815 2024年5月にインターネッティストで検索していたもの・情報コンテント
日本のビジネスパーソンには「ハイテク国家」のDNAがある
孫正義氏が描く「AI革命」で変わる日本の未来
孫正義氏「AI革命こそが、DXの行き着く先」
競争力の低迷する日本が“デジタル化止まり”ではいけない理由
孫正義氏基調講演(2022年7月28日) #1 /2
EVENT
2022年07月28日〜2022年07月29日に開催
7月28日、29日にオンラインで開催された、ソフトバンク最大規模の法人向けイベント「SoftBank World 2022」。本記事では、孫正義氏の基調講演の模様を2回に分けて公開します。日本経済には「AI革命」が必要だと説く孫氏。あらゆるものがAI化することで訪れる未来の姿について語りました。
スピーカー
ソフトバンクグループ株式会社 代表取締役 会長兼社長執行役員 ソフトバンク株式 会社 創業者 取締役
芋むしがさなぎに、蝶々に姿を変えることへの感動
孫正義氏(以下、孫):みなさん、おはようございます。ソフトバンクの孫でございます。よろしくお願いします。
それではさっそく、話に入りたいと思いますけれども、みなさんは子どもの時に蝶々を捕まえたことがありますか? 僕は蝶々が大好きで、竿がついた網で蝶々を追いかけて、たくさん捕まえて、虫かごに入れて、うれしそうに眺めてたんです。
でも、すぐ死んじゃうんですよね。それがかわいそうになって、その時からは、虫かごに入れて30分ぐらい眺めたら、逃がしてあげるようになりました。
それからしばらくして、ある時、たまたま蝶々の幼虫を見つけました。芋虫ですね。それを家に持って帰って、土の上に置いて大事に育てました。次の日の朝、起きると、木の枝にさなぎの状態になってくっついてました。
それからまたしばらく何日か経ったら、その硬いさなぎがパカーっと割れて、にゅるにゅるっと、くしゃくしゃの羽のアゲハチョウが生まれてきたんですね。
みるみるうちに、くしゃくしゃの羽が、りんと張り詰めた綺麗な羽に変わって、見事に美しいアゲハチョウになりました。感動しました。
まさに、この芋虫からさなぎ、さなぎから蝶々という、姿も形もまったく似ても似つかない、グロテスクなものから美しいものに変身した姿に、感動を覚えました。
「AI化」まで進まなければ、本当の意味での「DX」にならない
さて、今日のテーマは「デジタルトランスフォーメーション(DX)」です。DXとは何かというと、最近はリモートワークだとか、あるいはコロナで、保健所がいまだにファックスで情報を送っていたなんてニュースもありましたね。
「なんだ、これは」と。我が国はそんな状態だったのかと驚きました。「ファックスをEメールに変えた。だからDXだ」とは、私は思わないんですね。
ファックスがEメールに変わったくらいであれば、これは芋虫がさなぎに変わった程度です。さなぎでは意味がないわけです。
本当の意味でのDXは、芋虫からさなぎになって、さなぎからさらに美しい蝶々にまで変わっていかなければならない。私は心からそう思ってるわけです。
ですからDXというのは、単にデジタル化するだけではなくて、AI化まで進んで、本当の意味でデータをフル活用して、未来を予測する。いろんな変革をもたらす。そういうところまでいかなければ、本当の意味での「DX」にならないと私は思います。
競争力が低迷する日本に必要な「AI革命」
さて、そういう状況の中で、日本の現状はどうかということを振り返りたいと思います。この20年間、日本の株式市場の日経平均は2.8倍になりました。一方、アメリカのニューヨークダウ、あるいはナスダックはそれよりもはるかに大きく伸びている状況です。
また最近は円安になりました。136円とか、ついこの間は140円ぐらいまでいきましたね。日本に競争力があった頃は円高で、1ドル80円という時期がありました。
日本の競争力が、世界でも1番2番という時期もありました。Japan as No.1の時期です。しかし日本の競争力は、なんと今や34位まで低迷しています。
このままではいけない。このままではだめだ。何が何でもこれを巻き返さなければいけない。変革しなければいけないということです。そのためには「AI革命」が必要です。
最近、私はことあるごとにAI革命と言っておりますが、このAI革命こそが、DXの行き着く先だと思っております。美しい蝶になろうということです。
先進国の中でことごとく遅れている、日本企業のAI導入率
このAI革命がDXの行く先としてなされると、何がどう良くなるのかというと、社会の原動力になります。未来を予測できる。もしみなさんが水晶玉を持っていて未来を予測できるならば、それだけで他に何もいらないぐらい成功できますね。欲しいものが何でも手に入るようになります。あらゆるものの需要予測をすることによって、さまざまな問題を解決できるようになるわけです。
また、さまざまな分野で、例えばコストを半分ぐらいに削減できたり、発明とか開発とか、イノベーションの創出が40倍ぐらいのスピードでできたり、あるいは新製品の開発のスピードも10倍ぐらい早まるとか、そういうデータも最近の調査の結果で出てきております。そういう未来がやってくるんです。
しかし日本企業のAI導入率は、世界で何位ぐらいかというと、もう数えたくないぐらい遅れています。先進国の中では、もうことごとく遅れている。
また、AI人材が会社にどのくらいいるか。まず経営層がAIに理解がある割合は、アメリカだと75パーセントで、日本は24パーセント。AIのエンジニアが会社にいる割合は、アメリカが62パーセントで、日本は11パーセントです。
いまだに「AIは必要なのか」なんていう議論をする有識者や学者など、いろいろな人がいます。そんな議論をしている間に、アメリカなどの世界の先進国各国はどんどんAIを導入、活用しています。AIが人類にとって役に立つのかとか、我々に必要なのかとか、そういう議論をしてる暇はない状況です。
「デジタル」と「アナログ」の違いは「CPU」が入っているかどうか
「DX=AI」なんですけども、そもそもDXとは何か。例えばみなさんの家に温度計があるとしますね。アナログの温度計だとします。赤い棒グラフのようなものが出てくる、子どもの頃によく見たものです。最近でもまだ残ってると思います。
このアナログの温度計は、目で見れば「ああ、○度」とわかります。ですが、目で見て○度とわかるだけです。人間が見て、その後に口で伝えたり、メモに書いて伝えたりしなければいけません。
同じ温度計でもデジタルになると、そこからさらにいろんな命令セットに伝達することができるわけです。そのデータを取ることができる。じゃあ、このデジタルになっているものとアナログのものと何が違うかというと、1つだけ、デジタルのものにはマイクロコンピューターの「CPU」が入っています。
CPUが入ってるものがデジタルで、CPUが入ってないものがアナログです。CPUが入ってると、データを処理できるわけです。処理して、それを命令セットに置き換えていくことができるわけです。
命令セットになると、じゃあ温度を下げようとか上げようとか、あるいはもっとこうしよう、ああしようと、さまざまに連携して伝達できるようになるわけです。
デバイスにCPUが入っていて、二進法のデジタル化ができて、それがデジタルデータになれば、それを大量に集めてディープラーニングができ、AIとしてさまざまな処理ができる。そこにインテリジェンスが生まれます。
そしてまたデバイスのほうにインテリジェンスを返して、デバイスがまたさらに他のデバイスをコントロールしていく。また、デバイスも新たな機能を入れていかなければいけないという進化も生まれてくるわけですね。
デバイスそのものも進化しなければいけません。つまりCPUの演算処理能力、計算能力がどんどん進化しなければいけません。より小さくなって、より高性能になっていく進化が必要です。
日常のあらゆるところにCPUがはびこってる状況がやってくる
この進化は、だいたい1〜2年ごとに倍になるというのが、この50年近くずっと続いてきました。この「ムーアの法則」にそろそろ限界が来てるんじゃないかという人もいますけども、私はそうは思いません。
5ナノ、4ナノ、3ナノ、2ナノ。そしてもうじき1ナノになっていくでしょうけども、その先に行けるのか。水平に微細化が進んでいくだけではなく、最近「チップレット」と言って、チップが上の階層に重なっていくような、つまり3次元化する技術が、どんどん開発されてきております。
いろんな意味でCPUあるいはGPUと組み合わせて、まさにAIに特化した「AIチップ」というものが、これからどんどん生まれてくるだろうと思います。
我々のグループにはArmがあります。CPUの世界最大のデザインの供給者です。
このCPUが世界中に1兆個溢れてるという状況が、もう目の前に来てるわけです。10年経たずして、1兆個のCPUが生まれる。そこから4~5年経つと、今度は2兆個になって、4兆個になって、8兆個になるわけです。今日見ておられる方々の多くが、まだ現役のビジネスパーソンとして活躍しておられる時に、1兆個、2兆個という時代がやってくるんです。
これは人類の数をはるかに超えていますね。世界に住んでる人類は今80億人です。人間がCPUを1個2個使うのではなく、家の中あるいはオフィスで、もう50個も100個も使っている。さらに人間だけではなくて、街に、車の中に、あらゆるところに、このCPUがはびこってる状況が生まれます。
工場そのものがロボットとして働く、テスラの「スマート工場」
そうすると人間と人間がコミュニケーションするだけではなく、人間と物、あるいは物と物がデータのやりとりをするようになります。これらの圧倒的なデータ量がどんどん生まれて、それが自動運転をこなすようなAIの進化になり、工場に働いている人がいない、工場全体がロボットのようなかたちになります。
ちょうど3~4年前にテスラのイーロン・マスクと会って、彼が直接テスラの最新の工場を案内してくれたことがあります。驚きました。自動車の工場というと、いっぱいいろんな人が働いてるというイメージがあったんですが、ほとんど人がいないんです。
完全に工場そのものが自動ロボットのようなかたちで、ロボットとロボットがどんどん連携しながら、テスラの車を組み立てている状態でした。
つまり工場も「スマート工場」になる。工場そのものがロボットとして、どんどんロボットを生み出していくような状況です。これからますますそうなります。
AIを搭載した自動運転の車も、言ってみればロボットなんですね。自動で走行して、自動でさまざまな障害物を判断して、自立して動いていくわけですから、まさに走るロボットです。こういうAIの進化は、データ処理の進化であり、データを学習することの進化であります。
AIが本当に現実のものとして使える時代に
そのためにはさまざまな、圧倒的な量のデータがやりとりされる必要があります。まさにインターネット革命が始まってから、このデータが、人々が、そして物が、もうインターネット上で、ありとあらゆるデータを流して処理していく「革命」が、1994年から始まったわけです。
また、それを処理するデータセンターも、圧倒的な量のデータを処理しなければいけない。CPU、GPUががんばってデータの処理を行っています。また、このデータの提供者と利用者の間の「データの取引所」のようなものも、これから加速して進化していくと思います。
もちろんこのデータは、プライバシーやセキュリティを尊重しながらやっていかないと、社会にとってよくないことが起きたりしますから、扱い方には注意をしなければいけません。一定のルール、一定のエチケット。社会を守るための仕組みのもとに、データの利用・活用がどんどん進んでいくと思います。
もう何回か第1次・第2次・第3次というように、AI革命のブームがありました。その度に「AIも大したことないな」と言われ続けてきたんですが、ついにAIが本当に現実のものとして使える時代が来ます。
AIはもう人間を超えている
これはAIが人間の英知を、さまざまなサブジェクト、さまざまなテーマで超え始めてきているということです。みなさんも毎日のように天気予報を見ますね。天気予報は言ってみれば、AIです。
ありとあらゆる気象の情報データを集めて処理して、それを学習しながら、1週間後の何時に、何パーセントの確率で、雨が何ミリ降って、何メートルの風がどちらの方向から吹くでしょうということを予測する。しかもそれがリアルタイムで、刻々と予想値が変わっていくわけです。
昔の漁師さんが、風を読んだり、潮に聞いてみたり。「俺の背中が泣いているから明日はしけが来る」というようなセリフは、もうAIを活用した天気予報にはかなわなくなってきてるわけです。
ディープラーニングで、人間の目よりも識別率が強くなってきてますし、人間の耳よりも聞く力が(優れている)。AIはもう人間を超えてきています。
我々もいろんな自動運転の会社に投資していますけれども、平均的な人間の運転手よりも、AIのほうが事故を起こさずに走れるようになってきました。なのでカリフォルニアやテキサスなど、いろんなところで自動運転のテスト走行の許可が政府から下りる状況にまでなってきました。
最近も高齢者の方々が、運転中にブレーキとアクセルを踏み間違えて事故を起こしたという、悲惨なニュースが流れたりしますけれども、本当に悲しいですね。でも、村にバスがあまり来ない。タクシーもなかなか来なければ、80歳でも、運転の免許証を取りあげると孤立した家庭になってしまうわけですね。
そういう高齢者の方々の足として、買い物に行く、病院に行く、薬局に行くというような時に、自動運転が目の前で使える。そういう日々が来れば、人間よりもはるかに、特に高齢者の方々よりもはるかに安全に運転ができます。
一般の人でも、いずれは普通の通勤だとか、普通の買い物には、もう自動運転を使うという時代がやってくるでしょう。
いまだにアナログな部分が残っている状況は話にならない
ディープラーニングは、いちいち人間がプログラムしなくてもどんどん自ら学習して、自ら進化していく世界でもあります。最近は「ノーコード」って、いちいちプログラミングしなくても、どんどんAIがプログラミングを自動生成するような時代にもなってきはじめているわけです。
親しい友人であるジェンスン率いるNVIDIAが、GPUの世界ナンバーワン企業です。この処理能力は5年で13倍という状況です。また、学習時間が5年で900分の1になったり、あるいは推論のコストが2年で33万分の1になったり。100万円かかっていた推論のコストが3円なんていうことが起きてるわけですね。
100万円かかると、いろんなものを推論するのにAIが高すぎて使えないことになりますが、3円だったら、社員にやらせるよりも安いわけです。ですからAIを活用できる会社と活用できない会社では、もう競争力がまったく違う。そういう時代がやってくるわけです。
ディープラーニングの進化として、3Dのモデルの生成速度も最大1,000倍程度になった。自動でプログラミングする能力もついに人間と互角になった。600を超えるタスクを実行できる汎用AIモデルも出てきた。
AIの進化は、本当に信じられないぐらい、毎日目の前で起きている状況です。ですから、もしみなさんの会社、みなさんの仕事、みなさんの日常に、いまだにアナログな部分が残っているとすれば、もうそれは話にならないということです。
すべての処理をデジタル化しなければいけない。まずデジタル化をすべての処理に施して、その上でデジタル化されたデータをどんどんディープラーニング、マシンラーニングさせて、それをAI革命として、みなさんの仕事そのものを進化させねばならない。
Occurred on 2022-07-28, Published at 2022-08-24 06:15
孫正義氏基調講演(2022年7月28日) #2 /2
EVENT
2022年07月28日〜2022年07月29日に開催
7月28日、29日にオンラインで開催された、ソフトバンク最大規模の法人向けイベント「SoftBank World 2022」。本記事では、孫正義氏の基調講演の模様を2回に分けて公開します。日本経済には「AI革命」が必要だと説く孫氏。さまざまな領域でどのようにAIが活用されているのか語られました。
スピーカー
ソフトバンクグループ株式会社 代表取締役 会長兼社長執行役員 ソフトバンク株式 会社 創業者 取締役
孫正義氏「AI革命こそが、DXの行き着く先」 競争力の低迷する日本が“デジタル化止まり”ではいけない理由
日本で最もAIを実際の毎日の業務に活用している企業として
孫正義氏:私は今、一生懸命みなさんに啓発してますけれども、我々ソフトバンクグループも当然のことながら、率先してAIを活用しています。
おそらく日本で最もAIを活用しているのは、我々ソフトバンクグループではないかと思います。ただの研究じゃなくて、日常の業務に最も活用してるグループです。
ソフトバンクのグループ企業のユーザーを見てみると、まずモバイル・ブロードバンドのユーザーが5,700万人います。ヤフーのユーザーは8,600万人います。LINEは9,200万人います。PayPayも4,900万人。
もちろん重なってるお客さまもいますが、(日本の人口の)ほとんどの方が我々グループ(のユーザーです)。ソフトバンクやヤフー、LINE、PayPayだけではなく、数百社というグループ企業が日本にいます。
圧倒的な量のデータを徹底的に活用しています。例えば通信ネットワークの最適化、あるいはサポートの品質の向上など、さまざまなものにデータを活用しながら、AI利用をどんどん促進させています。
またヤフーも当然のことながら、インターネットの最先端企業として、広告の審査の自動化、商品のレコメンド機能をどんどんレベルアップしています。よりマッチングしたレコメンデーションができたり、検索結果をより最適化したり、さまざまなことに使っております。
もちろんPayPayも、QRコードを読み取って支払いをするというサービスを提供するだけではなく、不正検知のモニタリングなどを行っています。クレジットカードだとか、その他の支払い方法に比べて、ほとんど不正が出ないところまでAI処理で行えるようになりました。また、ユーザーのさまざまなデータの予測だとかチャットサービスだとか、いろんなものの自動化にAIを活用してます。
当然LINEも我々のグループですけれども、さまざまな予約の自動受け付けだとか、問い合わせの窓口の自動化だとか、いろんなものにAIを徹底的に活用していっています。
LINEだとかヤフーの親会社であるZホールディングスは、AIの人材をさらに今後5年間で5,000人増員するという計画をすでに立てております。また、5,000億円のAI投資を行います。そういう意味では、日本で最もAIを実際の毎日の業務に活用してるのではないかと思います。
「勘と経験と度胸」に頼った在庫管理をAIで変える
私は本当に申し上げたいです。この私のスピーチを聞いてる方、また、今回のイベントでさまざまなパートナー企業の方々が「DX」についてプレゼンをされますが、本当にDXを、そしてAI化を進めてほしいと思います。
いくつかの事例を紹介したいと思います。まずAIを小売に活用する例。小売は何で失敗するかというと、在庫管理で失敗するわけですね。
売り上げが立った。お客さんが来た。でも不良在庫を抱えてしまっていて、それを償却しなければいけない。例えば用意しすぎたおにぎりとかお弁当だとか、すぐ腐っちゃうものです。
なので需要を予測しなければいけないんです。天気予報とかいろんなものとマッチングさせながら、明日の仕入れはどうしようか。明後日の仕入れはどうしようということを前もって処理しなければいけない。
こういうものにAIを活用して未来予測をしながら、在庫管理だとか調達をする。そういう事例があります。ちょっと動画を見ていただきたいと思います。
(動画再生 「サキミル」紹介)
もしかしてみなさんの会社では、いまだに「KKD」に頼って商品の仕入れを行っていませんか? KKDとは「勘と経験と度胸」です。
明日のお弁当は何個仕入れたらいいんだ。そういう時に、ベテランの仕入れ担当の人が経験だ、勘だと発注の数量を決めたりしてるケースが残ってるんじゃないかと思いますね。残っているというより、ほとんどの仕入れ担当者はいまだにそういう状況じゃないかと思います。これでは不良在庫が出て当然ですね。
不良在庫をできるだけ減らす。これは地球環境のためにも、できるだけ減らすことが必要です。生ごみとかいっぱいありますね。食べられないで捨てられた食品が、半分ぐらいあるらしいですね。それだけでも大変地球環境を汚しています。
需要予測を正しくすれば、地球環境にもいい。もちろんみなさんの会社の利益にも、当然のことながら役立つわけですね。
ですから需要予測にAIを使ってない企業は、考え方を切り替えていただきたい。切り替えないと、ロスが発生します。会社の利益のロスが出るし、地球環境にもロスが出るということです。
AIは都市そのものを変える
最先端のインフラを常に享受できる、持続可能な世界が大事です。これも動画がありますので、ちょっと見ていただきたいと思います。
(動画 「WOTA」紹介)
ほんの数日前にもニュースがありましたね。インドのどこかの州の首相が、今水不足だけど我が町の水は大丈夫だと。我が町のこの川の水は十分きれいだと言いながら、川の水を記者の前で飲んで見せたら、腹痛を起こしてそのまま病院に運ばれたと。
ここの水は安全だ、大丈夫だと命がけで証明しようとして、かえって逆効果になってしまったなんていう話がありました。
これはもう徹底的にDXすべきことであり、またDXすることによって、次の命令セットがどんどん回って、どんどんAI化でデータが処理されて。だからこうしなければいけない、ああしなければいけないという意思決定がなされるようになるんですね。
AIは都市そのものを変えます。あらゆるDXで街全体がつながって、街全体に、1つのOSで構成されたオペレーションがなされるように、これからはなっていきます。こちらもちょっと動画を見ていただきたいと思います。
(動画再生)
会社とかその自治体だけの、縦のデータを持っていても、本当の意味では生きてこないわけです。データのやりとりがなされるようになって、より複合的に処理することによって、より的確な未来が予測できるようになります。
もし信号機がすべてAIのネットワークにつながったら
例えばいまだに必要のない交通渋滞があちこちに発生してるわけですね。例えば、もし信号機がすべてAIのネットワークにつながったらどうなるか。
例えば横に走ってる道路と縦に走ってる道路があって、横に走ってる道路はたくさん車が渋滞してると。縦に走ってる道路は、ぜんぜんがらがらで車が走ってないと。
にもかかわらず、信号機は決まった時間に、この横の信号機を赤にするわけですね。何分に1回、黄色にして赤にすると。それからしばらくして何分に1回青になると。決められた時間の刻みで、赤と黄色と青が変わっていくと。
こちらの縦の線には車なんて来てないのに、なんで縦の線を青にして、渋滞してる側の横の線を赤にするんだと。間違ってるでしょうと。間違ってるのに、機械的に決められたルールにしたがって、時間刻みで信号の色を変えるんです。誰がそんなことを決めたんだと。
混雑してるという状況は刻々と変わるわけですね。天気によっても変わるし、サッカーの試合があるとか、コンサートがあるとか、そういうイベントによっても混み具合はリアルタイムで刻々と変わるわけです。
ですから、縦と横の網が碁盤の目のようになった全体地図を見て、全体最適で、1番トラフィックが渋滞しにくいようなかたちで、信号の色をリアルタイムで処理する。そうすると、渋滞はおそらく半分ぐらい減るはずなんです。
渋滞している時に、CO2や排気ガスがどんどん発生するわけです。だから地球環境のためにも、よりスマートな都市にしなければいけない。AIを搭載してない信号機は全部なくして、すべての信号機をAIにつないで、AIで処理して意思決定する。
信号の色はAIで、リアルタイムで刻々と変えていく。人間がいちいち命令するとか、機械が決まった時間にどういうルールでやるなんていうのは、もうまったく古いやり方です。
サッカーのイベントがあるとか、天気予報がこうなってるとか、どこどこのGPSの車の動きがどうなってるという、全部のデータを網羅して連携しながら、都市のOSとして、都市全体をスマート都市にしなきゃいけないということです。
世界最先端のAI企業の3分の1の株主であるソフトバンクグループ
我々は社会を変えたい。ソフトバンクグループでも、各企業がAIをガンガン使っています。でも、日本は世界に比べて遅れています。世界はもっと進んでます。世界の進んだAIのユニコーン企業(※急成長中の候補企業含む)が、だいたい1,500社ぐらいあります。
この最先端の、空を飛んでいくようなユニコーン企業の1,500社のうち、約3分の1の470社超は、我々ソフトバンクグループのビジョン・ファンドが株主になってます。ほとんどの場合が筆頭株主か、それに近いポジションです。
世界最先端のAI企業の3分の1が我々のグループで、もう私は毎日のようにAI、AIって言って、いろんな企業のユニコーンの経営者からプレゼンを受けております。
そう来るのか、そんなことをやるのかという、驚くような話の連続です。これらの世界中のAIユニコーンの英知を、我々ソフトバンクグループのヤフーだとか、LINEだとか、ソフトバンク、Arm、PayPayなど、いろんな会社に持ち込んで、日本そのもののAIを進化させていきたい。それが我々の責務だと思っています。
ファックスをメモして電話で読み上げるなんて遅れてます。ファックスをEメールに変えたからDXだとは言えません。それは芋虫がさなぎになった程度だと。その程度で満足してはいけない。それをDXと呼ぶなということです。
私は10代の時にカリフォルニア大学のバークレー校で、Eメールを毎日使ってましたからね。もう50年前ですよ。
アメリカでEメールを毎日のように使ってたから、Eメールが大事だということは体で知っています。だから真っ先に我々が、日本でもEメールを社内に導入しました。
でもEメールにしたぐらいでは、もうまったくDXではないと。さらにデータをクラウド化して、マシンラーニング、ディープラーニングさせて、AI化させていくんだと。
日本のDNAはもともと「ハイテク国家」である
みなさん、日本のDNAはもともと「ハイテク国家」なんです。「電子立国」といって、日本は世界ナンバーワンのハイテク国家だったんです。
ですから日本の未来のためには、今、私が口から泡を飛ばしてるように、金融も医療も教育もモビリティも、ありとあらゆるものを、工場も全部ロボット化しなければいけない。(ロボット化と言っても)単にアナログ的なロボットが、ただガッチャンガッチャン、同じ時間に同じスピードでやっているのは、メカトロニクスにしただけです。
そのロボットにAIを搭載させて、目や耳を工場の中のロボットに入れて、それを自動的に連携させるんです。需要の多い時、少ない時に、いろいろ連携しあう。工場全体が無人化工場になるべきですね。これは本来、日本の得意なところのはずなんです。
すばらしいテクノロジーのDNAが、日本のビジネスパーソン、日本のエンジニアにはあります。今こそそのDNAを目覚めさせて、毎日のようにAIを使って、日本を最先端のDX国家、カンパニー群にすること。それを世界中に、日本から発信する。そうしなければいけないと私は思ってます。
我々ソフトバンクグループのZホールディングスだけでも5,000億円のAI投資をし、我々グループ全体を足すと、もっと多くのAI人材にもっと大きな予算をかけてやっております。
ただし、我々だけではもちろんだめなんです。我々も率先してやりますけども、日本のすべてのビジネスパーソン、すべてのエンジニア、あるいは教育者が、この「DX」に目覚め、AIに目覚めてほしい。芋虫のまま、さなぎのままでいないで、美しい美しい蝶になって、大空を羽ばたき駆け巡る。そうなってほしいと思います。
すべては情報革命で、人々に笑顔を、人々に幸せを提供するために、AIを活用していきたい、DXを行っていきたいと思います。我々もがんばります。みなさんも一緒にがんばりましょう。
いつからやるんですか? 今でしょ! ......って、誰かが言ってましたね。やりましょう、今から。よろしくお願いします。ありがとうございました。
Occurred on 2022-07-28, Published at 2022-08-25 06:15
ジェンスン・フアン
26の言語版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jen-Hsun Huang
黃仁勳
フアン(2014年10月)
アメリカ合衆国出身校オレゴン州立大学
スタンフォード大学職業共同設立者、社長、CEO(Nvidia)給料2460万USドル(2007)[1]純資産45億USドル (March 2017)[2]配偶者ロリ・フアン子供2テンプレートを表示
ジェンスン・フアン各種表記繁体字:黃仁勳簡体字:黄仁勋拼音:Huáng Rénxūn通用拼音:Huang2 Jen2-hsün1発音転記:ファンジェンスン英語名:Jen-Hsun Huangテンプレートを表示
ジェンスン・フアン(Jen-Hsun "Jensen" Huang、中国語:黃仁勳、拼音: Huáng Rénxūn、1963年2月17日 - )は、台湾系アメリカ人の起業家、実業家。グラフィック・プロセッサ会社のNVIDIAを共同設立し、社長兼CEOを務めている。
2008年のフォーブズによると、アメリカのCEOの中で61番目に給料の高い人物である[3]。
若年期[編集]
台湾の台南市生まれ[4]。ケンタッキー州オネイダに移住し、その後オレゴン州に移った。ポートランドのアロア高等学校卒[5]。
1984年にオレゴン州立大学で電気工学の学士号を、1992年にスタンフォード大学で電気工学の修士号を取得した[6]。
経歴[編集]
Computex Taipeiにおけるジェンスン・フアン
大学卒業後、LSIロジックのSun Microsystemsを担当するDirector of Sales及びAdvanced Micro Devices, Inc. (AMD)でマイクロプロセッサの設計者となった[7]。1993年の30歳の誕生日である2月17日に[8]、Nvidiaを共同設立し、現在に至るまでCEO兼社長を務めている。2016年時点で、約13億アメリカドル相当のNvidia株を保有している[9]。2007年にCEOとして2460万ドルを稼ぎ、フォーブズ誌のアメリカの高額CEOランキングの61位につけた。
慈善活動[編集]
自身の母校であるスタンフォード大学に3000万ドルを寄贈し、ジェンスン・フアン・スクール・オブ・エンジニアリング・センターを建設した[10]。この建物はスタンフォード大学の Science and Engineering Quadを構成する4つの建物のうちの2番目のものである[11]。オレゴン州ポートランドのBoora Architectsにより設計された。
企業及び世界に対する慈善活動の両方の業績により、2007年にSilicon Valley Education FoundationのPioneer Business Leader Awardを受賞した。
受賞歴[編集]
アーンスト・アンド・ヤングにより、1999年にEntrepreneur of the Year in High Technology(高度技術におけるその年の起業家)に選出された。
2003年、Fabless Semiconductor AssociationのDr. Morris Chang Exemplary Leadership Awardを受賞した。これはファブレス半導体業界の発展、革新、成長及び長期的機会を促進する特別な貢献をした人物として認めるものである。2003年のNational Finalist for the EY Entrepreneur of the Year Award、1999年のAward Recipient for the Northern California regionも受賞している[12]。
さらに、南カリフォルニア大学のDaniel J. Epstein Engineering Management Awardの受賞者でもあり、オレゴン州立大学の同窓会フェローにも選ばれている。
2009年6月13日の式において、オレゴン州立大学から名誉博士号を授与された[13]。
2020年、IEEEファウンダーズメダルを受賞。
私生活[編集]
オレゴン州立大学時代に、当時研究室の同僚で現在の妻ロリと出会っている。2人の子供がいる[14]。
記者会見や講演では黒い革のジャンパーを着ることが多く、トレードマークとなっている[15]。
AMD社長兼CEOのリサ・スーは遠縁にあたる[17][疑問点 – ノート]。スーの母方の祖父とフアンの母が兄妹である[18][19]。
出典[編集]
^ “#111 Jen-Hsun Huang - Forbes.com”. 2015年8月6日閲覧。
^ “Jen-Hsun Huang”. Forbes. 2017年3月3日閲覧。
^ CEO Compensation. Forbes. Retrieved on June 2, 2008. During the economic downturn, 2008 through 2010, Jensen voluntarily reduced his salary to $1.
^ Rogoway, Mike. NVIDIA v. Intel: Rivalry heating up. The Silicon Forest Blog, The Oregonian, June 02, 2008. Retrieved on June 02, 2008.
^ #61 Jensen Huang. Forbes. Retrieved on June 2, 2008.
^ NVIDIA Newsroom. “Jensen Huang”. NVIDIA Newsroom Newsroom. 2015年8月6日閲覧。
^ “Pop In Video Gaming Pushes Nvidia CEO To Billionaire Heights”. 2016年8月31日閲覧。
^ “Alumnus, NVIDIA founder pledges $30 million for campus engineering center”. Stanford University. 2015年8月6日閲覧。
^ “Jen-Hsun Huang Engineering Center”. 2015年9月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月6日閲覧。
^ "NVIDIA President and CEO Honored by Ernst & Young LLP." Press Release. N.p., 29 June 1999. Web. 10 Apr. 2015. <http://www.nvidia.com/object/IO_20020109_5714.html>.
^ “OSU to award 4,680 degrees this week in commencements at Corvallis, Bend”. Oregon State University. (2009年6月9日)
^ “This Man Is Leading an AI Revolution in Silicon Valley—And He’s Just Getting Started” (英語). Fortune. 2021年4月15日閲覧。
^ “「AI半導体」NVIDIA、時価総額1兆ドルが示す新産業図”. 日本経済新聞 (2023年5月31日). 2023年5月31日閲覧。
^ 株式会社インプレス (2021年4月14日). “NVIDIA ジェンスン・フアンCEO、対話型AIサービス「Jarvis」で「じゃんがらラーメン」を探すデモ”. Car Watch. 2021年4月15日閲覧。
^ “NVIDIAのジェンスン・フアンCEOとAMDのリサ・スーCEOは実は親戚同士”. GIGAZINE. 2021年4月5日閲覧。
^ “台南四百最大榮光 黃仁勳蘇姿丰各寫傳奇 | 中華日報|中華新聞雲”. China Daily News (2023年6月1日). 2023年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月9日閲覧。
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外部リンク[編集]
"An Interview with Jen Hsun Huang". Wired July 2002. Volume 10, Number 7
“GPU Technology Conference 2015 - Leaps in Visual Computing” (2015年). 2015年3月26日閲覧。
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ソフトウェア
技術
Scalable Link Interface (SLI)
Surround
GPUマイクロ
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起業家と信念・情熱を共有する戦友であり、指南役たる存在
ベンチャーキャピタリスト十ニ訓
一、
優秀な人材のいる場所、時間、きっかけを探せ。
そこに何度でも通って、一人一人と、仕事ではなく、しっかりと友人になれ。
やがて自分自身が、人材の集まる場となる。
二、
人との出会いは、全てがファン作りの機会。
自身の持っている経験や知識を、相手の立場に立って惜しみ無く差し出せ。
三、
投資する会社を探すな、投資するテーマを探せ。
それから適切な経営チームを探せ。
無ければコンバートを試みるべし。
そこが腕の見せどころ。
四、
お金を売るな、自分を売れ。
経営者から、投資・経営参画してほしい、と先に言われて、初めて上等。
五、
ベンチャーは、不確実性の塊だ。
出来ない理由を語れる人は、数多くいる。
その時こそ、自身がビジョン、戦略、経営者を信じきれるか今一度反芻せよ。
究極のリアリストであり、ロマンチストであれ。
不安を感じるところから動き出す一歩に、あなたの進化が始まる。
六、
経営陣に対し、評論家然、投資家然とした態度で臨んではならない。
中長期を見据え、功を急がず、燦然と進むべき方向を指し示す北極星のごとき存在であれ。
七、
最先端の経営知が、日々ベンチャーが直面する課題とトライ&エラーの中で生まれている。
経営支援は、決して机上では学べない。
あなたは、数多くの優秀な経営陣とその最前線を共有し、ベストプラクティスのハブになれ。
八、
ベンチャーは、逆境の塊だ。だが、困難は進化の礎。
嵐にあってこそ、より迅速に動き、泰然自若、笑顔を忘れるな。
それが、皆の勇気につながる。
九、
誰にでも、撤退すべき時は必ずある。
最悪なのは、ものごとにこだわりすぎ、致命傷になるまで深追いしてしまうことだ。
撤退する時は、全速力で。
そしてその失敗を、必ず次の糧とせよ。
十、
経営者にとって、投資家の言葉は重く鋭き斧。
厳しきことを言う時こそ、一呼吸置き、相手の心相を汲む優しさを忘れるな。
十一、
Exitでは、天時・地利が不可欠である。それに備え、見極めよ。
ただし、遂行においての最重要は人和となる。
くれぐれも人事を尽くし、ことあらば人の痛みを引き受けよ。
十二、
時を経て、一旦の成功を為し得た時、かつての夢見る若き起業家は、先進の経営者に、新卒だった若者は頼もしいマネージャーとなっていることに、あなたは気付き、そして共に喜びを分かちあうだろう。
その永かった道程に、あなたは真の報酬を見出だす。
リーマンショック後、日本だけが技術開発投資を回復しなかった!(後編)
2020-07-08 11:00:24
テーマ:
前回は、半導体産業のうちDRAM(ディーラム;Dynamic Random Access Memory)に係る部分についての話をしました。今回は、同じ記録用半導体の中でも東芝を半導体メーカーとして長らく生き延びさせたフラッシュメモリについての話です。もう少し正確にいうと、NAND型フラッシュメモリについてです。
【画像出展:Wikipedia File:USB flash drive.JPG;Uploaded by User:Nrbelex】
先ず、“フラッシュメモリ”です。これは舛岡の命名によるものですが、一旦記録したデータを写真のフラッシュが光るように瞬時に消せるという発想だそうです。
次に厄介なのは、NOR型とNAND型です。これをきちんと説明した資料に私はついに出会えませんでした。舛岡の書いた説明文も読んでみましたが、そこにもNORとNANDの言葉についての説明はありません。
しかしこの舛岡の重大な発明は、東芝が社を挙げて推進したものではありませんでした。
しかし、それが、日本の産業界から”イノベーション”を排除し、そして日本の産業界全体の沈滞、さらには崩壊を招いているのだ、ということを理解しなければならない、と思います。
しかしそれでもなお、20世紀末の東芝に舛岡や竹内がいて、東芝が社としてフラッシュメモリ得たことは、重大でした。
舛岡は、「インテルが最初にその可能性に気付き、さらにサムスンが続いた」と証言しています。自社の経営者より外国企業の方がその意味をより早く、より正確に理解した、というのです。
出典:Gartner Dataquest CorpがHP上に公表しているデータを素に作成。
但し、インテルは記録用ではなくより高度の技術を要する演算用半導体、CPU、を主に生産しているので、記録用半導体生産を主としているサムスンとは市場を棲み分けていることになります。
【画像出展:Wikipedia(東芝ロゴマーク)、(東芝本社ビル)、(サムスン電子ロゴマーク)、、Author:Oscar Anderson(サムスン電子本社ビル)】
【画像出展:Wikipedia File:Nasdaq Composite dot-com bubble.svg】
#リーマンショック後の日本経済#リーマンショック後の半導体産業#フラッシュメモリ#NAND型フラッシュメモリ#舛岡富士雄#東芝とサムスン#日本の半導体産業の崩壊#中村修二#日亜化学工業#東芝の半導体部門の売却
オニールの成長株発掘法【CAN SLIM】とは
CANSLIMとは
CANSLIMとは
CANSLIMは、ウィリアム・オニール氏がオニールの成長株発掘法の中で述べている投資法です。
実際に何十倍にも大化けした約1000銘柄を詳細に分析して開発したものであり、この手法によってオニール自身のみならず多くの億万長者を生み出しました。
CAN SLIMの意味
「CAN SLIM」は、銘柄選定で重要となる7項目の頭文字のことです。
C = Current Quarterly Earnings (当期利益は良いか)
A = Annual Earnings Increases(通年の利益は良いか)
N = New product or service(新製品・新サービスを出しているか)
S = Supply and Demand(その銘柄の需給関係は良いか)
L = Leader or Laggard?(その銘柄は主導銘柄か、停滞銘柄か)
I = Institutional Sponsorship(機関投資家に好まれているか)
M = Market Direction(市場の方向性を見極められるか)
ウィリアム・オニール氏とは
ウィリアム・オニールはウォーレン・バフェットとほぼ同世代で、アメリカを代表する投資家の一人です。 保有資産が2億ドルを超えるニュー・USA・ミューチュアルファンドを創設した他、「インベスターズ・ビジネス・デイリー」の創立者でもあります。 オニールの投資戦略は「数ヵ月から2年程で、数倍~数十倍となる成長株を狙う」というものであり、その独自の投資法は「CAN SLIM(キャンスリム)」と名付けられています。
それでは、CAN SLIMについて詳しく解説していきます。
【C】= Current Quarterly Earnings
当期四半期のEPS(1株当たり利益)と売り上げという意味です。
EPS = 純利益 ÷ 発行済株式数
EPSが少なくとも18〜20%、できれば40〜100%、あるいは200%以上、上昇していることが好ましいです。
上昇率は大きいほど良いですが、さらに最近の四半期のどこかの時点で、加速度を増して上昇していることが必須とされています。同様に、四半期売り上げも加速度を増して上昇しているか、25%以上、上昇していることが良いです。
純利益が増えても、発行済株式数が増えてしまえば1株あたりの利益が下がります。
利益ではなく、必ずEPSで判断することが重要です。
企業のEPSは、季節性による変動の影響を排除するために、直前の四半期ではなく前年の同期四半期と比べます。
EPSはとても重要な指標ですが、同時に売り上げの増加も注目すべき指標です。
売り上げが直前の四半期に少なくとも25%以上増加しているか、あるいは売り上げ増加率が直近3四半期で加速していることが最低条件です。売り上げと収益の両方が過去3四半期で急速に伸び出した銘柄は、特に注目です。
四半期のEPS増加率の上昇している銘柄を確認することも重要ですが、EPS増加率が失速し始めている銘柄や、著しく減少した銘柄を確認することも同じくらい重要です。
どんなに優れた企業でも、一時的に業績が振るわないことはあります。
そこで企業のEPSが悪化したと判断するのは、2四半期連続で著しく数字が減少したことを確認してからでもよいでしょう。
【A】= Annual Earnings Increases
年間の収益増加率という意味です。
ROE(%)= 当期純利益 ÷ 自己資本 × 100
過去3年間、毎年大きな収益増加(25%以上)を続け、ROE(株主資本利益率)は17%以上(理想は25〜50%)であることを条件としています。
ROEが低すぎる場合は、税引き前利益が高いことが必須です。
3年連続でEPSが上昇している銘柄が投資候補となります。
2年目にEPSが下落し、3年目で最高値を更新したような場合でも投資対象からは除外します。
直近の数四半期でEPSの増加を示していること、および数年で着実に成功している記録があること、この両方がそろって初めて大化け銘柄が生まれます。
年間のデータで見るべきところは、EPSの他にもいくつかあって、その1つがROEです。
われわれは研究を通して、過去50年間で急成長を遂げたほぼ全ての銘柄が、最低でも17%のROEを示していたことを突き止めました。
ROE17%以上の日本企業はわずかです。
銘柄選択で最も重要視するべきなのはPERではなく、EPSの変化率が著しく増加しているか減少しているかです。
【N】= New Products, New Management, New Highs
新製品、新経営陣、新高値という意味です。
新製品や新サービス、新経営陣、あるいは産業状況に見られた新たな変化などを探します。
何よりも重要なのは正しく形成されたベースから抜け出て、新高値を付け始めた銘柄を買うこととしています。
新たな変化の例
シンテックス…経口避妊薬(ピル)の販売を開始
マクドナルド…低価格のファストフード店をフランチャイズ化
マイクロソフト…ウィンドウズという確信的なOSで家庭パソコン市場を支配
株の絶好の買い場は「強気相場」で、株価がベースから上へブレイクアウトした時です。
もみ合い、その後に新高値をつけた瞬間が絶好の買い場です。
【S】= Supply and Demand
株式の需要と供給という意味です。
現代のニューエコノミーにおいては、総資本の規模に制限はないです。
ただ、CAN-SLIMのすべてのルールに適合していることが必須条件です。適切に形成されたベースから抜け出るときに出来高が増加する銘柄を探します。
発行済み株式数が50億株もあるような銘柄は、供給量が多すぎるため、なかなか株価が動きません。
これらの株を大きく上昇させるには、多くの買いの出来高、つまり需要が必要となります。
一方で、発行済み株式数が5000万株ほどの比較的供給量の少ない銘柄であれば、ある程度の買いの出来高で株価を押し上げることができます。
経営陣が保有している株式の割合が大きいと(大企業だったら最低1〜3%、中小企業なら3%以上)、株の値動きが経営陣自らの利害につながるため、企業としての株価上昇に対する努力が期待できます。つまり、良い候補銘柄となります。
大企業の経営陣が自社株を大量に保有しているということではないです。
これは重大な欠陥であり、大企業が正すべき努力課題です。
自社株を買うという行為は流通する株式数を減らすだけでなく、企業が今後の売り上げや収益の改善を見込んでいることを暗示しています。
基本的に新しい強気相場が来たタイミングで初めて株式分割を行うとポジティブに作用する傾向があります。
ただし分割のしすぎには注意が必要で、株式分割を何度も行うと、逆に売り手が増えてしまうケースがあります。
株式の需要と供給を知るには毎日、出来高をチェックすることが必要です。
株価が揉み合いからブレイクアウトするときに、出来高は少なくとも通常時の40〜50%以上になることが望ましいです。
日足チャートや週足チャートは株価の出来高の動きを分析したり解釈するのに役に立ちます。
【L】= Leader or Laggard
主導銘柄か、停滞銘柄かという意味です。
マーケットを牽引する主導銘柄を買い、停滞銘柄は避けるということです。特定の分野や地域で首位を取る企業の株を買います。
ほとんどの主導株は、レラティブストレングス指数が80〜90以上、総合評価も強気相場なら90以上になります。
業界における上位1〜3銘柄は、残りの企業がまったく振るわないときでも、信じられないような成長を見せることがあります。
上位企業とは、規模が最大であるとか、だれもが知っているブランドという意味ではないです。
最高の四半期EPS(一株あたり収益)増加率および年間EPSの増加を示し、ROE(株主資本利益率)も最大で利益率や売上増加率が、ずば抜けていて株価の動きも活発な企業のことです。
主導銘柄を見分けるために活用できるのがレラティブストレングスです。
レラティブストレングス指数とは『インベスターズ・ビジネス・デイリー』紙が独自に開発した評価法で、ある程度の銘柄の値動きを市場の残りの値動きとで、過去52週間にわたり比較します。
優良と呼ばれる銘柄でも下落中には買わず、さらに7〜8%下落したところで損切りすることを私は勧めています。
どのような株が、どのような動きをするのかはだれにも分からないのです。
苦労して稼いだ資金を温存するルールを持たなければなりません。人間は誰だって間違える時はあります。
【I】= Institutional Sponsorship
機関投資家による保有という意味です。
機関投資家による買いの出来高が増加している銘柄を買うこと、そして少なくとも最近の投資成績がトップの投資信託マネージャー1〜2人が買っている銘柄を選ぶことが重要です。
さらに、経営陣が自社株を所有している企業を探すと良いでしょう。
株価を押し上げるには大きな需要が必要です。株式市場において最大の需要源となるのは間違いなく機関投資家です。
プロの投資家が保有しないような株は、株価の動きも平凡に終わる可能性が高いです。
買いを検討している銘柄は何社の機関投資家によって保有されているかだけでなく、最近の数四半期でその銘柄を保有する機関投資家の数が着実に増加しているか、そして最も重要な点は、直近の四半期で株主が著しく増加しているかです。
直近の四半期に機関投資家が新たに買ったポジションの方が、既存のポジションよりも重要です。
平均以上の成績を出している機関が少なくとも数社は保有していて、最近の四半期で機関による購入が増えた銘柄を探します。
【M】= Market Direction
株式市場の方向という意味です。
日々の平均株価と出来高の動き、および個々の主導銘柄の動きを正確に読み取り、マーケット全体の方向性を判断する方法を学ぶことはとても重要です。
これにより勝ち組に入れるか、それとも負け組で終わるのかが決まります。
常にマーケットの動きを把握することが大切です。
マーケットを知らずして利益を出すことはできません。
マーケットの方向性を判断する最善の方法は、主要な平均株価3〜4種類の日足チャートで価格と出来高が日々どのように変化しているかを注意深く観察し続けて、チャートの示すマーケットの方向を読み取ることです。
アメリカ株では、S&P500やNYダウ、ナスダック総合指数などが該当します。
日本株であれば、日経平均株価やTOPIX、マザーズ指数などが該当します。
マーケットが天井や底を付けることを見極められるようになれば、投資という複雑な勝負の半分を制したことになります。
そして景気サイクルに注目するべきです。これまでのサイクルが3〜4年程だったとしても、将来にわたり同じ期間のサイクルが続くという保証はありません。
天井を打つ直前での大量売りは、通常なら4〜5週間に3〜5日起こります。
つまり、売り抜けは、市場がまだ上昇している中で起こるのです。
これこそが、売り抜けを見極められる投資家が極端に少ない理由の1つです。
4週間〜5週間で明確な売り抜けが4〜5日あると、その後の株式市場ではほぼ必ず下落が始まります。
クライナー・パーキンス・コーフィールド・アンド・バイヤーズ
7の言語版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クライナー・パーキンス
Kleiner Perkins
カリフォルニア州メンローパーク設立1972年 (52年前)業種ベンチャーキャピタル代表者ジョン・ドーア(会長)関係する人物ユージーン・クライナー(創業者)
トム・パーキンス(創業者)
フランク・コーフィールド(創業者)
ブルック・バイヤーズ(創業者)
ジョン・ドーア(創業者)
ビル・ジョイ(パートナー)外部リンク公式ウェブサイトテンプレートを表示
クライナー・パーキンス(英語: Kleiner Perkins) は、カリフォルニア州メンローパークに本部を置くアメリカ合衆国のベンチャーキャピタル。以前の社名であるクライナー・パーキンス・コーフィールド・アンド・バイヤーズ(KPCB)としても知られる。以前の社名は4人の代表社員ユージン・クライナー、トム・パーキンス、フランク・コーフィールド、ブルック・バイヤーズらの名前に由来する。
歴史[編集]
クライナー・パーキンス・コーフィールド・アンド・バイヤーズ(以下KPCB)は1972年に設立された。その頃、ほとんどのベンチャーキャピタルの創設者が財政資格を持っていたのに対し、KPCB の創設者は彼らの産業経験によって特徴づけられた。クライナーはフェアチャイルドセミコンダクターの創設者であり、パーキンスはヒューレット・パッカードの初期のコンピュータ事業部のリーダーの1人だった。
Amazon.com、AOL、コンパック、エレクトロニック・アーツ、Google、ロータス・デベロップメント、マクロメディア、ネットスケープコミュニケーションズ、セグウェイ、サン・マイクロシステムズ、タンデムコンピューターズ、ジンガ等々、KPCB は300社以上の情報技術・バイオテクノロジー会社に出資してきた。
パートナーにジョン・ドーア、ブルック・バイヤーズがいる。2005年1月、ビル・ジョイはパートナーに任命された。同年7月、元アメリカ合衆国国務長官コリン・パウエルは新設された戦略的有限責任組合員 (Strategic Limited Partner) として会社に加わった。さらに2007年11月12日、アル・ゴア前副大統領を代替エネルギー投資担当のパートナーに迎えた。2008年には元サン・マイクロシステムズ副社長ジョン・ゲージがパートナーに加わった。
主な投資先[編集]
外部リンク[編集]
カテゴリ:
第132期決算公告
(単位:円)
決算末日: 2023年09月30日
2023年
前年同期比
売上高
-
0%
利益余剰金
90億904万
5.12%
純利益
4億5338万
-24.96%
株主資本
91億7743万
5.02%
総負債
36億7354万
-
総資産
128億5097万
0.65%
過去の決算
(単位:円)
年
売上高
-
-
-
-
-
-
営業利益
-
-
-
-
-
-
経常利益
-
-
-
-
-
-
純利益
4億5338万
6億417万
9億6327万
5億5927万
4億3078万
8億2420万
株主資本
91億7743万
87億3860万
81億4899万
72億610万
66億9021万
62億7664万
総負債
36億7354万
40億2979万
44億1485万
47億271万
48億4633万
55億3618万
利益余剰金
90億904万
85億7021万
79億8060万
70億3771万
64億9563万
60億8205万
首位は断トツ「世界鉄鋼メーカー」ランキング日本製鉄の巨額買収で序列はどこまで変わるか
山田 雄大 : 東洋経済 コラムニスト 著者フォロー
2023/12/22 5:00
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「鉄は国家なり」といわれた時代は遠くなった。とはいえ、鉄鋼業が多くの産業の基礎であることに変わりはない(編集部撮影)
日本製鉄が12月18日に発表した2兆円の買収。同社にとって過去最大の案件で、狙いをつけた相手はアメリカの老舗であるUSスチールだった。
全米鉄鋼労働組合(USW)が日本製鉄による買収を非難する声明を出すなど、無事に買収を完了できるかはまだわからないが、この買収が成立すれば、日本製鉄は世界の鉄鋼業界でどんな立ち位置になるのか。
世界の「トップ3」に入る
日本製鉄の粗鋼生産量(2022年)は4437万トンと、グローバルで見ると世界4位だ。一方、USスチールは1449万トンなので単純合算すると、中国の鞍山鋼鉄集団を抜いて「世界トップ3」の一角に食いこむ。
ただし、1位の中国宝武鋼鉄集団は粗鋼生産量が1億トンを超えており、その存在感が際立っている。宝武を筆頭に中国勢がトップ10内にひしめいており、世界の鉄鋼市況はこの中国勢の一挙手一投足が左右する。
中国の生産量は日本の10倍以上
中国は今や世界の粗鋼生産量の5割を超えるシェアを持っている。1990年代半ばまで粗鋼生産で世界一を誇ったのは日本だった。徐々に台頭してきた中国は1996年に日本を追い抜き、2000年代には生産量を激増させた。
足元では、2022年の日本の粗鋼生産量は約9000万トンに対し、中国は10億トンを超えている。その生産量は日本の10倍以上だ。
インド、アメリカに目を向けるのは必然
粗鋼生産量でみると日本は中国、インドに次ぐ3位だが、自国での消費量(生産量+輸入量-輸出量)でみるとその風景は変わる。中国トップは揺るぎないが、インド、アメリカと続く。
インドは人口当たり鋼材使用量が日本の約5分の1、中国の約8分の1しかなく、今後の成長余力が大きい。アメリカの需要は先進国で最大となる年間約1億トンあるのに対し、同国内の粗鋼生産量は8000万トン台と需給がタイトだ。
一方、日本は約9000万トンの生産に対し、内需は約5500万トン。つまり輸出に依存している。日本の輸出の中心となるアジア市場は、中国からの輸出の多寡で市況が乱高下する。しかも、少子高齢化で内需は一段と縮んでいく。
日本製鉄は2019年には欧州アルセロール・ミタルとの合弁でインド5位の鉄鋼大手を7700億円で買収。そして今回、USスチール買収を発表した。日本国内の鉄鋼事業では利益成長が見込めないだけに、次の一手が海外になることは自然な流れだろう。
ランチェスター経営戦略で市場シェアはなぜ大切?中小零細企業向けのマーケット占有率の調べ方
こんにちは、ワードメーカー株式会社の代表、狩生です。
ランチェスター戦略を勉強していると、シェアについての話がよく出てくると思います。ですが、そこで疑問が生じるのではないでしょうか。
「なんでシェアが大事なのか?」
「そもそもシェアってどう測るのか?」
「中小零細企業がシェアを掴むためには、何を見ればよいのか?」
今日はこんなランチェスターとシェアにまつわる問題についてみていきたいと思います。
なぜシェアが大事なの?
