地から解放された発展途上国において伝統社会を近代化していくために一党独裁が実現されてもいる[2]。
一党独裁は、フランス革命における山岳派独裁を、古代ローマの独裁官個人による独裁と対比して用いられたのが始まりである[1]。
概要[編集]
ジョヴァンニ・サルトーリは、一党独裁を3つのカテゴリーに分類している[2]。
プラグマティズム一党制:イデオロギーの凝集性は低く,組織は散漫,多元的なものとなりやすい[2]。
また、サルトーリは、複数の政党が存在していても、一つの支配政党の衛星政党にすぎないような体制をヘゲモニー政党制と呼び、ヘゲモニー政党制を一党独裁は、政党間の競合性がない、非競合的な政党制であるとした[3]。
国家を強力に統制することが可能であるものの、国家権力の暴走が起こりやすいことが問題となる。また、支配政党への反対者には、政治的権利や言論の自由などが保障されず、粛清・国外追放・投獄が行われるなど、人権が守られない体制になりがちである。例えば、ソ連の衛星国家であった東ドイツでは、刑法の規定によって支配政党であるドイツ社会主義統一党・東側諸国の支配者・盟主であるソ連を批判するだけで1年から8年の懲役刑が科された[4]。
一党独裁により経済発展を強力に推進する開発独裁体制は、やがて経済発展が一段落すると複数政党制へ移行する場合がある。一方で先進国並みの経済発展を実現したものの、選挙制度を操作して一党独裁制を維持しているシンガポールのような政党制も存在する。
一党優位制[編集]
詳細は「一党優位政党制」を参照
一党独裁国家ではない、議会制民主主義国家でも、複数の政党が選挙で争っているが,結果として一つの政党が圧倒的な優位を長期保持している政党制を、イタリアの政治学者ジョヴァンニ・サルトーリは一党優位制と呼ぶ[5]。日本における1955-1993年までの55年体制下の自民党政権、1932~76年の44年間政権与党であり続けたスウェーデンの社会民主労働党の例がある[5]。
歴史[編集]
一党独裁は、フランス革命における山岳派独裁を、古代ローマの独裁官個人による独裁と対比して用いられたのが始まりである[1]。ジャコバン派は、穏健派のジロンド派と急進派の山岳派に分裂したが、山岳派はジロンド派を追放し、独裁体制を築いた(ジャコバン独裁ともいう)[6]。
市民革命と古典的自由主義の普及後、資本主義の普及に伴い従来の共同体の崩壊、中間階級の没落、貧富の拡大、など社会不安が拡大し、ブルジョワ民主主義とも呼ばれる議会制民主主義を否定して独裁や革命を掲げる思想が拡大した。いわゆる左翼の側からは社会主義革命やプロレタリア独裁、いわゆる右翼の側からは保守革命などである[要出典]。
1917年の十月革命後に暴力革命とプロレタリア独裁を掲げる共産主義のボリシェヴィキが他の野党を非合法化し、マルクス・レーニン主義を掲げるソビエト連邦共産党となった。ソ連は一党制で、複数政党制は否定された。中華人民共和国などは人民民主主義を掲げて、事実上の一党独裁であるヘゲモニー政党制を採用した。多くの社会主義諸国で一党独裁が制度化され、国家が共産党による「指導」を受けなければならなくなった(党の指導性)。
一方でイタリアのファシスト党はファシズムを掲げ、議会と反対政党は存続したものの、選挙制度改正によりファシスト党が常に政権獲得できる選挙制度にした。ドイツの国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)は1933年2月末の「ドイツ国民と国家を保護するための大統領令」によるナチ党の権力掌握後、ナチス以外の政党は全て「自主解散」もしくは禁止していき、最終的には新党設立禁止法によってナチ党以外の政党の設立を禁じることで一党制を確立した[7]。日本では政党が自主解党して大政翼賛会に合流したものの、独裁体制が成立しなかった。これらの多くは第二次世界大戦の敗戦を契機に消滅したものの、スペインのファランヘ党支配は1939年から1975年まで続いた。
1945年から1996年、中華民国(台湾)で中国国民党が党国体制という実質的な一党独裁を行った。
1960年代、イラクとシリアでアラブ社会主義などを掲げるバース党が政権を獲得し、憲法でバース党を指導政党と規定した。
1965年、独立したシンガポールでは人民行動党が開発独裁を行った。
1990年代、ソビエト連邦の崩壊と東欧革命により、マルクス・レーニン主義を掲げた一党独裁国は減少した。
2003年のイラク戦争により、イラクのバース党は政権を追われた。
2011年以降のシリア内戦により、シリアではバース党政権と反体制派の戦闘が続いている。
主な一党独裁[編集]
現存[編集]
一党制(衛星政党のない一党独裁)[編集]
ヘゲモニー政党制(衛星政党がある一党独裁)[編集]
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮) - 朝鮮労働党(および人民民主主義による衛星政党)
トルクメニスタン - トルクメニスタン民主党(および衛星政党)
議会に野党の議席も存在するが弾圧されている国家[編集]
ベネズエラ - ベネズエラ統一社会党(複数政党制、一党独裁と呼ばれる場合あり)
かつての一党制国家[編集]
憲法に基づく一党制[編集]
ソビエト連邦(ソビエト社会主義共和国連邦) - ソビエト連邦共産党(ソビエト連邦の支配政党)
民主カンボジア(後に民主カンプチア) - カンプチア共産党(クメール・ルージュ)
カンボジア人民共和国(対抗政権) - カンボジア人民革命党
中華民国 - 中国国民党(1921年-1946年まで国共合作時期がある中華民国における独裁政権。1946-1987年まで台湾における独裁政党。台湾民主化以降は民主進歩党と並ぶ台湾二大政党の一つ[8])
ヘゲモニー政党制(形式的衛星政党を持つ一党独裁,ソ連衛星国)[編集]
その他[編集]
ドイツ国 - 国民社会主義ドイツ労働者党(通称ナチ党、ナチス政権下、他党を解散した)
脚注[編集]
[脚注の使い方]
^ 成瀬治, 山田欣吾 & 木村靖二 1997, p. 210.
^ 第2版,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),知恵蔵,百科事典マイペディア,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,旺文社世界史事典 三訂版,デジタル大辞泉,精選版 日本国語大辞典,旺文社日本史事典 三訂版,世界大百科事典. “中国国民党とは”. コトバンク. 2022年3月2日閲覧。
^ 成瀬治, 山田欣吾 & 木村靖二 1997, p. 446.
参考文献[編集]
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