序章短編:「わたしにとっての、初めての“出発”の始まり」
わたしは、かつて鳥でした。
わたしが鳥だった時の無垢な記憶は、生まれたての赤子のように目をつむって今の“新しき”〈私〉の心に、優しく抱擁しています。
かつて鳥だった――鳥として生きてきた――という記憶に優しく抱擁された状態で、かつての〈わたし〉は今の〈私〉として生まれ、現在を生きているのです。
わたしは次のような時、かつて鳥だった時のことを思い出します。
・毎朝、起き抜けに、ベランダに出て、快晴の空と、しとやかな季節の 温もりに包み込まれた周りの風景を眺めている時――。
・自分が何か困っているとき、見ず知らずの誰かから、 親切にされた時――。
・望洋とした黄金色の空を、鳥たちが爽やかに飛翔している光景を見た時――。
・回転木馬のように回り続ける季節を、 世界の観察者のように眺めている時――。
・過去から現在に続く線路を、更に未来へと伸していくため、 社会を構築する無数の方々を眺めているとき――。
・わたし自身が眠る時、また無限に広がる眠りの海で、 自由自在に泳ぎ続けている時――。
ほんの一例ですが、このような時、 わたしは、かつて鳥だったことを思い出すのです。
ですが、
もっとも、わたしの心が頗る強い懐かしさと、感動で激震する瞬間があります。
それは――。
あの〈御方〉の神々しいまでに健やかな笑顔を、媒体を通じて見た時です。
あの御方は、何年も何十年も何百年も何千年も前から変わりません。
あの御方こそが、〈わたし〉を〈私〉で有りさせてくれたのです。
わたしが鳥だった時、初めてあの〈御方〉に出会った時のことを、 つい昨日のことのように憶えています。
あの御方は、初めて私と出会った時、とても優美な手つきでわたしの羽を、温もりというベールで覆うように、 ゆっくりと優しく撫でてくださいました。
羽から体全体を撫でられた時、まだ“感動”という言葉は存じませんでしたが、あの御方に対する愛情というものが、蕾から閃光の如く一瞬で開花したのです。
あの御方は、わたしを愛し、多くの方々を愛し、全ての自然たちを愛し、そして優しく接してくださいました。
昔から、あの御方は、朝日に反射して煌く透明な水のように、純情で純真で純粋な心を持っておられました。
その御方を、わたしは生まれる前から深く愛していることに気がついたのです。あの御方は今の〈私〉や多くの〈方々〉の“歴史”そのものなのです。
同時にあの御方は、わたしや、多くの方々にとっての誇りであり魂であり故郷なのです。
わたしがまだ幼き鳥の頃、あの御方は慈愛と博愛に満ちた微笑みで、 わたしに“恵み”を与えてくださいました。
当時、幼き心なわたしでも、あのお方の真心はわたしの体全体に、 余すことなく浸透したことを実感いたしました。
そして、わたしがやがて故郷を巣立つ前も、あの御方は、わたしに、再び“恵み”を与えてくださいました。
わたしが幼き鳥の頃も、そして巣立つ前の頃も、あの御方が、わたしに与えてくださる“恵み”は、過去から未来へ繋がる希望という生命そのものになりました。わたしは、くちばしから、その“恵み”をいただき飲み込むと、 生きる希望だけでなく、生きている喜び、 そして自らが生まれたことに対する感謝や多くの方々に対する感謝、 また自分を恐れないことへの勇気などが一つに溶け合い、 わたしの体の中で調和したのです。
わたしが巣立つ時、あの御方は神々しく微笑んでおられました。
翼を広げ、空高く飛び立つと、あの御方はゆっくりとゆっくりと優美に手を振ってくださいました。わたしは飛翔したのです。 いずれまた、あのお方と再会するために。
そして、多くの方々と多くの自然たちに感謝するために――わたしは飛翔したのです。
こうして、わたしは、いつ終わるとも知れぬ“四季”という世界へと旅立ったのです。
空を飛んでいると、やがて春の世界に出会いました――。
春の空は暖かく、薄紅色の花びらたちが舞っておりました。
花びらたちは、薄紅色が多いですが、濃い紅色の花びらも舞っておりました。花びらは、一片一片が主人公で、春という季節を有意義に生きる命そのものでした。そして空を舞う花びらたちにとって、 春という季節は一つの舞台そのものです。