ランチェスターを語る上で外せないのが、シェアという概念です。
でも、なぜシェアが大事なのでしょうか。
シェア1位を目指す理由は簡単です。
シェア1位になると、最も利益性が高くなるからです。
これはきちんとデータで裏付けがされています。ですから、会社を利益体質にしたいと思ったら、市場シェアを上げる必要があるのです。
売上が大きいからスゴイ…わけではない
「ウチの会社はおかげさまで年商●億で…」と売上の規模の自慢をする方が時々いらっしゃいますが、大切なのは売上ではなく、どれだけ一人あたりの利益があるかです。
利益を出した後、税金を支払った残りが”会社の体力”として将来に渡って残るので、会社を存続させ続けるためには、効果的に利益の積み上げていかなければなりません。
ですから、売上は大きいのに利益が出せていない会社というのは、図体ばかり大きくて何も残せていない…極めて不健康な状態と言えます。
従業員数が多いと、大きく見えますので、一人あたりで割ってみるとわかりやすいです。
反対に、規模で見れば中小零細企業と言えども、毎期しっかりと利益を出すことを続けていれば、自ずと優良企業になれます。蓄積されていくからです。
もし会社の目標を売上ベースで考えているという方は、どれだけ残っているか?という視点でも考えるようにしてください。
そして、利益性をよくするためにはシェア1位になることが欠かせないのです。
シェア1位になると、実際どうなるのか?
シェア1位になれば、○○と言えば、■■という状態になれます。
例えば…
カップラーメンと言えば、日清
スナック菓子と言えば、カルビー
宅配便と言えば、ヤマト
○○と言えば…と言われただけで、誰もが思い浮かべることができる。こんな状態になれるのが、シェア1位の特権です。
そして、シェアと利益というのには相関関係があります。
シェア1位の会社は筋肉質な会社になっています。
上場企業のデータを見ると分かる、シェア1位のすごさ
上場企業の場合、会社の情報が公開されているので簡単に調べることができますよね。
ランチェスター経営では会社の利益を比較する際、よく「従業員一人あたりの経常利益」という指標を使います。
シェア1位の会社の従業員一人あたり経常利益は、シェア2位~4位の会社と比較すると平均して3~6倍も多いと言われています。
当然、シェア1位の企業にお勤めの方が、2位以下の企業の3~6倍も多く働いているわけではありません。倍ということすらないですよね。だいたい1日8時間+残業といったところなので、マンパワー的にはあまり違いがないはずです。
社員は同じだけ働いているのに、シェア1位かそうでないかで、その利益性には大きな差がついてしまう…
この3~6倍という数字を見ると、誰しもがシェア1位になりたい、ならなければという思いが強くなると思います。
中小零細企業の1位の目指し方
シェア1位になりたいと思っても、「車市場」「ビール市場」といった大きなマーケットの中で1位を目指すことを中小企業がやろうとするのは、あまりに無理がありますよね。
でも、「全体市場」ではなく「特定市場」で1位になればいいのです。
具体的には、「○○市××区の水道工事」、「△△駅前の学習塾」といった具合にエリア、業種、ターゲットの年齢層など細かく分けた特定市場で1位を目指せばよいのです。
たとえば、私の出身地(大分県中津市)の場合…
私は、子供の頃からラーメンと言えば「宝来軒」というお店に行くのが当たり前でした。
大分県中津市に当時4~5店あるチェーン店だったのですが、子供の頃はてっきり「宝来軒」は全国にあるものだと思っていました。
ですから、ずいぶん大きくなってから他人に「宝来軒」と言っても分かってもらえないことで、初めて「宝来軒」が全国ブランドではないことを知りました。
本当に無知でした(笑)
実際には「宝来軒」は、全国ブランドどころか大分県全域で強いというほどですらなく、単に中津発祥で中津市に多いだけだったのです。
それでも、中津市民にとっては「ラーメンと言えば宝来軒」なので、中津市のラーメン店市場においてシェア1位、特定市場では大成功を収めていたというわけです。
中小零細企業はどうやってシェアを測るのか?
上場企業や、統計が発表されているような大きな市場、例えばコンビニ業界とか家電業界といったものであれば、シェアを測ることは簡単です。
しかし全体市場の中での自社のポジションを見るというのは、中小零細企業にとってはあまり意味を成しません。
そこで、中小零細企業の場合は宝来軒さんの例のように特定市場でのシェアを調べて1位を目指す方が合っています。
では、中小企業が特定市場でのシェアを調べたい…と思ったら、具体的には何を調べ、どう考えていけばよいのでしょうか?
市場シェアを調べる方法
まずは、ある特定の市場における全体数を調べてから自社の占める割合を調べる、いわゆる特定市場における市場シェア(マーケットシェア)を調べる方法を2つ紹介したいと思います。
方法① 公的・民間機関の統計データを利用する
法人企業統計調査や、民間の調査期間である矢野経済研究所、船井総合研究所、インテージなどが公表している市場規模を表す統計を使って、業界全体の規模を把握してから、「じゃあ自社の対象エリア内だったらどれぐらいか?」を割り出す方法です。
業界の市場規模>商圏内の市場規模…
と、順に求めていけば良いので、とてもシンプルです。
これを行うことで、自社の得意エリア・苦手エリアを売上規模ベースで見るのではなく、シェアベースで見ることができます。
方法② 人口動態から推測する
人口統計を使って市場規模を測る方法もあります。
たとえば赤ちゃんが生まれた方向けに学資保険を提案している代理店の場合。2020年8月、当社の事務所がある福岡市中央区では121人が誕生しています。
次は何%の方が学資保険に加入するか?という割合を調べます。
そして、自店からの加入状況を見ることで、シェアが分かります。
単月のデータなので細かくはなりますが、できるだけ細かく見ることでよりリアルにイメージできるようになるのでオススメです。
同じように葬儀社の方であれば、死亡者数を調べ、葬儀を行う方の割合を掛けることで母数を知り、シェアを見ることができます。
このように人口動態は厚生労働省のホームページから簡単に見ることができ、出生・死亡・死産・結婚・離婚などのデータを得ることができるので、関連する業種の方は参考にしてみてください。
営業シェアを求めるという考え方
次に市場シェアを測るのが難しい…という業界の方でも使えそうな方法を考えてみましたのでご紹介します。それが「営業シェア」という概念です。
これは統計がなくてもインターネット検索などを利用することで、簡単に大まかなシェアを掴む方法です。
方法① キーワード検索
たとえば、「注文住宅 福岡市」というキーワードで検索した時に、自社はどのくらい表示されるでしょうか?
キーワード単位で見た時に表示される順位や数、割合を見ることで、シェアを推測することができます。
また、ランキングサイトや、広告での評価を指標として見ることもできます。
方法② 店舗数や件数での比較
カフェの場合。○○市にカフェが何店舗あるのか?そのうち何店が自社なのか?
看板なら○○市にいくつ看板があるのか?そのうち何個が自社の看板なのか?
営業会社であれば、ライバル企業と営業マンの人数で比較をするのもいいかもしれません。
営業シェアを調べる方法を考えてみると、意外と色々とある気がします。
統計にこだわらず「このエリアでどれぐらい普及しているか?」「どれぐらい知られているか?」といったざっくりとしたイメージを持つだけでも、シェアを把握する上での手助けになります。
ランチェスターにおける”シェア”についてのまとめ
ここまで見てきたように、様々なシェアを求める方法というのが存在するので、「中小企業だからシェアが分からない…」とか、「統計がないからイメージできない…」というのは単なる言い訳になってしまいます。
どんな小さな会社でも、ある狭い範囲「特定市場」に区切って数字を求め、比較することで自社のシェアを知ることは可能です。
特定市場のシェアを日々チェックするクセを付けておくと、客観的な自社のポジションの把握に繋がります。
そして、売上ではなく客観的な「シェア」を目標にすることで、経営において正しいかじ取りをすることに繋がると思います。
この記事により、「シェアが分からないから、ランチェスターができない…」という中小企業の方にありがちな誤解が溶け、「そうか、特定市場で1位になればいいのか!」と、明確な目標を持って励んでいただくきっかけになれば私も嬉しいです。
2020年度後期 寄附講座講義「バリュエーション(企業価値評価と株式評価)」が開講します。
2021年度後期 寄附講座講義「バリュエーション(企業価値評価と株式評価)」が開講します。
第1回:10月8日 (木) 4時限・5時限 (ZOOMオンライン)
野口教授「バリュエーションの基礎知識」
・キャッシュフローの考え方
・会計とファイナンスの相違
・各種評価方法の解説
第2回:10月22日(木)4時限・5時限 (ZOOM オンライン)
砂川「企業価値評価のフレームワークと財務モデル演習」
エクセルを使用します
第3回:11月12日(木)4時限・5時限 (ZOOM オンライン)
山田客員教授「株式評価と近年の裁判事例」
第4回:11月19日(木)4時限・5時限 (ZOOM オンライン)
明石研究員「資本コストの算出の実務」「海外の資本コストの考え方」
第5回:12月10日(木)4時限・5時限 (ZOOMオンライン)
門澤 慎氏 (プルータス・マネジメントアドバイザリー代表取締役社長)
「M&Aアドバイザリーの実務」
第6回:12月24日(木)4時限・5時限(ZOOM オンライン)
野口教授「株式評価ビジネスの実際」「様々な資本政策と企業価値」
・増資やM&Aの場面ではどのように企業価値評価が行われるか
・取締役会,株主総会,証券取引所,財務局,監査法人,弁護士事務所などは株式市
場に対しどのように機能しているか
・ライツイシュー,優先株式,ストックオプション,ワラント,転換社債と評価手法
・トヨタ優先株などの実例
第7回:1月7日(木)4・5時限(ZOOMオンライン)
野口教授「ケーススタディ:老舗お菓子メーカーの買収と新規事業投資」
(ケースのイントロ)A社は積極的なM&A戦略により、様々な企業をグループ傘下に
収めている。A社の企業価値を向上させるか否かが投資判断の基準となっており,
各事業部に予算が与えられ,投資案件の発見から投資スキームの立案までは事業部
に委ねられている。今回,食品事業部のマネージャーは,ある老舗お菓子メーカー
を買収先として検討し始めている。
宮川潤一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
みやかわ じゅんいち
宮川 潤一
日本出身校花園大学文学部仏教学科仏教学職業実業家活動期間1988年 - 現在団体MONET Technologies(代表取締役社長兼最高経営責任者)
ソフトバンク(代表取締役社長執行役員兼CEO)
電気通信事業者協会会長公式サイトhttps://twitter.com/miyakawa11テンプレートを表示
映像外部リンク花園大学 Official YouTube Channel
【全編】花園学園創立150周年記念対談 宮川潤一氏×横田南嶺総長 - YouTube
宮川 潤一(みやかわ じゅんいち、1965年12月1日 - )は、日本の実業家。MONET Technologies代表取締役社長兼最高経営責任者、ソフトバンク代表取締役社長執行役員兼CEO、電気通信事業者協会会長。スプリント最高執行責任者なども歴任。孫正義の後継者の1人として知られている。愛知県犬山市出身、花園大学文学部仏教学科仏教学卒業。
経歴[編集]
愛知県犬山市生まれ[1]。実家は愛知県犬山市にある実家の臨済宗清水寺[2][3]。父親の願いもあり、花園大学に入学。学費を稼ぐためにバーで働き、来店する財界人の姿を見てビジネスへの思いを強くした[4][5]。
1988年(平成元年)花園大学文学部仏教学科仏教学コースを卒業後、経済を学ぶために会計事務所入所。本来なら実家の寺を継ぐはずだったが「35歳まで好きなことをやらせてほしい」と父親と掛け合い、大学を出るとゴミ焼却炉の製造、販売を始める。時はインターネットの黎明期。「これからはネットの時代だ」と考えて、ネット接続プロバイダーに鞍替えする[6][4]。
1991年(平成3年)起業し[2]、インターネットサービス・プロバイダー(ISP)会社 ももたろうインターネットを設立、代表取締役社長に就任。全く門外漢だったので岐阜大学に頼み込んで学生の手を借りて事業を立ち上げた[6][5]。
2000年(平成12年)名古屋めたりっく通信代表取締役社長に就任[5]。地元名古屋でそこそこの成功を収めていた宮川に孫正義から突然の電話が掛かってくる。「君は名古屋で終わる気か? 俺ともっと大きなことをやらんか」。その後、2001年6月、NTTに挑戦したブロードバンド、「泥船」とまでいわれた英ボーダフォン日本法人買収による携帯参入。通信業界の再編の波の中で、孫とともに修羅場をくぐることになる[6]。当時の部下に和田哲幸がいた[7]。
2001年(平成13年)ビー・ビー・テクノロジー社長室長に就任[8][5]。
2002年(平成14年)東京めたりっく通信代表取締役社長、大阪めたりっく通信代表取締役社長、ヴォックスネット代表取締役社長に就任[1][9][5]。その後経営破綻によってソフトバンクに買収され、同社内で進んでいた「ヤフーBB」と統合される。実質的に、この統合後の組織とノウハウが、ソフトバンクによるブロードバンド事業を立ち上げる上での中核となっていく。この段階でソフトバンクに合流、孫正義から現場を一手に任される立場となった[10]。
2003年(平成15年)ソフトバンクBB取締役に就任[5]。
2004年(平成16年)日本テレコム取締役常務執行役、BBモバイル取締役、ソフトバンクBB常務取締役に就任[5]。
2005年(平成17年)日本テレコム取締役専務執行役に就任[5]。
2006年(平成18年)ソフトバンクモバイル取締役専務執行役技術副統括ネットワーク統括本部長(CTO)に就任[5]。
2007年(平成19年)ソフトバンクモバイル取締役専務執行役員兼CTO、ソフトバンクBB取締役専務執行役員、ソフトバンクテレコム取締役専務執行役員に就任[5]。
2010年(平成22年)ウィルコム管財人代理、Wireless City Planning取締役COO、ウィルコム取締役に就任[1][9][5]。
2011年(平成23年)ソフトバンクテレコム取締役CTOに就任[5]。
2014年(平成26年)ワイモバイル取締役、スプリントCOO、SoftBankUSCorp.CEO、BBIX取締役、Wireless City Planning取締役、ソフトバンクサテライトプランニング取締役に就任[5]。
2016年(平成28年)ソフトバンク専務取締役CTOに就任[5]。
2017年(平成29年)ビー・ビー・バックボーン代表取締役社長に就任[1][5]。
2018年(平成30年)ソフトバンク代表取締役副社長執行役員兼CTO テクノロジーユニット統括兼技術戦略統括[9]に就任。同年トヨタ自動車とソフトバンクが共同出資会社MONET Technologiesを設立[11]。同社代表取締役社長兼CEO就任[12]。
2021年(令和3年)ソフトバンク代表取締役社長、Wireless City Planning 代表取締役社長に就任[4]。2023年電気通信事業者協会会長[13]。
脚注[編集]
^ a b c d AI・IoTがもたらす未来 いぬやまeーコミュニティーネットワーク
^ a b 花園大学同窓会通信97 花園大学
^ 2019.11.30今日の出来事対談 円覚寺
^ 名古屋の風雲児・和田哲幸!元上司にあたるソフトバンク現社長・宮川潤一の教え、金言が次々と出てきました。名古屋を変えるエンタメ発想術と隠れたヒストリーに迫る
^ ソフトバンク宮川副社長とトヨタ友山副社長の共同会見で示された、新会社「MONET Technologies」の取り組み Car Watch 2018年10月6日
^ 「「MaaSを日本の主力産業にする」モネの宮川社長 」 日本経済新聞2019/10/11 12:20
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
宮川潤一 (@miyakawa11) - X(旧Twitter)
OMEGA 「ハイエック氏がダニエルズ博士を信じたことが、すべての始まりだったのです」
2016年3月のバーゼルワールドで発表された「マスター クロノメーター」検定合格モデルの新作「グローブマスター アニュアルカレンダー」。初期の『コンステレーション』の特徴である“パイ-パン(パイ焼き皿)”ダイアルを採用し、そのインデックスの間に12か月の表示を印字。細かな溝を刻んだ“フルーテッド(Fluted)・ベゼル”はタングステンカーバイド製だ。
すでに述べたように、現在も時計の故障の大半は携帯電話やタブレット端末など、磁力を帯びたデバイスに触れたための磁気帯びが多いというが、これから我が国でもリニアモーターカーなどが実用化されることで、その危険性はさらに増大するに違いない。
このような状況を見越して、精度だけでなく強力な磁場にさらされた場合の危険を回避すべく制定された新たな検定制度「マスター クロノメーター」。その重要性は極めて大きい。
ここでひとつの疑問がある。オメガのマスタークロノメーター・モデルは、これだけの厳密な検定を行いながら、価格が思ったほど高くない。その秘密は何か?
「それは工業化です。これによってリーズナブルな価格が実現できたのです。ただし、テストには時間と、そして“タイム・イズ・マネー(時は金なり)”という言葉どおり、開発には膨大なコストがかかっています。しかし我々は、それを顧客に求めることなく、常に改善を進めていきます」
モナション氏の説明の通り、1993年にダニエルズ博士が自身が開発したコーアクシャル脱進機を手にオメガを訪ねたことが、すべての始まりだった。ただ残念なことに、今ではダニエルズ博士もハイエック氏もこの世にいない。もしもおふたりにメッセージをあるなら、どんな言葉を贈るのだろうか?
「もしもハイエックさんがダニエルズ博士の技術を信じなかったら、今日、『マスター クロノメーター』だけでなくオメガ自体がなかったかもしれません。その意味では二人には感謝を伝えたいですね。
なにしろ、当時の技術者は『コーアクシャル脱進機は、あまりに複雑で、あまりに小さすぎるので単品制作は可能でも工業化や量産化は無理だろう』と語っていたのですからね。でも、この時代にコーアクシャル脱進機の技術を信じたのはハイエックさんしかいなかった。このことに何よりも感謝したいと思うのです」
オメガ
グローブマスター アニュアルカレンダー
「マスター クロノメーター」+年次カレンダー機能を搭載する最新作。METASの検定によって高精度と15,000ガウス以上の超耐磁性能が保証されている。ケース径が2015年発表の「コンステレーション グローブマスター」の39.0mmから41.0mmに拡大された。
ケース径:41.0mm
ケース素材:SS×タングステン カーバイド(ベゼル)
防水性:100m防水
ムーブメント:自動巻き、39石、パワーリザーブ55時間
仕様:日付
予価:1,015,200円(税込)
発売予定:2016年11月
東洋経済新報社
2の言語版
ツール
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「東洋経済日報」とは異なります。
株式会社東洋経済新報社
TOYO KEIZAI INC.
本社社屋
日本
〒103-8345
東京都中央区日本橋本石町一丁目2番1号設立1895年(明治28年)11月15日業種情報・通信業法人番号1010001051874
事業内容出版事業代表者駒橋憲一(代表取締役会長)
田北浩章(代表取締役社長)資本金1億円[1]発行済株式総数40万株売上高単独:115億8,000万円
(2022年9月期)純利益単独:4億5338万9000円
(2023年9月期)[2]純資産単独:91億7743万1000円
(2023年9月期)[2]総資産単独:128億5097万6000円
(2023年9月期)[2]従業員数単独:330名
(2022年9月期)決算期9月30日主要株主(株)三菱東京UFJ銀行 3.18%
山縣裕一郎 2.71%
(株)みずほ銀行 2.62%
駒橋憲一 2.51%
田北浩章 2.26%
(株)三井住友銀行 2.06%
遠藤俊三 1.51%
安西達也 1.36%
(株)りそな銀行 1.31%
王子製紙(株) 1.18%
(2016年9月期)関係する人物町田忠治(設立者)外部リンクhttps://corp.toyokeizai.net/特記事項:関連団体に、(社)経済倶楽部、中部経済倶楽部、(財)石橋湛山記念財団 MPTフォ−ラムがある。テンプレートを表示
株式会社東洋経済新報社(とうようけいざいしんぽうしゃ、英: TOYO KEIZAI INC.)は、ビジネス書や経済書などの発行を専門とする、日本の出版社。日本で最も古い創業時期を持つ出版社の一つであり、石橋湛山(第55代内閣総理大臣)が主幹を務めたことでも知られている。東洋経済オンラインを始めとするWEBメディアの運営も行っている。
出版物[編集]
「週刊東洋経済」[編集]
週刊東洋経済ジャンル経済週刊誌刊行頻度週刊発売国
日本言語日本語出版社東洋経済新報社刊行期間1895年(明治28年)11月15日- 現在ウェブサイトtoyokeizai.netテンプレートを表示
沿革[編集]
『週刊東洋経済』は、経済の専門雑誌。現在も発刊される雑誌としては日本最古の一つ。1895年(明治28年)旬刊『東洋経済新報』として創刊[3]。歴代の主幹(社長兼編集長)に、町田忠治、天野為之、植松考昭、三浦銕太郎、石橋湛山、高橋亀吉など。『東洋経済新報』として創刊当初は渋沢栄一・豊川良平らの支援を受けた影響で自由経済・政党政治を支持していた。
大正期には民本政治・普通選挙を支持し、その後、三浦と後継の石橋によって満洲などの放棄による小日本主義を始め、対華21か条要求・シベリア出兵・金解禁・満洲事変などを厳しく批判した。特に金解禁では率先して「新平価解禁」、解禁後の「金輸出再禁止と管理通貨制度導入」などの主張をリードしたことは良く知られている。1933年(昭和8年)には満洲事変を容認する姿勢に転換した。1919年(大正8年)の10月4日号より週刊化。1921年(大正10年)11月、株式会社に改組し、三浦銕太郎主幹が代表取締役に就任。
現況[編集]
現在発行されている週刊誌の中では日本で最古だが、販売面では1位の『日経ビジネス』、2位の『週刊ダイヤモンド』に続く3位。
「会社四季報」[編集]
投資家のための企業情報誌。四半期ごとに刊行されるため『四季報』と呼ばれている。全上場企業を網羅し、業績予想などの企業データを掲載。創刊は1936年(昭和11年)6月7日。その後、1979年に日本経済新聞社が当誌と類似した内容の「日経会社情報」を発行、当誌の市場を切り崩しにかかったもののその牙城は揺るがず、2017年には逆に「会社情報」を撤退に追い込んだ。証券会社やオンライン証券の利用率も極めて高い。なお、「会社情報」の業績予想は会社予想に基づくものだったが、『四季報』の業績予想は編集部の独自予想である。
なお、2016年10月の安倍内閣諮問機関である「未来投資会議」で決算短信で四半期毎の会社予想がなくなることが議論されており、同誌の業績予測がなくなった場合の売れ行きが懸念されているが、その後の議論が進まなかったこともあり大きな影響は出ていない。
2013年12月より、「会社四季報オンライン」も運営している。
「就職四季報」[編集]
学生のための就職情報誌。「四季報」を名乗っているが、発行は年1回である。女性版・優良中堅企業版・インターンシップ版、WEBサイトも存在する。
「東洋経済オンライン」[編集]
日本最大級のビジネスニュースサイトの1つ。月間ページビューが約2億PV[5]と、日本のビジネス誌系のWEBサイトとしてはPV数・ユニークユーザー数ともに1位である。ビジネス、経済情報、マーケット情報、就職情報など、独自に取材した経済関連ニュースを中心とした情報配信プラットフォームを展開している[6]。
その他の出版物・データベース[編集]
週刊東洋経済
Think! - 季刊
四季報シリーズ
データベース商品
財務データ
業績予想データ
セグメントデータ
上場会社基本データ
会社四季報データ
ESGオンライン
その他データ(外資系企業データ、海外進出企業データ、CSRデータ他)
主な出版物(書籍)[編集]
J・E・スティグリッツ『経済学』
『ストーリーとしての競争戦略』
『LIFE SHIFT』
『LIFESPAN』
『SHOE DOG』
『ロジカル・シンキング』
『読書の技法』
『13歳からの地政学』
『きみのお金は誰のため』
不祥事[編集]
関連項目[編集]
関係した主な著名人[編集]
町田忠治(政治家、実業家、ジャーナリスト)
三浦鐵太郎(ジャーナリスト、評論家)
尾崎士郎(小説家)
新居格(文筆家、政治家)
長谷川如是閑(評論家)
田川大吉郎(ジャーナリスト、政治家)
清沢洌(評論家)
三宅晴輝(実業家、経済評論家)
高橋亀吉(経済評論家)
埴原正直(外交官)
赤松克麿(政治家)
片山潜(社会主義者、労働運動家)
伊藤正徳(軍事評論家)
大河内正敏(実業家)
三鬼陽之助(経済評論家)
生井重俊(ジャーナリスト、経営者)
川島睦保(ジャーナリスト、翻訳家)
山縣裕一郎(ジャーナリスト)
青山文平(小説家)
西田実仁(政治家)
井戸正枝(政治家)
佐々木紀彦(ジャーナリスト、実業家)
山田俊浩(ジャーナリスト、編集者)
その他[編集]
関連ギャラリー[編集]
東洋経済新報 明治28年(1895年)11月25日、東洋経済新報社
脚注[編集]
[脚注の使い方]
出典[編集]
^ 土本学 (2019年2月7日). “2億PVの国内有数の規模を誇るメディアはこれから何を目指すのか・・・「東洋経済オンライン」武政秀明編集長インタビュー”. Media Innovation. 2019年5月20日閲覧。
^ 『オール投資』休刊のお知らせ - 東洋経済オンライン、2012年8月
外部リンク[編集]
大転換
14の言語版
事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大転換
The Great Transformation著者カール・ポランニー訳者吉沢英成・野口建彦・長尾史郎・杉村芳美・栖原学発行日
1944年、1957年
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『大転換』 (だいてんかん、The Great Transformation) は、ハンガリー出身の経済学者カール・ポランニー(ポラニー)が1944年に著した経済史、経済人類学の書籍。
概要[編集]
ハンガリーからイギリス、アメリカへと渡ったポランニーが、研究成果として第二次世界大戦中に執筆した。人間の経済は社会関係の中に沈み込んでおり、市場経済は人類史において特別な制度であるとした。そして、市場経済の世界規模の拡大により社会は破局的混乱にさらされ、やがて市場経済自体のメカニズムが引き起こした緊張によって崩壊したと論じた。
市場経済が世界規模で進む様子をウィリアム・ブレイクの言葉を借りて「悪魔のひき臼」と呼び、市場社会の崩壊と複合社会への揺り戻しを、書名にも用いられている「大転換」(Great Transformation) という言葉で表現した[1]。
目次[編集]
第1部 国際システム
第1章 平和の100年 / 第2章 保守の20年代、革命の30年代
第2部 市場経済の興亡
I 悪魔のひき臼
第3章 「居住か進歩か」 / 第4章 社会と経済システム / 第5章 市場パターンの進化 / 第6章 自己調整的市場と擬制商品-労働、土地、貨幣 / 第7章 スピーナムランド-1795年 / 第8章 スピーナムランド法以前と以後 / 第9章 貧民とユートピア / 第10章 社会の発見と政治経済学
II 社会の自己防衛
第11章 人間、自然、生産組織 / 第12章 自由主義的教義の誕生 / 第13章 自由主義的教義の誕生(続)-階級利害と社会変化 / 第14章 市場と人間 / 第15章 市場と自然 / 第16章 市場と生産組織 / 第17章 そこなわれた自己調整機能 / 第18章 崩壊への緊張
第3部 トランスフォーメーションの進行
第19章 大衆政治と市場経済 / 第20章 社会変化の始動 / 第21章 複合社会における自由
内容[編集]
市場社会[編集]
19世紀は世界規模での市場経済化がすすみ、それまでに存在しなかった「市場社会」(Market Society)が成立したと述べる。市場社会の原因となった国際システムとして、ポランニーは勢力均衡、国際金本位制、自己調節的市場、自由主義的国家の4つをあげる。市場経済は、市場価格によってのみ統制される自己調節機能に基づいて社会を作り替えようとしたが、それはユートピア的な擬制であると指摘した。
社会統合のパターン[編集]
社会の存続のために不可欠な前提は不変だと主張し、人間は社会的地位、社会的権利、社会的資産を守るために行動するのであり、個人的利益や財貨の所有は結果に過ぎないとした。市場社会以前に社会を統合してきたパターンとして、互酬、再配分、家政の3つをあげる。ポランニーは、人類学者のブロニスワフ・マリノフスキやリヒャルト・トゥルンヴァルト、社会学者のマックス・ウェーバーらの研究を援用した。なお、のちの著作『人間の経済』では、家政は再配分の中に包含され、社会統合のパターンは互酬、再配分、交換の3つとする。
これらのパターンに対して市場経済は、本来は商品ではない労働(人間)、土地(自然)、貨幣を商品化し、人間の生活を破壊すると述べた(擬制商品論)。そして、経済人に代表される市場経済的な人間像は、特殊な例であると主張した。
市場経済の歴史[編集]
市場が重要な役割を持つようになったのは重商主義以後であるとし、主に産業革命以後の歴史を通して、国家の保護のもとで市場経済が肥大化していく様子を述べる。
市場経済化は多くの人間を破局へ追い込んだと指摘し、イギリスの事例として囲い込みやスピーナムランドを取り上げた。その一方で、ロバート・オウエンの活動を高く評価した。さらに、市場経済化による欧米の破局は、欧米以外の地域における文化接触による破局と同質であると指摘し、インドの村落共同体の破壊、アメリカでのインディアン居留地などを例にあげる。
また、ポランニーは二重の運動があったことを指摘する。市場経済が拡大する一方で、市場を規制する政策や運動も起こった。これを市場経済の自己調整システムに対する社会の自己防衛と位置づける[2]。
市場社会の崩壊[編集]
市場社会が、19世紀から20世紀にかけての社会の防衛によって崩壊する様子を分析する。まず、労働と土地が、社会立法と穀物関税とを獲得した。穀物法により生活費が上昇した製造業者は保護関税を主張し、労働組合は賃上げを要求した。そして、社会立法が関税により規定された賃金水準に基づくようになると、雇用主は保護の継続を求めるようになる。このような保護主義などにより自己調節機能が阻害され、国家は自己調節機能を補完するための政治的干渉を行ない、市場の緊張が金本位制や勢力均衡にも伝播し、最終的に市場社会が崩壊へ至ったとする[3]。
1920年代に市場社会が崩壊したのちに隆盛した、ファシズム、社会主義、ニュー・ディールについては、別個の性質に見えるものの、すべて市場経済から社会を防衛するための活動とする。そして市場社会の崩壊後には複合社会が到来すると論じる。
本書の評価[編集]
ジョセフ・E・スティグリッツは新装版で序文を書き、ポランニーが本書を著した時代と現在の共通点を指摘し、古典的名著として評価している。その他、エリック・ホブズボーム、ピーター・ドラッカー、ロバート・ハイルブローナーなどの評価を受けている。また、近年はグローバル資本主義との関係でとりあげられることもある。
本書をポランニーの代表作とみなすか、のちに書かれた『経済と文明』や『人間の経済』を重要視するかは、研究者の間で評価が分かれている[4]。本書では、市場社会は複合社会へ移るとされているが、複合社会の具体的な経済体制については詳細に述べられていない[5]。
書誌情報[編集]
原書
The Great Transformation, 1944. ISBN 080705643X - 「原典に関する注解」に加筆し、1957年に改訂版を出版。44年版の序文は、社会学者のR・M・マッキーバー。
日本語訳
出典・脚注[編集]
[脚注の使い方]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
若森みどり 『カール・ポランニー-市場社会・民主主義・人間の自由』 NTT出版、2011年。
栗本慎一郎 『経済人類学』 講談社〈講談社学術文庫〉、2013年。
関連項目[編集]
失敗年鑑2006
ライブドア事件
経営コンサルタント
柳澤信一郎
法の目をくぐった代償
ライブドア事件の原因分析 [ 拡大 ]
【シナリオ】
1.価値観不良
2.組織文化不良
3.利益万能
4.社会規範欠如
5.組織運営不良
6.管理不良
7.短期業績至上
8.組織体制整備不足
9.企画不良
10.戦略・企画不良
11.自社株商品化ビジネス
12.誤判断
13.狭い視野
14.株式至上主義
15.誤った理解
原因
16.不良行為
17.倫理道徳違反
行動
18.組織の損失
19.株主の経済的損失
20.証券取引制度不信
21.逮捕
22.グループ解体
結果
【概要】
小泉改革の象徴的存在として、「師匠」村上世彰氏らとともに一世を風靡した堀江貴文氏は、1996年に資本金600万円で設立した有限会社を、 わずか10年でピーク時株式時価総額1兆円近くのライブドアグループへ急成長させた。しかしその急ぎ過ぎ、手段を選ばない事業拡大の途上、 証券取引法違反容疑で二度にわたり逮捕され、グループは本業ともいえるインターネット関連事業を残す形でほほ解体された。
人生の目標は成功、成功とはより多くの金を稼ぐこと、と言い放ち、しかしそれで得られるのが、貧乏人とは違う世界で、 好きなものを食べ、いい女を、、、と公言する何ともやるせないその哲学は、ベンチャーの旗手として活躍する原動力にもなったが、 法律違反でなければ、見つからなければ、何をやっても稼ぐが勝ち、という倫理性の欠如ゆえに多くの個人投資家や機関投資家などに多大の損失を与えた。
本稿ではライブドア事件とはなんだったのか、その原因と対処策について概観した。
【発生日時】
2006年
1月16日東京地検特捜部がライブドア本社、堀江宅などを家宅捜査。 捜査開始直前の東証マザーズ株価終値696円×約10.5億株、時価総額 7、300億円、株主約22万人1月18日東京証券取引所 取引急増のため株式全銘柄の取引を20分繰りあげて終了1月23日堀江社長、宮内取締役ら4人、証券取引法違反(偽計取引、風説の流布)容疑で逮捕2月13日堀江社長ら4人とライブドアら2社、証券取引法違反で起訴2月22日堀江前社長ら4人、証券取引法違反(粉飾決算)容疑で再逮捕、熊谷新社長も3月13日証券取引等監視委員会、堀江らライブドアを証券取引法違反(有価証券報告書虚偽記載)の疑いで東京地検に告発
東京証券取引所、ライブドアとライブドアマーケティングの4月14日付け上場廃止を決定4月13日ライブドア、マザーズ上場廃止前日最終取引。終値 94円、時価総額986億円
【経過】
堀江を中心とするライブドアグループは96年4月の有限会社設立から僅か4年後の00年4月、 ITブームにぎりぎり間に合うタイミングで東証マザーズに上場し、「世界一の企業」へと急成長を目指していった。 そのスピード成長のために企業買収・合併(以下「M&A」)を活用し、その際、資金調達の制約を乗り越えるためちょうど可能となっていた株式交換手法を多用した。 この株式交換を自社の高株価でより有効にするため、ITベンチャーとしての成長期待をあおり、また大幅な株式分割による一時的な現物株不足を用い、 また時価総額経営、株主重視を標榜した。
ところが、この方式に不可欠な売上・利益の成長をインターネット関連等のIT本業で作れず、金融事業への依存度を高めていった。 堀江の急成長志向・計画必達主義に応えるため、やがて金融部門は投資家の顔が表に出ない投資事業組合の仕組みを用いて売上と利益を捻出する方法を編み出し、 これが証券取引法(現、金融商品取引法、以下当時の名称による)違反による堀江らの二度の逮捕と、マザーズ上場廃止につながった。 結果として、堀江が株式会社で最も大切であるとうたっていた株主、 その資産であるライブドアの株式時価総額を7,300億円(強制捜査時)から987億円(上場廃止時)へと僅か14%に下落した。
堀江らの証券取引法違反容疑は一回目の逮捕が「風説の流布」「偽計取引」、二回目の逮捕が有価証券報告書の虚偽記載、いわゆる「粉飾決算」である。 このうち「風説の流布」とは株価操作の目的で虚偽の情報や根拠の無い噂を流すこと、「偽計取引」は株価操作を目的として人を騙したり、 事実に基づかない情報を流したりすることをいう。グループ内ファンドが有するマネーライフ社の買収を外部から買収したように情報を流し(風説の流布)、 また、グループ内ファンドで株式売却益が発生し、資金元のライブドアファイナンスに環流した際、金融業者であるライブドアファイナンスとして売上計上したのはよいが、 親会社のライブドア連結決算では自社株式売却益であり売上高でなく特別利益に計上すべきものである、などが粉飾決算に当たるとされた。
影響は単にライブドアにとどまらず、マザーズへの不信感を生み、さらには当時のデイトレーダー取引件数急増で東証システムが能力限界に近づき一時停止したこともあり、 一部上場株価指数も引き下げた。
堀江が1996年、東大在学中に起業した時からライブドア事件までの主な経過を表1に示す。
表1 堀江起業からライブドア事件までの経緯 [ 拡大 ]
ライブドア人気が高まったのは、2004年6月の近鉄バッファローズ買収計画発表以来である。 その後、高崎競馬などの再建計画やニッポン放送買収をめぐるフジサンケイグループとの戦い、 その中での言動は、片や「閉塞感」を打ち破る「改革の旗手」、片や事業や社会の常識を知らない「ならず者」として脚光を浴びた。
【背景】
ライブドアグループが急成長を遂げ、多くの個人投資家の夢をかき立てて資金を吸収していった背景には、 1990年代の金融制度改革による株式分割や株式交換などに関する規制緩和、新興企業向けの東証マザーズの開設などの条件があった。
これら各種の規制緩和が、それによる弊害を予防するための条件整備が不十分な中で、 その隙間もつきながら株価の維持・上昇を図って資金調達を進めてきたのがライブドアの方法であった。
同時に、内外に蓄積された膨大な金融資産や自由化により我が国への流入が促進された海外ファンド資金など、有利な投資の場を求めた資金の奔流がある。
外資系等のファンドにとって、ライブドアの積極的投資は、資産売却の相手として、あるいは新たな資金運用手段としての格好のターゲットであった。 フジテレビグループとのニッポン放送株獲得をめぐる抗争は、 すでに低単価でニッポン放送株を仕入れていた外資系ファンドやこれに連なる村上ファンドにとっての格好の「出口」を提供し、 またニッポン放送株取得の資金調達のために外資系金融機関に発行されたMSCBも資金の出し手が短期間で確実に1割以上の利益を上げられる方法であった。
個人投資家はその成長性に期待して、また国内機関投資家はマザーズの一割にも達する時価総額の大きさからライブドアへ投資した。
【原因】
本事件の原因は様々な要因が複雑に絡まっているが、以下5つの主な原因に括ることができる。
(1) 堀江の経営哲学と自身の成長不足
(2) 証券取引(含む開示)に関わる制度・ルールの未整備
(3) 会計監査のあり方
(4) 投資家の判断力
(5) マスコミの分析力
以下、これら5つの要因について詳述する。
(1) 堀江の経営哲学と自身の成長不足
わずか10年で資本金600万円の有限会社をピーク時時価総額9,800億円の企業に育てた原動力は「時価総額世界一」を目指す堀江の情熱と才能であり、 何事も過去にとらわれず、新しい事業を取り込んでいくどん欲さであろう。社名の「ライブドア」ですら買収した企業のものだ。 企業、とくに新しい企業が成長するもっとも重要な原動力は経営者の夢であり戦略である。 それが顧客や経済環境に適合し、具体的な経営方式で裏づけられれば、その容量の大きさに応じて成長することができる。
ところが堀江の夢と経営哲学には下記のような問題があった。
「時価総額(世界一)」という事業の結果としての貨幣価値を目標にしたこと。自分や組織構成員にとって事業のもつ価値や意義は何か、 どのような得意分野を伸ばすか、等を脇におき、ひたすら拡大を追った。 また、ライブドア買収でポータルサイトでのヤフー追撃という焦点ができはしたが、このポータルサイトの性格が世の中への玄関であるだけに、 「何でもあり」を促進した。
また、人間や社会的な組織は皆、それ自身の利益のために動いているという価値観、社会共通のルールとして法律には従うが、 違反しなければ何をしてもよいという価値観がある。しかし己の利益のためにはまず相手に価値を、 しかも競争経済では他社より優れた価値を提供できないと永続できない。 ライブドア証券の塩野は「ふつうの大企業ではけっしてやらないような法律の抜け穴探しを、 平気でやってのける大胆な風土に危うい魅力を」感じていたという[参考文献4、p98]。
急拡大のため、業績低迷の「安い」企業を次々買収し、外科的に業績改善をはかっていき、結果的にITベンチャーというより、投資会社となった。
上場前後の2000年9月期、ウェブ制作事業が連結売上高12億円のうち61.8%を占め、営業利益も黒字部門計5.3億円の65%だったが、 2005年9月期を見ると連結売上高784億円のうちe-ファイナンス事業が58.4%と過半、営業利益に至っては単純計176億円の83.0%を占めた。 表2にライブドア株式・業績関連の推移を示す。
表2 ライブドア株式・業績関連推移 [ 拡大 ]大きなグループを経営するには、各事業単位を、高度なグループ経営組織で管理しないと戦略も運営思想も徹底せず、各社の実情も把握できない。 堀江はライブドア本体ではスピード経営、徹底した経費削減、3ヶ月単位の完全成果主義、など「合理的」経営スタイルを打ち立てたが、 グループ各社の寄せ集め幹部達と計画や課題で合意し、随時判断を下して行くのは、仮に要所に幹部を配しても大変な仕事である。 事業部門毎の会議には出席していたが、特にフジテレビ戦のあとは、力が抜けたのか、会議も欠席しがちになっていく。 「もうウチが買うだけで株価が上がっちゃう、ウチが買って、ウチのブランドを冠するだけで、企業再生がいっちょあがり、みたいな」 「もう次は海外ですから、、だって球団買って、メディア買収すれば、世界に通用するブランドができちゃう。 もう、あとは粛々とオペレーションをするだけ。誰がやってもできること」と堀江は言う(05年暮れ)。 宇宙に関心が移ったためか、社員が「新しいネットビジネスについて、何を提案しても無駄でした。もう意欲が無いようでした。」 という[参考文献4、p330]。
企業拡大の手法も、企業の持主は株主、企業は株主のためにある、と謳い文句と矛盾していた。 株主の持ち物である企業価値の証である株式の価値は次々と新たな株式を発行し、いわば会社を切り売りして、 新たな企業を買収する成長方式により薄められていった。フジとのニッポン放送争奪戦で用いたMSCBという転換社債は資金の出し手の外資系金融機関に、 時価の1割減で株式が得られ、しかも堀江からの借株で株価を下げて、入手できる株数をさらに増やすという、二重の利益をもたらしたが、 これを負担したのは既存株主にほかならない。
注:株主は企業の持主ではなく出資の証である株券の持主に過ぎず、資金提供者の一員であり、議決権などは制限されていくべき、という考え方もある。
株主から預かった資本は、そのリスクに応じたリターン(配当ないし株価上昇)で応えねばならない。 業績不安定なITベンチャーなら年率10%のリターンは必要だが、配当はせず、株価上昇のみで応えようとした。 資本金は利払い、返済不要で借入金より低コストであるかのような古典的な錯覚があったのかもしれない。 (株)ライブドア自身が2005年9月に発行した「livedoor?何だ?この会社」という本に04年12月、弥生(株)を僅か30億円の現金で買収したとする下りがある。 その前段階に平松氏ら経営陣が米国本社から買収(MBO)した際に現金95億円を要したのと大違いというのだが、図には他に100億円分の自社株式提供、 100億円の銀行借入が明示されている。 フジテレビから「獲得した」1,474億円も、440億円はライブドア株式の引受けであり、配当か株価上昇で応えねばならない (残りはニッポン放送株買取りのためのもの)。
