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薬の否定は人権の否定
世界が対コロナでロックダウン政策をやめる事が出来たのは、経口治療薬という出口が出来たから。という事を、忘れてる。(メルクがそれに取り組んでいるのは解ってたので、私に資金があれば儲ける事が出来ただろうに。)
人権を守れるのは権威ではなく、技術だという事が身にしみて解る。
かつての精神病者に対するクロルプロマジンと同じ。
当たり前過ぎて気づかれないのだろうけど、安価で広域な公衆衛生を支えるのは薬剤の存在だ。
向精神薬は、医師との信頼関係と適切な精神療法の元に使用されてこそという大前提はふまえつつ、
例えば、高名なカウンセラーがネチネチと何時間もカウンセリングをして、何ヶ月もかけてやっとひとり超回復させたとして、その間にベンゾジアゼピンが右から左に処方され、広く安定的に1000人の生活を支えるとしたらどっちが正義だろう。
私は一時期、救った人の人数なら
精神療法(カウンセリング<<<<<<<<<<<<<精神薬<<<<<<<<<米津玄師
と言っていたくらい。
実際、今の主流の心理療法理論だって、
特権階級の道楽みたいになってた心理学に対するカウンターなのだから。
なんか、その事を忘れた人たちが、時計の針を戻そうとしている気がする。
薬を下位に置きたい人は、画一的に扱われる事に対する拒否感なのだと思う。
私固有のはずの苦しみを、画一的な薬なんかで救われたくないし、
他でもなくこの私自身が、あなたを救いたいから。
なので、本当の病理は「画一性」にあるという事に目を向けたら、反薬みたいな、私にとっては反人権としか思えない思想は問題じゃなくなる。
日本のカルト宗教である、医者に対する権威もまた同様に。日本では老若男女、医者を現人神として、そこにこの私自身の固有の存在性と効力感を投影している。
あと、「画一性」に対する本能的な嫌悪は、陰謀論とつながって「反AI」思想が生まれる気がする。
政策書く練習な。
こういう感じでやっていこうと思うわ。(何がよ)
自分に必ず関係ある(何か利害があるとか矢面に立ったとか)物事への問題意識を日々持ちつつ、他人が言ったりしたりなんかあったりのきっかけで励起したものを置いておく。そういうひらめきの繰り返しで、構造を作る。
徒党を組むのではなく、知恵の恩恵があるところ、水が流れている所に、一定の距離でいて、そこから汲み出してくる。結局、経口なんちゃらに気づいたのも、誰か特定の人が言ってたとかじゃなくて、色んな他分野の人がポロポロ言うてたの組み立てるとそうなった。