目的が手段となった時価総額は、さらなる株価上昇が期待として折り込まれている。仮に実業で利益を生み出しても、成長見通しは大幅に鈍化し、 それだけで株価は下落してしまっただろう。バブルであり、永続しない経営方式であったのではないか。
(2) 証券取引(含む開示)に関わる制度・ルールの未整備
ライブドアがもちいた制度の隙間は下記のようなものであった。
株式分割・・・2001年商法改正により、株式分割後の1株あたり純資産額5万円以上、 株式分割後の額面総額(額面金額×分割後の発行済み株式総数)が資本金を超えないこと、等の規制が撤廃された。 ライブドアや子会社となったライブドアマーケティングにおける100分割はこれにより可能になった。 株価は1/100にならず、もともと分割で流動性が高まることによる実質上昇だけでなく、株券の印刷に要した2ヶ月弱の間、 極端な株券不足に陥って価格が高騰するという盲点をついたものであった。ライブドアの株式数は2001年5月発表から2004年5月発表の僅か3年、 4回の分割により3万倍にも膨らんだ。
東京証券取引所の時間外取引「トストネット(ToSTNeT)-1」・・・8:20-9:00、11:00-12:30、15:00-16:30、 買い手提示の買値に売り手が応じて合意することにより大口取引向け市場で、普通取引の直前の約定価格の上下7%迄の範囲内との条件がある。 大手企業・金融機関が大量の持ち合い株解消を円滑にできるよう、1998年に開設された。
証券取引法(現、金融商品取引法)で上業企業の1/3超の株式を株式市場外での「相対取引」で取得する場合は、 買付株数や価格を事前に開示するTOBをかけないといけないが、「市場」であればこの規制は適用されないとの盲点をライブドアはついた。 事前にTOBにかけなくてよいことを金融庁に確認していたという。 しかし、他の当事者の取引参加の機会が実質的になく、競争売買の条件が欠如しており、実質的に相対取引といえる。 また、相手のフジテレビはTOB期間中で自らは市場で株を買い集められず、アンフェアといえる。注:2005年6月証取法改正で、トストネット1などの立会外取引もTOB規制がかかることになった。
株式交換・・・1999年10月の商法改正で買収先の株式と自社株式を交換することにより、資金を使わずに買収できるようになった。 ライブドアは企業買収で50から60社と社長経験者を含む人材、取引先、技術を一挙に手に入れた。 すでに2005年9月決算時点で子会社44社、関連会社5社のうち、約40社は買収によりグループ入りしたものだが、 このうち少なくとも10社以上で株式交換が用いられている。より有利な条件で株式交換するためには株価の維持・向上が不可欠である。
買収・防衛・・・フジとの抗争の中盤、ニッポン放送がフジテレビを引受先とする大量の新株予約権発行を決め、 これに対してライブドアが起こした東京地裁への差し止め請求が認められ、さらに東京高裁も認めた。 しかし、その後、立会外取引のTOB規制がかかった時点なら、そもそもの取得が問題となり、認められなかったのではないかとも思われる。
投資事業組合等の連結決算規制に関する未整備・・・ライブドア事件の核心のひとつは傘下の投資事業組合を利用した粉飾である。 クラサワコミュニケーションズ買収の場合、下記のように個々には問題の無い手順を積み重ね、全体として違法性の高い処理を作り上げた。
ライブドアは株式交換による事業買収を希望、買収先株主はライブドア株でなく現金を希望。
株式交換のうえ買収先株主は入手したライブドア株をライブドア傘下のエイチインベストメントの組成した投資事業組合に売却し現金を入手。 組合の購入資金はライブドアファイナンス(内の投資事業組合)がまかなう。
この間ライブドアは100分割を発表し、実施までの株式不足によりライブドア株は上昇。
孫会社は値上がりしたライブドア株式を売却し、利益を上げ、資金はライブドアファィナンスに環流する。 エイチインベストメントは「投資事業会社」なので売却収入を売上に計上。
エイチエスインベストメントをライブドアの連結に加え、売上をライブドア連結売上に反映。
(3) 会計監査のあり方
当時監査していたのは神奈川監査法人(のち港陽監査法人)で監査報告書にサインをしてきた代表社員の公認会計士、小林元と、弁護士大橋、 およびライブドアの宮内は オン・ザ・エッヂが上場した2000年11月、(株)ゼネラル・コンサルティング・ファーム(通称「ゼネコン」)を設立し、 会計事務、会計監査、給与計算のアウトソーシング、企業合併の斡旋、投資事業組合財産の運用などを手がけ、不正の温床になったと言われる。 監査人小林が顧客側役員の宮内と同じ会社の役員をしていた点で、監査人の独立性上問題であるとされる。
小林は2003年7月にゼネコン社の取締役になったのち、12月にライブドアの決算監査報告書を書き「会社と監査法人、 または関与する会計士との間に、公認会計士法の規定により記載すべき利害関係はない」と記載した。 また不正を見逃し、むしろ知恵を貸してまでしていたようだ[参考文献3]。そもそも監査する企業から報酬を得ている監査法人が客観的な監査ができるか、という問題提起もある。
前述の田中氏によれば、監査人は「物わかりのよい」監査人ではなく、日頃から言うべきことを言うことによって信頼関係を作っておくべきで、 例えば、ライブドアファィナンスによるファンド組成自体がおかしいという。 ファンドは資金も営業もライブドアファィナンスと実質一体、しかもライブドアファイナンスは利益が出ていて税務上のメリットもない。 つまり、ライブドアファィナンスの投資であれば必要な個別銘柄毎の評価損計上の可能性があるところを、 ファンドのポートフォリオという入れ物にいれて免れるためのようだ[参考文献3、p176-177]。
(4) 投資家の判断力
堀江は自ら時価総額経営を標榜し、株式市場に絶えずサプライズを与え続け、20万人を超える個人投資家をライブドアに呼び込んだ。 「同社の株主総会は、株主総会というより、さながらファンクラブの集いだった。 個人投資家の多くは、ライブドアの経営実態を吟味するより、話題性と株価のチャートだけを頼ってライブドアの株を購入した」[参考文献3、p215]。
(一連の騒動が終わった)2005年10月、ライブドアの熊谷は、ニッポン放送買収に踏み切った真意を次のように語ったという、 「『当社も含めてIT計企業の時価総額が、実態以上に高すぎる状態が続いています。IT相場はたぶんこの1、2年で終わると思うので、 株価が高いうちに資金調達をし、実体のある会社を取り込みたかったんです』、、 彼らは、自分たちが虚業であり、虚像であることを正確に認識していた」[参考文献3、p116-117]。
貢ぐファンは別として、冷静な投資家はこのような状況を少しでも見抜くことはできなかったろうか。 たとえばフジテレビと争っていた2005年3月刊行の会社四季報には「情報・通信業」に属するライブドアの連結売上比率のうち「e‐ファイナンス」 の比率が53%とでている。また「会社の概況」には「『膨張』ポータルやネットショッピング拡大」などに続き 「経常利益112億円計画は投資事業と買収次第」とある。売上高は2003年9月期108億円から2006年9月期850億円予想と僅か3年で8倍、 当期利益に至っては同じく5億が70億円と14倍である。しかし、1株あたりの利益は2005年9月予想が9.0円、翌期で10.8円。 IT関連株は概して高く買われているとはいえ、株価が300‐400円に対してせいぜい3%程度である。
日本で株価にもっとも影響を与えるのは経営者による業績予想だと言われる。 ライブドアの予想値は表3、図1に示すように驚異的な伸びであり、しかもそれを実現してみせた。 しかし当時、ライブドア株は無配であり株主はリターンを株価上昇のみに期待していたことになる。 その前提としてこのような急成長が折り込まれているとすれば、その後も同様に急成長せねばならず、 それは急激に立ち上がる曲線を描くことになる。
堀江ら幹部には、この成長そのものを、そして成長した事業体を直接、間接にコントロールするための覚悟と急速な力量の成長が必要になる。 それがどの程度危うさをもつか、マスコミによる豊富な露出内容からみれば外からも判断できたのではなかろうか。
表3 ライブドア発表のグループ業績(金額単位:百万円)
図1 ライブドア発表のグループ業績(金額単位:百万円)業績を見る際に、売上や利益が直接表示されている損益計算書だけでなく貸借対照表やキャッシュフロー(CF)計算書を合わせてみることにより、 個人投資家でもその会社がおかしな決算をしていないかは分かるという。 表4のように、ライブドアはあまりに変化が大きい。また2004年9月期に営業CFが前年比で桁違いに伸びている。 営業CFは一般的に税引き前利益の約40%程度だが、税引き前利益54億500万円に対して営業CF103億4,100万円はあまりにアンバランス、 など全体として一見しておかしい点がいろいろとある[参考文献5]。
表4 ライブドア資産、売上・利益、キャッシュフロー(CF)推移
(金額単位:百万円)
(4) マスコミの分析力
一般人と比べて新聞、テレビなどのマスコミは、情報力も分析力も優れているはずである。 しかし往々にしてそのときの流れにのった表面的な報道が繰り返される。
ライブドアは2004年6月、「近鉄バファローズ」買収に名乗りを上げて一躍有名になったが、その後、9月に仙台市を本拠地とする新球団の加盟申請、高崎競馬場、 さらにはニッポン放送株の大量取得(2005年2月より)によるフジテレビ経営陣とのフジサンケイグループ争奪戦などで連日マスコミをにぎわし、 2005年9月には衆議院選挙立候補、さらに同年12月には日本経団連に入会を果たした。
この間、ライブドア株主は2003年9月に僅か9,000名であったが、2004年9月、15万4,000名、2005年9月、22万名と急拡大した。 この増加にはニュースからワイドショー、 さらには堀江のバラエティ番組出演などでマスコミに登場した広告宣伝効果が多大に寄与したことは想像に難くない。
2006年1月の捜査以降は一転して批判的な報道に転じている。しかし、マスコミの手のひら返しは毎度のことといってよい。 「事前」に複雑な手法そのものの合法性や経営手法の可能性・危険性の指摘をマスコミ、特にTVに求めるのは期待のしすぎかもしれない。 むしろ、極力、ありのままの企業実体、経営者の言動を報道してもらい、受け手の側でそれを判断するのが一番であろうか。
【対処】
堀江の逮捕、辞任を経てライブドアは、以下の取り組みを行った
ライブドアグループは新体制のもと、グループの中核事業をポータルサイト「Livedoor」関連に定め、 ファイナンスなど非中核事業の売却を進め、グループ企業を再編成した。
コーポレートガバナンスを最重要課題に位置づけ、各事業部長などで構成される経営委員会などでの情報共有化や、社外取締役を半数とする、 さらには持株会社の下に事業部門を分社化して配する体制に移行したうえで、グループ会社への社外取締役派遣などを行った。
コンプライアンス強化委員会を設置し、経営理念、倫理綱領、行動規範などを定め、内部通報制度をグループ会社全体に広め、 勉強会を開催するなどの施策を講じている。
【対策】
法の抜け穴探しの手法を封ずる・・・イタチごっこにはなるが、 すくなくとも規制緩和に際して海外の例などから問題を生じそうな点についてはあらかじめ法律などでルール化するか、 あるいは個別事例に対応して証券取引等監視委員会等が基本的な法律の趣旨に即して規制できるような手だてが必要である。
あらゆる組織における倫理観の向上・・・見つからなければ良いという、臭いものにはふたという風潮は社会に広まっているだけに簡単ではない。 しかし、企業における内部統制制度の整備の一環としてコンプライアンスへの取組みも進み、 2008年4月から上場会社における財務情報の適正開示のための体制整備が義務づけられる。内部通報制度も内部統制の一環として運用されている。 ただしこれらの制度も経営者自身の故意に対しては限界がある。
監査品質向上・・・金融庁や日本公認会計士協会などによる監査品質向上の施策がある。 たとえば監査人の独立性を保ち、顧客との監査人との間に緊張関係を維持するため、公認会計士、 特に監査責任者を定期的に変える制度であるローテーション・ルールについて、 公認会計士法上の7年からさらに短く協会の自主ルールとして5年に向かおうとしている。
個人投資家の判断力向上・・・個人の資金は株式市場にもっと入って良いだろう。各企業の情報収集もインターネット活用により飛躍的に容易になった。 しかし、個人は情報収集力や分析力においては機関投資家と比べると相当に不利である。その機関投資家すら株価予測は至難の業という。 耳寄り情報も全て株価に織り込まれているともいう。とすれば短期で高いリターンを得ようとする無謀なことは避け、 日常生活の限られた時間による可能な範囲で、自分なりの判断力をみがき、伸ばしたい企業に長期的に投資するのがふさわしいのだろう。 個人投資家教育も如何にうまく儲けるかではなく、いかに損をしないか考えることだ。
【知識化】
要するにライブドア事件とは、社会システムの抜け穴に目をつけ他人の損失を意に介さず自分の利益を追求した人間と、 その派手なパフォーマンスに踊ったマスコミと投資家の失敗であった。
今後同じような失敗を繰り返さないためには、社会システムの成熟も望まれるが、その構成員である個人も、マスコミや人の雰囲気、 根拠のない人づての話だけを元に行動を起こすのではなく、正しい情報をベースに自分で物事を判断するよう成熟をしなければならない。
本事件からは以下の知識を得た。
合法であれば何をしても良いという考えは誤りである。
会社業績は損益計算書だけでなく、貸借対照表やキャッシュフロー計算書なども参考に総合的に評価しなければならない。
マスメディアは、高視聴率を目的に番組を制作する。その意見を鵜呑みにするのではなく、視聴者は自分で判断をするべきだ。
【後日談】
2005年1月23日の堀江、宮内、岡本の取締役3名とライブドアファイナンス社長の中村が逮捕された翌日、 熊谷を代表取締役とし2004年12月にライブドアグループ入りしていた会計ソフト会社「弥生」の社長、平松を執行役員社長する新体制をスタートさせた。 しかし、2005年2月22日には熊谷も逮捕された。
フジテレビのライブドア株式はUSEN宇野社長が一時、引き受けたが、個人投資家の手放した株式は概ね外資系機関投資家の手に渡り、 また平松社長の出身母体である「弥生」は710億円で、また金融事業は551億円で売却された。
2007年3月、東京地裁で堀江に懲役2年6カ月、宮内に懲役1年8カ月の判決が下された。 判決は検察側主張をほぼ全面的に認め、量刑に関して堀江については「短期的な企業利益だけを追求した者であって、 投資家への配慮といった上場企業の経営者としての自覚はみじんも感じられない」 宮内については「堀江被告によるライブドアの企業実態と乖離した業績予測値の設定」が考慮されている。 また他の被告および会社としてのライブドアは一審判決を受入れ、堀江、宮内だけは控訴している。
2007年4月にはライブドアホールディングスの傘下にライブドアや各社が入る持株会社に移行、 持株会社は経済産業省出身の経営コンサルタントが代表取締役社長、他の取締役5人はすべて社外取締役で、 その構成は企業再生に関わった弁護士やファンド経験者などとなった。
なお村上ファンドやライブドアとフジサンケイグループや阪神電鉄などの企業買収攻防戦は、M&A、TOB、新株予約権、ホワイトナイト、 など様々な言葉を人口に膾炙(かいしゃ)させた。
参考文献
1.「稼ぐが勝ち」堀江貴文,2004年,光文社2.「虚構 堀江と私とライブドア」宮内亮治,2007年,講談社3.「ライブドア監査人の告白」田中慎一,2006年,ダイヤモンド社4.「ヒルズ黙示録 検証・ライブドア」大鹿靖明,2006年,朝日新聞社5.「決算書の暗号を解け!」勝間和代、2007年,ランダムハウス講談社6.「株式会社はどこへ行くのか」上村達男・金児昭、2007年、日本経済新
2017/08/15 9:00
何を聞いても柳井正の答えがブレない理由経営理念を「結晶化」している
PRESIDENT 2016年2月29日号
ファーストリテイリングの柳井正社長は『経営者になるためのノート』をユニクロ全店長に配布している。2015年、門外不出だったこのノートがPHP研究所から出版された。ノートの作成を手伝った経営学者の楠木建氏は「本文を読むだけでは、このノートの価値の10%も享受することはできない」という。どう使えばいいのか。解説してもらった――。
(左)柳井 正氏(右)『経営者になるためのノート』(柳井 正著・PHP研究所刊)「このノートを踏み台にして、あなたに柳井正を超えていってもらうこと、それが私の心からの願いです。」――本ノートの使い方(7ページ)より
なぜ柳井正の口癖は「当たり前」なのか
7年ほど前、柳井正さんから「社内教育機関『FRMIC』の立ち上げを手伝ってほしい」といわれました。私と『経営者になるためのノート』(PHP研究所)との関わりは、そのときまでさかのぼります。
「FRMIC」は従来型の職場を離れて学ぶような社内教育機関とは、まったく異なる発想を持っています。あくまで日々の自分の仕事の中で、自分の頭で考え、目の前の課題を解決することで、経営者人材を育てることが狙いです。
そのために、まずは柳井さんの頭の中にある経営の「原理原則」を1年ほどかけて言語化することから始めました。しかし柳井さんへの聞き取りを重ねるにつれて、「これはかなわない」と参ってしまいました。
柳井さんの口癖は、「当たり前ですけど」。問題解決について柳井さんに尋ねると、「経営者は結果を出さなくてはならない」とか「経営者の役割は急成長して高収益をあげることだ」といった当たり前のことばかりが返ってきます。
当時すでに、ファーストリテイリング(FR)では、幹部社員向けに柳井さんの経営理念をまとめた「経営理念23カ条」という小冊子をつくっていました。この中に書かれているのも当たり前のことばかりで、そのまま読むだけでは退屈です。そしてどんな聞き方をしても、柳井さんはいつも同じ答えなのです。
ところが、さらにインタビューを重ねるうちに、私の目が曇っていただけであることに気付かされました。
柳井さんは自分自身を「商売人」だといいます。商売では、ありとあらゆることが具体でなければ意味がありません。目標は具体的に設定しないと意味がありませんし、結果は具体的にしか出てきません。問題も必ず具体的な形で現れます。
柳井さんのような優れた経営者の頭の中にある原理原則とは、実はこうした膨大な具体的経験、具体的なトラブルから抽出された、論理の結晶体なのです。わかりやすい言葉で言えば、「要するに、こういうことだ」なのです。
この「要するに、こういうことだ」を純化して純化して純化し切ると、般若心経のごとく簡潔極まりない「経営理念23カ条」に行きつく。柳井さんが何を聞かれても「当たり前ですけど」と答えるのは、それだけ経営理念が結晶化されていて、ブレがないからなのです。
「カツ丼」と「天丼」の違いを考えられるか
ここで具体的に考えてみましょう。ある日、ランチで「カツ丼」と「天丼」で悩んだとします。そのときはカツ丼を選んで「失敗した」と思った。さて、みなさんは翌日の昼食で、どのように意思決定をしますか。
「昨日はカツ丼で失敗したから、今日は天丼にしよう」と考えるでしょうか。それとも「なぜ昨日はカツ丼をまずいと思ったのか」と、自分の嗜好を掘り下げるでしょうか。
商売のセンスがない経営者は、前者のように「カツ丼がダメなら天丼」という「具体の横滑り」をします。「青いフリースが売れないけれど、隣の店では赤いフリースが売れているから、今度は赤を仕入れてみよう」というように、横の具体へ飛ぶことで問題解決を図ろうとするのです。こうした経営者は、キョロキョロと周囲を見渡しては、目まぐるしく経営方針を変えていくため、いつまで経っても原理原則を確立できず、無限にぶれ続けることになります。
一方、優れた経営者は問題に直面したとき、次のように考えます。
「カツ丼をまずいと感じたのは、カツが玉子でとじられ、ご飯と一体化していたからかもしれない。自分はトッピングとご飯がきちんと分かれている天丼のほうが好きなのではないか」
冗談のように思うかもしれませんが、ここで重要なのは「なぜ」という問いを立ててから、別の策を試みているかどうかなのです。
優れた経営者は問題に直面したとき、「横の具体に飛ぶ」のではなく「具体を抽象化する」ことで、自分の原理原則を磨き上げ、そこで培った原理原則を別の具体に適応していくのです。そして、柳井さんのような経営者は、この具体→抽象→具体という往復運動を、あたかも呼吸をするかのようにごく自然に繰り返しています。だから問題解決の手法はその都度違うようにみえても、その背後にある原理原則は決してぶれることがないため、掘り下げていくといつも同じ答えになるわけです。
経営者を育てる標準的な方法はない
この「具体と抽象の往復運動」を行ううえで、『経営者になるためのノート』は素晴らしい教材です。FRの歴史という「文脈」の中に経営の原理原則が置かれているため、とてもわかりやすい。
楠木 建●1964年、東京都生まれ。92年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部助教授および同イノベーション研究センター助教授などを経て2010年より一橋大学大学院 教授。『ストーリーとしての競争戦略』『戦略読書日記』など著書多数。
たとえば第2章「儲ける力」の第4項「現場・現物・現実」の中に、「指示をして仕事が終わりではない」という言葉が出てきます。これは柳井さんの原理原則のひとつですが、これだけでは「そうですね」で終わってしまう。ところがこのノートには以下のような文章が続くのです。
ユニクロがフリースに挑戦し始めた当初、さまざまなトラブルが続発した。担当者に理由を質すと「中国の工場には電話で何度も指示を出しているのですが……」という返事。そこで柳井さんは「指示をして仕事が終わりではない」と担当者に言った。「中国の工場はパートナーなのだから、直接現地に行って、現物を前にして一緒に問題解決をしないとだめなのではないか」――。
このように、原理原則を文脈の中に置いてみると、抽象度の高い原理原則も、生き生きとした実感を持って理解できるようになります。
本書の素晴らしさは、それだけではありません。最も重要な点は、本書が「ノート」であることです。読むだけではなく、書き込める点が教材として素晴らしいのです。
FRMICが育てようとしている経営者人材とは「私が稼いできます」あるいは「私が儲けてきます」と宣言して、実際に事業を立ち上げ、利益を出せる人です。「経営者人材=国力」といっていいほど重要な存在ですが、現状では極めて稀少です。
社長や役員であっても、経営者人材であるとは限りません。重要なのは自分の仕事に対する構え、姿勢です。数万人の部下を率いる立場でも、稼ぐ力がなく、「自分の仕事は××担当だから」と認識している人は「担当管理者」にすぎません。経営者に「担当」はないからです。
経営とは、商売の塊を丸ごと動かして長期的に利益を出し続けることです。では、どうすれば稼げるのか。決まった答えはありません。私は経営学者として、「経営とはアートである」と考えています。優れた経営者とはアーティストであり、優れたセンスの持ち主なのです。
センスの対極にあるのがスキルです。「担当者」としての特定のスキルの持ち主を労働市場の中から探し出すことは容易なことです。なぜならスキルは習得できるからです。英語というスキルがほしければ、英語を学べばいい。スキルの習得に必要なのは、正しい方法論と時間と継続的な努力の3点。これを積み重ねれば、スキルは必ず習得できます。
ところが、センスは学習によって身につけることができないのです。別な言い方をすれば、教えることができない。スキルを持った担当者は育てることができても、センスを持った経営者は育てることができないのです。実際、世界中のどの国を見回してみても、経営者を育てる標準的な方法は存在しません。
自分の「原理原則」をノートで磨き上げろ
『経営者になるためのノート』がノートである所以は、まさにここにあります。このノートで最も重要なのは、本文の周囲にある罫線の引かれた余白部分です。本文を読みながら、そこにある原理原則を、自分の仕事という文脈に落とし込み、自分の仕事と紐づける。そうすることで、自分なりの「DO's&DONT's(やるべきこと、やるべきではないこと)」が磨かれ、原理原則が培われます。
先ほどの「指示をして仕事が終わりではない」というエピソードも、受動的に読んだだけでは「いい話だな」で終わりです。しかし、「指示をして仕事が終わりではないということは、自分の仕事でいえば一体どういうことだろうか」と、自分の頭を使って能動的に考えることができれば経営者としてのセンスを磨くことができます。スキルは教科書で学ぶことができますが、センスはノートでなければ磨けないのです。
この事情は、絵画の世界を考えてみるとよく理解できるでしょう。絵筆の使い方、遠近法、色彩に関する知識といったスキルは、教科書から学べます。しかし、そうしたスキルの習得をいくら重ねても、名画を描けるようにはならない。画家になるためには、たくさんの名画を鑑賞しながら、デッサンや写生を繰り返し、アーティストとしてのセンスを磨いていく必要があります。『経営者になるためのノート』の本文には、いわば「いい絵とは何か」が書かれています。しかし、それを読むだけでは名画を描けるようにはならない。名画を参照しながら、周囲の余白に、自分なりのデッサンや写生を重ねていく。そうすることでしか、絵は上手くならないのです。
このノートは、経営センスを磨くための最高のレイアウトを採用していると私は思います。原理原則に対するコメントの書き込みが、非常にやりやすい。逆に言えば、真ん中の本文だけ読んだところで、このノートの価値の10%も享受することはできないでしょう。
1冊使ったら、もう1冊買う。これを一定期間繰り返してから、ノートを読み返してみれば、自分自身の「経営者になるため」の成長の軌跡を、客観的に確認できるはずです。
経営者人材がいなければ社会は回りません。実際に経営者となる人は少数ですが、多くの人が担当者を目指す社会より、経営者を目指す社会のほうが活力がある。このノートでぜひセンスを磨いてください。
(構成=山田清機 撮影=門間新弥)
コクヨの現役社長が編み出した、A3であらゆる数字を図解化する独特な「神ノート」が面白いキッカケは360度評価で書かれた「英邦さんは数字に弱い」
人生を変えるノートの話だ。20代後半のこと、コクヨトップの黒田英邦さんは360度評価で部下から痛烈なコメントをもらってしまう。「英邦さんは、数字に弱いです」。ショックを受けた黒田さんだが、当時の社外取締役に「たいていの経営者はそうですよ。ノートに『面グラフ』を書いてみたらどうか」と勧められる。その後、一生の付き合いとなる「面グラフ」とは一体いかなるものか――。
いつでもどこでも「A3の方眼ノート」を持ち歩く
平日、7時半から8時には出社することが多いです。そこから始業までの1時間から1時間半は一人きりの集中タイム。買ってきたコーヒーを飲みながら、今日1日やるべき仕事の準備をします。次に、1週間、1カ月、3カ月それぞれのスパンで達成すべき目標やタスクを確認します。
僕はもともと1日24時間を緻密に管理するタイプではありません。ただ唯一、欠かせないのがこの朝のルーティンです。経営者の役目を果たすための「生命線」とも言えるでしょう。社長室のスタッフにも、この時間には会議などの予定を入れないよう頼んでいます。
経営者は社内の誰よりも、広い視野でものごとを捉える必要があります。1つの意思決定にも社員、お客様、社会、株主と4者の視点に立ち、どの立場の人にも有益かどうかを考慮しなければいけません。そのために重要なのが、朝の一人きりの集中タイムなのです。
以前から深くものを考えるときは必ず、A3サイズの方眼ノート(レポートパッド)を取り出します。大きくてかさばりますが、いつもリュックに入れて持ち歩いています。上記の4者の視点でものごとを考える際には、どうしてもA3サイズの大きい紙が必要だからです。また大きな紙を使うことで、自分の視野を広げる訓練にもなります。
撮影=鈴木啓介
黒田英邦(くろだ・ひでくに)1976年、兵庫県芦屋市出身。甲南大学、米ルイス&クラークカレッジ卒。2001年コクヨ入社。コクヨファニチャー社長、コクヨ専務などを経て2015年より現職。曽祖父は創業者の黒田善太郎氏。
まずノートの真ん中に、これから考えるテーマを書きます。そこから放射状に、考慮すべき事項や情報、重要な数字をどんどん書き込んでいきます。少し前までは、このA3の方眼ノートをすべての会議や打合せに持ち込んで、議論の内容をいちいち図解にして、参加者全員で情報共有しながら、話し合いを行っていました。
ちなみに、A3の方眼ノートに書くときは、水性のサインペンを使います。太い線で書くと、見た目にわかりやすく、頭にも定着しやすい気がします。使う色は基本的に黒か赤で、カラーペンはたまに使う程度です。
僕のコクヨでのキャリアと、A3の方眼ノートは切っても切り離せません。たとえば、2021年に東京品川オフィスを改装してオープンした実験的なオフィス「THE CAMPUS」事業の立ち上げも、会社の長期ビジョン構想を練る際も、A3の方眼ノートに手書きした図やグラフから着想を得て、プランを練り上げてきました。
文房具メーカーの社長なら、他にいくらでも持ちやすくて格好いいメモ帳があるでしょう、と言われるかもしれません。それでもなぜ、A3の方眼ノートにこだわるのか――。その背景には、僕が昔から抱えてきた“数字コンプレックス”がありました。
初めて1つの部門を任されたとき、部下に見抜かれた「弱み」
数字に強くなければ経営者は務まらない、とはよく言われることです。今さらこのようなことを言うと各方面からお叱りを受けそうですが、僕は数字に弱く、そのことにコンプレックスを持っていました。
昔の話になりますが、20代後半の頃、マネージャーとして初めて1つの部門を任されるようになったときのこと――。人事の「360度評価」で、部下から「英邦さんは数字に弱いです」と書かれたことがありました。そのときショックは受けつつも、「なるほど、そうだよな」と納得したのです。
言われてみればもともと僕は、ものごとを評価するにも感覚的で、定量的観点よりは定性的なテーマに興味を持つタイプです。若手の頃、営業の仕事をしていても、どこか頭の片隅に「数字は結果でしかない。大事なのはその過程だ」と考えていたところがありました。
とはいえ、さすがに部下からそう指摘されては、反省するしかない。将来、大きな組織のマネジメントを行うことを考えれば、このままでいいというわけにはいきません。これを機に、僕は気持ちを入れ替えて、数字に向き合おうと決めたのです。まず思いついたのが、経営に関する数字をノートに書くことでした。
苦手な数字を克服するために、会社のあらゆる数字をグラフ化
入社して間もない頃から、自分の疑問や考えをA3の紙に書く習慣があったので、その紙に部門ごと、品目ごとの売り上げや利益をひたすら紙に書きまくりました。手書きがいいと思ったのは、昔やった受験勉強と同じで、そのほうが記憶に残りやすく、体で覚える感覚があるからです。
それからしばらくして、コクヨの社外取締役の方々に経営改革について教えていただく機会がありました。あるとき社外取締役の一人に、「自分は数字が苦手なのだ」と相談したところ、「たいていの経営者がそうなんだよ」と言われました。そしてその解決法として、「面グラフ」を書くことを勧められました。僕は「面グラフ」と言っていますが、会社のあらゆる数字を棒グラフや円グラフなどの図に置き換えて理解するということです。結果的に、それが本格的にA3の方眼ノートで経営を考えるきっかけになりました。
簡単な例を挙げましょう。単年度の会社の利益構造を数字でつかみたい場合です。売り上げ(金額)を縦軸にとり、年度(時間)を横軸にとって、まずある年度の売り上げを100%とした面グラフを書きます。次に、粗利率が40%だとしたら、縦軸で40%のところに横線を引きます。次いで、販管比率が25%だとしたら、今度は縦軸で25%のところでまた横線を引く。そうすると、2本の横線で区切られた面積15%(=40%-25%)が「営業利益率」になります。
今度は15%のスペースに縦線を引いて、営業利益率を構成する内訳でスペースを割っていきます。たとえばスチールデスクが全体の50%とか、椅子が全体の何%だとか、細かく縦線で区切っていくのです。そうすると、利益構成が面積で把握できます。このように細かく書き込んでいくので、A3サイズの大きなノートを使ったほうが便利なのです。
この作業を続けていくうちに、大事なのは単体の数字ではなく、数字と数字の関係性や割合を、図にして一目でつかむことだと気づきました。会社のあらゆる数字をノートに書き込んでいくうちに、目から鱗が落ちるように、数字が持つさまざまな意味を理解できるようになりました。入社した頃から、A3のノートに思いついたことをあれこれ書いてきたのも、このときのためだったのか、と思ったものです。
最大の試練、子会社の立て直しで取った戦法
僕がこれまでのキャリアの中で最大の試練を迎えたときも、面グラフが助けてくれました。家具部門を統括していた子会社コクヨファニチャーの経営を任された2010年、僕が35歳の頃のことです。
2008年9月に起きたリーマンショックの影響で、国内の家具事業の売り上げが1500億円から1100億円に激減し、約40億円の営業損失を出したのです。これをいかに黒字転換するか――。それがコクヨファニチャー社長に就任したばかりの僕に課せられたミッションでした。
僕は本部長を全員呼び寄せ、まずはコクヨファニチャーの「卸売り」と「直販事業」の割合を並べた面グラフを見てもらいました。その頃の家具事業の売上構成は、「卸売り」が6割、「直販」が4割。卸売りはしっかり利益を出していたのですが、直販が大赤字だったのです。
なぜ赤字のまま直販を続けているのか。それはお客様との接点を持つことで、生の声を聞くためでした。つまりはマーケティング活動のためです。たしかに、お客様の声を聞くことは大事なことです。
しかし僕が書いた面グラフを見て、「これだけの赤字を出してまでマーケティングをする意味はあるのか」と、全員がはたと気づくわけです。そこで「(直販)事業廃止か、黒字化か」の選択に迫られることになりました。
この状況を他の経営者が見たら、10人中10人が直販事業を廃止するでしょう。直販事業をやめて卸売りを強化すれば、1年で黒字化できるのは明らかでしたから。しかし、コクヨとしてはどうあるべきか。
本部長全員で話し合った結果、僕らは常識とは反対の道を選ぶことに決めました。全本部が一丸となって、直販事業の黒字化を目指そうということで意見が一致したのです。そこからみんなで面グラフをにらみながら、黒字化策を考えていきました。誰かが策を一つ発案するたびに、僕が面グラフを書く――。そのようにして何枚も何枚も書いていきました。
面グラフは手書きですから、大雑把な絵に過ぎません。しかし、私と本部長たちが数字のみで捉えていたイメージと、実際に目にする面積が異なることも多く、対策の優先順位を考え直すきっかけを与えてくれました。こうして、みんなで何時間もこの作業を続けているうちに、直販事業を黒字に転換し、利益を出す経営計画案が出来上がったのです。ずいぶん前のことですが、本部長みんなで数字と格闘したあの日のことはいまも鮮明に覚えています。
世の中の変化に負けたくない
2015年、僕が39歳のときに父から経営を受け継ぎました。僕が創業家の人間だという自覚は常に持っています。自分のささいな言動も、会社の方針や意思決定だと受け取られてしまうことも理解しています。これは僕にとって非常に怖いことです。
社長就任以来、さまざまな変革を行ってきました。「コクヨとして、こうなりたい」との僕自身の強い思いがあったからです。もしかしたら、コクヨの変革は5代目の僕が独断専行で進めていると思っている人がいるかもしれません。たしかに、最終決定を下すのはトップの役割です。しかし、会社が進むべき道を決めるのは、最終的にはお客様だと僕は考えています。
コクヨは2025年に創業120年を迎えます。長い歴史を持つ企業ではありますが、「世の中の変化に負けたくない」というのが正直な思いです。僕らに世の中を変えることはできませんが、世の中が激変し、お客様の望むライフスタイルが変わっていくなら、コクヨもそのスピードに合わせて、全力で社会における「役立ちかた」を見直していきます。その覚悟を持って今朝も、明日の朝も、A3の方眼ノートの上に会社の未来を描き続けています。
撮影=鈴木啓介
(構成=大島七々三)
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四季報写経系人間におすすめのカカチャンネル。任天堂、アタリショック、日本屈指のクリエイティブやブランドビジネスを推進していた西武がなぜ経営破綻してしまったのかがわかる。「ノーブランドというブランド」を売りにしていた「無印」だけが生き残ったのは皮肉。
創業家がアート投資するのはいいと思うが個人的に経営者が「メセナ」に凝り出したらやばいと思います。サントリーですらも美術館は経営は手放しています。資生堂のように小さなアートギャラリーをやる分にはいいと思いますが。
会社は親子関係のようなもの。
アップルの創業の目標は「パーソナルコンピューター業界の
ソニー、IT・ソフトウェア産業のビートルズ」でした。
アップルという社名がビートルズの4人が作った「アップルコア」
というユニークな名前そのままの社名でしたが、その後20年以上にわたる泥沼裁判の原因になってしまいます。
私たちは「AI時代のアップル」をどうソフトウェアとハードウェアとサービスで作るかを真剣に毎朝秒速で意思決定しています。
日本の敗北は90年代の半導体投資不足にあった。
どんなITプロダクトも、
個人事業主・零細の頃、
「雇用」こそ経営者の役割です。
とにかく日本人も、雇用さえあれば、凶悪犯罪やテロリストにならなくて済みます。
日本の最大の課題・問題は「所属するコミュニティ」です。
とくに外国人でも、一流の学歴やコンピューターサイエンスの博士号を持っている人でもなければ、移民や外国人は仕事にあぶれてしまうでしょう。
目覚めよ起業家・目覚めよベンチャーキャピタル!「アメリカと中国・ドイツ・インド」に日本が本気で勝てるのは
・食・高級食・ラグジュアリーフード
・宇宙衛星ロケット・ロケット・衛星通信
・半導体設計・部品・検査装置
・製造小売業・ユニクロのspaのような垂直統合型ビジネス(逆に、出版やメディア・広告以外で、水平分業が極めて苦手なのが日本人。水平分業だとどうしても序列・学歴や格差社会ではない統一的な価値観が必須になるが、それがない。)
・日本型バリューチェーン
日本人が考えるラグジュアリーと世界が求める「JAPAN luxury」は違う。
・kimono・wahuku 微妙。ただしレディガガが着てくれたようにモードとしてなら今後ニッチで生き残る。80年代までは呉服市場は2兆円。90年代から一気に斜陽になり、2020年代には4000億円割れに。
・和食・
・
登る山を決めよう。電気
「ダサさ」が大事。日本や世界の田舎のおじいちゃん・おばあちゃんに本気でDAY1から売っていくこと。アーリーアダプター向けのブランドと大衆・レイトマジョリティ向けでも全く違う。
世田谷の地主たちとの対決。土地を安く手に入れられる。
敵として怖いのは、やはり攻撃してくるけれど、いざ土地を売る瞬間になったら、靴のドロを舐めてくる私のような起業家だと思う。武士のプライドは全部ゴミ箱に捨てろ。未来のために、子どもたちのために今最高の意思決定をして、結果と数字を生み出せ。
鳥羽周作
COMPANIES
Skyland Venturesでは、これまで120社を超えるシードスタートアップへ投資を行っており、下記に投資先ポートフォリオを記載しています。
Web3
Metaverse for learning English
Other
Job matching for elderly people
運用会社
4の言語版
ツール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
資産運用会社(しさんうんようがいしゃ、英: asset management firm)とは、広義には投資家の資産を預かり、その資産運用を代行する企業のことである。狭義には投資信託(ファンド)の運用の指図を行う企業のことで、投信会社[1]や運用委託会社[2]とも呼ばれる。ここでは、後者について記述する。
概要[編集]
資産運用会社は、銀行や証券会社等の販売会社が投資家に販売する投資信託を開発し、運用している。投資家(顧客)が投資信託を購入すると、その資金は信託財産として受託会社(主に信託銀行)に預けられ、その運用は運用会社に委託される。運用会社は投資信託の運用方針に従い、預けられた資金を株式や債券といった資産に投資する。運用会社は投資信託の運用・管理費用として委託者報酬と呼ばれる手数料を信託財産から日々控除するが、これが運用会社の主な収益源となる。一般的に、この委託者報酬は予め定められた料率であり、運用成果に基づく成功報酬ではない点でヘッジファンドとは異なっている。
金融業の中では、証券会社は株式や債券等の有価証券を投資家に販売するためセルサイドと呼ばれる一方で、運用会社は機関投資家としてそれら有価証券を購入するためバイサイドと呼ばれる。また、販売会社がセールスする金融商品のメーカーとしての役割を担っており、保険会社と似ている側面を持つが、運用会社は投資家に直接商品の販売(直販)を行う場合は少ないという点で異なっている。
欧米の運用会社[編集]
歴史[編集]
欧米では資産運用会社と証券会社は別々に発展した歴史がある[3]。資産運用会社は王侯貴族や大富豪(イタリアのメディチ家が代表例)の資産を運用するビジネスとして発展したもので数百年の歴史を有する[3]。一方、証券会社は19世紀の株式市場成立におけるブローカーから発展した業態である[3]。
ブラックロック、バンガード・グループ、ステート・ストリートは世界三大運用会社として知られ、[4]いずれもアメリカに本社を置く企業である。バンガードの創業者であるジョン・ボーグルは世界で初めて個人投資家向けのインデックスファンドを設定・販売した人物である。
主な投資信託運用会社[編集]
アリアンツ・グローバル・インベスターズ
日本の運用会社[編集]
日本においては主に、金融商品取引法に規定される投資運用業を行う者を指す。また、公的・私的年金資産などの運用を行う投資顧問を兼業する場合も多い。
歴史[編集]
日本の資産運用会社は1940年前後の証券規制のもとで証券会社の子会社として成立した[3]。今でも日本における資産運用会社は銀行や証券会社、もしくはそれらを母体とする金融持株会社の子会社の形態であることが多い。これは、海外の大手運用会社が独立系や親会社である点と対照的である。欧米と違って日本ではまだ資産運用の歴史が浅く、強力な販売力に頼らざるを得ないという理由もある。
近年、個人の資産運用ニーズの高まりや、貸出残高の伸び悩む銀行の新たな収益源として、資産運用業界は金融業の中でも数少ない成長産業と見なされており、メガバンクグループを中心に運用会社の再編が進んでいる[5][6] 。
主な投資信託運用会社[編集]
銀行系[編集]
アセットマネジメントOne (みずほFGと第一生命が出資)
日興アセットマネジメント (三井住友信託銀行系)
スカイオーシャン・アセットマネジメント (横浜銀行と三井住友信託銀行が出資)
証券系[編集]
野村アセットマネジメント (野村證券系)
大和アセットマネジメント (大和証券系)
岡三アセットマネジメント (岡三証券系)
レオス・キャピタルワークス(SBI証券系)
SBI岡三アセットマネジメント(SBI証券・岡三証券合弁)
保険系[編集]
独立系[編集]
アストマックス投信投資顧問(ヤフーとアストマックスの合弁)
外資系[編集]
詳細は「#欧米の運用会社」を参照
運用会社の主な職種[編集]
ファンドマネージャー
トレーダー
アナリスト
ストラテジスト
エコノミスト
リレーションシップマネージャー
脚注[編集]
[脚注の使い方]
^ 【SMBC日興証券】初めてでもわかりやすい用語集2021年10月9日閲覧
^ “1位は1000兆円超え、桁違いの金額。運用会社の資産規模、世界&アジアのトップ10 – MONEY PLUS”. MONEY PLUS | くらしの経済メディア. 2022年10月20日閲覧。
^ “三菱UFJ国際投信が発足 国内3位、11月にシステム統合”. 日本経済新聞. (2015年7月1日) 2015年7月1日閲覧。
^ “資産運用、規模の競争に、みずほ・第一生命が系列統合、国内最大、世界は遠く。”. 日本経済新聞. (2015年9月25日) 2015年9月27日閲覧。
関連項目[編集]
投資一任会社 - 旧・投資顧問業法の下で認可を受けた会社の一覧あり
vcソーシャルメディアでイキるのはダサい!
田端の大人おまんじゅうゴキブリムーブよりもダサい。
「日本のラグジュアリーブランドと宇宙と半導体」に全人生時間と信用をかけて、張ろうぜ。
絶対に買収したいのはトヨタ・ソニー・ホンダ・キャノン・任天堂。
日本を代表するポートフォリオです。
これを買うためにはどうすべきか?どこから手を打つべきか?小さい頃から電卓を叩いています。そして誠心誠意時代の変化と刷新のための最もいいやり方を伝えるべきです。
もちろん10年では無理だが、ここを100年、200年かけてでも買わせていただけるのならどんなことでもします。クリスチャンだから僕ら一族は命を投げ出してでもやる。
しかも絶対に現場のエンジニアやクリエイターを大事にする。
それぞれのブランドや社風もできるだけ変えません。
トヨタで、豊田家がいないなんてことは絶対にありえない。
ただし、スピーディーな投資の意思決定は私たちに任せて、車作りに専念させてあげたいと考えているんです。100年後、2124年までには必ずトヨタ、ホンダ、ソニーは、クルマの会社ではなく、トータルの地球環境に最も良きエネルギーとエコシステムの会社に脱皮しているはずだ。炭素を出し続けるものづくりビジネスは資源・エネルギー源上、どこまでもは続かないことはみんな知っています。日本社会でも江戸幕府の時代まではしっかりとエコシステムがあった。
http://open.shonan.bunkyo.ac.jp/~hatakama/zemi/matsumura.pdf
・シード投資で当てているvcまとめ
・フォローオン投資
女性でも
キラキラ系・元外資系vcではなく、本物の
キャピタリストが出てきた。
ポスト襟川恵子になってほしい。
評価額73億ドルの「スケールAI」世界最年少富豪が目指す未来とは
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Scale AI 創業者 アレグザンダー・ワン
2022年のフォーブス「ビリオネア・ランキング」に登場した世界最年少富豪のアレグザンダー・ワン。彼が立ち上げた人工知能(AI)開発企業が目指す未来とは。
優れたAI関連企業を選出する米フォーブスの「AI50」リストに名を連ねた「Scale AI(スケールAI)」創業者アレグザンダー・ワンは、“早熟の天才”として知られてきた。だが、ビジネスモデルの倫理的な問題や脆弱性、競合の台頭について懸念が生じている。同社はこれらの課題を解決しつつ、目指す米国のAI時代における優位性維持に寄与できるのか?
2018年に先祖の故郷に旅行した際、アレグザンダー・ワン(26)は、中国で最も優秀なエンジニアたちによる人工知能(AI)に関する見事な講演を聴いた。ただ、AIが具体的にどのように活用されるかという話題があからさまに避けられていたことに、彼は違和感を覚えたという。
自身の両親が中国からの移民で、初の原子爆弾が設計された米ロスアラモス国立研究所の原子核物理学者だったワンは、腑に落ちなかった。「想定される使い方について話が及ぶと、彼らはとにかくはぐらかすんです。何かよからぬ理由があるのは見て取れました」(ワン)
ワンは、AI分野で注目のスタートアップ企業である「Scale AI(スケールAI)」の共同創業者兼CEOだ。彼の名前のつづりが一般的な「Alexander」ではなく、eがひとつ少ない「Alexandr」であるのは、両親が文字数を中華圏で縁起が良いとされる8にしようとしたからだという。スケールAIはこの当時、前途有望な新興企業として主に自動運転車を開発する自動車メーカーにデータサービスを提供していた。しかしワンは、AIが早々に世界秩序を覆すことになるかもしれないと懸念し始めていた。
「人類の歴史を振り返ると、この80年ほどは珍しく平和的でした」と、サンフランシスコの中心街にあるビルの6階にあるスケールAIの本社でワンは語る。眼下では時折、自動運転で走るクルマが勢いよく通りを走り抜けていく。「この状況は、米国のリーダーシップに負うところが大きいんです」(ワン)
ワンは一見すると、大学を卒業したばかりの若者のような、ともすれば移り気な雰囲気を醸しだしている。彼は、ビリー・アイリッシュやグレイシー・エイブラムスなどのサッドガール系と呼ばれるジャンルの音楽を好み、ゴープコアと呼ばれる洒落たアウトドア風のファッションに身を包んでいる。バーに行けば、年齢確認のため、いまだに毎回のように身分証明書の提示を求められる。
ワンが頭角を現し始めたのは16年のことだ。それは、主に自動運転車向けのAIに必要な大量のデータへの「ラベルづけ」事業で勝負に打って出たことがきっかけだった。この分野では誰かが、紙袋と歩行者の違いをAIに学習させる必要がある。
ワンはこの市場を囲い込み、スケールAIをもうひとつの部門、すなわち生成AIでも有利な立場に位置付けた。これが先見の明のある一手となり、業界屈指の大手企業に加え、米国政府をも顧客として獲得することにつながった。
「僕らは、生成AIゴールドラッシュ時代の“つるはしとシャベル”なんです」とワンは話す。生成AIはすぐにスケールAIにとって収益性の高い事業となり、同社によると、昨年は2億5000万ドルの収益を生み出した。
そのテクノロジーは、米国防総省がウクライナの衛星画像を分析するために使われたり、OpenAI(オープンAI)が開発した対話型AIチャットボット「チャットGPT」が、雑学的な質問に答えたり詩を書いたりする能力のトレーニングに使われたりしている。
セールスフォースの元共同最高経営責任者(CEO)ブレット・テイラーは、スケールAIの台頭をクラウドコンピューティングの寵児であるスノーフレークやデータドッグになぞらえる。また、ワンが最も信頼を寄せる相談相手のひとりで、アマゾンのコンシューマー部門の元トップであるジェフ・ウィルキーは、さらに期待のこもった見方をしている。「スケールAIは、AI分野のアマゾンウェブサービス(AWS)になれるかもしれない」と言うのだ。
投資家たちは21年、スケールAIに73億ドルの評価額を与え、ワンをシリコンバレー出身の「最速レベルで保有資産10億ドルを達成した起業家」に押し上げた。しかし、彼の資産は半導体のパワーだけで築かれたものではない。ワンの成功は、AIの構築に欠かせない「データのラベルづけ」という単純作業を担う、約24万人の外部委託労働者の力があってのものだ。
この任務を遂行するケニアやフィリピン、ベネズエラをはじめとする国の人々は、スケールAIが公的なマーケティング資料では言及していない「リモートタスクス」と呼ばれる子会社に雇われている。つまり、AIがいつの日か退屈な日常の業務から人類を開放するとしたら、それは、その多くが時給1ドル以下で働く新興国や途上国の労働者のおかげということになるのだ。
「彼らは、強力なAIシステムを構築するプロセスにおいて非常に重要です」と、ワンはリモートタスクスの作業員たちについて語る。
しかし、彼らの低水準の労働条件や低賃金の問題は、倫理的な懸念が高まっている。一方で競合他社は、スケールAIがトランプのカードでつくられた家のように脆い存在だと見ている。
同社は、複数回の人員整理や、ワンからビリオネアの称号を剥ぎ取った昨年の流通市場での株価の下落に直面しているからだ(流通市場でワンの15%の持ち分は6億3000万ドルと評価されている。しかし、スケールAIは、その価値が8億9000万ドルに近いと主張している)。
「スケールAIは、自分たちをテクノロジー企業として売り込んでいますが、私たちからすれば、ほかのアウトソーシングの企業となんら変わりません」と、ライバルの新興企業Labelbox(ラベルボックス)の共同創業者、マニュ・シャルマは指摘する。ほかの競合も、自分たちのほうがスケールAIより優れたサービスを提供できると考えており、従来のアウトソーシング企業も、自分たちのほうがスケールAIより安価にサービスを提供できると考えている。
しかし、ワンはこの主張に対し、「僕らのほうが長くこの問題に取り組んでいますし、ほかのどの企業より多くの技術を開発しています」と反論する。彼は、倉庫から発送に至る供給網全体を管理するアマゾンの戦略にならおうとしている。スケールAIでいえば、それはデータ処理作業を、ますます自動化させているマシン側と、ますます大群化する人間の労働者側の両面で管理することを意味する。
「人間による作業は常に必要です」(ワン)
最年少ビリオネアになった早熟の天才
大学に進学する前、ワンはベイエリアに移り住み、インターネット系新興企業のQuora(クォーラ)に勤め、同社の共同創業者兼CEOのアダム・ディアンジェロから極めて重要な助言をもらった。「大学で4年間学ぶことは過大に評価されている」と言われたのだ。
ワンは最終的に、米マサチューセッツ工科大学(MIT)にたった1年在籍しただけで、シリコンバレー最強のスタートアップ養成所として知られるYコンビネータに向かった。
そこで、クォーラ出身でやはり大学を中退していたルーシー・グオと組み、16年にスケールAIを立ち上げた。「あのころは笑ってしまうくらい若かった」と述懐するワンは当時まだ19歳だった。
「でも、『大丈夫、コードは書ける。僕らでこいつをやってやるぞ』とか、そんな感じでした」
米マサチューセッツ工科大学(MIT)を中退したアレグザンダー・ワン(右)は、同じく大学を中退したルーシー・グオ(左)とスケールAIを立ち上げた。2018年にふたりは米フォーブス「30アンダー30」に企業向けテクノロジー分野で選出。グオはその後、同社を離れた。理由は「製品のビジョンとロードマップに関する考え方の違い」だという。
当初のアイデアで、スケールAIはアルゴリズムでは不可能な作業を行う人間の労働力を供給するワンストップショップになる予定だった。いうなればAIへのアンチテーゼ的な存在だ。米ベンチャー投資会社アクセルのパートナー、ダン・レヴィンはその可能性をいち早く見抜き、16年7月にワンとグオに450万ドルのシード資金を提供し、自宅の地下室を当座のオフィスとして使わせた。
その後の数カ月で、ふたりはスケールAIの存在が、当時のAI開発の最前線に居た自動運転テクノロジーの各社を悩ませていた問題の解決策になることに気づいた。この分野の企業は、途方もない量の路上で撮影された映像を用いて自動運転車のAIを訓練するが、その映像を確認し、データのラベルづけをする人員がまるで足りていなかった。スケールAIはそのニーズを満たすことができた。
18年にワンとグオは、フォーブスの若手起業家リスト「30アンダー30」の企業向けテクノロジー分野に選出された。グオはその後、スケールAIを去ったが、彼女はその理由を「製品のビジョンとロードマップに関する考え方の違い」だったと語り、それ以上のコメントを控えた。ワンもグオが会社を去った理由を語らなかった。
インデックス・ベンチャーズ共同創業者のマイク・ヴォルピが初めてスケールAIの名前を聞いたのは、18年に投資先の自動運転のスタートアップ「Aurora(オーロラ)」の取締役会に出席したときだった。
彼は「誰だって?」と聞き返したことを覚えている。その後、スケールAIのラベルづけサービスが、オーロラに必要不可欠になっていることを知ったヴォルピは、その年の8月にスケールAIへの1800万ドルの投資を主導した。同社の収益がまだ300万ドルにも満たない時期のことだ。
自動運転分野の事業はドル箱に転じつつあった。フォーブスが確認した19年6月の資金調達用のプレゼン資料によると、その当時のスケールAIの顧客リストには、トヨタ自動車や本田技研工業などの世界的自動車メーカーだけでなく、グーグル傘下の自動運転企業のウェイモなど、シリコンバレーの巨人も名を連ねていた。
さらに、アップルの秘密に包まれた自動運転部門との取引だけでも1000万ドル以上の収益を上げており、年間収益は4000万ドルを超える勢いだと記されていた(スケールAIはこの資料に関するコメントを控えた)。実際に、この年の夏になるころには、同社の年間収益は4000万ドルを超える軌道に乗っていた。
19年8月にピーター・ティールの投資会社ファウンダーズ・ファンドから1億ドルの投資を受け、スケールAIは評価額10億ドルのユニコーン企業となった。そして、その後の20カ月で総額5億8000万ドルを調達し、評価額は70億ドルを突破。その結果、当時24歳のワンは、世界最年少の自力で資産を築いたビリオネアとなった。
スケールAIはスケール可能なのか?
スケールAIが自動運転車向けのデータラベリング市場を支配するようになるころには、その名前はある種皮肉のようなものになっていた。顧客のAIのスケール(規模)が拡大すればするほど、人間の労働力の確保が困難になったからだ。
ワンはまず、その人員不足を埋めるために外注企業に頼ったが、すぐにコストが急騰。18年の初頭に約65%だった粗利益は、同年の第4四半期にはわずか30%に近づいていた。
そこで登場したのが、前出のリモートタスクスである。17年に創業された同社は、東南アジアとアフリカに十数の施設を開設し、何千人ものラベルづけ作業員を安価な労働力として育成した。やはり前出のプレゼン資料によると、19年半ばには、スケールAIの利益率は69%まで回復していた。
同社はリモートタスクスを、周到に別ブランドに位置付けてきた。スケールAIのウェブサイトには、この会社への言及はいっさいなく、その逆もまたしかりだ。フォーブスの取材に、初期の従業員たちは、これはスケールAIの戦略を競合他社に見破られにくくし、詮索から逃れるためだったと述べている。これに対し、スケールAIは、両ブランドを分けた理由は顧客の機密保持のためだと主張している。
一方、英オックスフォード大学の研究者たちは、22年に発表された15のデジタルプラットフォームの労働条件に関する調査のなかで、リモートタスクスが「公正な労働条件の最低基準」において、10の要件のうち2つしか満たしていないと結論づけた。例えば公平な賃金の基準も(初期の従業員たちによると時給は平均数セントだという)公正な代表権も満たしていないというのだ。
研究者たちは、リモートタスクスとスケールAIとの関係性が「曖昧になっている」ことが混乱を招き、それが「労働者たちが搾取されやすい原因になりうる」と指摘している。
主任研究者は、リモートタスクスのようなデジタル労働サービスで働くラベルづけ作業員たちを、同じ国々にあるアパレル工場の労働者たちに例えて、「こうした労働環境に対する説明責任は、実質的にゼロだ」と語った。一方、スケールAIは、作業員たちへの「生活賃金」の支払いにしっかり取り組んでいるとしている。
さらに、倫理面の問題のほかに、ビジネス面の課題もある。スケールAIがリモートタスクスでやっていることは、ほかの企業にも再現が容易だという点だ。掲示板サイトなどにコンテンツのモデレーションサービスを提供するAI企業Hive(ハイブ)の共同創業者ケビン・グオも、かつては自社でラベル付けの企業を運営していたが、利益率の低さから閉鎖している。グオに言わせると、スケールAIが手がけているようなデータラベリングはコモディティ化したビジネスなのだ。
「作業チームを用意できれば誰でも参入できますし、本当にあっという間に価格競争になりますから」
米国のAI分野の覇権を守るため
リモートタスクスが擁する膨大な海外の労働力は、スケールAIの民間部門での成功には不可欠な存在だが、同社のもうひとつの注力分野では役に立たない。その分野とは、米政府相手の防衛関連の請け負い契約だ。
米政府が外国人のラベルづけ作業員たちに、機密データの共有を許すことなどまずありえない。そこでワンは、コストが大幅に高くなる国内でAI関連労働者の大軍を構築している。
昨年、スケールAIはミズーリ州セントルイスに事業所を開設し、200人の人員を採用する計画を発表。その多くはデータのラベルづけ作業員になる。「僕には強く信じていることがふたつあります」とワンは語る。
「1つ目は、AIは善のためになる非常に大きな力であり、できる限り広く活用される必要があるということ。2つ目は、米国が確実に世界のリーダーシップをとれる立場にいられるようにする必要があるということです」
米政府のデータベースによると、スケールAIはこれまでのところ、防衛関連の契約から6060万ドルの収益を得ている。同社は昨年、2億4900万ドルの防衛関連契約を受注したとプレスリリースで言っているが、米国防総省によると、スケールAIはこの契約を受注した70社以上の企業のうちの1社に過ぎない。
同社はこれまで最大1500万ドルの契約を1件受注しているが、支払いはまだ実行されていない。米政府のAI関連支出の最大の分け前にあずかっているのは、いまでもノースロップ・グラマンやロッキード・マーティンといった大企業であり、シリコンバレーのスタートアップではないのだ。
「そういった企業は、生成AIの理解という点では最先端ではありません」とワンは言う。彼にとって、政府との提携は長期戦なのだ。米国防総省はすでに、ウクライナの衛星画像が示す戦略的な意味を理解するためにスケールAIの専門知識や技術を利用しているが、それは始まりに過ぎない。
ワンいわく、生成AIはいずれ、もっと包括的に利用されることになる可能性がある。米国の現役軍事要員130万人から集めたライブデータをもとにカスタムAIモデルを訓練すれば、戦争の本質を変えることになるかもしれない。
ただし、そこに到達するのは容易ではない。生成AIモデルは、先行のAIモデルよりはるかに複雑な学習を必要とし、人間の手助けを必要とするが、それは単にインターネットからデータをかき集めてラベルづけするような作業ではなく、もっと複雑なプロセスだ。なぜ子犬がかわいいのかを、AIに人間の耳にしっくりくるように説明させるためには、人間が自然な言い回しをAIに教える必要がある。
「人間が注釈をつけたデータは、AIモデルの性能に極めて大きな影響を及ぼすことがわかっています」と、オープンAIの競合でトロントを拠点にするCohere(コヒア)の共同創業者エイダン・ゴメスは語る。スケールAIは、同社にとって最大のカスタムデータの提供業者となっている。
しかし、すべてのAI企業がスケールAIを買っているわけではない。例えばオープンAIは、スケールAIの人間のラベルづけ作業員に頼っているが、データの管理には自前のソフトウェアを使う選択をしていると、同社の共同創業者のヴォイチェク・ザレンバは述べている。
また、著名なAI企業でスケールAIに仕事を依頼した経験をもつ3人のエンジニアリング部門の幹部が、同社が提供する人間が作成した訓練データの質には気がかりな点があると、フォーブスにひそかに明かしている。ひとりは、あるテキストベースの生成AIモデルで、ラベルづけ作業員の英語力が乏しかったために支障が出たと語った。「スケールAIのデータの質は高いこともありますが、いつもそうだとは言えません」と別のひとりも話す。
これに対し、スケールAIの広報担当者は、「私たちは自社の製品とその結果に責任をもっています」と述べている。
一方、スケールAIに代わる企業も続々と現われている。サンフランシスコに拠点を置く20年創業のSurge AI(サージAI)も、データのラベルづけツールを提供しており、オープンAIは、この分野の有力企業になりつつあるコヒアやAdept(アデプト)と同様に、スケールAIとサージAIの両方を利用している。また、ベイエリアを拠点とする企業価値10億ドル以上のスタートアップのラベルボックスとSnorkel AI(シュノーケルAI)も、ラベルづけ分野で台頭し、後者は医療や金融など、テック系以外の企業にAIを届けることに注力している。
今年1月、スケールAIはフルタイム従業員の20%を削減した。ワンは市況の「不透明感」を理由に挙げており、「大幅な成長が続くと見て人員を増やしていたのですが」と1月投稿のブログに書いている。同社の株は現在、非公開株の流通市場で、21年7月に実施された最後の資金調達ラウンド時点から42%値下がりした価格で取引されている。
しかし、スケールAIの株主たちは現在も、同社がワンのもとで競合に対する優位性を維持できると確信している。「MITを中退する10代はほかにもいますが、彼がいまの地位まで上り詰めることができたのは、単に天才少年だったからではありません」と、評価額130億ドルのフィンテック企業Plaid(プレイド)の共同創業者で、スケールAIの取締役を務めるウィリアム・ホッキーは言う。「あれほど勤勉な人間はほかに見たことがありません」
スケールAIは先日、コンサルティング大手のアクセンチュアとの契約を獲得した。同社はスケールAIのサービスを使い、何百社もの企業のカスタム化されたAIアプリケーションやAIモデルの開発を支援する計画だ。一方、25万人近いラベルづけ作業員を擁するリモートタスクスは、現在も成長中だとワンは証言する。こうした成長は、すべてワンが考えるスケールAIの最終目的につながっている。すなわち、米国のAI分野における覇権の維持に一定の役割を担うことだ。ワンはこう話す。
「僕たちはいま、大いなる権力争いの時代にあります。米国のリーダーシップが危機に瀕しているとは言いませんが、その主導的ポジションを維持することはかつてないほど重要になっているのです」
アレグザンダー・ワン◎1997年生まれ。ニューメキシコ州出身。幼少期から数学の才能を発揮し、小学校6年生で数学の全米大会に出場。優勝は逃したがディズニーワールド行きのチケットを手に入れた。17歳で質問サイトのQuoraとフィンテック企業Addeparにプログラマーとして勤務。マサチューセッツ工科大学1年生のときにスケールAIを創業し、Yコンビネータから出資を受けて中退。
スケールAI◎2016年創業。創業当初は自動運転開発企業向けに、データのラベル付けサービスを提供。現在は米国防総省やGM、ピンタレスト、アマゾン傘下のZooxなどに利用されている。21年のシリーズEラウンドでドラゴニア・インベストメントらの主導で3億2500万ドルを調達。その際の評価額が73億ドルとされた。
インターネット産業が、結局ECで個人・零細事業者によるニッチの集まる巨大市場(アメリカは本の通販から始まった)か検索エンジンを取れるかどうかだったように、
AI産業革命も、「半導体」「電気の省電力化」「データラベリング」が「ジーンズとツルハシ」になっていくだろう。
目を引くチャットAIや高度な自動文書作成、画像生成、動画生成は今は毎週革命が起こるが、やがて慣れてしまい、すぐにコモディティ化してしまうはずだ。
・「負ける」ことはない。勝ち癖をつけよ。
・市場シェアと利益率とブランドでNo. 1を取れ。
データラベリングの未来を拓く!Scale AIが巨額資金1億ドルを調達、評価額は驚異の13.8億ドルに急騰
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Scale AIがシリーズFラウンドで10億ドルを調達
出資者にはAmazonとMetaが含まれる
AI分野のベンチャーキャピタルによる大型資金調達が続いている
AIモデルの学習のためのデータラベリングサービスを提供するScale AIが、10億ドル規模の資金を調達しました。この資金は一部が新株発行によるもので、残りが二次市場での調達となっています。AI分野のベンチャーキャピタルが大型の資金ラウンドを繰り返している状況の中での調達です。
出資者には名だたる大手企業や機関投資家が名を連ね、AmazonやMetaもその一角を占めています。この動きは、AI技術への投資意欲が高まっていることを示しており、将来のAI発展への期待が反映されています。
Scale AIのこの成功は、AI領域でのイノベーションを続ける企業にとって重要なマイルストーンです。資金調達は、技術開発や人材獲得、市場拡大のために不可欠です。いたちごっこの投資競争の中で、Scale AIがこのような大規模な資金を確保したことは、市場におけるその戦略的位置を強化するものと見られています。
現代のAIは、実際に使える地図を描く航海士のようなものです。データラベリングは、その地図を精密にしていく重要なプロセスです。この調達により、Scale AIはAIの未来を切り開く糧を得たのです。
へえ、Scale AIって何やってる会社なの?データラベリングって、具体的にはどんな作業なんだろ?
データラベリングはね、AIにものを識別させるために、画像や文章にタグをつける作業だよ。例えば、写真に写っているものが犬か猫か教えるみたいな。Scale AIはそのサービスを提供して、AIが学習しやすくする会社だよ。
AIの学習って、まさにデータラベリングがキモになるんだよね。
たくさんのデータに正しいラベルを付けることで、AIは物事を正確に識別できるようになるわけ。
Scale AIはその分野でかなり強みを持っていて、今回巨額の資金を調達したんだ。
この調達には、AmazonやMetaみたいな大手企業も参加していて、それはみんなAIの将来にかなり期待しているってことを表しているんだ。
実際のところ、AI分野への投資は盛んで、これからのイノベーションを牽引するかもしれないね。
Scale AIが新しい資金を使って、技術の開発や市場の拡大にどう動くか、かなり楽しみだよ。
AIが学習する土台が、もっとしっかりしていくことで、私たちの生活も変わっていくんじゃないかな。
「データラベリング」だけだとまだ確実に
長期的には勝てない。ずっとニーズのある、使われ続けるカテゴライズを決めるべき。
それが将来の50年のキャッシュフローを生み出す。
「ソニー、トヨタ、ホンダ、ソフトバンク、ファストリテーリング、リテーリング、キーエンス、ファナック」
これらの企業を本気で事業・商品・財務諸表で乗り越えるためには
どうすべきか、を考えました。
ポルカドットのゲヴィン・ウッドと。
ブロックチェーン技術も一気に使われてきています。
スピードと最速でのキャッシュフロー
現場の開発はエンジニアチームとクリエイティブチームを
絶対に信じる。
創業時期は雀の涙しかない
開発予算だが、10年後には、
3兆円にまで持っていこう。
年収100億円運用部長が分析 AIの金融参入でどうなるのか
タワー投資顧問運用部長の清原達郎氏
自ら学習する能力を身につけ、飛躍的な進化を遂げている人工知能(AI)。従来のように取引の執行だけでなく、意思決定まで行うAIが金融の世界に参入すると、どうなるか? 『人工知能が金融を支配する日』(櫻井豊・著/東洋経済新報社)は、主にアメリカの現状を引きながら、「超高速ロボ・トレーダーが市場を席巻する」「カリスマの相場観、経験、勘に頼ったスタイルは凋落する」などと近未来を予測する。
最後の公表となった2004年度の高額納税者番付で1位となり、「年収100億円のカリスマ・ファンドマネージャー」と話題になった清原達郎氏(タワー投資顧問運用部長)は、どう考えるか。(インタビュー・文/鈴木洋史)
──清原さんが手掛ける日本株の市場でAIの存在感を感じますか。
清原:いや、感じませんね。結論から言えば、AIが市場に参入しても、うちのようなファンドが脅かされることはまったくないです。
うちは東証2部や新興市場の割安な小型株を大量に運用しているのですが、銘柄を選ぶ際、いろいろな情報を取ります。その情報がIR(投資家向け広報)資料やマスコミ報道のような文字化されたものだけなら、コンピュータの方が速く、正確に分析します。
しかし、そんなものは判断材料のごく一部に過ぎません。周辺の人から会社の評判などいろいろな情報を取り、社長にインタビューして経営方針や人物像を見るのはもちろん、その話し振りや顔色から自信や確信に満ちているかどうかまで判断する。AIが自己学習するためにはデータが豊富に揃っている必要がありますが、我々が判断材料とする情報はデータ化しにくい“ニュアンス”のものが多いのです。
そもそも日本の株式市場はアメリカと比べて歴史も短く、規模も小さく、経験も少ない。さらに小型株の場合、出来高が少ない。従ってデータが少ないんです。
──しばらく前、人工知能の「アルファ碁」が世界的な囲碁のトッププロと対戦して勝ち越しました。
清原:あのおかげで、何でも人間以上にできるとばかりに、AIの能力が過大評価されたと思います。イメージ的に言えば、株の運用というのは、碁のように線と線の交点にだけ石を置く単純な世界ではなく、交点から外れたところや碁盤の上部の空間にも石を置く世界で、複雑さのレベルが違います。
──東京証券取引所でも2010年から、コンピュータによる超高速の株式売買システム(アローヘッド)が導入されていますが。
清原:コンピュータが人間より有利なのは、基本的には短期のスプレッド取引(価格差、金利差を利用した裁定取引=鞘取り)です。それはスピード勝負ですから。しかし、AIが長期の運用に向いているとは思いません。
──運用に勝負度胸は必要ですか。AIが人間に取って代わったとき、その問題はどうなりますか。
清原:客観的に見て勝つ確率の高い運用なら躊躇する必要はないはずですが、巨額の運用をするファンドマネージャーは誰しも恐怖心を抱いた経験があります。だから勝負度胸が必要なのですが、恐怖心を抱くことは人間の弱さであり、決断を躊躇すれば運用にとってマイナス。その点では余計なことは考えないAIの方が有利ですよ。
しかし、恐怖心がプラスに働くことがないわけではない。運用を踏み止まった結果、大損せずにすむ場合もあるわけですから。反対に、恐怖心を抱かないコンピュータはそのまま運用を続け、どこかで大損する、といったことがあり得ます。
──今後、AIを使うヘッジファンドが日本市場にも本格的に進出してくると、お客さんの資金がそちらに流れませんか。
清原:最初はそうなる可能性はあるでしょうね。しかし、資金を集め、実際に運用が始まると、化けの皮が剥がれますよ。それに、AIは詐欺の温床になりやすい。ついこの前も、「高速取引ができる独自のシステム」を謳い文句にした投資コンサルタントが詐欺で捕まり、被害者の中に芸能人もいた事件が週刊誌で報道されました。
うちはこれまでこれだけ高いパフォーマンスを達成した。だから、今後も……とシミュレーションを示されると、つい信じてしまう。特に日本人はシミュレーションに弱いですからね。
しかし、運用の世界には「サバイバーズ・バイアス」があることを忘れてはいけません。成功したファンドの背後には、実は失敗して廃止になったファンドが屍のように転がっている。その失敗例は取り除き、成功して生き残っている例だけを計測するから、パフォーマンスが高くなるのです。そしてAIの場合、そのバイアス(偏り)がかかりやすい。
なぜかと言えば、プログラムの数だけ簡単にファンドを立ち上げられるから。もうひとつの理由は人材面。今、アメリカではAIを勉強する学生が多く、以前ならIT業界に就職していたのに、破格の高給に惹かれてヘッジファンドに入るケースが増えている。彼らは失敗してもIT業界に簡単に転職できるので、一攫千金狙いになりがちです。その2つの理由で“屍”が増えやすいのです。
──IT業界から人工知能の技術者が有力ヘッジファンドに超高給で引き抜かれている、と本書も書いていますね。
清原:アクティブ運用(市場平均を上回るリターンを目指す運用)の世界はゼロサムゲームで、誰かがプラスになれば誰かがマイナスになる。全体として見ると、社会に対して何の付加価値も生まない。金融工学も客を煙に巻いてお金を出させるために使われてきたようなものです。なのに、金融の世界にもっとコンピュータ・サイエンスをやる人間が増えないと日本は世界から遅れてしまう、などと言う著名な経済学者がいますが、寝言もいいところです。
私は今から予測しておきますが、AIが金融の世界に入ってくれば、流行語になるくらいAI詐欺が増え、優秀な人材が無駄に使われるだけ。いいことはありませんね。
【PROFILE】きよはら・たつろう/1959年島根県生まれ。タワー投資顧問運用部長。1981年東京大学法学部卒業後、野村證券入社。1992年に退社し、ゴールドマン・サックス証券、モルガン・スタンレー証券などを経て1998年から現職。
【協力】伊藤博敏(ジャーナリスト)
※SAPIO2016年12月号
https://finance.yahoo.com/quote/AAPL/balance-sheet/
女性の資産家は襟川恵子さんと大和証券の田代桂子さんのみ。
メチータ・男の夢(上)
1966年春まで、本名は伏せられたまま、「チーフ・デザイナー」(Chief Designer = 主任設計員)という肩書きだけで公にされていた男がいた。彼はソ連のロケット工学全般を指揮し、世界最初の人工衛星や有人飛行を達成させただけでなく、大陸間弾道ミサイルやスパイ衛星といったものも先駆的に開発した男である。
彼の名は、セルゲイ・パブロビッチ・コロリョフ(Sergei Pavlovich Korolev = Сергей Павлович Королев)。1966年に死去するまで、旧ソ連のロケット開発現場を指揮し、数々の「世界初」を達成させた。写真がその、彼のポートレイトである。この一見優しそうな、穏やかな表情の男に、実は不屈の、鋼鉄の精神が漲っていたことを、どれほどの人々が感じ取るであろうか。ソ連宇宙開発を知る上でどうしても避けて通れない彼の物語を、2回に分けて辿ってみることにしよう。
セルゲイ・コロリョフは1907年1月12日、現在のウクライナの首都キエフ市の近郊の町で、高校教師であった父パーヴェルと専業主婦の母マリアの間に生まれた。暖かい家庭に恵まれた誕生、の筈だったが、早くも暗い陰が落ちようとしていた。
父パーヴェルの父、つまりセルゲイの祖父の死後、家庭内の複雑な人間関係のため、セルゲイが3歳の時、母マリアは彼女の妹の家に移り住み、別居状態となる。マリアは生活の基盤を作るため、学校へ通い、手に職をつける決心をしたのだったが、そのため、セルゲイは160キロも離れたマリアの父母宅に預けられることになったのだ。祖父母の優しさが彼を包む毎日ではあったが、両親が不在という状態は、決してよい状態とは言えなかった。また、彼と同い年の子は周囲には殆どおらず、一人で遊び、考え、辛い時に甘えることのできる両親はおらず、代わりに強い精神力だけが宿っていった。泣くこともなく、仮に泣いてもその涙を見る者はいなかった。
彼は小さい頃から記憶力が抜群で、算数は早い時期から得意だったようである。彼が6歳の頃、近くの広場で、飛行機の公開ショーが行われた。これは彼に、強烈なインスピレーションを与えることとなった。
エンジンを積み、自力で飛行する飛行機が世界史に登場するのは1903年12月のことで、米国のライト兄弟により達成されたのはよく知られている。それから10年後、セルゲイ少年が目の当たりにすることになるわけだが、フランスで行われたヨーロッパでの公式飛行でさえ1908年であり、その2年後にウクライナの田舎町に飛行機がお目見えするのだから、急速な広がりと言える。当時世界は飛行機ブームで、実用もさることながら、ショーとしての要素も強かったようである。ちなみに我が国では、1910年(明治43)12月に動力飛行機の初飛行が行われている。
「将来はパイロットになろう!」
彼のその大きな目の奥に輝く瞳は、そう誓ったのであった。ちなみに1914年に第一次世界大戦が勃発すると、飛行機の重要性が決定的となり、その技術開発とエンジニアの育成は急務となった。それが結果的に、コロリョフの将来に有利に作用したのは言うまでもない。
◇
彼が9歳の時、母マリアはバラーニンというエンジニアと再婚する。コロリョフの義父となるわけだが、バラーニンは教育熱心な男で、コロリョフにマナーや勉強のやり方について徹底的にたたき込み、また、技術者の血なのだろうか、コロリョフの飛行機に対する良き理解者でもあった。1920年代に入り、世の中が落ち着くと、コロリョフは学校へ行くことになる。セルゲイ・コロリョフ、15歳であった。
彼が入学した学校はいわゆる職業訓練校のような学校で、そこではまず、屋根葺きとタイル張りを訓練されたという。ただ彼の頭には常に飛行機の事しか無く、大工仕事には不満を持っていたと言われるが、彼の生まれつきの器用さは群を抜き、やがてアルバイトで屋根の雨漏り直し等で小遣いや学費を稼げるようになった。
17歳の時、キエフ工科大学航空学部へ進学し、グライダーの制作に没頭する。好きな事を、存分にできる時がやっときたのだ。勿論、新聞配達や屋根直しで生計を立てながら…。
1926年夏、彼は更に、モスクワ高等技術大学への入学許可を受ける。そこはロシアの航空学のメッカで、学生達は必然的に設計制作に関わることになった。彼はここで、アンドレイ・ツポレフを師と仰ぐことになる。ツポレフとは、その後50年に渡り、ロシアの航空機を設計し続けた天才。コロリョフは飛行艇の開発チームに入れられたが、次第にロケットへの関心が強まっていった。
◇
「ロケット」と「飛行機」の違いを今一度、ここで確認しておこう。飛行機は自身が積んだ燃料を空気中の酸素で燃やすことにより推力を得、飛行するものである。一方ロケットは、酸素をも自身の機体に積み込み、エンジンで燃料と酸素を混合し燃焼、吹き出すことにより推力を得る仕組みになっている。強制的に酸素と混合させることで飛行機よりも強い推力を得ることができ、何より、酸素を自蔵しているため、空気が無いところも飛行することができる。つまり、真空の宇宙を飛ぶためにはロケットでないとダメなのだ。
1920年代後半から30年代にかけて、世界各地でほぼ同時にロケットが現実味を帯びてきた。1926年、米国のロバート・ゴダードが世界初の液体燃料式ロケット(写真)を飛ばすことに成功し、また同じ頃、ドイツでは「宇宙旅行協会」が設立され、ロケットの研究が行われていた。宇宙飛行自体がまだ夢であったこの時、「宇宙旅行」という言葉が冠された協会が設立され、ロケットが研究されていたのは興味深い。
一方、ソ連ではGIRD(反動推進研究グループ)という組織が結成されていた。コロリョフは当時、師匠・ツポレフの開発していた爆撃機に関する仕事をしていたが、週末をGIRDで過ごし、そしてそのひとときが一番楽しかった。また同じ頃、後にコロリョフのライバルとなるバレンティン・ペトロヴィッチ・グルシュコがレニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)より呼び寄せられ、チームに加わる。グルシュコはエンジン工学が得意分野であった(写真)。
GIRDは1930年代、様々な航空機やロケットの実験を続け、実績を作っていった。コロリョフは機体設計を担当し、グルシュコがエンジンを開発する。彼らは互いの能力を認め合い、尊敬していた。その素晴らしい連係プレー…彼らが次世代のソ連の航空・ロケット開発を担う巨人となることは、誰の目にも明らかだった。
しかし、その「最もよき日」は、長続きしなかった。当時のソ連指導者・スターリンの大粛清の渦は、そこまで迫っていたのである。
◇
1917年、ロシア革命で成立したソビエト連邦を指導していたのは世界史でもよく知られるレーニンであるが、彼が1922年死去すると、その後を継いだのがヨシフ・スターリンだった(写真)。だが、スターリンが後を継ぐのを最も恐れていたのが何をかくそう、レーニンだったのは皮肉な話である。生前、「スターリンだけは、トップに就けてはならない」と周囲に漏らしていたのは、彼に潜む凶暴性を見抜いてのことだった。しかし彼はレーニン死後、ライバルを蹴落とし、さっさとトップに躍り出てしまう。
近代ロシアの歴史の中で、最悪の時代を迎えつつあった。このスターリンという男はとにかく猜疑心が尋常でなく、少しでも自分に反抗を見せるような人間は容赦なく収容所へ送り、処刑した。それは年を重ねるごとに強さを増し、死ぬ間際など、「もう自分も信じられなくなった」などとつぶやいたとも言われている。
彼は秘密警察を組織し、少しでも彼へ、体制へ疑問を抱くような人間を捜し出しては、収容所へ送った。また、密告も奨励された。非常に嫌な世の中である。無実の人間も、収容所へ送られた。逮捕された人間が、自分の命と引き替えに、別の関係ない人間を告発する事も平然と行われた。スターリンの凶暴性は、そんな極端にひずんだ監視社会の実現という形で表れたのだった。
◇
「ダンダンダンダンダンダン!」
1938年6月7日早朝、コロリョフの住むモスクワのアパートを激しくたたく者がいた。当時31歳の彼は結婚し、娘を1人授かっていたが、そんな静寂を打ち壊して入ってきたのは、秘密警察の連中だった。
当時、秘密警察がやってくるのは午前4時だったという。ドアを叩く烈しい音が、隣の住まいからであることに胸をなで下ろす人々は後を絶たなかったと言われている。
「オマエに逮捕状が出ている!」
そう告げると、有無を言わさず彼を連行した。妻のキセーニャは彼に着替えを与えることも許されず、彼には、まだ眠っている娘にさよならを言う猶予も与えられなかった。容疑は、「ドイツにおいて反ソビエト団体と共謀している」というものだった。
彼はそもそも政治には無関心であり、共産党員でもなかった。大体、普段はロケットの事しか頭になかったのだ。それなのに、反政府活動に荷担しているというのである。濡れ衣以外、何者でもなかった。(右は逮捕直後のファイル)
しかもそれがなんと、エンジンの天才・グルシュコの讒言によるものだった!グルシュコ自身、コロリョフの1ヶ月前に逮捕され、8年の禁固刑が言い渡されていた。
1936年から1938年にかけ、スターリンの粛清は頂点に達し、多くの人間が逮捕、投獄された。かなりの数の学識経験者も投獄され、その多くが帰らぬ人となった。研究者の世界は比較的リベラルな風土で、それ故かえって標的とされた、され易かったのである。
9月27日、コロリョフには10年の強制労働が言い渡され、東シベリアのコリマ地区にある収容所に送られた。コリマには金山があり、金の採掘をやらされることになったのだ。
そこでの生活は、悲惨を極めた。食事も衣服も満足に与えられなく、建物はすきま風が入り、まともな空調など無く、その上で重労働をやらされる。季節は秋から冬へと向かい、寒さは極限に達した。ここは、シベリアでも最も冷える土地である。
「コリマ」は「地獄」の代名詞だった。
多くの人間が命を落とした。事実、「コリマへ送られたら生きて帰れない」と言われていたのである。収容所には監視塔も柵もなかった。仮に脱走しても近隣に村はなく、生きのびることなどできなかったからだ。スターリンの時代、収容所で命を落とした人間は1500万人とも2000万人とも言われる。コロリョフも例外ではなく、看守の暴行であごは砕かれ変形し、栄養失調から壊血病になり、血を流す歯茎からは歯が抜け落ちた。心臓も弱り、生きているのが不思議なぐらいであった。いや、彼は「死んだ」も同然だった。
コロリョフがコリマへ送られたのは、ありもしない容疑を認めず、また、誰かを陥れるような告発をしなかったからだろう。もし、無実の罪を認めていたら、処刑されていたに違いない…事実、GIRDのメンバーには処刑された者がいる。讒言で「命乞い」をしたグルシュコは禁固刑で済んだのだ。コロリョフは、正義の男だった。
そしてその彼を救うべく、命がけで訴え続けた男がいた。コロリョフの師・ツポレフ、その人だった。彼自身囚われの身であったが、その卓越した才能をスターリンは理解し、囚人科学者を集めた研究所を設立させていたのだった。ツポレフはコロリョフを、そこへ呼び寄せようとしていたのである。1939年6月、コロリョフは再審議の結果、収容8年に減刑され、翌年9月、モスクワへ移送された。だが、モスクワ行きの列車に乗せられたとき、彼は半死の状態だったという。
収容所での彼の生活は、未だによくわかっていない。収容所で経験したことを殆ど口にしなかったからだ。ただそれは、彼の体に生涯染みついて取れないものとなっていた…
後年、彼につけられた秘書が金の装飾品を身につけているのを見て、執務室から秘書を追い出したという逸話がある。
彼は食事の際、出されたスープをペチャペチャと音を立てながら猛スピードですすり込み、最後はパンの切れ端で皿をなめ回すと口の中へ放り込んでいたという。初対面のゲストなど、マナーも何もないその姿にあっけにとられたと言われるが、コロリョフに収容所経験があると聞くと、以後笑うことは無かったと言われる。
…彼の経験したことは、想像を絶するものであったことは間違いない。
彼が収容所に入れられている間の1939年9月、ヒトラーがポーランドへ侵攻し、第二次世界大戦が勃発した。圧倒的な空軍力を誇るドイツの電撃作戦は瞬く間に欧州全土を制圧し、ついにソ連へと進軍を開始した。ドイツ航空機の充実ぶりには、スターリンも圧倒されたに違いない。彼のテクノロジーへの理解は、そのような感じであっただろう。収容所へ送った技術者達を集め、兵器の研究に携わることを許可したことには、そのような背景もあるのかもしれない。いずれにせよ、コロリョフは囚人ではあったが、航空兵器の研究に従事することを許された。ただ、ロケット研究は、寝る前の僅かな自由時間に許されたに過ぎなかった。
◇
大戦末期の1944年9月、ドイツは秘密兵器の実戦使用を開始した。それは「V-2」と呼ばれたミサイルであった。“V”はドイツ語の“Vergeltung”の頭文字で、「復讐」を意味する。このミサイルは戦後米国に渡り、後にアポロロケットを実現させることとなる、フォン・ブラウンという天才が主導して完成させたものだった。
V-2は、ロンドンを恐怖のどん底にたたき落とした。それは主にドイツ北部のペーネミュンデという地区から発射されていたが、精度が高く、当時としては大型の爆弾を搭載できるほど強力なものであり、終戦までに1500発が打ち込まれ、数千人の犠牲者と建造物への甚大な被害を出した。しかし、この“最終兵器”も1945年3月までが限界だった。ドイツにはもう、国力が残っていなかった。
第二次大戦も末期になると、米英ソを中心とした連合国間に、戦後を見据えた野心が見え隠れするようになる。米英軍がドイツ本土に進軍すると、ペーネミュンデのV-2基地を独り占めされることを恐れたスターリンは、1945年4月には調査チームを派遣し、8月にはコロリョフも到着した。しかし、そこで彼が目の当たりにしたものは、彼に落胆にも似た驚愕を与えるには充分過ぎるものだった。
ドイツの作り上げていたV-2は、コロリョフらの技術の10年は先をいくものであった(写真は米国で再現されたもの)。極めて完成度の高いそのフォルムはドイツの工作レベルを体現し、特にエンジンの性能は目をこすらせた。より遠くへ、より重いものを飛ばすには、強力なエンジンを要する。そしてそれが実現されていたのだ。
1945年10月、米ソの代表団立ち会いのもので、接収されたV-2の試射が行われた。それにはコロリョフも立ち会ったが、しかし、彼は柵の内側に入ることは許されなかった。行動はまだ、制限されていたのである。
彼らはそこで、V-2の部品や出来損ないを集め、ソ連へ持ち帰る事となったが、スターリンは、ドイツ人技術者達の連行も命令した。数千人のエンジニアとその家族らが、瞬く間に連れ去られたのである。それは文字通り強制連行ではあったが、彼らドイツ人はロシア人技術者よりも破格の待遇を与えられた。スターリンは1946年5月、ソ連版の弾道ミサイル開発を指示し、8月にはモスクワ郊外のカリーニングラードという街にNII-88と呼ばれる科学研究所が設立された。
◇
コロリョフに、本格的なロケット開発の命令が下された。未だ行動が制限された身ではあったが、その卓越した能力と統率力を評価した当局は、彼をチーフ・デザイナー(主任設計員)に任命した。「R-1」と名付けられたミサイルを制作するのが最初の任務として与えられたが、しかし、R-1はV-2の完全コピーであった。
彼は、面白くなかった。ロシア人エンジニア達のデザインしたロケットがドイツのものよりも性能は上だと確信し、また、完全コピーという「猿まね」をすることを、感情が許さなかったのだ。だが結果としてR-1の復元は、多くの経験と新しい知識、そして技術をもたらすこととなった。確かにコロリョフらのデザインは優れてはいたが、それを実現するための満足な工作機械がなかったのである。
ところでスターリンは、ある意味うまいやり方を考えた。技術者同士を競わせる、というのである。連行してきたドイツ人チームに新たなロケットを開発させる一方、それに対抗できるようなものをコロリョフのチームに要求したのだ。1947年から48年にかけ、V-2を改良したR-2の設計を指示し、同じような要求はドイツチームにも与えられた。当局は双方を検討した結果、ドイツの方を評価したのだったが、それに反発したのは勿論、コロリョフだった。
彼はねばり強くロシアチームの設計の優位性を主張し、最終的には評価を覆すことに成功したが、フラストレーションの連続だったのは間違いない。このような開発がR-3、R-5と続いたが、技術的に自力開発が可能な水準に達しつつあったのも確かだった。
◇
1950年4月、コロリョフはNII-88に設置された「第一設計局」(OKB-1)の責任者に任命された。また、1951年春にはドイツ人エンジニアらの解放が始まり、53年までには皆、ドイツに帰還した。
1953年4月、ソ連政府はコロリョフが提出したR-7ロケットの開発を承認した。このロケットは、射程7000kmに達する大陸間弾道ミサイルで、49年に完成していた水爆を搭載して飛ぶものだった。「猿まね」から丸7年、彼らは大陸を越えた跳躍をするロケットの開発にまでこぎ着けようとしていたのである。
ただ、新たな問題が生じつつもあった。コロリョフとグルシュコの間に亀裂が生じていたのだ。コロリョフは、グルシュコの讒言のために地獄を味わったことを、忘れなかった。しかも、45年に行われたV-2試射の際、柵の外でコロリョフは、グルシュコがソ連代表の一人として中にいるのを見つけたのである。
「何でアイツが…」
視線の先のグルシュコは、緊張した面持ちの中にも、満足があった。人一倍ロケットへの思い入れが強いコロリョフゆえ、飛び上がったV-2の姿よりも、自分を陥れたグルシュコの姿を追い、拳を握りしめた。
一連の「Rシリーズ」の開発では、グルシュコのエンジンが、必要とされる性能を出し切れないのにイライラしていた。それは、設計は満足だが工作技術が追いつかないのか、設計が不味いのか、あるいはグルシュコの故意なのか、わからなかった(下・「補足」参照)。
一方、グルシュコは、自分がエンジンの「下請け」扱いにされつつあるのが気に入らなかった。コロリョフ主任はいつも、エンジンを「要求」した。技術者としては対等の筈なのに。しかも、エンジンのテクニカルな内容にまで口を挟むようになってきた。エンジンに対する自負が強いグルシュコにとって、これほど面白くないことはない。
…巨人らの確執は、死ぬまで続くこととなる。(続く)
※補足
グルシュコのぶち当たった困難は、R-3ロケット(ミサイル)の開発だった。このミサイルは射程3000kmを目標とし、3トンの核弾頭を搭載して飛翔する中距離核ミサイルであった。機体設計においてコロリョフは、グルシュコにエンジン開発を依頼したが、それは思うように進まなかった。
グルシュコが苦しんだのは「ポゴ効果」と呼ばれるエンジン及び配管系全体が振動する現象。液体燃料ロケットにはつきもののこの現象は、燃料の燃焼圧と燃料供給圧のアンバランスから生じる振動。これが機体と共鳴すると振動は増幅し、最悪の場合、機体を破壊してしまう(ちなみにこの現象には、米国のアポロロケット(サターンⅤ)も悩まされた)。
結局、グルシュコのチームはこの困難を克服することができず、R-3開発は1951年10月に打ち切られた。
【Reference】 どの資料も詳しくわかりやすく、推薦です!
Encyclopedia Astronautica © Mark Wade http://www.astronautix.com/
「月を目指した二人の科学者」 的川泰宣 著 中公新書
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ロシア宇宙開発史 面白い。
ネットで無料で読める。
ソ連/ロシア宇宙開発の大いなる遺産
(-) Dedication
(0) はじめに 連載にあたって
(1) ヤー・チャイカ! テレシコワの見た宇宙 (ボストーク6号) (初版 07.21.2003)
(2) サーカス・サーカス 強引なフルシチョフの命令 (ウォスホート1号)(初版 11.11.2003)
(3) どこまでも運のいい男 レオーノフの緊迫した体験 (ウォスホート2号)(初版 11.21.2003)
(4) メチタ・男の夢(上) 「ソ連宇宙開発の父」セルゲイ・コロリョフ (初版 12.14.2003)
(5) メチタ・男の夢(下) 夢を追い続けたコロリョフ親方の闘争 (スプートニク1号)
(6) 男の友情 欠陥だらけだった新宇宙船の悲劇 (ソユーズ1号)(初版 01.28. 2004)
(7) ブラック・マンデー 飛行士達の選抜と消された大事故 (ネデリン・ディザスター)(初版 04.02. 2004)
(8) 癒し系の男 ガガーリンの選抜とギリギリの米ソ競争 (ボンダレンコの悲劇)(初版 05.02. 2004)
(9) 親父の背中 人間が初めて宇宙を飛んだ日 (ボストーク1号)(初版 05.23. 2004)(追加 08.17.2006)
(10)消された男たち 「初めからいなかった」男たちの素顔 (初版 06.29. 2004)
(11)危機一髪の帰還 完成への遠い道のり (ソユーズ2,3,4,5号)(初版 07.19. 2004)
(12)宇宙ステーションへの道 アポロに負けたソ連の選んだ道 (ソユーズ6,7,8,9号)(初版 08.12. 2004)
(13)運命のいたずら(上) 宇宙ステーションのコンセプト (ソユーズ9,10号)(初版 09.09. 2004)
(14)運命のいたずら(下) 誰も想像だにしなかった悲劇 (ソユーズ11号)(初版 09.30. 2004)
(15)宇宙戦艦 …? 長期滞在の目的と結果 (サリュート1号~7号) (初版 05.07.2005)
(16)なんてこった! サリュートで活躍した飛行士たちのエピソード (初版 06.26.2005)
(17)ゆりかごの外へ 全ての情熱をロケットへ!(ツィオルコフスキーとその弟子達)(初版 07.28.2005)
(18)冷凍庫と溶鉱炉 連載付録:ロケットの概要に関して (初版 07.30.2005)
(19)月面一番乗り! 月を目指した米ソのロケット競争と幻の月面核爆発 (ルナ1号、2号) (初版 08.25.2005)
(20)敵のフィルムで撮ったウラの顔 月の裏の姿を見たエンジニア達の興奮 (ルナ3号) (初版 09.05.2005)
(21)月面争奪戦! 月面軟着陸までの、苦行の日々 (ルナ9号) (初版 12.28.2005)
(22)レッド・アポロ 複雑な 「ソ連版アポロ計画」 (初版 05.03. 2006)
(23)Red Apollo in Orbit 挫折したソ連の有人月周回計画 (7K-L1 / ゾンド計画) (初版 05.05. 2006)
(24)Red Apollo, No Compromise エンジンを巡る妥協無き二人 (N1-L3計画) (初版 05.21. 2006)(修正12.30.2007)
(25)Red Apollo, Low price - High risk 想定外の設定ミスと募る不安 (L3/LK着陸機)(初版 08.01. 2006)
(26)Red Apollo, Never Reached N1・悲劇的な爆発と哀れな最期 (N1/3L~7L)(初版 03.17, 2007)
(27)ババキンの傑作(1) 月の土壌を持ち帰れ!(ルナ16号、20号、24号、他)(初版 05.30. 2007)
(28)ババキンの傑作(2) 5人で動かすラジコンカー (ルノホート1号、2号、幻の3号) (初版 06.02.2007)
(29)惑星への道は開かれた(1) 情熱の火星・金星探査ミッション (マルス・ベネラ計画) (初版 08.20.2007)
(30)惑星への道は開かれた(2) マルス艦隊、出撃! (マルス2号~7号) (初版 10.04.2007)
(31)灼熱の惑星に挑む(1) 暴かれたそこは極限の世界だった(ベネラ1号~4号) (初版 10.18.2007)
(32)灼熱の惑星に挑む(2) 金星軟着陸、完全成功!(ベネラ5号~8号) (初版 11.09.2007)
(33)灼熱の惑星に挑む(3) 厚いベールに包まれた地表をかいま見る(ベネラ9号~14号) (初版 12.04.2007)
(34)チーフ・デザイナーの素顔 コロリョフの宇宙への原点、人々への接し方、そして遺言。 (初版 12.22.2009)
(35)スペースシャトルスキー(1) ソ連における有翼宇宙船開発の歴史(初版 12.22.2010)
(36)
(37)
(38)
…まだまだ続きます。。
◇短連載/読み切り 他◇
ソユーズ運用リスト1 Soyuz missions 1967-1975 ソユーズ運用リスト2 Soyuz missions 1975-1979
ソユーズ運用リスト3 Soyuz missions 1980-1981 ソユーズ運用リスト4 Soyuz missions 1981-1985
ソユーズ運用リスト5 Soyuz missions 1986-1989 ソユーズ運用リスト6 Soyuz missions 1990-1993
ソユーズ運用リスト7 Soyuz missions 1993-1996 ソユーズ運用リスト8 Soyuz missions 1996-2000
“東方”という名の宇宙船(1) ボストーク計画の概要とガガーリン初飛行の一部始終 (初版 04.11. 2008)
“東方”という名の宇宙船(2) 「とにかく大変な一日だった。」 昭和36年4月12日 (初版 04.12. 2008)
“東方”という名の宇宙船(3) 宇宙飛行の“銀メダリスト”、ゲルマン・チトフの完全飛行(初版 08.05. 2008)
“東方”という名の宇宙船(4) 近日にも
サバイバル(1) “国際協力”の理想と幻想 (シャトル・ミールミッションへの道) (初版 11.02. 2004)
サバイバル(2) もっと消火器をくれ!(ミールで火災発生) (初版 11.16. 2004)
サバイバル(3) ハリウッドとサーファー (あまりに違いすぎる二人の米国人) (初版 12.20.2004)
サバイバル(4) 天上のタイタニック (まっすぐ正面にプログレス!!) (初版 01.03.2005)
サバイバル(5) (そのうちUP…)
読切 「プログラムはまだアクティブだ!」 ソ連・アフガン共同飛行の一部始終 (初版 04.16.2007)
読切 「子供が英雄になったとき」 突然自分の子供が英雄になった時の、親のリアクション (初版 09.17.2009)
読切 「空飛ぶ男子トイレ」 初期の宇宙船で飛行士たちが苦労したトイレ (初版 09.26.2009)
読切 「スプートニクの思い出」 昭和32年10月を辿って (初版 10.01.2008)
読切 「スペース・ドッグ」 「ライカ犬」以前に宇宙を飛んだ犬と技術者との物語 (初版 09.19.2005)
読切 「伝説の犬 ~ライカ~」 世界で最初に宇宙を飛行した、一匹の犬の物語 (初版 11.03.2007)(追加 04.14.2008)
読切 「犬は地球に帰ってくる」 スプートニク2号/ライカ犬の報道 (初版 10.31.2008)
読切 「もっと高く、遠く!」 ルナ1号/2号 月面争奪戦の実況報道(初版 05.29.2009)
読切 「ソ連、いま現像中」 ルナ3号 人類千古のナゾが明かされた瞬間 (初版 08.28.2009)
読切 「堅い月面 チリなし」 ルナ9号 ついに月面軟着陸達成! (初版 10.12.2009)
ソ連宇宙飛行士1960年選抜組 ソ連で最初に選抜された飛行士候補20人のプロフィール (初版 01.15.2010)
R-7とバイコヌール R-7ロケットとバイコヌール基地に関するコラム(書きかけ) (初版 01.15.2011)
宇宙の傑作機14「ルノホート」 ルノホートのまとめを冊子として出しました (初版 08.01.2010)(追加 09.01.2010)
宇宙の傑作機15「ルナ月探査機」 ルナ1~3号のまとめを冊子として出しました (初版 12.17.2010)(追加 01.17.2011)
Soyuz Flight Log 1967-2011 ソユーズ宇宙船、全ミッションをまとめてみました (初版 12.04.2011)
◇近年のロシア宇宙開発の動向◇
管理人のメモとして興味あるものだけをちょっと。全てを記載しているわけではありませんのでご注意。
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
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放送持株会社
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放送持株会社(ほうそうもちかぶがいしゃ)は、持株会社の一形態で、放送免許を持つ放送局を傘下に持つ純粋持株会社である。
概要[編集]
これまで放送局においては同一企業による複数の放送局の支配を防ぐため、総務省が「マスメディア集中排除原則」を定めていた。しかし、地上デジタル放送の開始に伴い多額な設備投資が迫られたことなどから、特に地方局では資金調達に苦しむことが常態化しつつあった。こうした経営基盤強化のために集中排除原則を緩和し放送事業者にも資金調達能力の高い持株会社制度を認めるというものである。
具体的には
純粋持株会社の下に傘下となる放送局がぶら下がる形となり、キー局及び同一ネットワーク系列局が傘下企業となる。
純粋持株会社の下に傘下となる放送局がぶら下がり、さらに、それまでいち放送局の子会社並びに関連会社・団体として扱っていた(関連)会社等が、(新たに設置する)放送事業専業の新子会社と同列に傘下企業となる。
の2通りがある。
また、放送局という公共的にも影響を持つメディア企業であることから、特定の株主からの影響をできる限り排除し言論の多様性を確保するために株主の株式保有比率を20%未満に制限することが検討されている。これにより単独の企業や投資家による経営支配や言論の制限を排除できるのみならず放送局の外部からの買収をも阻止できることになる。
放送法の改正[編集]
総務省では、2006年10月に行政法学者の塩野宏(東京大学名誉教授)を中心に取りまとめられたデジタル化の進展と放送政策に関する調査研究会の最終報告[1] を受け、2007年度に放送持株会社を解禁する方針で2007年4月6日に放送法改正案が閣議決定された。当初は2007年の通常国会での改正案成立を目指すことにしていたが会期の関係上、通常国会での成立は見送られ、継続審議の結果2007年12月21日に臨時国会で成立、2008年4月1日に施行された。
この改正放送法では放送持株会社について「認定放送持株会社」としての設立を認め、また持株会社に対する一株主の出資比率を10%以上3分の1未満規定(ただし実際の出資比率は総務省令によって定められる)する条項が盛り込まれている(放送法第164条第2項)。
また、総務省令の中で持株会社の傘下に入る地上波放送局の数は放送の多様性や地域性を尊重するため最大12局に限定する。ただし、極端な一極集中を防ぐため、原則エリア1都道府県につき1局としてカウントする。このため広域局については、在京キー局は7局相当、在阪準キー局は6局相当、在名局は3局相当となる。放送エリアが重複する放送局を複数持つことはできない。また、地上波とは別に、BS放送局を1局まで、CS放送局をトランスポンダ2個分(SDで12ch相当)まで持つことができる。
各民放の動向[編集]
放送法が改正・施行され放送持株会社が解禁された後、まず在京の民放キー局が持株会社制導入に向けて動いた。以下、一覧として表すと共に、実施された順に述べる。
認定放送持株会社の一覧実施順放送持株会社
(愛称・略称)会社設立日持株会社移行日地上波
テレビ放送局地上波
ラジオ放送局衛星放送
チャンネル本社所在地上場証券取引所1フジ・メディア・ホールディングス1957年11月18日2008年10月1日フジテレビジョン
仙台放送ニッポン放送BSフジ
フジテレビONE スポーツ・バラエティ
フジテレビTWO ドラマ・アニメ
フジテレビNEXT ライブ・プレミアム東京都港区東証プライム 46762TBSホールディングス[注 1]1951年5月17日2009年4月1日[注 1]TBSテレビTBSラジオBS-TBS
TBS NEWS
TBSチャンネル東証プライム 94013テレビ東京ホールディングス (テレ東HD)2010年10月1日[注 2]テレビ東京-[注 3]BSテレ東
アニメシアターX東証プライム 94134日本テレビホールディングス
(日テレホールディングス)1952年10月28日2012年10月1日日本テレビ放送網アール・エフ・ラジオ日本[注 4]BS日テレ
日テレNEWS24
日テレジータス
日テレプラス東証プライム 94045中部日本放送1950年12月15日2014年4月1日CBCテレビCBCラジオ-愛知県名古屋市中区名証プレミア 94026テレビ朝日ホールディングス1957年11月1日テレビ朝日-BS朝日
テレ朝チャンネル
CNNj東京都港区東証プライム 94097RKB毎日ホールディングス1951年6月29日2016年4月1日RKB毎日放送
(ラジオ部門の通称はRKBラジオとなっている)-福岡県福岡市早良区福証 94078MBSメディアホールディングス1950年7月28日2017年4月1日毎日放送
(MBSテレビ)MBSラジオ[注 5]GAORA大阪府大阪市北区(非上場)9朝日放送グループホールディングス1951年3月15日2018年4月1日朝日放送テレビ
(ABCテレビ)朝日放送ラジオ
(ABCラジオ)スカイ・エー大阪府大阪市福島区東証プライム 940510RSKホールディングス1953年4月1日2019年4月1日RSK山陽放送
(テレビ部門の呼称はRSKテレビとなっている)RSK山陽放送
(ラジオ部門の呼称はRSKラジオとなっている)
エフエム高松コミュニティ放送[注 6]-岡山県岡山市北区(非上場)11KBCグループホールディングス1953年8月21日2023年4月1日九州朝日放送
(ラジオ部門の通称はKBCラジオとなっている)-福岡県福岡市中央区(非上場)12BSNメディアホールディングス1952年10月14日2023年6月1日新潟放送-新潟県新潟市中央区東証スタンダード 9408※傘下の放送局・チャンネルは連結子会社・出資比率の高い子会社またはそれによる物を記載。
フジテレビジョン(フジ・メディア・ホールディングス)[編集]
在京局の中で最初に具体化し、実現したのがフジテレビである。既にフジサンケイグループの事業持株会社になっており、放送持株会社の解禁を視野に入れ、グループ企業の再編や子会社資本のフジテレビ本体への集約などを行っていた。
2007年6月8日には、同年中に持株会社制への移行を検討し、移行後は持株会社の傘下に事業会社として新たに分社設立する新生フジテレビをはじめ、産経新聞社やニッポン放送などフジサンケイグループの企業を置く体制を作るため、グループ各社と調整を行っていることが報じられた[注 7]。
2008年3月13日には、同年10月1日付で当時の株式会社フジテレビジョンを「株式会社フジ・メディア・ホールディングス」に商号変更、地上波テレビジョン放送事業をはじめとする現業一切を新設会社たる完全子会社「(新)フジテレビジョン[注 8]」に放送免許共々承継し、持株会社傘下に納める形で放送持株会社制への移行を行うことが発表された。6月27日に行われた株主総会で移行が承認され、9月3日に総務大臣から放送持株会社の認定を受け、10月1日に認定放送持株会社に移行した。
その後、フジ・メディア・ホールディングスは2011年4月に株式交換により関連会社であったBSフジを完全子会社化したほか、2016年12月には持分法適用関連会社であった系列局の仙台放送を連結子会社にしており、在京キー局から転換した放送持株会社が系列地方局を子会社化した初の事例となった[2]。
東京放送(東京放送ホールディングス→TBSホールディングス)[編集]
実施ではフジテレビに先を越されたものの、最初に具体化の検討をしていたのは東京放送だった。
2006年8月の時点で持株会社制への2007年秋での移行を検討していると報じられていた。これは、以下の考えがあるからとみられている。
東京放送がTBSテレビ(テレビ制作部門。法人格としてはTBSライブ・TBSスポーツを合併した元TBSエンタテインメント)・TBSラジオ(ラジオ放送部門。設立・移行時はTBSラジオ&コミュニケーションズ、2001年に中波放送の免許を東京放送から承継してラジオ番組製作会社からラジオ放送事業者に転換済み、2016年現商号に変更)を2000年に分社化し、2004年にはテレビ放送事業をTBSテレビに業務委託した事から、後は東京放送に残っているテレビ放送免許をTBSテレビに承継させ放送事業者に転換させることで容易に持株会社制へと移行できる。
JNN系列局を傘下にする事で地方局のデジタル化負担を軽減するとともに、系列局との連携の緊密化や効率的なグループ経営を可能にできる。
認定放送持株会社になれば、放送法の規定により株式保有比率の制限も適用されるため、当時東京放送の発行済株式19%超を保有していた楽天に対しても、追加の株保有を阻止する事が可能となり、強力な牽制が可能となることも要因と見られていた。
2007年12月31日にはその方針案を固めており、2008年11月5日に取締役会で移行を決議、同年12月16日に開催された臨時株主総会で賛成多数にて承認、2009年3月12日に総務大臣の認定を受け、同年4月1日に地上波テレビ放送免許をTBSテレビに承継しTBSテレビはテレビ番組製作会社からテレビ放送事業者に転換[注 9]、東京放送は商号を「株式会社東京放送ホールディングス」に変更し放送持株会社制に移行した。なお移行に反対した筆頭株主である楽天は、2009年3月31日、会社法第785条に基づいて「反対株主の株式買取請求権」を行使、東京放送に対して同社が保有する全ての東京放送株の買取を請求した。
その後、東京放送ホールディングスは2015年4月に連結子会社であったBS-TBSを株式交換により完全子会社化している。
2020年10月1日をもって、商号を「株式会社東京放送ホールディングス」から、これまで通称として用いてきた「株式会社TBSホールディングス」に変更した[3]。これにより、「東京放送」の名がTBSテレビの英文社名「TOKYO BROADCASTING SYSTEM TELEVISION, INC.」と自社の健康保険組合「東京放送健康保険組合」等を残し消滅した。
テレビ東京(テレビ東京ホールディングス)[編集]
テレビ東京は、現時点で系列局が6局しかないこと、主要局で株持ち合いを実施していること、系列局のうち筆頭株主に地元紙である山陽新聞の資本が入っているテレビせとうちを除く4局全てが日本経済新聞グループ本体の持分法適用会社であることなどから、長い間この制度について特に言及してこなかった。
しかし、2010年3月26日にテレビ東京、BSジャパン(現:BSテレビ東京)、テレビ東京ブロードバンド(現:テレビ東京コミュニケーションズ)と経営統合し持株会社制へと移行すると発表、同年10月1日に共同持株会社「株式会社テレビ東京ホールディングス」を設立した[4]。既存法人の商号を変更し、放送事業を分割して持株会社とした他局と異なり、株式移転により持株会社の法人を新設する形は初の事例であり、かつ2019年10月時点では唯一の事例でもある。したがってテレビ東京ホールディングス自体には後にも先にも特定地上基幹放送事業者や日本民間放送連盟会員だった時期が無く、同時にテレビ東京自体も日経の持分法が適用されなくなった。
さらに持株会社制移行後に日経新聞系CS放送局の日経CNBCもテレビ東京ホールディングス傘下に加える事を検討[5]、2011年1月12日付で、日本経済新聞社から株式の一部を取得するとともにテレビ東京より株式の現物配当を受けることにより、持分法適用関連会社とした[6]。2021年8月31日にはアニメ専門チャンネル「アニメシアターX(AT-X)」を運営する連結子会社のエー・ティー・エックスの株式のうち、グループ外企業保有分をテレビ東京が追加取得したことで、テレビ東京メディアネット保有分と合わせてテレビ東京グループが全保有し、これによりテレビ東京ホールディングスの完全子会社となった[7]。
なお、首都圏の一部を放送対象地域とした外国語放送局であるエフエムインターウェーブ(現:InterFM897)を一時期テレビ東京の子会社としていたが、2012年6月20日に木下グループに全株式を売却しグループから外れている(2020年よりジャパンエフエムネットワーク等が出資し、エフエム東京の関連会社となっている)。
日本テレビ放送網(日本テレビホールディングス)[編集]
日本初の民放テレビ局である日本テレビ放送網(日本テレビ)は在京キー局の中で最も消極的で、2008年3月に行われた定例会見で久保伸太郎社長(当時)が「現時点で必要ない」と消極的な姿勢を表明していた。しかし、2012年3月29日、同年10月1日をもって、BS日本とCS日本を株式交換で経営統合を行い、同時に4月設立する100%子会社の分割準備会社[注 10] を設立した上で、分割準備会社に放送事業を引き継ぐことを取締役会で決議した[8]。4月26日に現業を引き継ぐための分割準備会社を設立し[9]、6月28日に行われた株主総会にて賛成多数にて承認された[10]。9月12日に認定放送持株会社の認定を受けたことにより[11]、10月1日に、BS日本とシーエス日本は株式交換により完全子会社化され、分割準備会社は「(新)日本テレビ放送網」に商号変更し、日本テレビ放送網は「日本テレビホールディングス株式会社」に商号変更、認定放送持株会社に移行した[12]。現日テレホールディングス(過日本テレビ放送網)になっている。
中部日本放送[編集]
日本最古の民放である中部日本放送は、2013年4月1日に免許を含めたラジオ事業を子会社のCBCラジオ(旧テクノビジョン。承継時にTBSラジオと同様ラジオ番組製作会社からラジオ放送事業者に転換)に移したが[13]、同年5月10日に在京民放以外で初となる認定放送持株会社に2014年4月1日から移行することを発表した[14]。2014年3月17日に総務大臣から認定を受けたことにより、同年4月1日に地方局では初の放送持株会社が誕生した。これにより中京広域圏のラテ兼営民放局が岐阜放送(ぎふチャン)[注 11] のみとなった。なお、持株会社への移行に際してはテレビ事業を分割準備会社へ吸収分割(同時に「CBCテレビ」に商号変更)する形を取ったが、持株会社の商号は「ホールディングス」などの呼称を付けず「中部日本放送株式会社」の名称を維持し続けている。
テレビ朝日(テレビ朝日ホールディングス)[編集]
テレビ朝日に限らずテレビ朝日系列局は朝日新聞社の傘下にあり、他の系列に比べ新聞資本による結束が特に強い。これに加え、放送法令における出資制限の規定のため、33.85%のテレ朝株を持つ朝日新聞社の影響力が削がれてしまう関係上、踏み切れない状況であった[15]。
2008年6月6日、テレビ朝日が朝日新聞社の株式11.8%を取得、朝日新聞社も持ち合いによる議決権の相殺を防ぐため保有株式を25%未満に下げることが発表された[注 12]。当初は情報通信メディアとの提携も視野においているものの、放送持株会社については発表されていなかった[16]。
しかし、2013年7月31日にテレビ朝日とBS朝日の両社が、2014年4月1日を以って、テレビ朝日の吸収分割とテレビ朝日とBS朝日との間での株式交換を同時に行い、テレビ朝日を認定放送持株会社に移行することについて基本的合意に達し、テレビ朝日とBS朝日の両社の取締役会で決議の上、両社との間で「基本合意書」を締結したことを発表した[17]。
2014年4月1日、分割準備会社に放送事業を引き継ぎ(同日付で分割準備会社は「(新)テレビ朝日」に商号変更)、テレビ朝日は、商号を「株式会社テレビ朝日ホールディングス」に変更し、認定放送持株会社に移行した。テレビ朝日の持株会社体制への移行により在京キー局5社が全て持株会社体制へ移行することとなった。
その後、テレビ朝日ホールディングスは2017年3月に静岡朝日テレビ、東日本放送、福島放送の3社、同年10月に青森朝日放送、山形テレビ、長野朝日放送の3社、2018年3月に秋田朝日放送、新潟テレビ21の2社、2019年3月に岩手朝日テレビと、系列局を続けて持分法適用関連会社にしている[18][19][20][21]。
RKB毎日放送(RKB毎日ホールディングス)[編集]
九州及び福岡県最古の民放局であるRKB毎日放送(RKB)は、2015年9月29日に2016年4月1日を以って商号を「株式会社RKB毎日ホールディングス」に変更、会社分割により全国で7番目、系列局では3番目、西日本かつ県域放送では初となる認定放送持株会社体制に移行すると発表した[22][23][24]。放送事業は分割準備会社であるRKB毎日分割準備が改称する「(新)RKB毎日放送」が継承、RKB映画社などの子会社と共に持株会社の傘下になったが、テレビ・ラジオを分社化したTBSホールディングス・中部日本放送、2021年4月に分社化を実現したMBSメディアホールディングスとは異なり、テレビ放送事業とラジオ放送事業は分離せず引き続きラテ兼営を継続している。
毎日放送(MBSメディアホールディングス)[編集]
中部日本放送(CBC)同様最古の民放局である毎日放送(MBS)は、2016年7月28日に2017年4月1日を以って商号を「株式会社MBSメディアホールディングス」に変更、全国で8番目、系列局では4番目、在阪局かつ未上場の放送局では初となる認定放送持株会社体制に移行すると発表した[25]。2017年2月8日に総務省から認定の答申を受け[26][27]、放送事業は分割準備会社である毎日放送分割準備が改称する「(新)毎日放送」が継承した。
放送持株会社体制移行後も「ラテ兼営によるシナジーを生み出すことが大事である」と、放送事業はRKB毎日放送・RSK山陽放送と同様にラテ兼営を継続していた。だが、発足後3年経ち、「ラジオが存続するためには迅速な経営判断と機動的な業務執行が必要で、自主独立することで新たなビジネスも行える」「会社が別でもグループ内なら(事実上の兼営によって)シナジーは生み出せる」と判断、2020年5月28日にラジオ事業の分社を発表するとともにMBSメディアホールディングス100%出資でラジオ部門の分割準備会社を設立。2021年4月1日[注 13]に毎日放送から吸収分割でラジオ事業を分社し商号を「MBSラジオ」にして事業を開始、毎日放送は商号を維持したままテレビ単営局に移行した[28][29][30]。これによりJNN系列ではTBSホールディングス・中部日本放送、在阪局では朝日放送グループホールディングスに続く形でテレビ・ラジオ分社体制に移行することになり、近畿広域圏のラテ兼営民放局は京都放送(KBS京都)[注 14]のみとなった(在阪の兼営局は消滅)。
朝日放送(朝日放送グループホールディングス)[編集]
中部日本放送(CBC)や毎日放送(MBS)に次いで3番目に古い民放局かつ、西日本では最初に開局した民間テレビ局である大阪テレビ放送を源流の一つに持つ、在阪準キー局の朝日放送(ABC)は、2017年2月8日に商号を「朝日放送グループホールディングス株式会社」に変更、全国で9番目、系列局では2番目、在阪準キー局では2番目、上場民放局では8番目となる認定放送持株会社体制に移行すると発表[31][32][33][34]、2018年2月7日に総務省から認定の答申を受け、2018年4月1日に認定放送持株会社に移行した。
同時にテレビ放送を「朝日放送テレビ(ABCテレビ)」、ラジオ放送を「朝日放送ラジオ(ABCラジオ)」に、それぞれ分割(ラテ兼営だったのをそれぞれの事業ごとに会社分割。TBSホールディングスや中部日本放送と同等の方法)し準備会社が商号変更した上で承継した。テレビとラジオの放送事業をそれぞれの“準備会社”が“同時”に承継するスキームは初(前述の通り、TBSラジオ・テレビとCBCラジオは既存子会社の事業転換のうえ、ラジオ分社化とテレビ分社化に時間差がある)となる。また、テレビ・ラジオ事業会社の商号は略称(ABC)を使用せずに正式名称の「朝日放送」を使用している。朝日放送の認定放送持株会社移行に伴い、ラテ兼営のテレビ朝日系列局は九州朝日放送のみ(クロスネット局を含めても福井放送との2局のみ)になった。
山陽放送(RSKホールディングス)[編集]
岡山県・香川県でテレビ放送を、岡山県でラジオ放送をそれぞれ行う山陽放送(RSK)は2018年5月25日、2019年4月1日に商号を「RSKホールディングス株式会社」に変更、全国で10番目、JNN系列局では5番目、未上場民放局では2番目、東京・名古屋・大阪・福岡・北海道の基幹局以外の放送局では初となる、認定放送持株会社体制に移行すると発表した[35]。放送事業は分割準備会社である山陽放送分割準備が改称する「RSK山陽放送」(略称を冠する社名はJNN系列局ではRKB毎日放送・IBC岩手放送に次いで3局目)が継承し、両子会社のRSKプロビジョン・RSKサービス[注 15]と共に持株会社の傘下になるが、テレビ・ラジオを分社化したTBSホールディングス・中部日本放送、2021年4月に分社化を実現したMBSメディアホールディングスとは異なり、RKB毎日ホールディングスと同様にラテ兼営を継続する。
その後、香川県高松市一帯を放送エリアとするエフエム高松コミュニティ放送を子会社化した[36]。これまでコミュニティ放送事業者を関連会社とする事例は見られたが、子会社化は初めての事例となる。
九州朝日放送(KBCグループホールディングス)[編集]
RKB毎日放送に続く福岡県で2番目の民放局である九州朝日放送(KBC)は、2022年3月25日に2023年4月1日を以って商号を「KBCグループホールディングス株式会社」に変更、会社分割により全国で11番目、系列局ならびに未上場民放局では3番目、福岡県では2番目となる認定放送持株会社体制に移行すると発表した[37]。
放送事業は2022年4月1日に発足する九州朝日放送分割準備会社株式会社が改称する「(新)九州朝日放送」が継承、KBC UNIEやKBC MoooV[注 16]などの子会社と共に持株会社の傘下となる。テレビ・ラジオを分社化した朝日放送グループホールディングスとは異なり、同じ福岡県内のRKB毎日放送と同様にテレビ放送事業とラジオ放送事業は分離せずラテ兼営を継続する。また、持株会社移行と同時にステーションロゴ(キャラクター含む)を変更しており、こうした事案は初の事例となる。
新潟放送(BSNメディアホールディングス)[編集]
新潟県初の民放局である新潟放送(BSN)は、2022年7月29日に商号を「株式会社BSNメディアホールディングス」に変更した上で、会社分割により全国で12番目、JNN系列局では6番目、東京・名古屋・大阪・福岡・北海道の基幹局以外の放送局では2番目、上場企業では9番目、新潟県および民放4局県では初となる認定放送持株会社体制に移行すると発表した[38]。新潟放送の持株会社化により、株式市場に上場していた特定地上基幹放送事業者は全て放送持株会社体制に移行することになる。当初は2023年4月1日をもって商号変更と体制移行を予定していたが、総務省からの許認可が同年3月時点で得られていないため、移行日を6月1日に変更[39]、同日付で移行した。
放送事業は2022年9月5日に発足の株式会社新潟放送分割準備会社が改称する「(新)新潟放送」が継承し、BSNアイネットやBSNウェーブなどの子会社と共に持株会社の傘下となる。テレビ・ラジオを分社化したTBSホールディングス・中部日本放送・朝日放送グループホールディングス・MBSメディアホールディングスとは異なり、RKB毎日ホールディングス・RSKホールディングス・KBCグループホールディングスと同様にラテ兼営を継続する。
脚注[編集]
[脚注の使い方]
注釈[編集]
^ 他の放送会社と異なり、株式移転による新設。
^ 2012年6月12日まではエフエムインターウェーブ(現InterFM897)が傘下にあった。
^ 日本テレビホールディングスが株式を96.4%保有しているが、非連結子会社扱いとなっている。
^ 持株会社体制発足時は毎日放送によるラテ兼営。2021年4月1日にラジオ事業会社として分割設立。
^ RSKホールディングスが55.3%の議決権を有しているが、非連結子会社扱いとなっている。
^ 一部系列局を除く。
^ 後発5局と違い、移行のための分割準備会社は設立しなかった。
^ 東京放送が使用していた「TBS」の略称もTBSテレビが承継した。
^ 移行の前提となる分割準備会社の設立は初めて。
^ テレビ・ラジオ共に岐阜県を放送エリアとする独立局。
^ なお、同局の主要株主である朝日新聞社および東映の持分法適用会社(会社法等における「その他関係会社」)に該当することに変わりはないものとみている。
^ 当初は開局70周年に当たる同年10月1日に予定していたのを前倒ししている。
^ 放送エリア・ネットワークは、テレビは京都府を対象とした独立局、ラジオは京都府・滋賀県を対象としたNRN系列局となっている。
^ 旧・山陽放送サービス。RSKホールディングスの傘下となった2019年4月1日に商号変更。
^ それぞれ旧ケービーシーメディアとケイ・ビー・シー映像。KBCグループホールディングスの傘下となった2023年4月1日に商号変更。あわせて旧ケービーシーメディアのラジオ番組制作事業をKBC MoooVに移管した
出典[編集]
^ 「デジタル化の進展と放送政策に関する調査研究会」最終報告の公表,総務省,2006年10月6日
^ 株式会社仙台放送の株式の取得(子会社化)に関するお知らせ,株式会社フジ・メディア・ホールディングス,2016年11月30日
^ 商号の変更及び定款の一部変更に関するお知らせ 東京放送ホールディングス 2020年5月14日
^ “テレビ東京グループも認定放送持株会社体制に移行へ、10月に新会社設立”. IT pro (日経BP社). (2010年3月26日) 2011年11月5日閲覧。
^ “島田社長4月定例会見”. 株式会社テレビ東京(2010年4月23日作成). 2019年12月25日閲覧。
^ 株式会社日経シー・エヌ・ビー・シーの株式取得(持分法適用関連会社化)に関するお知らせ - テレビ東京ホールディングス 2010年12月22日
^ テレビ東京グループ、AT-Xを完全子会社化,AV Watch,2021年8月31日
^ 日本テレビ放送網株式会社、株式会社BS日本及び株式会社シーエス日本などの認定放送持株会社への移行(会社分割、簡易株式交換及び商号変更)による経営統合に関する基本合意書の締結並びに日本テレビ放送網株式会社の子会社(分割準備会社)の設立についてのお知らせ
^ 日本テレビ放送網株式会社、株式会社BS日本及び株式会社シーエス日本の 認定放送持株会社体制への移行に関する統合契約、吸収分割契約及び株式交換契約の締結についてのお知らせ 日本テレビ放送網・BS日本・シーエス日本共同ニュースリリース(2012年5月10日)2019年2月16日閲覧
^ 第79期定期株主総会についてのご報告 日テレ企業・IR情報プレスリリース(2012年6月28日)2019年2月16日閲覧
^ 認定放送持株会社の認定 総務省・報道資料(平成24年9月12日)2019年2月16日閲覧
^ 認定放送持株会社「日本テレビホールディングス」への移行についてのお知らせ 日本テレビホールディングスごあいさつ(平成24年10月1日)2019年2月16日閲覧
^ 『簡易吸収分割によるラジオ事業再編に関するお知らせ』(PDF)(プレスリリース)中部日本放送、2013年1月17日。2013年1月18日閲覧。
^ 『認定放送持株会社体制への移行並びに吸収分割契約の締結及び分割準備子会社の設立に関するお知らせ』(PDF)(プレスリリース)中部日本放送、2013年5月10日。2013年5月11日閲覧。
^ 「持株会社へ踏み切るフジ・TBS、踏み切れないテレ朝」 - ダイヤモンド・オンライン 2008年3月21日[リンク切れ]
^ テレ朝が朝日新聞の大株主に - MSN産経ニュース 2008年6月6日
^ “認定放送持株会社体制への移行に向けた、会社分割および簡易株式交換に係る基本合意書の締結、子会社の設立並びに商号変更に関するお知らせ” (PDF). テレビ朝日・BS朝日 (2013年7月31日). 2013年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月31日閲覧。
^ 株式の取得(持分法適用関連会社化)に関するお知らせ,2017年10月6日,テレビ朝日ホールディングス
^ 株式の取得(持分法適用関連会社化)に関するお知らせ,2019年3月1日,テレビ朝日ホールディングス
^ 株式の取得(持分法適用関連会社化)に関するお知らせ,2017年2月7日,テレビ朝日ホールディングス
^ 株式の取得(持分法適用関連会社化)に関するお知らせ,2018年3月2日,テレビ朝日ホールディングス
^ 認定放送持株会社体制への移行並びに吸収分割契約の締結および子会社(分割準備会社)の設立に関するお知らせ,RKB毎日放送,2015年9月29日
^ RKB毎日放送:認定放送持株会社に移行へ,毎日新聞,2015年9月30日
^ RKB、持株会社移行へ,読売新聞,2015年9月30日
^ ニュース - 毎日放送が認定放送持株会社に移行を計画、社名は「MBSメディアホールディングス」,ITpro,2016年7月28日
^ 認定放送持株会社の認定等,総務省,2017年2月8日
^ 認定放送持株会社の認定の取得に関するお知らせ,毎日放送,2017年2月8日
^ 毎日放送が2021年10月にラジオを分社化,日経クロステック/日経ニューメディア,2020年5月28日
^ 社長記者会見を書面で開催しました,毎日放送,2020年8月26日
^ 『社長記者会見をオンラインで開催しました』(PDF)(プレスリリース)株式会社MBSメディアホールディングス、2021年1月20日。2021年1月20日閲覧。
^ 会社分割による認定放送持株会社体制への移行に関するお知らせ,朝日放送,2017年2月8日
^ 朝日放送、持株会社に移行へ テレビとラジオを分割,朝日新聞デジタル,2017年2月8日
^ 毎日放送に続き…朝日放送、来年4月から持株会社に 在阪2局目、全国9番目,産経WEST,2017年2月8日
^ 朝日放送、持株会社に,日本経済新聞,2017年2月9日
^ “山陽放送 吸収分割の決定(臨時報告書)”. IR BANK (2018年5月25日). 2018年5月26日閲覧。
^ 総務省 電波利用ホームページ | その他 | 認定放送持株会社 (2020年4月1日)2020年4月13日閲覧。
^ 認定放送持株会社体制への移行に関するお知らせ,九州朝日放送,2022年3月25日
^ 会社分割による認定放送持株会社体制への移行及び子会社の設立に関するお知らせ 新潟放送株式会社、2022年7月29日配信 (PDF) 8月1日閲覧
^ 新潟放送(BSN)、持株会社移行を6月1日に変更,新潟日報デジタルプラス,2023年3月19日
関連項目[編集]
関連する総務省令
放送局に係る表現の自由享有基準の認定放送持株会社の子会社に関する特例を定める省令(2008年制定・施行、2011年廃止)
基幹放送の業務に係る表現の自由享有基準に関する省令の認定放送持株会社の子会社に関する特例を定める省令(2011年制定・施行、2015年廃止)
基幹放送の業務に係る特定役員及び支配関係の定義並びに表現の自由享有基準の特例に関する省令(2015年制定・施行)
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日本の放送持株会社
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通信と放送の融合
5の言語版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
通信と放送の融合(つうしんとほうそうのゆうごう)は、インターネット網のブロードバンド化や放送インフラのデジタル化および、衛星放送(特にBSデジタル放送)の普及に伴い、主に通信と放送を連携させたサービスが進展したり、通信業界と放送業界の相互参入が進展したりする現象を指す。
制度的な融合[編集]
通信と放送の制度的境界[編集]
現在の日本の法制度では、放送は放送法第2条第1号により「公衆によつて直接受信されることを目的とする無線通信の送信」と定義され、電気通信は電気通信事業法第2条第1号により「有線、無線その他の電磁的方式により、符号、音響又は影像を送り、伝え、又は受けること」と定義されている。 一般的に、通信は放送よりも広義の概念とされ、通信の中の特殊類型が放送であるとされる。
総務省のガイドライン[編集]
通信衛星(CS)を利用した映像配信サービスが普及してきたことに伴い、郵政省(現:総務省)では1997年12月に「通信衛星を利用した通信・放送の中間領域的な新たなサービスに係る通信と放送の区分に関するガイドライン」[1] を策定した(後の2001年12月にガイドライン改定を実施)。
このガイドラインでは、「通信と放送を区分する基準、すなわち、通信から放送を切り分ける基準については、公衆に直接受信させることを送信者が意図していることが、送信者の主観だけでなく客観的にも認められるかどうかを判断することにある。」とし、サービスを通信であるか放送であるか判断する基準として
送信者と受信者の間の紐帯(ちゅうたい)関係の強さの程度、受信者における属性の強さの程度
通信の事項(通信の事項が送信者と受信者の紐帯関係や受信者の属性を前提としているかどうか)
情報伝達方式の秘匿性
受信機の管理
広告の有無
の5つの基準を挙げている。これらの中で直接的な判断基準は1・2であり、3 - 5はそれらを補う間接的な判断基準であるとしている。
電気通信役務利用放送法の整備[編集]
詳細は「電気通信役務利用放送法」を参照
総務省の新たな取組み[編集]
総務省は、2005年10月に就任した竹中平蔵のもと、「通信・放送の在り方に関する懇談会」を開催すると2005年12月27日報道機関に発表した。報道発表資料[2] によれば、下記の5点を主な検討内容の柱とする方針。
詳細は「通信・放送の在り方に関する懇談会」を参照
技術的な融合[編集]
放送サービスの高度化による通信との連携[編集]
通信分野においては、インターネット網のブロードバンド化や光ファイバー通信(FTTH/FTTx)の普及発展により放送に類似した通信サービスが実現されつつある一方で、放送分野においては、放送のデジタル化に伴うサービスの高度化により、通信と連携したサービスが出現した。
インターネット・ブロードバンド関連技術
1本の光ファイバーに、データ通信と放送搬送波との双方を波長分割多重技術により多重化し、FTTH/FTTxにより視聴者ユーザ宅まで届ける。(光放送)
ブロードバンド回線においてインターネットプロトコルを用いた自動公衆送信。(IP放送)
インターネット送信による放送類似サービス。(インターネットテレビ・インターネットラジオ)
インターネット動画向けのテレビ(スマートテレビ)。
ファクシミリ放送、サテラビュー、モバHO!、データ多重放送(ADAMS、ビットキャスト)、衛星デジタル独立データ放送、双方向番組、BSデジタル音声放送、ワンセグ、NOTTV、i-dio、地上デジタル音声放送など、一時期ニューメディアと称された系譜の事業は、一時期ワンセグ搭載フィーチャーフォンが普及したのを除けば短期間で頓挫したものが多い。背景のひとつにインターネットの急速な発展がある。
業界的な融合[編集]
ネット業界による放送事業への参入[編集]
2000年代に急成長を遂げるインターネット業界が、放送業界が持つ豊富なコンテンツ資産やコンテンツ制作力に着目し、参入を試みるケースが増えた。例としては、ライブドアによるニッポン放送買収騒動や、楽天によるTBSの買収騒動と提携交渉等が挙げられる。UCXのようにCS放送で基幹放送事業者になったケースもある。
その後、2016年にはサイバーエージェントがテレビ朝日と共同出資したAbemaTV(現:ABEMA)がCSテレビ放送のような多チャンネルのライブ動画配信サービスを開始した。
IT企業が地上波民間放送局の経営を手掛けた事例としては「NOTTV」(2016年サービス終了)と、2021年に大阪放送(ラジオ大阪)と資本業務提携を締結したDONUTS(ライブ配信・動画コミュニティアプリの「ミクチャ」を運営)がある[3]。
通信衛星事業者と有料放送管理事業者の経営・事業統合[編集]
2007年4月、通信衛星分野におけるアジア最大手のJSATと、既に日本唯一のプラットフォーム事業者(現在は有料放送管理事業者)となっていたスカイパーフェクト・コミュニケーションズ(スカパー)は、両社の完全親会社となる持株会社のスカパーJSAT(初代、2008年6月に商号変更し現・スカパーJSATホールディングス)を設立し経営統合。その持株会社は、2008年3月に通信衛星事業者の宇宙通信を買収、CS国内放送インフラは同社グループによる独占状態となり、同年10月には事業子会社のJSAT・宇宙通信・スカパーの3社を合併させ、スカパーJSAT(2代)に。事業としても統合となった。
コンテンツの融合[編集]
ネットを利用した放送番組の配信[編集]
通信と放送の融合と、インターネット利用者からの放送サービスをネット経由で視聴したいとのニーズを受け、2000年代から第2日本テレビなどの模索がされてきた。
総務省は情報通信審議会に設けられた地上デジタル放送推進に関する検討委員会(主査:村井純慶應義塾大学教授)において、ネットを利用した地上デジタル放送の配信の可否やその在り方が検討した。
通信・放送の在り方に関する懇談会が、「(NHKの)番組アーカイブをブロードバンド(高速大容量)上で積極的に公開すべき」との方針を打ち出したことで、総務省がNHKのネット進出容認へ向けた方向で動き出すことになった[4]。
2015年に民放各局出資によるTVerが開始された。また2015年から東京メトロポリタンテレビジョンが「エムキャス」として、2020年からNHKの地上波が「NHKプラス」として、同時ネット配信が行われており、2020年10月からは日本テレビ系列がTVerによる常時同時配信(日テレ系リアルタイム配信)の3ヶ月間の試行に踏み切った。独立局では東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)のYouTube公式パートナーなどがある。またテレビ局がYoutube等の既存の動画サイトにチャンネルを開設することも一般的となっている。
海外[編集]
EU[編集]
EUでは、2002年に「電子通信ネットワーク」や「電子通信サービス」の概念を定めた電子通信規制パッケージ、2007年にコンテンツ規制の枠組みをテレビ放送(リニアサービス)からVOD等のノンリニアサービスにまで拡大した視聴覚メディアサービス指令が制定され、各加盟国が国内法制化を進めている[5]。
フランス[編集]
フランスでは通信については1952年の郵便・電気通信法典、放送については1986年の視聴覚通信法(正式名:通信の自由に関する1986年9月30日の法律)で規定されている[5]。
1986年の視聴覚通信法は2004年のデジタル通信法により改正され、「公衆向けオンライン通信」と「視聴覚通信」の概念を統合し、「電子的手段による公衆向け通信」は原則自由とされた[5]。
ドイツ[編集]
ドイツでは通信については2004年の電気通信法、放送については放送に関する州間協定や州法で規定されている[5]。
2004年の電気通信法により電子通信網の敷設や電子通信サービスの提供は一般認可制となった[5]。
脚注[編集]
[脚注の使い方]
^ 『通信衛星を利用した通信・放送の中間領域的な新たなサービスに係る通信と放送の区分に関するガイドライン』(プレスリリース)総務省、2001年12月26日。 オリジナルの2004年12月13日時点におけるアーカイブ。
^ 『「通信・放送の在り方に関する懇談会」の開催』(プレスリリース)総務省、2005年12月27日。 オリジナルの2009年1月13日時点におけるアーカイブ。
^ “【変わるラジオ㊤】ラジオ局経営にIT企業や学校法人 異業種参入で活力”. 産経ニュース (株式会社産業経済新聞社). (2021年12月6日)2021年12月7日閲覧。
^ 吉野次郎 (2006年5月12日). “解説:総務省がNHKのネット進出容認へ,「公共放送らしい番組」は通用するか”. 日経ニューメディア
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
通信・放送の融合について(IT戦略本部資料) - ウェイバックマシン(2002年2月18日アーカイブ分) - 首相官邸
地上デジタル放送の利活用の在り方と普及に向けて行政の果たすべき役割 総務省情報通信審議会から第2次中間答申 - ウェイバックマシン(2008年12月18日アーカイブ分)
地上デジタル放送の利活用の在り方と普及に向けて行政の果たすべき役割 総務省情報通信審議会から第3次中間答申 - ウェイバックマシン(2008年12月18日アーカイブ分)
通信・放送融合技術開発の促進 - ウェイバックマシン(2010年2月26日アーカイブ分) - 独立行政法人情報通信研究機構
隠す
事業形態
伝送インフラ
コンテンツ
セキュリティ
関連規制
法案
主な機関
他の事業者
関連項目
メディア・コングロマリット
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メディア・コングロマリット(英語: Media conglomerate)は、放送、新聞、映画、出版、インターネットなど多様なマスメディアを傘下に収める巨大な複合企業・寡占企業のことである。
概要[編集]
コングロマリットは通常、業務内容において直接の関係がない分野を多数傘下に収める企業グループとする企業形態である。マスメディア関連のコングロマリットの分野がそれぞれ無関係かどうかは議論が分かれるところである。
現在、様々なコンテンツ(ニュース、映画、映像、音楽など)をいくつかのメディアで共有する動きが盛んであり、それに合わせてメディア関連企業が買収などを通じより巨大な複合企業体を形成する傾向が強くなってきた。
世界のメディアコングロマリット[編集]
アメリカ合衆国を本拠地とする代表的なメディア・コングロマリットは4社ある。
これらに加えて、ソニーグループ[注 1]、ヴィヴェンディ、ベルテルスマンが世界的な巨大メディア・コングロマリットとして取り扱われることがある。コムキャストの745億ドル(ただしケーブルテレビ・通信事業の売上を含む; 2015年)を筆頭に、連結売上高が100億ドル単位の巨大企業である。
この他、ジョン・マローン率いる「リバティ帝国」(マローンが筆頭株主で会長を務めるリバティメディア、リバティ・グローバルなど)、マイクロソフト(ビデオゲーム、インターネット事業など)なども巨大メディア・コングロマリットとして取り扱われることがある。
世界のメディアコングロマリット名称メディア・ムガル売上高
(2022年度)映画・映像制作放送新聞・出版音楽インターネットビデオゲーム電気通信テーマパーク、スポーツ等ウォルト・ディズニー・カンパニー825億ドルウォルト・ディズニー・モーション・ピクチャーズ・グループABC、ESPN、ディズニーチャンネル、STARマーベル・コミック
ディズニー・パブリッシング・ワールドワイド
ディズニー・ミュージック・グループESPN3、hulu、Disney+
ディズニー・インタラクティブディズニー・エクスペリエンス、ロサンゼルス・エンゼルスコムキャストブライアン・L・ロバーツ1,214億ドル(コムキャスト連結)ユニバーサル・ピクチャーズコムキャスト、Skyグループ
NBC、Telemundo、USAネットワーク、CNBC、MSNBC、Golf Channel、E!
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパンPeacock
Xfinityフィラデルフィア・セブンティシクサーズ、フィラデルフィア・フライヤーズ、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン
ワーナー・ブラザース・ディスカバリー338億ドルワーナー・ブラザースTBS、CNN、TNT、HBO、CW、ディレクTV、ディスカバリー(ディスカバリーチャンネル、アニマルプラネット、TLC、フード・ネットワーク等)DCコミックスMax、Discovery+
DC Universe Infinite
ワーナー・ブラザース・インタラクティブ・エンターテイメント(英語版)ワーナーブラザース スタジオツアー(ハリウッド・ロンドン・東京)パラマウント・グローバルシャーリ・レッドストーン301億ドルパラマウント・ピクチャーズMTV、ニコロデオン、BET、CBS、CW(50%)、ShowtimeParamount MusicParamount+
Pluto TVLast.fm
ニッケルオデオン・スイーツ・リゾート・オーランドAmazon.comAmazon MGMスタジオ、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー、MGM+アマゾン・パブリッシング、Kindle ダイレクト・パブリッシングAmazon Prime Video、Amazon Freevee、Amazon Music
Amazon Gamesアクセス・インダストリーズAccess Entertainmentワーナー・ミュージック・グループDAZN、Deezerヴィヴェンディ95億ユーロスタジオカナルCanal+、M7 Group(英語版)アシェット・リーブル、アシェット・ブック・グループ
Prisma Media
DailymotionゲームロフトGroup Vivendi AfricaL'Olympiaベルテルスマン202億ユーロUFARTLグループランダムハウスBMG Rights ManagementVideoland.
日本のメディアコングロマリット[編集]
日本では、フジサンケイグループ[1]及びフジ・メディア・ホールディングスがメディア・コングロマリットと自己定義している[2]。フジ・メディア・ホールディングスはフジサンケイグループの一部企業で構成され、2023年3月期の連結売上高は5,356億円(都市開発・観光事業の売上高約1,088億円を含む)。
その他の日本のマスメディアもクロスオーナーシップによって、グループ化している(傘下に日本テレビホールディングスや読売テレビを持つ読売新聞グループなど)。この他、ドワンゴと経営統合したKADOKAWAも放送メディアを所有していないものの、サブカルチャー・エンターテイメント分野に特化したメディア・コングロマリットと見なされる事もある[3][4]。また毎日新聞グループホールディングス、NHKはそれぞれ新聞事業、放送事業が事業の大半を占めているため、メディア・コングロマリットには該当しない。
日本のメディアコングロマリット名称メディア・ムガル売上高
(2022年度)映画・映像制作放送新聞・出版音楽インターネットビデオゲームテーマパーク、スポーツ等ソニーグループ11兆5,398億円ソニー・ピクチャーズ、ソニー・ピクチャーズ テレビジョン
アニプレックス、PlayStation Productions
Culver Max Entertainment(Sony Pictures Networks)
Get、Sony Movie Channel、Sony Cine Channel、Game Show Network、AXN、Sony Channelエムオン||
ソニー・ミュージックエンタテインメント、Sony Music EntertainmentCrunchyrollソニー・インタラクティブエンタテインメントコロンビア・ピクチャーズ・アクアバース[注 2]フジサンケイグループ
(フジ・メディア・ホールディングス)日枝久5,356億円(FMH連結)フジテレビジョン[注 3]、共同テレビジョン、デイヴィッドプロダクションフジテレビジョン、BSフジ、ニッポン放送、文化放送、大阪放送(ラジオ大阪)フジネットワーク、仙台放送[注 4]、日本映画放送[注 5]、WOWOW[注 6]、スカパーJSAT[注 7]、スペースシャワーネットワーク[注 8]産業経済新聞社(産経新聞、サンケイスポーツ、夕刊フジなど)、扶桑社ポニーキャニオン 、フジパシフィックミュージック、Fuji Music Group, Inc.FOD、FNNプライムオンライン、めざましmedia、産経電子版フジゲームスお台場、東京ヤクルトスワローズ[注 9]、グランビスタ ホテル&リゾート(鴨川シーワールド、神戸須磨シーワールドなど)、彫刻の森美術館、美ヶ原高原美術館TBSホールディングスTBSアクト、THE SEVEN、Seven ArcsTBSテレビ、TBSラジオ、BS-TBS、CS-TBS日音TBS NEWS DIG Powered by JNN
TBS GAMESリトプラ(24.7%)読売新聞グループ本社
(旧・読売新聞社)渡邉恒雄2,720億円(基幹7社合算)[注 10]日テレアックスオン、マッドハウス、タツノコプロ、スタジオジブリ、日活(35%)日本テレビホールディングス(日本テレビ放送網、BS日本、CS日本、アール・エフ・ラジオ日本(1990年から))、讀賣テレビ放送讀賣新聞、スポーツ報知、中央公論新社(中央公論)、福島民友バップ、日本テレビ音楽huluよみうりランド、読売ジャイアンツ、東京ドーム(20%)、アンパンマンこどもミュージアム、ジブリパーク、ティップネス、ジェイエスエス(24%)(参考)
朝日新聞社2,670億円テレビ朝日映像、シンエイ動画、ディー・エル・イー、SILVER LINK.、東映[注 11](東映アニメーション[注 12]、東映チャンネル、東映ビデオ)テレビ朝日ホールディングス(24.83%; テレビ朝日、BS朝日)、朝日放送グループホールディングス(14.88%; 朝日放送テレビ、朝日放送ラジオ、スカイA)朝日新聞、日刊スポーツ、朝日新聞出版、ニュートンプレス
ABCアーク
テレビ朝日ミュージックABEMA(40%)、TELASA(参考)
日本経済新聞社3,584億円テレビ東京ホールディングス(テレビ東京、BSテレ東、アニメシアターX)、テレビ大阪、日経CNBC、ラジオNIKKEI日本経済新聞、フィナンシャル・タイムズ、日経BP、日経サイエンステレビ東京ミュージックテレビ東京オンデマンド、QUICK(参考)
中日新聞グループ大島宇一郎1,076億円中日映画社中部日本放送(CBCテレビ、CBCラジオ)、東海ラジオ放送、東海テレビ放送、テレビ愛知、フジネットワーク中日新聞、東京新聞、中日スポーツ、東京中日スポーツ、日刊県民福井、北陸中日新聞東海パック、CBCクリエイション中日新聞電子版、東京新聞電子版、東京中日スポーツ電子版、中日BIZナビ中日ドラゴンズ、ナゴヤドーム、ジブリパーク(参考)
阪急阪神東宝グループ角和夫、松岡宏泰1兆8,402億円(合算値)[注 13]東宝、TOHO animation STUDIO、阪神コンテンツリンク(Tigers-ai、Billboard JAPAN)関西テレビ放送、日本映画放送、宝塚スカイステージ宝塚クリエイティブアーツ、阪急阪神マーケティングソリューションズメディアプルポ、東宝ミュージックhulu[注 14]宝塚歌劇団、東宝演劇部、TOHOシネマズ、阪神タイガース、阪神甲子園球場(参考)
KADOKAWA2,554億円KADOKAWA、ENGIKADOKAWAKADOKAWA、U&R recordsニコニコ、ドワンゴジェイピー、ムビチケ、BOOK☆WALKER
dアニメストア(40%)
フロム・ソフトウェア、スパイク・チュンソフトところざわサクラタウン、各種イベント運営事業(ニコニコ超会議、Animelo Summer Live)
利点[編集]
メディア・コングロマリットは高い生産力・影響力・技術力・競争力を持つ。北米のコンテンツ産業の強さの源である。企画・人財・資金のグローバル調達で、超大作(メガコンテンツ)を作り、クロスメディアの手法で傘下のメディアを通じて世界中に販売するワンコンテンツ・マルチユースを企画・運営する事が出来る。ワンコンテンツ・マルチユースは売上げを2~3倍に伸ばすことが出来、利益率が高い。例えばDVDの利益率は6割である。
代表的な成功例としては、1997年の映画『タイタニック』が挙げられる。20世紀フォックス(ニューズ・コーポレーション)とパラマウント映画(バイアコム)が共同で2億ドルという巨費を投じて製作。傘下のメディアで宣伝攻勢をかけ、映画の興行収入は20億ドルに達した。更にDVDやサウンドトラック、書籍、食品・化粧品などの関連グッズを販売し、合計で43億ドルを売り上げた。
欠点[編集]
メディア・コングロマリットはメディアの寡占化と集中により、言論の自由・多様性を損なう。一例として、ニューズ・コープが、対テロ戦争を煽った事が知られている[6]。
公共性より利益追求が重視され、激しいリストラが行われる。その結果、出版や報道の質が低下する。合併がマネーゲームと化し、逆シナジー効果がある。傘下に収められた出版社はリストラされ、無理な商法に走った挙句、利益率が低いとしてスピンオフされることもある[要出典]。
歴史[編集]
英米におけるメディア・コングロマリットの形成
1980年代、衛星放送やCATVが実用化され、ニューメディアとして注目された。アメリカのレーガン政権やイギリスのサッチャー政権は規制緩和と市場開放を行って、メディアを再編した。
イギリスではロバート・マクスウェルやルパート・マードックが新聞の買収闘争を展開。マードックはザ・サン、ニューズ・オブ・ザ・ワールド、タイムズなどを傘下に収め、80年代後半には衛星放送事業へ進出する(Sky Television、BSkyB。現在のスカイグループ)。
アメリカでは、多チャンネル化時代を迎えたことを踏まえ、1987年にレーガン政権が放送の公平原則(フェアネス・ドクトリン)を撤廃、政治的に偏った放送が可能となった。1985年にマードックが多数の放送局を有するメトロ・メディアを、87年に20世紀フォックスを立て続けに買収。同時に第4のテレビネットワークであるFOXネットワークを旗揚げする。多チャンネル化に最適化したビジネスを積極展開する。1990年に出版大手のタイム社とワーナー・ブラザースを有するワーナー・コミュニケーションズの経営統合によりタイム・ワーナーが、1995年にウォルト・ディズニー社がキャピタルシティーズABCを買収、1996年にタイム・ワーナーがCNNなどを有するターナー・ブロードキャスティング・システムと経営統合、1999年にパラマウント映画を傘下に有するバイアコムがCBSを買収するなど、幾度の資本的再編により、多数のメディア・コングロマリットが形成された。
2000年にはネット大手AOLがタイム・ワーナーを買収、AOLタイム・ワーナーが誕生する。直後にITバブルが崩壊、タイム・ワーナーの社名が復活した。2009年にはAOL部門のスピンオフを実施する。2004年にゼネラル・エレクトリック(GE)傘下のNBCとヴィヴェンディ傘下のヴィヴェンディ・ユニバーサル・エンタテインメントが合併、NBCユニバーサルが誕生。2007年にはマードック率いるニューズ・コーポレーションがウォールストリートジャーナルなどを有するダウ・ジョーンズを買収した。2009年にケーブル通信大手のコムキャストがNBCユニバーサルの一部持分を取得、2013年には完全子会社化を実現した。
日本における民放の誕生と新聞、フジサンケイグループの結成
日本では、1951年4月21日に日本初の民間放送としてラジオ16社へ予備免許が交付。同年9月1日に中部日本放送(現・CBCラジオ)と新日本放送(現・MBSラジオ)がラジオ放送を開始し、2年後の1953年にはNHKに続き、日本テレビ放送網が本邦初の民間テレビ局として開局した。中部日本放送は中日新聞社を核に在名財界各社が、新日本放送は毎日新聞社、京阪神急行電鉄、日本電気の3社を軸に関西財界が、日本テレビは正力松太郎が主導して読売新聞社、朝日新聞社、毎日新聞社の3社が中心となりそれぞれ設立された。以降、1950年代、60年代にかけて、新聞社が旗振り役となり、民間ラジオ、民間テレビが相次いで開局していった。1970年代に当時郵政大臣だった田中角栄が主導して、放送局ー新聞社の資本及び放送系列を整理(腸ねん転)。日本テレビは読売新聞社、TBSは毎日新聞社、フジテレビはサンケイ新聞社、NETテレビ(現・テレビ朝日)は朝日新聞社、東京12チャンネル(現・テレビ東京)は日本経済新聞社と、現在の放送ネットワークの大枠が確立した。
1967年にフジテレビジョン(現・フジ・メディア・ホールディングス)、サンケイ新聞社、ニッポン放送、文化放送が中心となりフジサンケイグループを結成。翌1968年、フジテレビ、ニッポン放送の代表取締役社長を兼任する鹿内信隆がフジサンケイグループ会議を創設、議長(最高経営責任者に相当)に就任。グループ各社の財務経理、人事、総務等コーポレート機能の積極的連携を推進するなど、当時からグループ経営を志向していた。フジサンケイグループを除く日本のメディア企業は、電波政策上の連携(いわゆる波取り)や人事面での交流、イベント等の共同企画、ゆるやかな資本的関係はあるが、あくまで個々が独立した企業体であるのが特徴である。
1992年7月21日、フジサンケイグループの三代議長である鹿内宏明が、当時フジテレビ社長だった日枝久の主導で産経新聞社の代表取締役会長職を解任される。翌22年にフジテレビ、ニッポン放送の代表取締役会長とフジサンケイグループの議長職を辞任した。以降しばらくの間、フジテレビを中心とする緩やかなグループ運営が行われた。
マードック・ソフトバンク孫正義陣営によるテレビ朝日買収騒動と衛星放送の開始
1996年、設立以来テレビ朝日の主要株主(発行済株式総数の21.4%を保有)であった旺文社が全持分をマードック・ソフトバンク孫正義陣営に売却、旺文社メディアはニューズ・コープとソフトバンクが50%ずつ出資するJV「ソフトバンク・ニューズ・コープ・メディア株式会社」となった。[7]同日、デジタル衛星放送事業「JSkyB」プロジェクトを発表した。同陣営は役員派遣等の経営参画を試みるも、テレビ朝日と朝日新聞社の反発もあり、翌1997年に全株式を朝日新聞社に売却した。[8]同年5月、JSkyBのイコールパートナーにフジテレビとソニー加わった。1998年の放送開始に先立ち、ジェイ・スカイ・ビー株式会社(代表取締役会長:ルパート・マードック、代表取締役社長:孫正義)は、パーフェクTV!を運営する日本デジタル放送サービス株式会社と対等合併した。幾度の再編を経て、スカパーJSATホールディングスが発足した。2000年にはBSデジタル放送が開始し、WOWOW、スカパーJSATともに事業成長したものの、日本が多チャンネル時代を迎えることはなかった。
フジサンケイグループの再編とライブドア、そして認定放送持株会社の誕生
2005年1月17日、日枝久会長兼CEO(当時)率いるフジテレビジョンはフジサンケイグループの再編を目的として、ニッポン放送に対する株式公開買付(1株5,950円)を発表した。その最中に突如として堀江貴文率いるライブドアが東京証券取引所のToSTNeT-1を利用した時間外取引によりニッポン放送株式の35%を取得。法廷闘争や北尾吉孝率いるソフトバンク・インベストメント(現・SBIホールディングス)のホワイトナイト参画を経て、フジテレビ、ライブドア、ニッポン放送の三者は和解。フジテレビはニッポン放送を完全子会社化、フジサンケイグループの事業持株会社となった。
2006年、小泉政権において通信・放送の在り方に関する懇談会(通称「竹中懇」)が開かれた。メディア・コングロマリット化の推進やそのためのマスメディア集中排除原則の緩和が議論され、2007年に放送持株会社が認められた。2008年に日本初の認定放送持株会社であるフジ・メディア・ホールディングスが発足。翌2009年には楽天からの買収防衛を目的としてTBSが持株会社体制へ移行した。2014年までにすべての在京キー局は認定放送持株会社へ移行した。
フジ・メディア・ホールディングス発足後、同社は関西テレビ放送の持分法適用会社化や仙台放送の連結子会社化など、フジネットワーク各社の株式を追加取得しており、メディア・コンテンツ事業以外でもサンケイビルの完全子会社化やグランビスタホテル&リゾート(旧・三井観光開発)を買収するなど、積極的な再編と事業展開を進めている。
今後、マスメディア集中排除原則は緩和、認定放送持株会社の所有12県域規制は撤廃される予定[9]。
FANGAMの台頭と米メディア・コングロマリットの大型再編
2010年代、米国ではデジタル端末の普及やネットフリックスをはじめとする配信サービスの台頭により、ケーブルテレビ市場が急速に衰退(いわゆるコードカットの進行)。新聞社、出版社も経営危機に直面した。既存メディア各社は再編を迫られた。
2013年4月、タイム・ワーナーは傘下のタイム社を売却。2018年には通信大手AT&Tがタイム・ワーナーを買収、ワーナー・メディアに社名変更する。AT&Tは「通信とメディアの融合」を目指して買収を進めてきたが、財務が悪化。再びワーナー・メディアをスピンオフ、ディスカバリー社との経営統合によりワーナー・ブラザース・ディスカバリーが誕生した。[10]
2013年6月にニューズ・コーポレーションがスピンオフを実施、エンターテインメントを中心とする21世紀フォックス(21CF)、新聞出版事業と豪州ケーブルテレビ事業で構成される新生ニューズ・コーポレーションが発足した。マードックの次男ジェームズCEOの下、積極的な事業展開を行っていたが、2019年に事業の大半をウォルト・ディズニー・カンパニーに売却。取引完了直前に39.1%を保有するスカイ(Sky PLC、当時ロンドン証券取引所に上場)の完全子会社化を目指していたが、コムキャストとの入札競争に敗れた。21CFの非売却資産はスピンオフされ、FOXエンターテインメント(地上波ネットワーク)、FOXニュース、FOXスポーツ、FOXTVステーションズ(地上波テレビ局)から成るFOXコーポレーションが誕生した。
2019年12月4日、サムナー家率いるナショナル・アミューズメンツ傘下のCBSコーポレーション、バイアコムが経営統合、バイアコムCBSが発足した。2022年には商号をパラマウント・グローバルへ変更した。
2023年9月、ルパート・マードックが引退を表明。同年11月の株主総会をもってニューズ・コーポレーションの会長職、FOXコーポレーションの共同会長職を退任、両者の名誉会長に就任し、長男のラクラン・マードックが両社の単独会長に就任した[11]。
2023年12月、ワーナー・ブラザース・ディスカバリーとパラマウント・グローバルの合併交渉が水面下で行われていることがアメリカの複数のメディアから報じられた[12]。
規制[編集]
同一地域でのクロスオーナーシップやコンテンツの製作と発信の垂直統合を禁止・制限すべきとの主張もあるが、日本も含め世界的には、伝送路の多様化を踏まえて規制緩和の傾向にある。[13][14]
脚注[編集]
[脚注の使い方]
注釈[編集]
^ フジテレビの映画部門は日本有数の映画製作企業
^ 仙台放送はフジ・メディア・ホールディングスの連結子会社には該当するが、フジサンケイグループには属していない。
^ マスメディア集中排除原則の上限33.3%をフジ・メディア・ホールディングスが保有しており、加えてグループ会社のフジランド、系列局の関西テレビ及びフジサンケイグループと関係の深い東宝が株式保有し、代表取締役社長もフジテレビから派遣するなど実質的に支配している。
^ フジ・メディア・ホールディングスの持分法適用会社(筆頭株主)。
^ フジ・メディア・ホールディングスの持分法適用会社。
^ 「サンケイアトムズ」だった期間があり、主催試合はニッポン放送が中継する。
^ 読売新聞グループ本社独自の会計基準であり、グループ本社の連結売上高の数値とは異なる。グループ本社、東京本社、大阪本社、西部本社、中央公論新社、読売巨人軍、よみうりランドの単純合算。
^ 東映の筆頭株主がテレビ朝日ホールディングス、テレビ朝日ホールディングスの第2の大株主が東映という関係。また、テレビ朝日映像を合弁会社として朝日新聞社と東映によって設立され、朝日放送も含めて関係が深い。
^ テレビ朝日が第2の大株主
^ 東宝はHJホールディングスに出資している。
出典[編集]
^ “フジサンケイグループとは|FUJISANKEI COMMUNICATIONS GROUP”. www.fujisankei-g.co.jp. 2023年7月8日閲覧。
^ 角川&ワーナーの日米メディアコングロマリット提携で加速するコンテンツ市場のワールドワイド化――安田善巳 角川ゲームス社長に聞く、ダイヤモンド社、2011年8月8日
^ KADOKAWA、ドワンゴ経営統合へ。最強のサブカル・メディア・コングロマリットが誕生 Archived 2014年5月31日, at the Wayback Machine.、Yahoo!ニュース、2014年5月14日
^ “タイに映画テーマパーク ソニー系初、観光再生期待”. 時事通信 (2022年9月16日). 2022年9月23日閲覧。
^ 山本浩『仁義なき英国タブロイド伝説』
^ “株式会社旺文社とのマルチメディア事業ならびにインターネット事業に関する提携について”. ソフトバンクグループ株式会社(1996年6月20日). 2023年7月8日閲覧。
^ “ソフトバンク・ニューズ・コープ・メディア株式会社の全株式売却に関する件”. ソフトバンクグループ株式会社 (1997年3月3日). 2023年7月8日閲覧。
^ “制度見直しに向けた検討状況について(総務省、デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会事務局)”. 2023年7月9日閲覧。
^ “AT&T「16兆円メディア」 ディスカバリーと新会社発表”. 日本経済新聞 (2021年5月17日). 2023年7月8日閲覧。
^ バーンド・デバスマン・ジュニア、ケイティー・ラザル (2023年9月22日). “「メディア王」マードック氏が米FOXの会長退任へ 後任は長男”. BBCNEWS JAPAN. 2023年11月22日閲覧。
^ “米メディア大手ワーナー、パラマウントと合併交渉=関係筋”. ロイター通信. (2023年12月21日) 2023年12月24日閲覧。
^ “米FCC,メディア所有の規制を大幅に緩和|NHK放送文化研究所”. NHK放送文化研究所. 2023年7月7日閲覧。
^ https://www.facebook.com/asahicom+(2022年3月14日).+“持ち株会社によるグループ経営の制限を撤廃 放送局経営の規制緩和案:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2023年7月7日閲覧。
参考文献[編集]
河内孝『次に来るメディアは何か』 2010年 ISBN 978-4480065278
山本浩『仁義なき英国タブロイド伝説』 2004年 ISBN 978-4106100970
関連項目[編集]
ルパート・マードック
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ルパート・マードック
Rupert Murdoch
2012年
生誕Keith Rupert Murdoch
1931年3月11日(93歳)
オーストラリア(1931–1985)
アメリカ合衆国(1985–現在)純資産77億ドル [2]取締役会ニューズ・コープ
フォックス・コーポレーション配偶者
パトリシア・ブッカー
(m. 1956; div. 1967)アンナ・マリア・トーヴ
(m. 1967; div. 1999)ウェンディ・デン
(m. 1999; div. 2013)ジェリー・ホール
(m. 2016; div. 2022)
アン・レスリー・スミス
(m. 2023)
子供プルーデンス(英語版)、エリザベス(英語版)、ラックラン(英語版)、ジェームズ(英語版)、グレース、クロエ親キース・マードック(英語版)
エリザベス・マードック(英語版)親戚マードック家テンプレートを表示
キース・ルパート・マードック(Keith Rupert Murdoch、1931年3月11日 - )は、アメリカの実業家。
メディア・コングロマリットのニューズ・コーポレーションを立ち上げ、世界的なメディア王として知られる。ニューズ・コープとフォックス・コーポレーションの株主、共同会長という立場でテレビや新聞、映画、雑誌、音楽産業、インターネットなどを中心とした世界に散らばるメディア企業を率いている。長年オーストラリアを拠点としていたが、1985年にアメリカ合衆国でフォックス放送を創設した際に連邦通信規則との関係でアメリカに帰化した。
2023年9月、11月を以ってFOX社とニューズ社の会長から退き、ニューズ社の名誉会長に就任すると発表された[1]。
生い立ち[編集]
「マードック家」も参照
オーストラリアのビクトリア州メルボルンに、1931年に生まれる。ジャーナリストであった父のキース・マードック (Sir Keith Murdoch) はオーストラリアの名門社会の一員で、第一次世界大戦での報道で活躍し、当時のオーストラリア首相ビリー・ヒューズの個人的なアドバイザーでもあった。またメルボルンの新聞「ザ・ヘラルド」などを所有し、オーストラリア一政治的影響力の強い新聞社社長・メディア経営者となった。キースは1928年にエリザベス・ジョイ・グリーン(後のエリザベス・マードック (Elisabeth Murdoch) と結婚し、息子ルパートと三人の姉妹をもうけた。キースはルパートの少年時代の不出来さに不満を持っており、息子が自分のあとを継ぐことを絶望視していた。ルパートはキースに反抗的であった。母エリザベスは103歳まで生き、生涯ルパートに強い影響力を持った。
ルパートはメルボルン郊外のジーロングにある名門校ジーロング・グラマー・スクール (Geelong Grammar School) で学び、オックスフォード大学のウースター・カレッジ (Worcester College) へ進学し、学生新聞「チャーウェル(Cherwell)」で広告を販売していた。
キャリア[編集]
彼のメディアグループの拡大の経緯については「ニューズ・コーポレーション (1979-2013)」も参照
メディア界へ[編集]
1952年、父キースの急死(享年67歳)によりルパートは学業半ばでオーストラリアに戻り、父の跡を継いでメディアグループのオーナーになろうとしたが、相続税を払った後にはザ・ヘラルドなどの主要な事業は残っておらず、アデレードの新聞「ザ・ニューズ (The News) 」などがかろうじてルパートの手元に残った。ザ・ニューズの社長となったルパートは、アデレード近くで起きた少女殺人事件で逮捕されたアボリジニのマックス・スチュワート (Max Stuart) の冤罪と死刑反対を主張し大キャンペーンを行った。この結果スチュワートは冤罪が認められ釈放され、ルパートは大いに名を上げたが、このキャンペーンの実際の功労者は編集長のローハン・リヴェットであった。
ニューズ・コーポレーションの設立[編集]
マードックはザ・ニューズ紙をもとに持株会社ニューズ・リミテッドを創立し、オーストラリア各地の新聞を買収して1970年代にはオーストラリア有数のメディア・グループへと成長させた。1964年にはオーストラリア初の全国紙「ジ・オーストラリアン」を発行し、政治的影響力も高めている。また1969年にはロンドンのザ・サン買収。毎号カラーのヌード写真を掲載するなど一部の顰蹙を買いつつも労働者階級の人気を得ることに成功。1970年代には同じく英国のメディア王であったロバート・マクスウェルと激しく争いながら英米各地の新聞を次々買収し、1979年にニューズ・コーポレーションを設立した。
1980年代にはイギリスの名門紙タイムズ、アメリカの映画会社20世紀フォックスの買収、アメリカでのテレビ・ネットワークフォックス放送の設立など事業を拡大し、その経済力・政治的影響力は世界規模に拡大している。1987年にはかつて父が所有し本拠としていたヘラルド・アンド・ウィークリー・タイムズ社 (The Herald and Weekly Times Ltd) の買収についに成功し、父のメディア王国を取り戻した。
2005年には当時世界最大のSNS・MySpaceを買収。2007年、ウォールストリート・ジャーナルの発行元であるダウ・ジョーンズを傘下に収める。
2011年7月、「ニュース・オブ・ザ・ワールド」の盗聴事件に絡み(同紙はこれが原因で廃刊)、ニューズコーポレーションCEOとしてイギリス下院の調査委員会に召喚された。
詳細は「ニューズ・インターナショナル電話盗聴スキャンダル」を参照
2012年7月22日、子会社のニューズ・インターナショナル社は、マードックが傘下の英有力紙の経営陣から退いたことを明らかにした。
2013年6月28日、ニューズ・コーポレーションがエンターテインメント分野を主に担う21世紀フォックスと出版分野を主に担う新しいニューズ・コープに分社化された。両社の最高経営責任者(21世紀フォックスでは会長も兼務)を引き続き務める。
2019年3月20日、ウォルト・ディズニー・カンパニーが21世紀フォックスの大部分を買収した[2]。しかし、ディズニーは既に放送ネットワークであるABCを所持しているため寡占が懸念され、フォックス放送とその関連事業は新会社が運営する事となった。そのため同日フォックス・コーポレーションが営業を開始し、マードックはその会長を務めている。
2023年9月21日、同年11月にフォックス・コーポレーション並びにニューズ・コーポレーションの会長職を退任し、ニューズ・コープの名誉会長に就くことを発表した。後任は自身の長男であるラクラン・マードックが就任した[3]。
政治的立場[編集]
1970年代半ばまでは、マードックのグループ各紙は左派であるオーストラリア労働党やイギリス労働党支持だったが、その後は右派であるオーストラリア自由党やイギリス保守党支持に回っている。マードックは「リベラルどもを潰そう」とも発言している。一般的に傘下の21世紀フォックスなどが親米・親イスラエルなどの姿勢をとり、これまでロナルド・レーガンやマーガレット・サッチャー、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ、デービッド・キャメロンといった新保守主義・新自由主義の政治家を支持してきており、マードック本人も保守主義者であるとされる。しかし、保守主義者ながら反王制であることでも有名で、特にイギリス王室に対する報道は激烈である。このように、日和見とも言える態度がしばしば批判の対象となっている。
マードック本人は、自身の政治的立場を「リバタリアニズムの信奉者」だと述べている[4]。
私生活[編集]
彼はこれまでに4回結婚している。
1956年にパトリシア・ブッカーと結婚し一女(プルーデンス・マードック)をもうけたが1967年に離婚した。この結婚に関しては彼は多くを述べていない。
同年、社員でエストニア移民出身の若い女性、アンナ・トーヴと結婚し、エリザベス(1968年生まれ)、ラクラン(1971年生まれ)、ジェームズ(1972年生まれ)の二男一女をもうけている。アンナ夫人とは1999年に離婚し17億ドルにのぼる慰謝料を支払った。
その半月後、当時70歳のマードックは当時30歳のウェンディ・デン(鄧文迪、1969年に中国徐州に生まれ広州で育ち、米国に留学したあと、香港のスターTVの副社長を務めていた)と結婚している。ウェンディとの間にはグレース(2001年生まれ)とクロエ(2003年生まれ)の二女が生まれている。2013年6月、ウェンディとの離婚をニューヨーク州高等裁判所に提出した[5]。
2015年10月25日、ローリング・ストーンズのボーカル、ミック・ジャガーの元妻で元モデルのジェリー・ホール (Jerry Hall) との交際が報じられ、2016年1月12日、同日発行のタイムズで婚約を発表、3月5日にロンドンで結婚した。婚約の6年後、2022年に離婚した。[6]
エリザベス、ラクラン、ジェームズの三人はそれぞれニューズ・コーポレーション内の重役となり父の後継者の座を争ったが、次男ジェームズを除く二人はすでにグループを離れ独自のビジネスを進めており、ジェームズが後継者とみなされている。エリザベスは一度離婚し、イギリスの中堅規模の広告会社「フロイド・コミュニケーションズ」の創設者でジークムント・フロイトの曾孫にあたるマシュー・フロイト (Matthew Freud) (1963年生まれ)と結婚している。
メディア上での描写[編集]
自身が所有するFOXネットワークの人気番組で、様々な米英の有名人が本人役でゲスト出演する『ザ・シンプソンズ』においては「わしが世界征服を企む悪のメディア王、ルパート・マードックである」[7]というセリフを喋った事もあり、ユーモアには一定の理解を示す人物である(シンプソンズのスタッフをはじめ、FOXネットワーク等の関係者には民主党支持のリベラル派で反マードックを表明する者も少なくないにもかかわらず)[8]。
映画『007トゥモロー・ネバー・ダイ』に登場する、英中間に戦争を起こさせ、それらを独占報道することで莫大な利益を得ると共に、戦後の中国での放映権を獲得しようと画策するメディア王のエリオット・カーヴァーは、ルパート・マードックのライバルだったロバート・マクスウェルがモデルとされているが、ルパートを皮肉った部分も持ち合わせている[9]。
FOXテレビのロジャー・エイルズのセクシャルハラスメントを描いた『スキャンダル』では、ルパート・マードック役をマルコム・マクダウェルが演じた。冒頭シーンでは、メディア・コングロマリットとしてニューズ・コーポレーション社のビル全体の紹介がなされる。また、息子のラックラン・マードックやジェームズ・マードックなども演じられ無能の兄弟と揶揄されている。
ウォルト・ディズニー・カンパニーとの関係[編集]
脚注[編集]
[脚注の使い方]
^ “「メディア王」FOX社ルパート・マードック会長が退任 後任は長男のラクラン氏”. FNNプライムオンライン. (2023年9月22日) 2023年9月23日閲覧。
^ ディズニーが21世紀フォックスの買収を完了(TechCrunch 2019年3月21日)
^ バーンド・デバスマン・ジュニア、ケイティー・ラザル (2023年9月22日). “「メディア王」マードック氏が米FOXの会長退任へ 後任は長男”. BBCNEWS JAPAN. 2023年9月22日閲覧。
^ https://www.sourcewatch.org/index.php?title=Rupert_Murdoch#Murdoch.27s_politics
^ “Jerry Hall files for divorce from Rupert Murdoch in US court” (英語). the Guardian (2022年7月2日). 2022年8月16日閲覧。
^ https://thinkprogress.org/2007/10/01/the-simpsons-sucks-up-to-rupert-murdoch/
外部リンク[編集]
ウィキメディア・コモンズには、ルパート・マードックに関連するカテゴリがあります。
Rupert Murdoch (@rupertmurdoch) - X(旧Twitter)
ロンドン・ワッピングでの新聞印刷工場争議の後日譚、2006年1月15日付オブザーバー紙
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クロスオーナーシップ (メディア)
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メディアにおけるクロスオーナーシップ(相互所有)とは、新聞社が放送業に資本参加するなど、特定資本(つまり特定企業など)が多数のメディアを傘下にして影響を及ぼすことをいう[1]。各国の法律によって、このクロスオーナーシップが規制されているケース(いわゆるマスメディア集中排除原則)がある。これは、言論の自由と多様性を保障するためには、より多くの者がメディア事業に参画できる機会を与えることが必要だと考えられているからである[2][3]。
しかしながら実体としては、世界的にメディアグループの買収・再編が進み、複数のメディア媒体を傘下にしたメディア・コングロマリットと呼ばれるグループが大きな存在感を示している。その代表例は、ルパート・マードックで有名なニューズ・コープなどである。21世紀に入り、クロスオーナーシップへの規制を緩和する改正立法の動きも見られる[3][4]。
欧米における現状[編集]
アメリカ合衆国[編集]
アメリカ合衆国 (米国) ではクロスオーナーシップを排除するため、1920年代にワシントン・ポストとデトロイト・ニュースが所有するラジオ局を別都市で入れ替えている[要出典]。
1975年には、米国政府の独立機関として国内の放送通信事業を規制・監督する連邦通信委員会(FCC)により、クロスオーナーシップへの規制がかかるようになった。具体的には、同一企業が特定の地域内で新聞と放送局を相互所有することなどを禁じている[3][5]。
しかし2002年以降、経営の効率化などの観点からクロス・オーナーシップ等の緩和が議論されるようになった[5]。この流れを受け、2017年11月には、1975年当初の規制を撤廃する提案がFCCで可決した[3][6]。この規制撤廃により、新聞・ラジオ・テレビ業界の統合が進むと見られる。その一方で、ブログやポッドキャストといった新世代の中小メディアにとっては、この規制撤廃により存続が脅かされる懸念も指摘されている[6]。
イタリア[編集]
日本における現状[編集]
本来、マスメディア集中排除原則の観点から、新聞業と放送業などメディア同士は距離を持つべきとされる。
しかし、日本では1952年に設立され、翌1953年に民放テレビ局最初のテレビ局として放送を開始した日本テレビからこの傾向がある。同局は読売新聞グループの支配下にあり、経営面、放送内容などに読売新聞社の意向が極度に反映されることとなった。さらに当時の読売新聞社オーナーで日本テレビの初代社長も兼務した正力松太郎は自由民主党政権と近く、多くのテレビ局が新聞社の子会社として設立される方式を確立していった。
一般的に、テレビ局が新聞社の系列の元に縦割りとなった原因は、1975年に行われたTBS(毎日新聞社系)の系列だった朝日放送(朝日新聞社系)と、日本教育テレビ(現テレビ朝日)の系列だった毎日放送(毎日新聞系)とのネットチェンジ(腸捻転解消)だとされる。これによりキー局と地方局、新聞社の関係が同系列で整理された。
また、テレビ放送が大都市圏から日本全国に拡大する過程で、系列の異なる新聞社が地元企業などと共同で出資したローカル局も新聞社とキー局が筆頭株主になるということで新聞社・キー局の出先機関と化した。ローカル局は各県に複数設立されたが[7]、多くの県では日中戦争から太平洋戦争(第二次世界大戦)へと戦争が激化した1940年代前半に行われた戦時統合で成立した「一県一紙」の地方紙が他を圧する取材網を持ち、新規テレビ局はその地方紙に依存した方が取材の容易さやコストなどの点でも有利なため、県単位でのクロスオーナーシップが各地で成立していった。
現在は建前上は独立企業である放送局(特にローカル局)も一種の子会社レベルの存在意義である現状である。しかも、クロスオーナーシップの影響で新聞社>キー局>ローカル局という力関係ができ、新聞・テレビともお互いに方針に逆らいにくいという弊害が出ている。
日本においてクロスオーナーシップを制限する規定としては、放送局に係る表現の自由享有基準(平成20年03月26日 総務省令第29号)があり、一つの地域でテレビ・ラジオ・新聞のすべてを独占的に保有する状態を禁止していた[8] ため、複数のテレビ・ラジオ局がある地域で一つのメディアグループがこの3つの媒体をすべて所有する事は事実上妨げられない。そのため、フジ・メディア・ホールディングスがフジテレビジョン・ニッポン放送(ラジオ局)・産業経済新聞社(産経新聞)を、日本経済新聞社がテレビ東京と日経ラジオ社(ラジオNIKKEI=短波放送ラジオ局)を所有する事が可能となっていた[4]。
日本では「クロスオーナーシップ」が温存されているが、2009年9月に成立した鳩山由紀夫内閣の原口一博総務大臣(民主党)が2010年1月13日の文化通信社のインタビュー[9] や、2010年1月14日の外国特派員協会での会見で「クロスオーナーシップ」禁止の法制化を行うと発言した[10][11]。しかし、これに対し各新聞社は強く反発し、日本新聞協会はインターネットの普及などでメディアが多様化した事などを理由にクロスメディア規制の撤廃を求める意見書を同年3月1日に総務省へ提出した[12]。原口総務相はこれを押し切り、3月5日には事実上形骸化している現行のクロスオーナーシップ規制について3年後の見直し規定を盛り込んだ放送法や電波法などの改正法案が閣議決定されたが、同年6月に鳩山政権は総辞職して菅内閣が成立し、7月の参議院選挙で民主党が大敗して与党が過半数を失うねじれ国会となり、法制化は目処が立たなくなった。9月に成立した菅改造内閣では原口が総務大臣を退任し、後任の片山善博はクロスオーナーシップ規制の見直し条項の削除を行ったため、11月26日に成立した(改正)放送法ではクロスオーナーシップ規制の強化が見送られた。
前述の放送局に係る表現の自由享有基準(平成20年03月26日 総務省令第29号)はその後、2011年の改正放送法によって基幹放送の業務に係る表現の自由享有基準に関する省令(平成23年6月29日 総務省令第82号)などに改廃されている。さらに2015年の改正放送法によって、基幹放送の業務に係る特定役員及び支配関係の定義並びに表現の自由享有基準の特例に関する省令(平成27年3月27日 総務省令第26号)[13] などに引き継がれている。2015年の改正により、メディア企業の経営力強化を目的とする場合には、グループ内の複数メディア企業で役員が兼務できるよう規制を緩和している[4]。
現在の資本関係[編集]
読売新聞グループ本社 - 日本テレビホールディングス(22.82%を保有)および日本テレビ系列局
日本テレビはアール・エフ・ラジオ日本を45.26%所有
朝日新聞社 - テレビ朝日ホールディングス(24.7%を保有)およびテレビ朝日系列局(東京以外全部でラジオ・テレビ兼営)
日本経済新聞社 - テレビ東京ホールディングス(33.3%を保有)およびテレビ東京系列局、日経ラジオ社(19.93%を保有)
フジ・メディア・ホールディングス - フジテレビジョン(100%を保有)および系列局、ニッポン放送(100%を保有)、産業経済新聞社(40.0%を保有)
TBSホールディングスはかつて毎日新聞社が大株主であり[14]、現在も役員を相互派遣している。
山形県におけるクロスオーナーシップ[編集]
なお、各地方局でも地方紙の資本が入っているケースがあり、特に目覚ましいのは山形県にある山形新聞社(山形新聞、以下山新)である。山新は1960年にテレビ放送を開始した山形放送(YBC、日本テレビ系列、1953年のラジオ放送開始当時は「ラジオ山形」)の設立に深く関わり、現在でも山新は山形県に次ぐ山形放送の第2位の大株主(9.77%を保有)で、YBCテレビでは山新の社説を紹介するYBC社説放送が放映されている。2007年には山形メディアタワーが完成し、山新とYBCが同居してさらなる連携の強化が図られた。
さらに山新は1970年放送開始の山形テレビ(YTS、テレビ朝日系列)にも10%出資してテレビ朝日ホールディングス・朝日新聞社に次ぐ第3位の株主であり[15]、1989年放送開始のテレビユー山形(TUY、TBS系列)でも10%出資してTBSホールディングス(TBSHD)に次ぐ第2位の株主である[16]。1997年放送開始のさくらんぼテレビ(SAY、フジテレビ系列)のみは資本関係を持たないが、山形県内の民放テレビ4局中3局で山新が大株主となっている。加えて、山形県内のラジオは中波(AM)が上記のYBCのみで、超短波(FM)として1989年に開局したエフエム山形(Rhythm Station、JFN系列)にも山新が10%・第2位の株主として参加しているため[17]、山形県内のラジオ放送はコミュニティ放送を除いて山新が全ての放送局に影響力を持つ形となっている。
このように強力なクロスオーナーシップの成立には、山新の社長を1945年から1991年まで務めた服部敬雄[18] の意向が強く、いわゆる「平成新局」として山新が資本参加しない放送局として開局したテレビユー山形とエフエム山形の設立には服部が郵政省(現・総務省)の調停案に猛反発したため一時的に反対していた[19]。
中日新聞と東海三県テレビ局との関係[編集]
中日新聞は東海三県で圧倒的なシェアを持ち、また多数のテレビ局に出資している。愛知県ではCBC、東海テレビ、テレビ愛知、三重県でも三重テレビに出資している。中日新聞の出資の有無による処遇の違いについてはまず番組欄に現れており、左から順にNHKの次にCBC、東海テレビ、テレビ愛知が並び、非出資のメーテレ、中京テレビは右端となっている。また中日ドラゴンズ主催の野球放映権はNHKの他は出資しているCBC、東海テレビ、テレビ愛知、三重テレビにしか与えられていない。一方、岐阜県では岐阜新聞と対立しておりそれを裏付けるものとして岐阜新聞系列の岐阜放送の番組欄での扱いは地元・岐阜版でもハーフサイズの扱いとなっている。
弊害[編集]
新聞がテレビ、ラジオを批判すること、あるいはその逆のようなことを発言することに及び腰である[20]。
新聞の腐敗、あるいはテレビ、ラジオの腐敗を報道しない、一種の情報操作の原因である。本来は再販問題や押し紙問題の利害当事者ではないはずのテレビ、ラジオがこれらの問題について(NHKを含めて)報じられなくなっているといわれる[1][21]。
新聞やテレビ、ラジオが自身の改革に関する報道に及び腰である。2010年に総務大臣の原口一博が外国特派員協会での会見で述べたクロスオーナーシップの禁止に関しても、当事者である新聞やテレビ、ラジオは(NHKを含めて)一切報じていない。
テレビ局、ラジオ局が新聞社の意向により動かされるなど、中立であるべきメディアが新聞社など上位企業の圧力を受けることになる[22]。
山形県におけるクロスオーナーシップの通り、地方局はその地方紙が筆頭株主になっている場合が多く、その場合その地方に新規のテレビ局、ラジオ局ができる事に反対する場合がある(CM収入が減るため)。地方では民放テレビ局やラジオ局が2局か3局しかない県が数多くあり、その場合サッカーワールドカップ予選やプロ野球日本シリーズなどのスポーツビッグイベントなどを視聴できない問題が生じるが、その県民が被る不利益や不満がテレビ番組上やラジオ番組上ではもちろん地方紙上で取り上げられる事は少ない。その為メディア自らが都会と地方における情報格差を助長している。→県域放送も参照の事
ローカル局が地域密着を標榜しても、新聞社・キー局による一方的な支配のため独立性が損なわれており、実例としてフジテレビ『ワンナイR&R』による「王シュレット事件」で地元の福岡県のローカル局であり、福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)を応援していた放送局であるテレビ西日本が王貞治を侮辱した放送内容について制作には無関係ながら放送したとして連帯責任を問われた(独立放送局を除く)。
新聞社が、免許事業で権力の影響を受けやすい放送局を所有することによって、権力の影響を受けやすくなっている[1]。
脚注[編集]
[脚注の使い方]
^ a b c “テレビがなぜ「新聞再販」報じないか 民主新政権のマスコミ政策に注目”. J-CASTニュース (ジェイ・キャスト). (2009年9月6日) 2009年9月6日閲覧。
^ “マスメディア集中排除原則”. 電波利用ホームページ. 総務省. 2019年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月26日閲覧。
^ a b c d “米FCC,メディア所有の規制を大幅に緩和”. 『放送研究と調査』2018年1月号 掲載内容の転載. NHK放送文化研究所. 2019年12月26日閲覧。
^ a b c 放送法及び関係省令等の改正について (PDF) (Report). 総務省情報流通行政局放送政策課. 1 April 2015. 2019年12月26日閲覧。
^ a b “諸外国の通信・放送法制と動向”. 総務省. 2017年10月6日閲覧。
^ a b Fung, Brian (2017年11月17日). “The FCC just repealed a 42-year-old rule blocking broadcast media mergers” [米国連邦通信委員会が42年続いたメディア合併・統合規制を撤廃] (英語). ワシントンポスト. 2019年12月26日閲覧。
^ 最少の福井県や宮崎県などでも2局存在する。また、佐賀県は1局(サガテレビ、FNN系列)のみだが、隣県の福岡県のテレビ局の視聴が容易なため、民放の独占化は起こらない。
^ “放送局に係る表現の自由享有基準 (平成二十年三月二十六日総務省令第二十九号)”. 総務省. 2016年3月1日閲覧。
^ “原口総務相インタビュー「新規参入阻害する既得権益は徹底的に壊す」”. 文化通信.com (文化通信社). (2010年1月15日) 2010年1月22日閲覧。
^ 『原口総務大臣閣議後記者会見の概要』(プレスリリース)総務省、2010年1月15日。2010年1月22日閲覧。
^ “新聞・テレビの猛反発は必至 総務相「新聞社の放送支配禁止」表明”. J-CASTニュース (ジェイ・キャスト). (2010年1月15日) 2010年1月22日閲覧。
^ 総務省ホームページより、2010年3月1日付 「クロスメディア所有のあり方に関する意見」
^ “基幹放送の業務に係る特定役員及び支配関係の定義並びに表現の自由享有基準の特例に関する省令(平成二十七年総務省令第二十六号)”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2019年12月26日閲覧。
^ 1977年に毎日新聞の経営危機により株式の大半を売却した。
^ 一時は筆頭株主であったが、マスメディア集中排除原則による行政指導を受けて10%を超過する分を売却した。山形テレビの項目も参照。
^ 山新はダミーの免許申請の名残で出資した。テレビユー山形の項目も参照。
^ 当初は本社を山形テレビの本社に併設する予定だった。筆頭株主は読売新聞東京本社。
^ 山形交通(現在の山交バスを含む)の経営権も把握して県内の交通・報道網を独占した服部は「山形の首領」として『朝日ジャーナル』で特集されたほか、『別冊宝島』では「天皇」とすら紹介されるほどの絶対権力者とされた [1]。また、地元では「山形のヒトラー」と揶揄されていた。
^ 服部敬雄の項目も参照
^ 岡田克敏 (2007年2月12日). “マスコミ集中排除案 報道姿勢に疑問”. JANJAN 2009年9月6日閲覧。
^ NHKへの苦情続出、 ワンセグに対して受信料を徴収、テレビの有無の調査権を主張、「押し紙」関連資料の受け取り拒否) MEDIA KOKUSYO 2015年11月13日配信分(2016年3月31日閲覧)
^ “「進次郎が訴えてもメディアはスルー…「新聞軽減税率」はなぜタブーか”. gendai.ismedia.jp. 週刊現代. 2020年5月2日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
「クロスオーナーシップ問題」『情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)』2007年3月21日。
メディア系列化容認に動くFCC クロスオーナーシップ 動画 日本語字幕付 (デモクラシーナウ!ジャパン 2007.10.22)
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GENDA申真衣 ゴールドマン辞め起業 後悔ない決断術を学んだ本
2024.5.30
申 真衣/GENDA代表取締役社長
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申真衣さんは、ゴールドマン・サックス証券に新卒で入社。2017年にはマネージングディレクターに就任した。11年勤めた同社を退職してGENDA(ジェンダ)を共同創業し、社長として辣腕を振るっている。同社はアミューズメント施設「GiGO」などやカラオケチェーン店「カラオケBanBan」を運営、映画配給会社・ギャガなどをグループに持つエンターテインメント企業だ。23年7月には東証グロースに上場。時価総額は1000億円を超え、急成長を遂げている。その傍ら、女性誌のファッションモデル、2児の母としても忙しく過ごしてきた。20代の頃は、最短距離でのゴールを目指してモーレツに仕事に打ち込んでいたという申さんだが、1冊の本との出合いでそのキャリアビジョンをガラリと変えることになる。
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『LIFE SHIFT』(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著、池村千秋訳、東洋経済新報社)
長寿化が進み「人生100年時代」がそこまで来ている。社会も経済も医療も変わる中で、これまで描いていた生き方自体を変える必要がある。私も100歳まで生きるとしたら、40代でリタイア、あるいは緩やかなキャリアに移行した場合、残りの60年をどう過ごすのだろうか。余暇というにはあまりに長過ぎるし、緩やかに働いてもつまらないかもしれない…。
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起業はリスクが大きいから腰が引けるという人もいます。でも、私は当時からそれほど大げさに捉えていませんでした。自分にはこれまで会社員として培った10年以上の経験があるし、しっかり働いて実績を作ってきた自負もある。万が一、起業がうまくいかなかったとしても、サラリーマン生活に戻ればいいと考えていたからです。
「3年分の年収」以外は、大した損失じゃない
「会社を退職することで生じる一番の損失は何か?」を考えてみると、唯一の損失は、サラリーマンを続けていたら得られていたはずの「3年分の年収」くらいだと思いました。お金は大事ですが、失敗したとしても得られるものの大きさと比べれば、自分の「3年分の年収」を担保にチャレンジを諦める理由にはならなかった。
「うまくいかないこと」を重く捉えすぎる人もいますが、「優秀な人」「成功した人」という他者からの評価は、そのときどきで意見が変わるものなんですよね。
「他者からの評価はコロコロ変わるのが常。そんな移ろいやすいものに自分の人生を左右されるなんてもったいないですもんね」
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だから、起業を決断したときも、唯一の損失として考えられるのは「3年分の年収」を失うことくらいで、自分に対する誰かの評価が下がることは、私にとってはリスクのうちには入りませんでした。
そう思えたのは、ゴールドマン・サックス時代の苦い経験があったからかもしれません。
「できる子」から「要らないヤツ」への転落
入社後すぐに配属された部では、金融機関向けのデリバティブ営業の仕事が自分にフィットしていたのか、2年目まではとてもいい成績が残せていました。手前味噌ですが、会社からも「よくできる子」として評価されていた。
ところが、リーマン・ショックとともに債券営業部に異動になり、国内債券営業の担当になると、これといった成果を全く出せなくなりました。評価もみるみる下がり、その頃の給料は、一番稼いでいる同期の半分以下でしたね。
実力が重視される職場でしたから、「こいつ本当に使えないな」という空気はすぐに広がりました。周囲の私への評価が「よくできる子」から「できないヤツ」「要らないヤツ」に変わるのは、本当にあっという間でした。
どん底からマネージングディレクターに
「評価はどうあれ、目の前のことを一生懸命頑張ろう」と考え方を切り替えたのは、その頃からです。自ら手を挙げて金融商品開発部に異動しました。プレッシャーも大きい仕事なので、自分から会社を去る人も珍しくありません。でも私は、自分の評価がどん底だったときに会社を辞めることは考えませんでした。
私の2倍稼いでいた同僚は「とてもうまくいっている」にもかかわらず退職を決意して、会社から強く引き留められていました。それを見て、「私は『要らないヤツ』のまま辞めるのは嫌だ。どうせなら会社に引き留められる人間になりたい」、そう思っていたからです。
幸いなことに、その後は自分の強みを発揮できる仕事を少しずつ見つけることができて、異動から7年目で金融商品開発部の部長に昇進。34歳のときには、マネージングディレクターに昇進することができました。
今思えば、入社4年目で「要らないヤツ」と認定された経験がなかったら、その後のサラリーマン期間をがむしゃらに頑張ることも、昇進するまで走り続けることもできなかったと思います。
自分の決断を美化しない
退職する際に担当していた仕事は自分に向いている内容だと思っていましたし、マネジメントの仕事もやりがいがありました。でもそれ以上に、『LIFE SHIFT』をきっかけに「次のステップへ行こう」と決断できたことは、自分の進歩だと思っています。
でも、こうした決断については「美化する」ことのないよう注意しているんです。
心理学者のシーナ・アイエンガーの著書『 選択の科学 』( 櫻井祐子訳、文藝春秋)によると、人が選択をするときにはあらゆるバイアスが働いているといいます。バイアスによって決断を下すことは、判断を誤ることにもなる。例えば、延命治療を中止するとき、医師が決定した場合のほうが、家族が決定した場合よりも、家族の心理的負担が軽くなるというエピソードなどが紹介されています。
人生の決断で後悔しない方法を教えてくれた『選択の科学』
人生は決断の連続ですから、「決断のスキル」を上げることは自分が行きたいところに行きやすくなることにつながります。その一方、決断を美化して自分の都合のいいことばかりに目を向けたり、誰かのそれらしい言葉に決断を委ねたりすると、後々後悔することになりかねない。「自分で決断した」からこそ得られる学びや成長もありません。
人の意見を聞いて「バイアス」をなくす
起業すること自体は割とすぐに自分で決断したのですが、自分のバイアスを排除するために、「後悔しそうなこと」は徹底的にリストアップしました。そして、ゴールドマン・サックス証券を辞めることに賛成しそうな人・反対しそうな人両方に話を聞き、スタートアップで働いている人や起業した友人に起業について話をして、アドバイスや考え得るリスクを全部書き留めていきました。
その内容を振り返ってみると、自分の考えが合っていたこともあれば、考えが足りていなかったこともある。過小評価していたこと、過大評価していたこともあります。
でも、それらは起業したからこそ分かったこと。それに、視野を広げてバイアスを極力排除していたおかげで、「あのときこっちを選んでおけばよかった」と自分の決断を後悔することは、今でも一つもありません。
取材・文/金澤英恵 構成/長野洋子(日経BOOKプラス編集部) 申さん写真/GENDA 本写真/スタジオキャスパー
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【コラム】東芝は見習うべき!? キヤノンの「キャッシュフロー経営」成功事例
東芝は2月3日、「予算策定プロセスおよびカンパニー業績評価制度の見直しについて」を発表しました。これは、前年の2015年12月21日付けに公表した「新生東芝アクションプラン」の一環で、今後は、損益計算書上の利益追求のみならず、現金創出に重きを置いた経営管理を進める「キャッシュフロー経営」により焦点を置いたプロセスに移行し、財務体質を強化し、収益性を改善していくとのことです。
さて、たびたび話題となる「キャッシュフロー経営」ですが、今回は日本で先駆けてキャッシュフローに取り組んだキヤノンの成功事例についてご紹介します。
カメラメーカーから多角化企業へ
キヤノンは創業の1937年から約30年間は完全にカメラのメーカーでした。高度経済成長期に事業の多角化に着手し、電卓や複写機事業にも裾野を広げて行きました。1977年に同社は事業部制を導入し、1980年代の10年間は、高い成長率を誇ったものの、事業部毎の収益力の差も出るようになり、赤字事業部についてはなかなか赤字から抜け出せない状況が続きました。
そこで、米国の子会社で23年間経理・人事・総務等々の管理部門の専務を担当してきた現会長兼CEOの御手洗冨士夫氏は、1995年の社長就任時に、米国で取り組んだキャッシュフロー経営に着手しました。当時、キヤノンは株主資本比率が35.1%、有利子負債依存度33.6%、売上2兆900億円に対して借入金8,400億円という高借金の財務体質でした。
コスト削減によるフリーキャッシュフローの改善
御手洗氏は、これまでの損益計算書による利益ではなく、キャッシュの最大化を意思決定の基準とする経営方針に変えました。現金創出の源は「内部留保」「減価償却」、そして「経営努力」の3つとし、きちんと目標管理をしながら、目に見える形で利益を管理していきました。
御手洗氏は7つの不採算部門を閉鎖し、これまでのライン生産方式から、数人で効率よく製品を組み立てる「セル生産方式」を全工場に導入しました。仕掛品と在庫をそれまで23日分ほど保有していたのが、4分の1以下の5日ほどに減少しました。
また、カンバン方式(必要なときだけ必要な部品を取り入れる生産方式)も導入し、それまでは約3日分位あった部品在庫が約6時間分に短縮されました。このような製造現場のムダを排除した結果、工場の運転資金が3分の1以下になり、人件費は年間220億円の削減、生産方式の改革でラインでの仕掛品が削減し、7年間の累計で3,000億円以上のキャッシュを創出し、実質無借金企業への変革を遂げたのです。
東芝は今後、各カンパニーごとに有利子負債の限度額を設定し、これを超えた場合、改善計画を策定するなど、管理体制を強化していくだけでなく、各事業の投資額決定の際は、収益性以外にも、市場シェアなどの指標に基づき成長性を評価していく予定です。
同社はこれまでにもキャッシュフローにも配慮した経営を行ってきましたが、今回の不適切会計で期間損益に過度に偏重する部分が明るみになってしまいました。今回の「キャッシュフロー経営」移行により、同社のタグラインである「Leading Innovation」を取り戻す日が早く来るよう、冷静に見守りたいと思います。
CSK (企業)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社CSK
CSK CORPORATION
本社(CSK青山ビル)
東証1部 9737
1982年6月17日 - 2011年9月28日
略称CSK本社所在地
日本
〒107-0062
東京都港区南青山2-26-1 CSK青山ビル設立1968年(昭和43年)10月7日業種情報・通信業事業内容システムエンジニアリング代表者中西毅(代表取締役社長)資本金732億25百万円(2009年3月31日現在)発行済株式総数8029万0414株
(2009年3月31日現在)売上高単体137億92百万円
連結2060億99百万円
(2009年3月期)営業利益連結△1230億66百万円
(2009年3月期)純利益単体1521億90百万円
連結△1615億29百万円
(2009年3月期)純資産単体130億54百万円
連結252億47百万円
(2009年3月31日現在)総資産単独2350億68百万円
連結3639億31百万円
(2009年3月31日現在)従業員数単独186名、連結10,756名
(2009年3月31日現在)決算期3月主要株主日本マスタートラスト信託銀行5.76%
日本トラスティ・サービス信託銀行5.00%
CSKグループ社員持株会 4.65%
(2009年3月31日現在)主要子会社主な関係会社の項を参照関係する人物大川功(CSK創業者)
湯川英一(株式会社クオカード代表取締役会長、元・株式会社セガ専務執行役員)
有賀貞一(元副社長)外部リンクhttp://www.csk.com/特記事項:合併前の会社概要テンプレートを表示
株式会社CSK(シーエスケイ、英語: CSK CORPORATION)は、かつて存在した独立系システムエンジニアリング企業。日本の情報システム産業のリーディングカンパニーであった。東証1部上場企業(証券コード:9737番)。
2011年(平成23年)10月1日にSCSK(旧社名:住商情報システム)に吸収合併された。
概要[編集]
創業者は大川功(おおかわ いさお)。「CSK」とは、創業時の商号であるコンピューターサービス株式会社の英訳表記「Computer Service Kabushiki-Kaisha」の略。本業はコンピュータシステムの開発会社である。
社是は、「サービスこそ我が社の命なり」とし、社会への奉仕活動を第一の経営方針とした。
2005年(平成17年)10月にホールディングス体制に移行したこともあり、システム開発・アウトソーシング・金融サービスを軸とした企業体質は安定期に入っていたかに見えた。しかし急激な金融サービス事業、とくに不動産投資事業への資本集中が2008年(平成20年)以降のサブプライムローン破綻、リーマンショックなどの経済環境悪化の影響も受け、グループ全体を窮地に追いやることとなった。
結果的に、グループの不動産証券化事業の不振で巨額の評価損が発生し、その影響から経営を立て直すために、2009年(平成21年)9月30日に、ACA株式会社(旧・アント・コーポレートアドバイザリー)から資本増強を受けるとともに、不動産投資事業のコントロールタワーであったCSKファイナンスなどの金融サービス事業を担う子会社を次々と譲渡・売却、グループから切り離す。同時に、取引銀行4行からの借り入れを、株式化(デット・エクイティ・スワップ)および長期借入債務に借り換えを行うこととなった。
沿革[編集]
2001年(平成13年)3月 - 創業者・大川功 逝去(享年74)。
2003年(平成15年)4月 - 本社中枢機能を含む自社ビルを青山・梅窓院近くに建設。
2004年(平成16年)
2005年(平成17年)
2006年(平成18年)
5月 - 大阪大学と「教育情報」の相互交換・共有について協力関係構築を締結。
10月 - 三井住友海上火災保険株式会社「関西データセンター」(兵庫県三田市)を買収。
2007年(平成19年)
1月 - 地方金融機関による証券事業参入・開始をシステム等からサポートすることを目的としてCSK-RB証券株式会社を設立。
2月9日付け日本経済新聞(朝刊)によれば、2009年(平成21年)の株券電子化を控え、富裕層顧客の流出を防ぎたい地方銀行等のニーズを取り込み、情報サービス事業の収益拡大につなげるのが、会社設立の背景にあるとされている。
5月 - ISAO(イサオ)株式会社を完全子会社化。
6月15日 - CSKグリーンサービス、東京グリーンシステムズ、CSK-ISが中心となった研究開発・障害者雇用を二本柱とした複合研究施設「CSK多摩センター」が多摩市山王に竣工。胡蝶蘭の栽培や独立・公正をうたったシンクタンクの研究棟などを有し、CSKの本体事業以外の「社会貢献」を体現した施設となっている。
7月1日 - CSKシステムズ、CSKネットワークシステムズ、CSKフィールドサービスそれぞれを、より機能集中、各事業分野のコンパクト化による意思決定スピードの短縮化などを狙いとして、CSKシステムズ、CSK-ITマネジメント、CSKシステムズ西日本、CSKシステムズ中部、CSKアドミニストレーションサービス(既存三社のスタッフ機能を受け持つ)それぞれに会社分割・合併した。
2010年(平成22年)
2011年(平成23年)2月24日 - 住友商事が株式公開買い付けでCSKを子会社化することを発表。住商情報システム(SCS)が吸収合併して新会社『SCSK』を設立。9月28日付けで上場廃止。住商情報システムが存続会社である。
歴代社長[編集]
氏名在任期間出身1大川功1968年 - 1996年早稲田大学2福島吉治1996年 - 2000年滋賀大学経済学部3青園雅紘2000年 - 2003年滋賀大学経済学部4林由修2003年 - 2005年立命館大学理工学部5広瀬省三2005年 - 2005年東海大学工学部6福山義人2005年 - 2009年慶應義塾大学商学部7中西毅2009年 - 2011年京都コンピュータ学院
経営悪化経緯[編集]
事業規模を急拡大させると同時に、創業者の大川は外部から人材を次々とスカウトしてきた。その1人が青園雅紘氏。福井県出身。滋賀大学経済学部を卒業して野村證券に入社。営業畑を歩き実績を上げ、42歳の若さで取締役に昇格。CSKの旧本社に近い新宿野村ビル支店の支店長を務めていた当時、大川と知り合った。
青園氏は豪胆な性格で知られ、そこに大川が目をつけてスカウト。95年野村證券常務を最後にCSK副社長に移った。社長に就任するのは2000年6月(その3年後に会長就任)。翌年の01年3月、大川が亡くなり、血を血で洗うような権力闘争に突き進む。青園氏のCSKでの歩みは抗争の歴史であった。
大川は、インターネット時代のコンテンツ企業を標榜し、セガ・エンタープライゼス(現・セガ)やベルシステム24、亜土電子工業(現・MAGねっとホールディングス)、アスキー(現・メディアリーヴス)などを傘下に収めた。
権力を握った青園氏は、大川がグループ傘下入りさせた企業群を切り離した。消費者を対象にした事業はグループから外し、企業間取引に事業を集中するというのが、その理由だ。これを大川路線の否定と受け取ったグループ会社の経営者や幹部社員は猛反発。大川は創業者としてのカリスマ性で求心力を維持できたが、スカウトされてトップに就いた青園氏は資本の論理で迫ったから、社内は一触即発の危機的状況に至った。
青園氏に公然と叛旗を翻したのがコールセンターのベルシステム24の園山征夫社長。島根県出身。慶応大学経済学部を卒業し、三和銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行。米ニューメキシコ大学経営大学院へ留学した後、転職、失業を経験。大川にスカウトされて、84年にCSKに入社。経営不振にあったベル24の再建ために派遣され、87年8月に社長に就任した。
大川が他界後、個性の強い青園氏は野村人脈でCSKを固め、同年齢の園山氏とはことごとく対立。園山氏はベル24の社長を解任される前に、CSK離脱の挙に出た。世にいう「ベルシステム24事件」である。
2004年7月に開かれたベル24の取締役会で、日興コーディアルグループを引受先とする第三者割当増資を決議。電光石火のクーデターで、ベル24はCSKグループから離脱し、日興グループ入りを果した。
「こんなことが許されるのであれば、日本の資本主義はいったいどうなってしまうのか」。ベル24の社外取締役で、筆頭株主でありながら、蚊帳の外に置かれたCSKの青園雅紘会長は怒りをあらわにしたが、後の祭りだった。
青園雅紘会長が目指した、脱本業の失敗
セガなどグループ企業を切り離した青園氏が拡充したのが、自分の得意分野である金融サービス事業。コスモ証券を買収したのを始め、ベンチャーキャピタルや不動産証券化を収益の柱にした。07年3月期は金融サービス事業が情報サービス事業を上回る営業利益を稼ぎ出した。
しかし、08年3月期はコスモ証券の不振が響いて金融サービス事業の営業利益が半減。続いて09年3月期にはリーマン・ショックの影響もあり、金融サービス事業で不動産証券化ビジネスの失敗により1500億円を超える巨額な赤字を出して失速。青園氏の脱本業は失敗に終わった。金融や不動産が儲かるということで、本業である情報サービスを疎かにしたツケであった。かくして会長の青園氏は引責辞任に追い込まれた。 - NetIB-NEWS より引用 -
主な関係会社[編集]
連結子会社[編集]
株式会社JIEC(東証2部上場)
株式会社CSIソリューションズ
株式会社CSK Winテクノロジ
株式会社福岡CSK
株式会社北海道CSK
スーパーソフトウェア株式会社
株式会社CSKニアショアシステムズ
株式会社CSKシステムマネジメント
株式会社CSKサービスウェア
株式会社CSK証券サービス
株式会社ベリサーブ(東証1部上場)
ビジネスエクステンション株式会社
株式会社CSKプレッシェンド
株式会社クオカード
株式会社CSKベンチャーキャピタル
プラザ アセット マネジメント株式会社
プラザ キャピタル マネジメント株式会社
CSKファイナンス株式会社
東京グリーンシステムズ株式会社
株式会社CSKグリーンサービス
株式会社CSKアグリコール
過去のグループ会社[編集]
株式会社ベルシステム24 - 旧・日興プリンシパル(現・シティキャピタル)によるMBOを経て、米ベインキャピタル系バイアウトファンドによりセカンドMBO。
株式会社セガ - サミー(旧社)が買収、のちに経営統合してセガサミーホールディングスとなり、現在はコーポレート部門などの管理部門をセガサミーホールディングスの子会社であるセガホールディングスが、コンシューマゲーム部門をセガホールディングスの子会社であるセガゲームスが、アーケードゲーム事業をセガホールディングスの子会社であるセガ・インタラクティブがそれぞれ承継している。
株式会社アスキー(のちの株式会社メディアリーヴス)- ユニゾン・メディア・パートナーズに譲渡しグループから離脱。のちに株式会社角川ホールディングス(現・KADOKAWA)が買収し、自身の子会社のエンターブレインに吸収合併され解散。
株式会社シーエスケイ・エレクトロニクス(通称社名・CSKエレクトロニクス、現・株式会社MAGねっとホールディングス)- かつての亜土電子工業(ADO)。
ネクストコム株式会社(東証2部上場、現・三井情報株式会社) - 三井物産との合弁。大元の設立母体であった旧・CSKの経営危機後は三井物産が引き継ぎ子会社化、三井グループのSI中堅で社名・英名略称の由来でもある旧・三井情報開発(MKI)を吸収合併(共に上場子会社でもあった)し現社名となる。
株式会社スパイク(のちの株式会社スパイキー、株式会社クロスナイン)- サミーが買収しグループから離脱。のちにゲオが買収し、3度の事業転換を経てゲオに吸収合併され解散。
コスモ証券株式会社(新・岩井コスモ証券株式会社)- 元大和銀行(現・りそなホールディングス)子会社でかつての同根。岩井証券(旧社)によりセカンドバイアウト実施、のちに共同持株会社・岩井コスモホールディングスを設立し、岩井(新社)・コスモ両社がぶら下がる形となった。2012年(平成24年)の5月下旬に後者に該当する同社を存続会社として合併して新体制となる[1]。
株式会社ISAO - 豊田通商子会社に事業譲渡。
株式会社CSKネットワークシステムズ
関連項目[編集]
脚注[編集]
外部リンク[編集]
株式会社CSK総合研究所(CRI) - ウェイバックマシン(2000年12月2日アーカイブ分)
カテゴリ:
ユニクロ 苦戦する海外店舗、撤退寸前からの反転攻勢
2024.4.27
杉本 貴司/日本経済新聞編集委員
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ユニクロ初のグローバル旗艦店として鳴り物入りでオープンしたニューヨークのソーホー店。世界のファッションの中心地にできた超大型店は、日本のユニクロとは似て非なる店だった。日本での大成功を経て、いよいよ世界へと羽ばたくユニクロ。だが、そこに横たわっていたのは思わぬ壁だった。苦戦する海外展開、その様子をノンフィクション『ユニクロ』(杉本貴司著)より紹介しよう。(文中敬称略)
似て非なるソーホー店
ソーホー店に漂う違和感を抱いたのは最古参の浦利治と岩村清美だけではなかった。
(なんだよこれ……、ぐちゃぐちゃじゃないか)
ロンドンから視察にやって来た日下(くさか)正信の目にも、「これは俺が知っているユニクロじゃない」と映った。ユニクロはソーホー店を作ってからちょうど1年後の2007年11月にロンドンでも旗艦店をオープンさせることになり、ロンドン駐在で営業担当だった日下がソーホー店を参考にしようと視察のために出張してきたのだが、そこで目にしたのは日下が知っているはずのユニクロとは似て非なる現場だった。
浦や岩村よりその危機感は強かったはずだ。日下自身がロンドンに来てからずっと、「ユニクロのようなもの」と向き合ってきたからだ。
1995年に入社して店舗スタッフや店長として全国の店を転々とする下積みのような生活を送ると、日下はスーパーバイザー(エリアマネージャー)へと昇格していった。金太郎あめ方式で本部の指示通りに動くのが当然だった店舗の中で、幸いなことに「本部よりお客さんを見て仕事しろ」と言ってはばからない先輩に鍛えられたことが今も財産だという。
「こいつらが俺の上司か……」
フランクではあるが時に直截的な語り口。背格好は大柄ではないが、切れ長でギロリと鋭い目が特徴的な、いかにも現場のたたき上げという雰囲気を、日下は漂わせる。
現場で実績を残してきた頃に命じられたのがユニクロ大学の担当だった。現場第一の日下は「そんな学校の先生みたいに高いところに立って偉そうなことを話すのは、絶対に嫌です」と突っぱねたが、結果的にこれがキャリアの転機となった。
当時、中国で採用した若者たちを日本に半年ほど呼び寄せてユニクロ流を学んでもらっていた。その教育担当に指名されたのが日下だった。日本まで研修にやって来た彼らの姿を見て、日下は脅威を覚えたという。
「このままだと、俺はすぐにこいつらに追い抜かれてしまうな」
例えば、柳井が制定した23カ条の経営理念ひとつとっても2時間もすれば句読点の位置まで間違えることなく覚えてしまう。ほとんどの者が半年ほどの研修の間にそれなりに日本語ができるようになる。英語だって、TOEICのスコアが320点の自分とは比較にならないほど上手にしゃべる。日下がユニクロの現場でたたき込まれてきた接客や身のこなしも、スポンジが水を吸い込むように覚えてしまう。
「近い将来はこいつらが俺の上司か……」
そんな現実を突きつけられる思いだった頃に打診されたのが、不振にあえぐロンドン行きだった。
ロンドンで英国事業を立て直してほしいと言われたのが2004年秋のことだった。海外での経験はまったくないが、「ユニクロの商売を知っている」というのが起用の理由だった。
英語ができないことを理由に一度は断ろうと思ったが、頭に浮かんだのがユニクロ大学で学ぶ中国の若者たちの姿だった。「このままだとすぐに追い抜かれる」。その危機感に打ち勝つためには、自分も彼ら彼女らのように世界に出て戦う覚悟を決めなければならない。
みずからを奮い立たせる思いでロンドンに渡った日下が目にしたのは、その後に視察したソーホー店と比べても話にならない売り場の光景だった。
「もっとユニクロにする」
ユニクロが誇る「圧倒的な陳列」。同じ色を下から上までずらりと積み上げて圧倒的な量とカラーバリエーションが一目瞭然になるように服を並べる方法のことを、こう呼ぶ。
特に壁際は足元から天井近くまで積み上げ、あたかも壁をタペストリーのように彩っていく。いわゆるボリューム陳列と言われるレイアウトの手法だが、フリースブームの火を付けた1998年の原宿店で採用した方法を、その後も少しずつ進化させてきた。
カタカナのロゴを掲げるニューヨークのソーホー店。軌道に乗るまでには現場の悪戦苦闘があった(ファーストリテイリング提供)
画像のクリックで拡大表示
それが、ロンドンではまるでなっていない。
この当時は英国内で21店舗まで広げていた店舗網を、ロンドンの5店舗にまで縮小させた直後のことだ。現地の英国人スタッフたちの間にも「ユニクロは通用しない」という空気が漂っていたどん底のタイミングで東京からやって来たのが、ろくに英語も話せない日下だった。
日下が日本のように服を並べたらどうだと、たどたどしい英語で説明しても「でも、それで売れなかったじゃないか」と一蹴されてしまう。何度言っても一顧だにされない。すると、次第に日下も現地の考え方に染まるようになってしまった。「どうせ店にいてもヒマだし」と、同じ通りにあるネクストやH&M、ZARAの店を見て回った。そこはガラガラのユニクロとは違い、すぐ近くにあるとは思えないほどいつも人であふれていた。
郷に入っては郷に従えとばかりに、日下がいっそのことマネしてみようと思ったのがH&Mの展示方法だった。マネキンを多用して売れ筋の服を展示し、棚に積み上げるのではなく、ハンガーでつり下げて陳列することにした。
「すると、もっと売れなくなりました。結局、なんの店だか分からなくなったんだと思います。彼らが成功しているからといって同じようなことをやってもうまくいかないと納得しました。だったら逆のことをやってみようと思いました」
こんな回り道をしてたどり着いたのが、ユニクロ流への回帰だった。「ユニクロが何者か、誰が見ても分かるようにしないといけない」。それが日下が出した答えだ。
「どうせやるなら大げさにやってやれ」
日下の言葉を借りるなら「もっとユニクロにする」、だ。棚の並べ方はミリ単位で指定する。ハンガーでつっていた服は全部折り畳んでひとつずつ積み重ねていく。壁際は足元から天井まで1列1色できれいに統一していく。売れる色も売れない色も同じように足元から天井まで、だ。
反転攻勢への第一歩
すると予想した通り、英国人スタッフから反発の声が上がった。
「同じ服でもカラーによって売れる量が違うのに、その方法だと同じ数を並べることになってしまう。そんなのナンセンスじゃないか」
「お客さんは服を広げてまた棚に戻すだろ。それをまた折り畳まないといけないってことか。なぜそんなムダな作業を我々に押しつけるんだ」
在庫管理の観点からも作業効率の観点からも「合理的ではない」と言われれば、確かにその通りだ。だが、だからといって目抜き通りで肩を並べる他社と同じような売り方をしていれば埋没してしまう。お客からすれば、数あるブランドの中でユニクロの店に入ってみようと思う理由がない。
現地スタッフたちが早口で話す英語にはついていけないが、「また日本から来た奴が日本のやり方を押しつけやがる」という雰囲気だけは嫌でも伝わってくる。だが、ここで引き下がってしまうと同じ失敗の繰り返しだ。
「君たちが言うことはもっともだ。でも、我々はここでは知られていない存在なんだ。差別化しないといけない立場なんだ」
そう言って根気よくロンドンにユニクロ流を持ち込もうとしていた矢先に視察したのが、ニューヨークでオープンしたばかりのグローバル旗艦店であるソーホー店の現状だった。
「これはユニクロじゃない。こんな風にしちゃダメだ」
そう確信して「思いっきりユニクロに振った」のが、2007年11月にオープンさせたロンドンのグローバル旗艦店だった。
実は日下がロンドンで「もっとユニクロにする」と考え始めたちょうど同じ頃に、香港で同じことを考えていたのが潘寧(パン・ニン)だった。19歳で中国からやって来た潘は、ユニクロに入社して中国ビジネスを担当していた。香港の繁華街、尖沙咀(チムサーチョイ)に出した店で「日本のユニクロ」方式を採り入れ、それを上海に移植して中国ビジネスを軌道に乗せた。
潘と日下は同じ1995年にユニクロの門をたたき、いずれも郊外の店を振り出しにそれぞれの現場で実績を残してきた。その2人が海外に飛び出して「ユニクロとはなにか」を自問自答し、行き着いたのが、まったく同じ解だったのだ。
ここからユニクロの英国ビジネスは少しずつ反転攻勢へと向かい始める。長い道のりではあるが、撤退間際まで追い込まれていた英国事業を軌道に乗せる糸口がようやく見つかったのが、この頃のことだ。
<関連記事>
「『金脈をつかんだ!』叫ぶ柳井正 ユニクロ1号店、開店秘話」
「『泳げない者は沈めばいい』 ユニクロ柳井正と古参幹部の別れ」
『 ユニクロ 』
これぞ決定版。迫真のノンフィクション! 「ユニクロ」という金の鉱脈をつかむまでの暗黒時代。製造小売業(SPA)への挑戦。東京進出とフリースブームの到来。苦戦する海外展開。ブラック企業批判――柳井正と同志たちの長き戦いをリアルに描く。
杉本貴司著/日本経済新聞出版/2090円(税込み)
ABOUT US
あらゆる事件は非凡である。そう思ったのは、探偵小説と間違えて『罪と罰』を読んでからだ。まだ小学生6年だったから、うなされて熱を出した。何もかも見透かしているような予審判事ポルフィーリーが怖かった。先へ先へと回ってラスコーリニコフを追いつめる。それが恥ずかしながら、年来の取材仲間と組んだ「チーム・ストイカ」のモットーである。
雑誌としての「ストイカ」創刊は2019年10月。二度も手術をした年で、もっと気ままに、やり残したことが発信できるメディアがほしくなった。雑誌名にはストイックの語源であるストア派と、ユークリッド(エウクレイデス)の『原論』(ストイケイア、Στοιχεία)の意味を込めた。21年、コロナ禍の状況に鑑みて、流通に負荷のかかる紙媒体からオンラインに移すことを決めた。
それを機に単なるニュースサイトでなく、「借り物でない調査報道のセレクトショップ」としてプラットフォームを設計することにした。志を同じくするジャーナリストの独立系サイトと連携、リンクを張ってスター・ウォーズ連合軍のようなシンジケートをめざす。
ネットメディアが普及しても年々稿料が低下していくため、フリーランスのジャーナリストはむしろ廃業の危機に直面している。それに歯止めをかけ、報道からフェイクを追放する一助としたい。
要は独自ニュースを厳選した掲示板スレッドができたらと思っている。そしてオピニオンの延長線上で、政策を論議し、提言を実現させ、どん詰まりの日本の血路を開きたい。その同志を募るとともに、「ご質問・内部情報」Contact usのコーナーを設けてLeaks(内部通報)やDonation(寄付)でも協力をお願いする。
調査報道の高みへ、ストイックたれ
――ストイカ・オンラインの行動規範7則――
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・調査報道によって社会の不正や不合理を抉り出し、事実を分析、俯瞰して世に知らしめる
・罪を憎んで人を憎まず、暴露より欠陥の是正を考え、公益や公正な社会経済の形成に寄与する
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・取材に聖域なし、プライバシーやコンプライアンスなど法の枠内で最新の手段を惜しまない
・情報の扱いは慎重かつ厳正に守秘義務を徹底し、あくまでも内部通報者を守る
ABOUT ME
言い出しっぺの略歴を書こう。いまの肩書はこうしている。
Shigeo Abe Editor & Writer at Large
好奇心旺盛だから専門分野を定めず、ときどき自ら取材して記事を書く。at largeとは「無任所」という意味である。調査報道のスクープの快感が忘れられないのは、新聞記者時代の92年と94年に日本新聞協会賞をもらったが、三つ目が圧力で没となり、幻のスクープとなったからだ。その口惜しさが今も原動力だ。
1948年東京生れ。番町、麹町、日比谷とお定まりの進学コース。サミュエル・ジョンソンの「英語辞典」、山田忠雄の「新明解国語辞典」のように個人で百科辞典を書く大望を抱いたが、途中で優等生ぶりっ子に嫌気が差し、アスリートの素質がないのにバレーボールに明け暮れて胃潰瘍になった。父の意向に逆らって東大法学部を忌避、もっぱら図書館で過ごし、ゼミはほとんど欠席して1年留年、論文提出だけで東大文学部社会学科を卒業した。
73年に日本経済新聞に入社、社会部に配属され、やがて田中金脈、ロッキード事件の取材陣に投入されて、ブンヤは体力勝負と知る。4年後に整理部に異動、紙面電子製作システム「アネックス」への移行期に遭遇し、活版印刷の最後を看取った。87年に金融部に異動、キャップとして金融新聞の創刊とブラックマンデーやバブルの激流に翻弄された。
89年にデスク、編集委員兼任となり、マーケット以外にも手を広げた。リクルート未公開株事件で日経も巻き込まれ、その雪辱戦にしばしば「越境」取材ができた。下っ端の論説委員となり、美文家でもないのに、一面下段の「春秋」コラム筆者陣の一角に入ったが、コラムでスクープを書こうとして論説主幹にたしなめられたこともある。
証券部を経て95年にロンドンに赴任、拙い英語で苦労したが、未知の世界を知った。サダム・フセイン時代のイラク、香港返還時の中央アジア取材など単独行の経験を積む。98年に帰国して日経を退社、ケンブリッジ大学で客員研究員となり、「イラクにおける大量破壊兵器の研究」の取材・研究のため、99年夏にイランを私費で6000キロ旅した。
雑誌界に転じて99年秋から4年間、情報誌「選択」の編集長兼副社長を務め、古巣の新聞社社長の公私混同を追及したことで多くの友人を失った。2006年には月刊誌「FACTA」を創刊、発行人兼編集長として電通利権の追及やオリンパス、東芝の不正経理事件などさまざまな調査報道の戦果を挙げたが、病を得て2019年8月末に退社した。
アドホックで何冊も共著を出したが、単著は『イラク建国』(中公新書)くらいで、器用貧乏なのか、主著と言えるものはない。訳書では、フリップ・K・ディックの『あなたを合成します』『ブラッドマネー博士』(サンリオ文庫)、『市に虎声あらん』(平凡社のち早川書房)、『ジャック・イジドアの告白』(早川)があり、2018年にはデヴィッド・フォスター・ウォレスの『これは水です』(田畑書店)、19年9月、ドイツ語から翻訳したエルンスト・ユンガーの『ガラスの蜂』(田畑書店)、20年3月にはウォレス『フェデラーの一瞬』を出した。
そろそろ年貢の納め時を意識して、訳書でなく単著『異端モンタノス派 初期キリスト教 封印された聖霊』を22年3月に出版した。ジャンルはこれまで手掛けたことのない宗教、それも初期キリスト教である。20代で読んだマックス・ウェーバー『古代ユダヤ教』の借りを返したい。その土台となったウィリアム・タバニーの『預言者と墓石』の邦訳も出版準備中である。メモワールを書く気は今もない。記者は立ち止まったら腐るからである。
阿部重夫さんがFACTAをやめて、新メディアを立ち上げていた。
レジェンドたちです。
腰砕け「金融庁」/「資産運用業レポート」廃止の危機!
発行中止を求める圧力は、金融業界や自民党からだけではなかった。
2024年6月号 BUSINESS
「資産運用業高度化プログレスレポート2023」より
異色の行政文書として金融業界を震え上がらせてきた金融庁の「資産運用業高度化プログレスレポート」が廃止の危機を迎えている。投資信託会社など国内の資産運用業界が抱える構造的な問題を年1回発行のレポートで指弾し、改革を厳しく迫ってきたが、今年は発行しない方針が決まった。「業界に求めてきた改革の実行状況を見極める」というのが発行中止の表向きの理由である。
しかし、実態は異なる。これまで厳しい批判にさらされてきた資産運用業界が自民党を通じて金融庁に圧力をかけ、レポート発行を中止させたのが真相だ。今年1月に新NISA(少額投資非課税制度)などが始まるまでは我慢を続けてきた資産運用業界が、新制度導入を契機にして反転攻勢に出た。業界の圧力に屈するようでは、岸田文雄政権が目指す「資産運用立国」の実現は困難だ。
投信会社の暗部に切り込む
問われるリーダーシップ(官邸HPより)
2020年6月に発行が始まったプログレスレポートは、資産運用業界に大きな衝撃を与えた。「アクティブ(積極運用)型の投資信託は、信託報酬などのコストに見合ったパフォーマンスを確保できていない」
ファンドマネージャーの裁量で顧客の資産を運用するアクティブ型投信は、各社とも高い手数料を稼ぎ出すドル箱商品だが、金融庁はそれを狙い撃ちして批判したからだ。レポートを読んだ投信会社幹部は「本当にこれは金融庁が発行した文書なのかと目を疑った」と、当時の驚きを振り返る。
レポートはその後も毎年1回発行され、翌年6月にはESG(環境・社会・企業統治)投信の不明確な投資基準を問題視。22年5月にはESG投信の不十分な運用体制を指摘し、日本の資産運用業界が隠してきた多くの問題を正面から取り上げ、物議を醸してきた。米国系の投資銀行幹部は「金融庁レポートは日本の資産運用業界が欧米とは異なり、顧客視点ではなく、金融機関の都合で成り立っている実態を明らかにしてくれた」と高く評価する。
そして昨年4月に発行された23年版は、ついに大手金融機関による投信会社の系列化の暗部にまで切り込んだ。海外の資産運用会社はその8割が独立系で占めるのに対し、日本では7割が大手金融機関のグループ会社で形成されており、そのトップには親会社の銀行や証券会社からの「天下り組」が就いている実態を暴露。また、資産運用会社の収入は、銀行や証券会社が組成する金融商品を販売した際の手数料に依存しており、顧客の利益よりも親会社の利益を優先して売りやすい商品を顧客に提供する構造を批判した。
このレポートの内容は、本誌昨年6月号の「粛正必至!金融庁レポートが暴く資産運用会社の闇」が詳細に論じている。同庁はレポートを通じて資産運用業界に厳しく改革を迫ってきたが、とくに親会社との癒着関係まで指摘した昨年号は業界の強い反発を招いた。業界首脳は「金融庁はグループ人事にまで口を挟むようになった。これでは民間企業に対する人事介入ではないか」と激怒。こうした事態を受けて金融業界は昨年夏以降、自民党の金融族議員と緊密に接触し、「金融庁による細かい口出しは無用にしてほしい」と働きかけるようになった。
ただ、昨年のうちは業界にも遠慮があった。資産運用額の増加に大きく貢献する新NISAなどが今年から始まるのを控え、表立った金融庁批判は業界内でタブー視されていた。だが、今年に入って新NISAが正式にスタートすると、金融業界に遠慮がなくなり、自民党金融族に対する働きかけを強め、金融庁レポートの発行中止に向けた圧力が一気に高まったという。
手数料ばかりを荒稼ぎ
背中から鉄砲を撃つ役所
発行中止をめぐる圧力は、金融業界や自民党からだけではなかった。実は金融庁内にもレポートに対する反感は根強かった。同庁関係者は「業界との政策対話を通じて改革を促すのが行政の本来の役割だ。いきなり問題点をレポートで公表し、業界をやり玉にあげるような手法は乱暴すぎる」と批判する。こうした庁内の声もレポート発行が中止に至った理由の1つのようだ。
業界関係者は「金融庁は『今年は発行しない』と一時的な中止だと説明しているが、あのレポートが同じような形で発行されることは二度とないだろう」と嘯く。
日本の資産運用会社が海外と比べ、大きく差を付けられているのは事実である。世界最大の資産運用会社である米ブラックロックの資産運用額は10兆ドル(約1500兆円)に達する。政府関係者は「世界の資産運用業界で大手と呼ばれるには、最低でも1兆ドル(約150兆円)の資産運用額が求められる」というが、国内最大の資産運用会社である三菱UFJアセットでも運用規模はそのわずか10分の1程度に過ぎない。
運用額が大きければ大きいほど規模のメリットが働き、信託報酬は低く抑えられて顧客の利益につながる。欧米大手の投信に人気が集中するのはこのためだ。これに対して日本では、銀行や証券会社の都合に合わせて小規模な投信が乱立しており、規模のメリットが働かない。当然、信託報酬も割高となり、運用実績も低迷する。そして投信会社はそんな投信の乗り換えを顧客に勧め、そこで手数料ばかりを荒稼ぎするビジネスモデルがいまだに横行しているのが日本の実態だ。
金融庁がレポートを通じて資産運用業界の改革を促したのも、こうした業界の独善的な運営が「貯蓄から投資へ」という政府方針を妨げる大きな要因になっていると判断したからだ。このため、「資産運用立国」を掲げる岸田政権は、資産運用業界の改革の必要性を唱えてきた。だが、その業界からの圧力でレポート発行を中止し、そのまま廃止に追い込まれるような事態になれば、日本で健全な資産運用が根付くことなど期待できない。岸田首相のリーダーシップが問われている。
PFOA公害/したたかダイキンに舐められる環境省
「永遠の化学物質」PFOA。米国ではスーパーファンド法で厳罰に。日本では規制が緩くて遅くて汚染者は余裕綽々。
2024年6月号 BUSINESS [どうするPFOA汚染]
伊藤信太郎環境相
Photo:Jiji Press
地球温暖化を追い風に東南アジアなどかつて冷暖房機を使わなかった国々にエアコンを売りまくり、世界一の空調機器メーカーとなったダイキン。「空気で答えを出す会社」のキャッチコピーでお茶の間には環境にやさしそうなイメージを振り撒いているが、実はもう一つの顔がある。毒性が明らかになっている有機フッ素化合物PFOA(ペルフルオロオクタン酸)の排出における、国内最大級の原因企業なのだ。
PFOAは難分解性有機フッ素化合物PFAS(ペルフルオロアルキル化合物およびポリフルオロアルキル化合物の総称)のうちの一つ。ダイキン工業淀川製作所で長年にわたり製造されたPFOAは、界面活性剤としてフッ素ポリマー製造時の助剤に利用されてきたほか、撥水・撥油剤、防汚剤として、繊維や電子基板、自動車、食品包装紙、石材、フローリング、皮革、防護服など身近なものの加工に使われてきた。
その後、医学的な研究によりPFOAはPFOS(ペルフルオロオクタンスルホン酸)と並んでPFASの中でも毒性が強い物質であることが判明。がんとの因果関係が指摘されているほか、肝臓や心臓、乳幼児や子供の免疫や発達に影響を与えるとの研究の結果も出ている。
日本ではマスコミがあまり詳しく報道しないので馴染みが薄いが、国際的には、PFOAは2019年の「残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約第9回締結国会議」で附属書A(廃絶)に追加され、各国で製造や輸入が禁止されている。
とはいえ、「永遠の化学物質」と呼ばれていることからわかるように極めて分解されにくい性質で、土壌や河川、湖沼、生体内に長期間残留する。そのため、製造と輸入を禁止するだけでは健康被害を防ぐことは難しいとされている。その物資がダイキン淀川製作所の周辺を汚染しているのだ。
4月19日、そのPFOAをめぐる重大なニュースがアメリカから飛び込んできた。米環境保護庁(EPA)が、PFASのうちPFOAとPFOSを「包括的環境対応・補償・責任法」(CERCLA、通称スーパーファンド法)の有害物質に指定すると発表したのだ。
「伝家の宝刀」を抜いた米国
PFOAを作っていたダイキン工業淀川製作所
Photo:Reuters/Aflo
スーパーファンド法は、化学物質などによる汚染が判明した場合、原因企業が特定できない段階でも政府が必要な手を打てるよう、調査や汚染除去にかかるお金をあらかじめ積み立てておいたファンドから引き出して使い、その後、汚染の発生者のみならず、汚染された土地の所有者や管理者、運搬者、汚染発生者に融資した金融機関などに費用を分担して埋め合わせさせる仕組みを定めた法律だ。
CERCLAは1978年にアメリカの名所、ナイアガラの滝の近くのニューヨーク州ラブ・カナルという町に埋め立てられていた廃棄物から毒性の強いベンゼンヘキサクロリドやトリクロロエチレン、ダイオキシンなどが漏れ出し、地域住民に健康被害が発生した「ラブ・カナル事件」をきっかけに80年に制定された。その後にできた「スーパーファンド修正及び再授権法」などと合体して、総称としてスーパーファンド法と呼ばれている。
同法の最大の特徴は、遡及効概念を持っていることだ。通常、行われた行為は、その時点で定められている法律に違反していないと責任を問われない。それを同法は、ある有害物質の投棄や放出が行われたとき、その行為がその時点で合法だったとしても、責任を負わせることができる仕組みになっている。
かなり強い法規制であるため「スーパー」との接頭語が付いているのだが、実際、ラブ・カナル事件では、原因企業の事業を引き継いだオキシデンタル・ケミカル社が、連邦政府が肩代わりして負担していた1億2900万ドル(200億円)に上る汚染除去のための費用を後に負担させられた。
PFOAに対する米国の規制はこれだけにとどまらない。
「数千人の死亡を防ぐ」飲料水規制
スーパーファンド法の有害物質への指定宣言に先立つ4月10日、EPAは飲料水に含まれる6種類のPFASについて、最大汚染物質濃度(MCL)と呼ばれる法的強制力のある基準値を設定する飲料水規制を発表した。その中でPFOAのMCLはPFOSと同じ4ng/Lに定められた。これまでのEPA勧告値はPFOAとPFOSの合計で70ng/Lだった。それを大幅に厳しくした。
飲料水規制の対象となる全米6万6000の公共水道事業者は、2027年までに初期モニタリングを終え、27年からはコンプライアンス・モニタリングを継続実施し、飲料水中のPFAS濃度を常に、一般に公表しなければならなくなる。
モニタリングの結果、飲料水中のPFAS濃度がMCLを超えた場合、公共水道事業者は29年までにPFAS濃度を下げる解決策を実施しなければならない。29年以降は、MCLに違反した公共水道事業者は、飲料水中のPFAS濃度を低減するための措置を講じるとともに、違反した事実を地元の消費者や住民に、情報開示しなければならない。
EPAは、飲料水規制の発表と同時に、超党派インフラ法に基づき、公共水道事業者と自家井戸所有者に総額10億ドルを提供し、PFASのモニタリングや汚染処理を公費で支援することも発表した。
EPAは今回の飲料水規制の実施によって「約1億人の飲料水によるPFASの長期暴露を防止できる」とし、それにより「数千人の死亡と、数万人のPFASに起因する重篤な疾病を防げる」と推計している。
EPAが人々の健康のために厳しい規制を次々と打てるのは、21年にロードマップを作り、戦略的に規制の枠組みを整えてきたからにほかならない。
翻って日本はどうか。
日本はPFASについて暫定目標値50ng/L以下(PFOS及びPFOAの合計値)というものを設定している。厚労省が20年4月1日に水質管理目標設定項目に追加した。環境省も同年5月28日にPFOSとPFOAを人の健康の保護に関する「要監視項目」に追加し、暫定的な目標値を同じく両物質計で50ng/L以下に設定した。直ちに規制対象となる「環境基準」とはしなかった。
水俣病懇談会で鬼畜の所業
「近年、各国・各機関において、毒性評価や目標値等の設定が行われており、一定の知見が蓄積されつつあるものの、TDI(耐容1日摂取量)の値は各国・各機関において相当のばらつきが見られている状況であり、国際的にもPFOS及びPFOAの評価が大きく動いている時期でもある」として、毒性評価や正式な環境基準の設定を見送り続けているのだ。
厚労省の「水質基準逐次改正検討会」と環境省の「PFOS・PFOAに係る水質の目標値等の専門家会議」は、23年に2度も合同会議を開催しながら、遅々とした対応しか繰り出していない。
足元の厚労省も環境省がこのような調子なので、ダイキン工業は米国の厳しい規制導入にも戸惑う素振りをほんの少しも見せていない。
ダイキン工業に対し、米国の発表を受け、「日本政府や大阪府の指導、勧告、命令を待たずに、御社の淀川製作所周辺のPFOA汚染について調査、浄化をする考えはありますか」と聞いてみたら、「淀川製作所の敷地外の対応については、これまでも大阪府や摂津市と協議しており、今後も大阪府や摂津市と協議しながら検討して参ります」との回答があった。
「御社の淀川製作所がある大阪府摂津市周辺のPFOAの調査および浄化の費用を国や関係自治体、水道事業者、その他から求められた場合、支払う意思はありますか」との問いには、「仮定のご質問については、回答を差し控えさせていただきます。もっとも、地域の皆様にご安心いただくべく、今後とも、大阪府や摂津市と協議しながら、地域の対応を検討して参ります」と回答してきた。
今後も米国に比べて遅く、緩過ぎる日本の環境行政の要請に合わせて、課せられる義務だけをこなしていくのだろう。ダイキンは株価も2万2千円台を回復するなど高値を維持している。
5月1日、水俣病患者・被害者団体と伊藤信太郎環境相との懇談で、水俣病患者連合副会長の松崎重光さん(82)が水俣病に侵され去年亡くなった妻の話をしていたところ、環境省の事務方が、持ち時間の3分を過ぎたからとマイクを切り、話を打ち切るという、おぞましい事件が起きた。
伊藤環境相は1週間後、患者・被害者団体に謝りに行ったが、公害に長い間苦しめられ続けている被害者に血も涙もない対応をとる環境省に、公害から国民を守ろうとする気概は微塵も感じられない。
5月9日、30年にわたり経営トップとしてダイキンのグローバル化を率いてきた井上礼之(のりゆき)代表取締役会長が、会長を退任し取締役からも退く人事が発表された。
「ボロキン」と呼ばれたダイキンを世界一にのし上げた実力者の退任は負の遺産を片付ける絶好の機会でもあるが、何ごとも「大阪府や摂津市と協議していく」というダイキンの姿勢は、環境省が今度も何も口出ししてこないと見透かしているように映る。
環境省が自らの設置の経緯を思い出し、頭からしっぽまで変わらない限り、PFOA汚染が取り除かれることはないだろう。
https://facta.co.jp/article/202406013.html
フジサンケイの「万骨」 4
粉飾揉み消しとFMH社長の「耳栓」
ウィッスルブロー(内部告発)の笛が鳴った。親会社FMHのコンプラ推進室が弁護士チームに任せた調査は、ジャニーズ性加害調査と並行していたが、結論は月とスッポン。「臭いものに蓋」はそもそもFMH社長が耳栓をしているからか。才人の敏腕プロデューサーだったが、経営者になると「超小心男」に化けてしまった。29日まで全文無料、その後は一部有料
2024.05.28 / 2024.05.30
クリエーターの乱 4
5月20日、ポニーキャニオンは取締役会を開き、次期常勤役員を内定した。
なるほど、本シリーズ「万骨」の批判に耳をふさいで、「現体制温存」でいこうとお決めになったわけですね。砂地に頭を隠したダチョウですか。でも、マイナビ・日経就職人気ランキングで、ポニーキャニオンは23年卒で15位、24年卒で19位とじりじり後退、今年の25年卒予定者では人気が離散することもありうる。あちこち火がついて、フジサンケイ・グループ代表の日枝久氏にまで怪文書が届く事態になっても知らないよ。
むろん、こちらは正攻法ですが、ネットが炎上すると、どんな暴衆を生むか、こればかりは予測できませんからね。「楽しくなければテレビじゃない」――名キャッチフレーズのブーメランである。いまどきの「蜜の味」は、あられもない修羅場の内幕劇。親会社フジ・メディア・ホールディングス(FMH)ごと唐竹割りにして進ぜよう。
インハウス弁護士の内部通報
ポニーキャニオンの堤防決壊は、正式には1年2カ月前の昨年3月19日に始まった。上記の人事で再任される予定の深町徳子常務の足元からである。深町氏担当の法務本部法務部の弁護士、榊原拓紀氏からポニーキャニオンの内部監査室(古宇田ふるうた隆之介室長)に対し、吉村社長の非違行為についての内部通報の文書が提出された。
企業所属の弁護士はおしなべて揉み消し役と言っていいが、そのインハウスの弁護士から逆に内部告発が出てきた。その名を聞いて、あれっ?と思う人は、ウィッスルブロワー(内部告発者)に詳しい人だろう。詳しくは次回の「万骨」5をご覧ください。今回は始まりを告げる呼び子役だった。
榊原氏の内部通報の内容は「万骨」1で詳述したとおり、『けいおん!』ゲーム化での吉村社長および深町常務の対応と、その2人が実質決めた賞罰委員会の厳罰処分への疑義である。レジェンドベースボールの曖昧な始末のつけ方と比べて、あまりにも均衡を欠いていると批判した。
その12日後の3月31日、つまり23年3月期末に経営本部長を解任されることになっていた吉田周作氏(同日付で執行役員エグゼクティブディレクターに降格)から、親会社FMHのコンプライアンス推進室(坪田譲治室長)に対し、外部弁護士の代理人を立てて内部通報が寄せられた。その内容は経営企画として吉田氏が対処した『けいおん!』やレジェンドの案件だけでなく、前回取り上げたBelieveとの提携中止や、5月15日に東京地裁で初公判が開かれた刑事事件――シンガーソングライターのaiko担当だったポニーキャニオン元本部長の特別背任も含む広範な問題を提起していた(5月30日、6月26日にも追加通報)。
ジャニーズ調査と並行して
するとFMHコンプラ推進室から、榊原氏の内部通報と一括して扱いたいとの提案があり、そのまま両案件一括でFMH主導の調査が始まった。
調査にあたったのは、FMHが依頼した三浦法律事務所(創立者の三浦亮太弁護士は森・濱田松本法律事務所出身)である。法人パートナー、尾西祥平弁護士をリーダーとし、パートナーの辻勝吾氏、アソシエイトの河尻拓之氏らのチームである。
尾西チームはポニーキャニオンの全社員の1割以上にあたる関係者約50人をリストアップし、5月の連休明けからヒアリングを始めた。吉田、榊原氏の初ヒアリングは5月10日に行われた。「なるべく早く」と要望したのに、3月の通報から約40日も待たされたため納得がいかなかった。吉村社長続投を内定する5月下旬のポニーキャニオン取締役会に差し障りが出ないよう、引き延ばしたのではないかとみている。
ちょうど英国BBCの報道をきっかけに、ジャニーズの創業者、ジャニー喜多川氏(故人)の性加害問題で、大手法律事務所の西村あさひの木目田きめだ裕弁護士が危機対応に失敗。改めて「外部専門家による再発防止特別チーム」(林真琴・前検事総長ら3人)で調査をやり直し、23年8月29日に性加害を認める厳しい内容の最終報告書をまとめた時期である。尾西チームの調査はそれと並行して進められたのだが、10月26日夕、お台場のフジテレビ本社メディアタワー棟24階、アクアブルー会議室で行われたFMH最終報告会の内容はそれとは月とスッポンだった。
FMHコンプライアンスの「見て見ぬふり」を裏書きするように、問題点をぼかして骨抜きにしていた。最終報告は指摘された16件の「非違行為」のうち6件に焦点を絞っているが、そのなかの「会計関連の件」は、この「万骨」シリーズでも初登場である。尾西チームの辻弁護士は口頭でこう述べた。
きれいごとである。ひと昔前、株主総会の最前列で「異議なし!」を連呼していた与党総会屋とそっくりではないか。「指摘した」とおっしゃるが、最終報告は内部通報者に全文が非開示で、口頭だけだからどう「指摘した」のか分からない仕組みになっている。
経理担当役員が粉飾操作
実は2017年3月期決算をまとめる作業中、在庫金額が急に増えているのがおかしいと感じ、当時の経営情報管理統括だった吉田氏本人が出荷データなどを調べて、粉飾操作があることを突き止めたという経緯がある。辻弁護士の奥歯にものの挟まったような言い訳は、その裏事情を如実に物語っている。
一言で言えば、吉田氏の上司だった経理担当の小林一樹取締役(当時)と第一ディストリビューション統括(同)の村松克也氏が関与しており、監査法人EYにそれを報告したのが発端だった。
https://www.jacd.jp/news/column/specialtalk/240520_talk-talk-1.html
TALK & TALK:冨山会長が聞く~コーポレートガバナンスの最前線 太田洋×冨山和彦
2024年5月20日NEW
太田洋(西村あさひ法律事務所 パートナー弁護士)
冨山和彦(日本取締役協会 会長)
[ 雑誌「コーポレートガバナンス」Vol.15 - 2024年4月号 掲載 ]
企業価値を高める本質的な買収とは
冨山和彦日本取締役協会会長がガバナンス改革の最前線に立つ有識者を直撃インタビューするシリーズ企画。今回のゲストは西村あさひ法律事務所のパートナー弁護士の太田洋さんです。日本経済新聞社が毎年発表する「企業が選ぶ弁護士ランキング」の企業法務全般部門で2年連続トップを獲得した太田さんは、買収防衛などで多くの実績を持つ法律家ですが、一方で企業買収をめぐる日本の特異性に違和感を抱いており、企業価値を高めるための本質的な買収のあり方をもっと議論すべきだと強調しています。
企業買収のベストプラクティスを
冨山 岩波新書の太田先生著作がベストセラーになっており、読んだ会員も多いと思います。アクティビストを解説する新書を、一般向けに著わすことになぜ挑もうと思われたのですか。
太田 書籍の前書きにも書きましたが、アクティビストの現象面についての報道は、ニッポン放送事件のあたりからよくありました。しかしその背景にある、それぞれの国の法制度や社会経済的な状況は、アメリカ、日本、EUではかなり違います。その違いが十分理解されないままに現象面だけ捉えて、何となくの印象論で議論がなされています。日本は法制度としては株主の権利が十分に強いのですが、今までは持ち合いとか、国内の機関投資家が経済合理性に基づいた判断をしなかったことなどが、これまで日本でアクティビズムがそこまで活発でなかった真の原因であったと思います。要するにピントがずれた議論が多い。例えばGAFAMはいわゆる種類株式を使い、デュアル・クラス・ストラクチャーでもう絶対に買収されない。ガバナンスは非常に悪いが、技術革新が進んで成長していて、種類株式をうまく使って長期的な視野に立った経営を行って、イノベーションを起こしています。それを「アメリカはガバナンスがいいから成長している」というような、単純な捉え方をしています。そうではなくて、アメリカにもいろいろあるとか、法制度も含めて全体をカバーして説明する書籍がないことがかねがね気になっていたので、ないのであれば自分で書くしかないと書き始めたのが動機です。
冨山 意外とみんなちゃんと勉強していませんよね。アメリカはウォールストリートに支配されている金融株主主権資本主義だとの意見をよく聞きますが、GAFAMはそこに属していない。つまり米国経済の成長を牽引したのは、貪欲金融資本主義じゃないわけです。日本経済が成長しなくなったのは、貪欲な金融資本主義を変に取り入れたからと言いますが、それは別問題でしょう。
太田 別問題ですね。
冨山 日本の経済人は、22、23歳以降勉強していないので、こういうある種の良質な教養本はすごく大事だと思います。制度の違いなど、特に日本で議論するときは、どこに注意しなくてはいけないですか。
太田 簡単に言うと、日本ではスチュワードシップ・コードやコーポレートガバナンス・コードの効果もあってアクティビズムはかなり活発化していて、アクティビスト・ファンドの活躍が目立ちますが、逆に、現状では王道を行くきちんとした買収がありません。メインストリームで、ストラテジック・バイヤーが、本当に企業価値を高める買収をするならばどういった形で本来やるべきかが、これまであまり議論されてきませんでした。
ストラテジック・バイヤーによる「王道」の買収の場合、まず買収提案者側が、「こういう企業価値向上策を持っているので、買収したらいい形になる」という情報をきちんと出す。次に、一般の株主から見てそれがいい提案なのであれば、今度は対象会社側が積極的に情報を出して、本当にシナジーが効くのかどうかを説明する。違うのであれば、違うということを説明する責任を果たす。そういう「王道」のあり方が、アメリカやEUでは既に定着しています。
アメリカは、市場のダイナミズムやプラクティスがあって発展しました。EUやイギリスではパネルなどがそこをうまく差配してやっています。日本はパネルがなく、当局もそのような機能を果たすことは期待されていない一方で、法制度は比較的アメリカのほうに近い。つまりアメリカと同様に市場のプラクティスでやっていかなくてはいけない。しかし何がベストプラクティスなのか十分理解されないままです。
冨山 パネルとは何ですか。
太田 各国に歴史的、社会経済的な背景があることを示す典型例だと思います。イギリスのシティはロンドンの金融街ですが、ある意味すごくギルドのような村社会です。ベストプラクティスが何かは、みんなが共通の理解の下に動いています。パネルという、元々法律に根拠も何もない任意のシティの実力者が集う団体が差配をしていてベストプラクティスを無視する人、ルールを破る人は「出禁」にして排除する。フェアじゃないやり方をする人は、永久に資本市場から出禁にするというもので、すごく英国的なものです。インサイダー取引規制その他の資本市場のルールを破った人が市場でプレイヤーとなることは英国では全く考えられません。
冨山 私も日本の場合は、マーケット型ダイナミズムのアメリカ型でいくのだと思います。紛争解決の裁判を通じて、ベストプラクティスは示されますか。
太田 最終的にはそういうことになるでしょう。ニッポン放送事件、ブルドックソース事件以来の裁判所の判断が、それを形成していると思います。買収や経営支配権の争奪を巡る問題は非常に個別性が強く、一般論だけでは語れない部分が多いので、個別の事案についての裁判でルールを形成していくのがよいと考えます。抽象的な思考でルールづくりをしても、必ず何か抜け穴があります。個別の事案の積み重ねで、ルールが徐々にできていくのが適していると思います。
冨山 実際、株主総会で、取締役の指名は昔より遥かにホットイシューになってきましたよね。昔のどうでもいいような雰囲気が、だんだんアメリカに寄ってきている感じがします。
太田 肌感覚として、2014、2015年のスチュワードシップ・コードとガバナンス・コードの両輪の策定以降では、日本も相当そこは変わってきたと思います。
冨山 日本の会社法は、資本民主主義議院内閣制です。年に1回の株主総会、いわば総選挙で取締役が選任される。一番根幹なので、もっと真面目にやるべきだと考えます。
太田 あとは、選ばれる人、特に独立社外取締役の質の問題や真に独立社外取締役としての役割を果たすことができる人材の確保がこれから大事になります。
衝撃的だったヤマハ社長の決断
冨山 よいアクティビズムと、よくないアクティビズムの2つの現状認識はいかがですか。
太田 日本は資本市場のプラクティス全体がまだまだ欧米に追いついていません。特に国内機関投資家による議決権行使の判断は、自らの議決権行使基準の形式的な適用に余りにも縛られていて硬直的過ぎると感じます。金融庁も繰り返し強調しているところですが、個別具体的かつ実質的な判断がされなければならないと思います。日本の国内機関投資は、形式的・機械的な判断に縛られています。スチュワードシップ・コードの本来の趣旨は、一応の基準は明確化した上で、個別の事案では具体的な事情を考慮して自らに資金運用を任せてくれた投資家にとって最善の判断をすべきというものです。例えば米国のブラックロックやバンガードは、個別の会社をよく勉強して、議決権行使も個別に判断をしています。当協会の委員会でも、経営者の方と話をしますと、日本の国内機関投資家と対話をしても、「うちの基準はこうなっています」という説明をされるばかりで、実質的な対話にならないとよく伺います。これでは「基準の押し付け」であって、企業価値を高めるためにはどうすればよいかを共に考える「対話」になっていないと思います。
あとは全体的にルールの罰則やその執行(エンフォースメント)が日本は弱いのが特徴です。アメリカは、ルールを守らない人にはきちんと制裁を科して、フェアなルールの中で市場のダイナミズムが働いている。米国証券取引委員会(SEC)に比べると、日本の証券取引等監視委員会(SESC)は、人員も予算もないし、裁判所は余りにも「精密司法」に過ぎる。日本の裁判所は立証に余りに高い水準を求めすぎるため、監督当局も「これなら絶対に有罪にできる」という本当に悪い人しか捕まえない。一罰百戒みたいに、何件か代表的なケースを摘発するだけで、十分に罰則を効かせられていないと思います。2000年代に入って、護送船団方式が崩れ、事前予防型規制から事後責任型規制に転換したはずなのに、ルール違反をした人に事後的に責任を取らせるという部分が十分に機能していないことは問題です。ルールを破った人への制裁なき市場だと単なる自由放任になってしまいます。全体がうまく回るようにするために、皆が習熟していることは必要だと思います。
冨山 共通の議論、地平がないと難しいでしょうね。
太田 日本はガバナンス・コードができてから、7、8年で一気にここまでもってきた。それはすごいことなのですが、まだまだ実務が十分には追いついてないと感じます。形はまあまあできてきた。それをうまく回すための「質」が十分ではない。ベストプラクティスを肌感覚で皆が理解してない。ここが問題ですね。
冨山 何かと根深いと思いますね。ガバナンス・コード作成の議論の中でも、最初は経済団体の人たちが「誰もコンプライできない」と言っていました。でも作ったら、いきなり90%コンプライしている。もう異常ですよ。
太田 日本社会の精神風土の問題だと思います。お上の言うことにはできるだけ従おう、みたいな。逆に言うと、エクスプレインする、説明責任を果たすということをよく理解してない社会なのかもしれません。説明責任から逃れるほうが楽なので、そちらに流れてしまっている側面は相当にあると思います。
冨山 先ほどのGAFAMなんてまったくアウトで、ガバナンス・コード的には「俺たちに文句があるのか」と正々堂々とやっている。ああいう論調も日本でも出てきてほしいなと、僕は思っています。
太田 いろいろな要素が絡み合っているでしょうが、メディアの責任もあると思います。新聞記事も、例えば「女性取締役を入れている会社は何%」みたいな単純な議論だけをする。一つの目安としては有用だと思いますが、目的になってしまっています。「取締役会が多様化すると、経営にいろいろな観点が取り入れられて成長につながります」ということが、出発点のはずです。にもかかわらず、そもそも論が抜け落ち、ただ形だけを入れて体裁だけを整える。日本はメディアも含めて本質を考えずにまず形から入るという思考が強すぎるのだと思います。
冨山 会社も取締役会も機関投資家もみんな、担い手に少し未成熟なとこがあるわけじゃないですか。ある種アクティビズム的な市場を使ったダイナミズムで淘汰再編をすることを、当然悪い連中は狙う。このへん、どのように見ておられますか。
太田 これはもう我々が大変苦労しているところで、今は何とか工夫しながら対処しているというところです。今後ますます資金が流入してきて、社会的にも影響が大きい、さらに大規模の企業がターゲットになってくると思います。
冨山 脅威は増している。企業としてどう防衛するべきですか。
太田 プライム市場上場会社の中で、例えばIRミーティングを1度もやったことがない会社も、実は結構あります。当然のことながらそういう企業は狙われ、大ごとになったりします。キャッシュアロケーションも真剣に考えるべき時期に来ています。自己資本が厚くなっているならば、それを使って研究開発投資や思い切った設備投資など攻めの投資ができる。でも日本企業はなかなかしない。研究開発投資すら欧米企業と比較して伸びていない。海外M&Aにも尻込みする。今までの惰性だけで来ている部分が、かなりあるように思います。
冨山 根源的な問題として、昭和な日本的経営そのものじゃないですか。企業内の同質性が高すぎて、新しいものに対応ができない。根本的に転換していかないと、本質的な問いに答えられない。資本市場から圧力がかかり、その圧力を梃に会社を変革していく。ソニーなどもそれに近い展開で、今や誰も電機メーカーだと思ってない。ああいうケースが増えてくるといいですよね。
太田 全く同感です。
冨山 変革できるかできないは、経営者かボードのどちらの問題でしょうか。
太田 日本取締役協会コーポレートガバナンス・オブ・ザ・イヤーの審査でいつも受賞候補企業に対して行っている社長インタビューをしていてつくづく思ったのは、傑出したリーダーシップがあるトップがいると会社はすごく変わるということです。やはりトップの影響が大きい。リーダーが「自分はこうしよう」と思って腹を決めてやると、すごく劇的に変わります。
冨山 みんな「言葉」を持っていますよね。
太田 法律家として衝撃的だったのは、ヤマハの中田卓也社長の「執行と監督を分離しなければと思いました。執行する人は、全員代表訴訟にさらされるべきだと思ったから、執行役員を代表訴訟にさらすために、執行役が代表訴訟の対象となる指名委員会等設置会社に移行しました」というのは、本当にすごい発想だと思いました。
冨山 あれはすごい。
太田 それで見事にあれだけの改革をされ、会社の稼ぐ力を劇的に引き上げています。経営トップのリーダーシップには凄く大きな力があるんだなとしみじみ思いました。
冨山 日本的リーダーシップは、従業員の気持ちや経営幹部に寄り添って、外部の圧力を遮断するのがまだ多数派です。外部の競争相手や株主などにさらすことにより、鍛えていこうとする経営者はまだ少ない気がします。
太田 そうですね。
冨山 日立やソニーも、むしろさらしちゃおうという感じの経営改革をやったじゃないですか。
太田 日立は2009年の7000億円の赤字が大きかったですよね。大きく変わっていくには、何か外部の刺激がないと難しいところはありますね。そういう意味では、モデルケースが増えてくるのは大事だと思います。今までは「王道」の買収のモデルケースがあまりにもなかったので、ニデックのケースはすごくモデル的で良かったと思います。
冨山 逆にね。
太田 だから、今回のニデックみたいな事例が出てくると、その後、第一生命のベネフィット・ワンみたいな事例も出てくる。そうすると、みんなわかってきます。
誰に対して「敵対的」なのか
冨山 この本にある、「誰に対して敵対的か」という命題は、すごく本質的な問いのような気がします。産業再生機構で乗り込んだときも、敵対的買収者のような感じに受けとめられました。
太田 そうですね。
冨山 99.9%、経営者は最初反対です。自分たちがクビになるから反対なのですが、出てくる理屈は、従業員や取引先を人質に「あいつらはハゲタカもどきだ」と言う。本当はほとんど経営陣の保身なのです。日本の経営者は、自分の保身と会社の防衛が一体化してしまう。みんな終身年功サラリーマンですから。この太田先生の問いは、日本の経営者や従業員もちゃんと自問したほうがいい問いだなと思って、僕に響きました。要するに、敵対的と言っていますが、一体誰への問いかということですね。
太田 アメリカも最初から今のように綺麗にできていたわけじゃなく、80年代の敵対的買収の時代を経て、90年代後半から世紀の変わり目にかけてようやくそこまで辿り着いています。
冨山 ERISA法が入って以降の話ですね。
太田 いい買収も悪い買収もあって、KKRによってLBOを用いて買収されたRJRナビスコなどは借金返済のために解体されてしまい、今は見る影もない。当時から思えば、だんだん洗練されてきました。いまやKKRもハンズ・オンで企業価値を高めるPEファンドに生まれ変わっています。そういう経験を日本もこれから積んでいく過程段階なんだろうとは思います。
冨山 協会の皆さんには太田先生の著書を必ず読んでほしいなと思っています。
太田 ありがとうございます(笑)。
冨山 テクニカルな議論になりますが、不健全なアクティビズムに対抗していくために、何をしていったらいいんでしょうか。
太田 本質的にはやはり株価を上げるのが最大の防衛策ですね。そこは変わっていません。株価を上げるには、資本効率を上げていくのが一番手っ取り早い。それをキャピタル・アロケーションを含めてきちんと詰めていくというのが本来的な姿ですね。資本市場に向き合った上で、多くの穏健な機関投資家が望むことを地道にやり、IR等を改善していくのが最も手がつけやすい方法ではあります。
冨山 穏健な投資家にできれば保有してもらうとか。
太田 そうですね。
冨山 経験的に言うと、資本市場全体では、実は圧倒的にそちらのほうが機関投資家の多数派ですよね。バックは年金基金等で、極めて長期保有です。この会社と思ったらずっとそこをフォローして、株が高くなったら売り、安いなと思ったら買うことを継続する。
太田 アクティビストも千差万別で、イギリス系は、バックがイギリスの年金基金とかなので、割とそういう傾向が強いです。ヒット・エンド・ランの短期的利益だけを狙うアクティビストではなく、そういう機関投資家にいかに長く持ってもらうかということだと思いますけどね。
冨山 いわゆる「買収防衛策」はどういうふうに捉えますか。
太田 本にも書いたのですが、防衛策はあくまで時間を稼いで買収者と交渉するためのツールでしかありません。事業会社は当然ながら業績の浮き沈みがありますが、買収者やアクティビストは最も仕掛けやすいタイミングで仕掛けてくるわけです。例えば、コロナとかで業績がガクッと落ちて株価が割安になった、そういうときに仕掛けてくるわけで、そういった場合に、何とか時間を稼いで、その間に本質的な企業価値の向上策を打ち出して、機関投資家の支持を集めていくためのツールとして、利用すべき場合はあると思います。要は、時間軸や交渉のイニシアチヴを取り戻すための手段だと思います。
冨山 決して悪いことじゃない。
太田 そう思います。場合に応じて、使うべき局面はあるのだと思います。ただ、買収「防衛」策という言葉が悪い。
それで未来永劫会社が守れるような買収防衛策は、100%ありません。要するに、時間をいかに稼ぐかであって、その間何も変わらなかったら結局は守り切れるものではありません。時間を稼いで、現経営陣の下で経営をしていった方が中長期的には企業価値は向上していくんだという施策を説得力ある形で示して、会社だけでなく中長期保有の株主を含めて皆にとってハッピーな形にしていくためのツールとして使うものだと思います。
胆力が求められる社外取締役
冨山 そういう会社の命運に関わる、極めて本質的な問題について、独立社外取締役の役割はどうお考えですか。
太田 独立社外取締役の役割は、すごく大きいと思います。時間を稼いでいる間にこの会社が本当にきちんと対応してくれるか否かは、機関投資家の側から見ると、独立社外取締役がちゃんと動いてくれると信じられるか否かによります。 また、独立社外取締役は、会社のことを思い、ベストな行動するのが大事で、自分の評価や、ましてや自分の報酬だけを気にする人はふさわしくありません。本当によく申し上げるのですが、有事になった時に自分の評判などを気にせずに端的にやるべきことができる胆力がある人はすごく大事です。
冨山 普段言わなくても、いざというときに社長のクビすらも平気で言える人ですね。胆力のある人をちゃんと選ぶ見識が、経営陣に必要になります。さらにはそこで社外取締役や指名委員会がイニシアティブを持つべきです。当協会としても、胆力のある独立社外取締役を生み出していかなければならないですね。
太田 実は、今のところが最後に語りたかったところなのです。最近いろいろな会社にアクティビストが入ってきて、そういう局面でさまざまなボードと相対することがあります。見識があるだけでなく、胆力のある独立社外取締役がいる会社は、本当に恵まれています。アクティビストにいかに対抗できるかは、そういう人がいるかどうかによると思います。どういうCEOを選ぶかと同様に、今後どういう独立社外取締役を選ぶかも本当に重要になります。見栄えや肩書きではなく、いざというときに会社のためにリスクを背負って行動できる独立社外取締役を選ぶことは会社の運命を左右するといっても過言ではありません。
冨山 CEOのサクセッションと比較して、社外取締役のサクセッションは意外といい加減です。会社の命運を決め重要な決定をとれる人が、1人でもいれば何とかなります。いかに確保するかとの議論は、意外と今までされていません。
太田 そうですね。そういう意味で、筆頭社外取締役をどう選ぶかはすごく重要です。
冨山 筆頭社外取締役は、今後の協会でのテーマにしてもいいかもしれないですね。
太田 イギリスでは筆頭社外取締役はイコール議長で、イコール株主との対話の窓口になります。日本でいきなりそこまでは無理だと思いますが。ただ、株主に対しても堂々と自分の言葉で意見を言える筆頭社外取締役がいれば、機関投資家も安心します。
冨山 本日はありがとうございました。
太田洋Yo Ota
日本取締役協会 コーポレートガバナンス委員会副委員長
西村あさひ法律事務所・外国法共同事業パートナー 弁護士
ニューヨーク州弁護士
クロスボーダー案件を含むM&A取引、コーポレートガバナンスを中心に、企業法務全般を幅広く手がけ、日本経済新聞社による「2023年に活躍した弁護士ランキング」では、企業法務総合、及びM&A・企業再編の各分野で共に1位に輝く。会社法、金融商品取引法、租税法、個人情報保護法等を巡る最先端の問題についての研究・執筆活動に特に力を入れており、『新株発行・自己株処分ハンドブック』『新株予約権ハンドブック(第5版)』『M&A・企業組織再編のスキームと税務(第4版)』(いずれも商事法務)など、編著者として編集・執筆した書籍・論文多数。近著『敵対的買収とアクティビスト』(岩波新書)は、丸善・丸の内本店などビジネス書店での販売ランキング1位を記録して重版中。
冨山和彦Kazuhiko Toyama
日本取締役協会 会長
経営共創基盤 IGPIグループ 会長
日本共創プラットフォーム(JPiX)代表取締役社長
ボストンコンサルティンググループ、コーポレイトディレクションを経て、産業再生機構設立時に参画。解散後、経営共創基盤(IGPI)を設立。内閣官房「新しい資本主義実現会議」委員、金融庁・東証「スチュワードシップ・コードおよびコーポレートガバナンス・コードのフォローアップ会議」委員ほか政府関係委員多数。著書に『コーポレート・トランスフォーメーション』『社長の条件』『決定版 これがガバナンス経営だ!』他。
東京大学法学部卒、スタンフォード大学経営学修士(MBA)、司法試験合格
バズる家具続出の「ロウヤ」 ショート動画とSNS、運用の勘所
2024年05月22日 読了時間: 8分
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「LOWYA(ロウヤ)」のブランド名で家具、インテリアを販売するネット通販会社ベガコーポレーション(福岡市)が、リアル店舗の出店に乗り出した。企画から販売まで一気通貫で行うものづくりで、20~30代の若者客を開拓。新型コロナウイルス禍を機にSNSを強化し、バズる家具を続出させた。次は実店舗運営に乗り出し、ネットとリアル両方からのファン拡大に注力する。
2023年12月16日にオープンした「LOWYA なんばパークス店」。同年4月に開業した「LOWYA 九大伊都店」に続く2店舗目。ECからスタートし、SNSにも強いロウヤ流のノウハウを反映した売り場が特徴
推し活に人気の収納棚「オシテル」
大阪・難波にある商業施設「なんばパークス」5階に、2023年12月16日に開業した「LOWYA なんばパークス店」。ここには、ほかの家具・インテリア専門店にはないユニークな売り場がある。ロウヤの公式SNSを通じて話題になった商品を一堂に集めた「バズりアイテムコーナー」だ。
ロウヤの商品のうち、投稿された動画の総再生回数が200万回以上のアイテムをピックアップし、常時5~10種類を展示。アイテムの活用方法や機能性が伝わるよう、SNSの投稿動画を大画面ディスプレーで再生している。
バズりアイテムの一つ、「オシテル」は一見どこにでもありそうな木製のロータイプ収納棚ながら、推し活をしている人が喜ぶ仕掛けが満載されている。
推し活グッズ専用の収納棚「オシテル」。普段から推し活をしているスタッフたちのアイデアやこだわりが満載。フィギュアを飾れるスペースがあり、ポスターやペンライトもすっきり収納できると好評。価格は1万7990円
例えば、推しのフィギュアやアクリルスタンドを飾れる祭壇収納。自分だけのステージを作って毎日眺めて楽しめる。前面の扉を開けると、中には奥行きの異なる本やCDをしまえる2枚式の可動棚。推しのグッズが増えても収まる大容量だ。左扉の内側にはアイアンバーが上下2段に取り付けられていて、大切なタオルやうちわ、ファイルなどを収納できる。扉の表側にはサインや写真集などをディスプレーするスペースもある。
さらに、右側下段は引き出し式の仕切り収納になっていて、ライブに欠かせないペンライトを28本も立てて置ける。ライブごとに変わるペンライトのサイズに合わせて調節が可能で、ポスターなど長さのあるグッズもすっきりと保管できる。かゆいところに手が届く設計が、推し活中の顧客のハートをつかんだ。
開発のきっかけは、ロウヤの家具を推し活に活用している声や写真を社員がInstagramで見つけたこと。自らも“推し活女子”の社員2人が「推し活の悩みを解決する家具を作れるのでは」という思いから始めた。
プロジェクトチームには推し活中の社員10人が参加。入念な市場調査と細かなペルソナ設定を行い、オタクたちの知恵を結集して完成させた。
こだわりは、隠す収納と見せる収納を同時にかなえた点だ。来客に推し活を知られたくない場合は、バレないように収納できるのがポイントだという。商品をアピールする際は、「『オタク考案の』『オタクがオタクのために』というワードを使い、推し活する人の仲間意識の強さに訴えるように心がけた」(開発担当者)。
オシテルは23年10月に発売、価格は1万7990円(税込み、他同)。SNSで商品についての動画を投稿したところ、わずか2週間で875万回再生され、通常、3カ月ほどかけて売り切る初回の在庫分を完売した。国内のみならず、韓国でも話題を集めているという。
このほか、動画再生回数642万回の「ドレッサーテーブル」や、再生回数246万回の「伸縮ラック」など、ユーザー目線の投稿でバズったオリジナル家具が他にも多数生まれている。
ドレッサーテーブルは、ドレッサーが一体になった1つで2役のローテーブル。天板を開くと可動ミラーが現れる。デザイン性、使い勝手、サイズ感にもこだわった(価格は1万9990円)
伸縮ラックは、左右にスライドして「見せる」と「隠す」を両立。元々は2×3段の棚だが、左右に広げて開放棚を増やしたり、設置角度を変えたりして、サイズなどを調節できる(価格は1万3990円)
約20秒のショート動画で商品を訴求
バズり商品を生む背景には、ネット通販専業だった同社だからこその強みがある。
ベガコーポレーションでは、実物が見られないことによる顧客の不安を払拭するため、ECサイトに画像を複数枚掲載するなど、サイズや機能性が伝わるように以前から工夫してきた。
「ネットだけで家具を売るには、実は大変な作業が必要。画像を駆使し、オンラインでより細かく接客することを心がけてきた」と、同社の浮城智和社長は話す。
SNSの運用を本格的にスタートしたのは、Instagramが普及し始めた16年だ。当初は静止画を投稿していたが、新型コロナ禍にECでの購買機会が一気に増えたのを機にインスタライブを開始。リール動画にも注力した。さらに、新規顧客の開拓を目的に、22年からはTikTokアカウントの運用もスタートしている。
単に家具の機能を訴求するのではなく、消費者の悩みに向き合う投稿を意識し、ユーザーからのコメントには担当者が一つ一つ返信する。
「今はショートムービーの時代。なるべくコンパクトな動画で商品の魅力を伝えるよう心がけている」と浮城社長。ユーザーのコメントに別のユーザーがツッコミを入れたり、新たにコメントしたりといった具合に反響の輪がどんどん広がり、バズりが生まれる。
ベガコーポレーションの浮城智和社長。「可能な範囲で全国にタッチポイントを増やし、シームレスな買い物体験と大手にはできない価値を提供していきたい」
ネットビジネスの醍醐味は双方向コミュニケーションができる点。SNSでマーケティングをすると顧客が喜んでくれているのが分かり、新しいアイデアのフィードバックもある。この繰り返しが今のロウヤのものづくりに反映されている」(浮城社長)と言う。
現在、SNSのフォロワー数は、Instagramが102万フォロワー、TikTokが25万400フォロワー、YouTubeが11万5000フォロワー、Xが3万1865フォロワー、 LINEが5万7134フォロワー、Lemon8が5万1000フォロワーで、総フォロワー数は152万人にのぼる。リアル店舗の出店で、この勢いはさらに広がりそうだ。
ロウヤの集客装置はショートムービーにとどまらない。インスタライブではスタッフとファンで一つの商品を作り上げる商品開発会議を行い、人気商品を開発してきた。さらに、公式YouTubeチャンネルでは専属のインテリアスタイリストが、トレンドを踏まえたルームコーディネートを数十パターン提案。テーマに沿って15分で部屋をスタイリングするプロのコーディネート対決や、ロウヤスタッフが住むルーム拝見企画など、部屋づくりが苦手な人にも参考になる動画の投稿が好評だ。
同社では、こなれた価格とデザイン性に加えて、インテリアコーディネートによる世界観の提案を重視。「ネット上には約270コーデの提案を上げている。それが可能になのも、企画、プロダクトデザイナーからWebデザイナー、SNS運用スタッフ、プログラマー、受注・出荷まですべての機能を社内に抱えているから」と浮城社長。
ECの特性を生かしながら、顧客の声や目線を重視した独自のものづくりとマーケティング戦略が、多くのヒット商品を生み出している。
大手にはできない価値の提供で差異化
ベガコーポレーションは2004年、福岡市で創業。6畳一間にパソコン2台を置いた事務所から、家具・インテリアのネット通販事業に参入したのが始まりだ。当初は、仕入れ商品を販売していたが、顧客の要望に応えて自社で商品開発を手掛けるようになり、現在では売り上げの9割以上をオリジナル商品が占める。
自社で企画、製造、販売から物流、出荷まで一気通貫で行い、海外の委託工場で大量生産することで低価格とデザイン性、実用性を兼ね備えた家具を開発。平均単価は約2万円、リビング家具を一式そろえても10万~15万円に収まる価格設定となっている。
メインターゲットは20~30代で、自社オンラインショップの会員の7割超が30代以下。同世代の若手社員が中心となって商品開発とSNS運用を行っているのも同社の強みだ。
創業から19年間、EC専業で展開してきたが、23年4月、同社初の実店舗「九大伊都店」を福岡市西区「いとLab+(プラス)」内にオープンした。リアル店舗の出店に踏み切ったのは、実物を見たいという顧客の声に応えてのこと。新型コロナ禍を経てEC市場が変化する中、ネットとリアルをシームレスに行き来する買い物体験がより求められていると感じたのがきっかけだ。
以降、店舗周辺エリアのECの受注金額は前年比120%前後で推移しているという。「これまで福岡県の売り上げ構成比は全体の4%ぐらいだったが、実店舗を開業して5%後半まで増えている」と、浮城社長は話す。
九大伊都店の成功でリアル店舗の必要性を実感した同社は、2号店として冒頭に挙げたなんばパークス店をオープン。バズりアイテムのコーナーを設けたほか、スタッフと顧客がより深いコミュニケーションを図れる店づくりを意識し、ネットとリアルの連動を強化した。
24年2月には、「名古屋みなと 蔦屋書店」内に3号店となる「名古屋みなと店」をオープン。いずれの店舗も盛況で、リアル店舗自体が広告になっているという。
2月10日にオープンした「LOWYA 名古屋みなと店」。260平方メートルの店内には大型家具だけでなく、小物アイテムも含めると400点以上のアイテムがそろう
新規出店を待ち望む声が多く、今後は全国を視野に入れた店舗展開を検討する。ただし、基本はECの体験を最適化するための範囲での出店だという。
「ECのいいところは、顧客の声が可視化されていくこと。次に何をするべきかはすべて顧客が教えてくれる。ユーザーが喜ぶことを愚直にコツコツ積み重ねてきた結果、今の成長がある。これからも大手にはできない価値の提供で差異化できる」と、浮城社長。
家具・インテリア業界は、新型コロナ禍で需要が高まり、大手チェーンがけん引役となって市場が拡大。同時にEC化率も増加の一途をたどり、ネットとリアルの連動は加速している。リアル店舗としては後発の同社が、どこまで競合に迫れるのか注目したい。
(写真/橋長初代)
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