誰に見せるでもない、でも花びらたちの舞は、春という季節をより色濃くしました。
ある花びらはゆっくりと舞、ある花びらは軽やかに舞、そしてある花びらは戯れるように舞、自然という観客たちに舞を披露するのです。
春の自然たちは、花びらたちの舞の演出をするだけでなく、同時に観客でもあるのです。
偶然なのか必然なのか、わたしも観客になることができました。
花びらたちはもちろんのこと、風も雲も、大地の自然たちも、大地に住む多くの方々も、みな、わたしを歓迎してくれました。
凍てつく白き季節を乗り越え、新しい季節と出会えた、多くの自然たちや多くの方々は、季節の空を飛び続けるわたしに、祝福の演舞を披露してくれました。
そんな春の花びらたちや、春の自然たち、多くの方々に祝福され、見守られながら、次の季節の世界へと向かいました。
空を飛んでいると、やがて夏の世界を発見しました――。
海色の夏の空は、多くの自然たちの歌声が、ゆるやかな波のように木霊しておりました。
大地や海や空の自然たちの歌声、それから艶やかな緑色の風景、それらが混ざり合って、夏という季節に“もう一つ”の色鮮やかな“海”をつくっておりました。
多くの自然たちや、多くの方々にとって、夏とは“魂が泳げる自由の海”そのものなのかもしれない、と思いました。
夏の夜空は暖かく、自然たちの歌声は、夜もうねっておりました。
それどころか、大地に住む多くの方々の、吐息とともに生まれる歓声のかけらたちが、軽快な動きで縦横無尽に飛び交い、夏の夜さえも爽やかに明るくしていました。
また、わたしが夏の夜に驚いたのは、群生色の夜空に開花する色鮮やかな光の華でした。
それは華のようですが、華ではありません。ですが、やはり一つの華なのです。地上から放出された蕾は、勢いよく上昇し、空中で開花し、その華は変幻自在に色を変えます。その開花する様は、わたしや多くの方々や、全ての自然たちにとっての“未来”を象徴する華のようでした。
未来、というものは色とりどりに変化する、 それが光って咲き乱れる花としてのたとえなのではないか、と思いました。
朝になると、夜の賑やかさが夢であるかのように遠く離れ、周りの景色は純白の靄に包まれていました。聞こえるのは夏季の寝息だけです。
おそらく、夜に見た色鮮やかな光の華は夢だったのかもしれません。
あるいは、現実のような夢だったのかもしれません。ですが、どれが夢でどれが夢ではないのか、ということは問題ではなく、わたしは過去から現在、そして現在から未来を飛び続ける、ということです。
こうして、わたしは再び翼を広げ、純白の靄を突き抜け、 次の世界へと旅立ったのです。
空を飛んでいると、やがて秋の世界に見蕩れました――。
秋の世界は、見渡すかぎりの赤色や黄金色や橙色の大地、それから、どこからか発する甘い香りなどがひしめき合い、徹底した慎み深さを兼ねた風景をつくっておりました。
その光景は、秋という季節が織り成す夢幻世界のようでさえありました。
自然たちにとっては、最後のお化粧直しなのかもしれません。
朝であろうと昼であろうと夜であろうと、また雨がふろうとも、 秋のお化粧が崩れるということは決してありません。 時や状況に応じてお化粧された風景は調和するのです。
世界全体が甘い香りで包まれてるように思えるのは、秋の息吹です。
わたしや多くの方々は、そんな秋の夢幻世界に、心が引き寄せられました。
いつまでもこの甘美な世界の空を漂うことができそうでした。
それに思わず頬ずりしたくなるような甘い香りは、懐かしさまでも身にまとっていました。
ですが、わたしは次の世界へと飛び立つのです。
四季の世界というものは、変わらないから美しいのではなく、 変わるからこそ美しいのです。それをわたしは秋の世界で学び得ました。
こうしてわたしは、次の世界へと旅立ちました。
空を飛んでいると、やがて冬の世界に到着しました――。
凍てつく寒さと、果てしなき純白の世界、わたしは大地に降りました。
大地に住む、多くの〈方々〉は、“次の世界”まで安らかに眠っています。
周りの景色は、時に完全な白となる時もあれば、 天から降り注ぐ光あふれる快晴の時もありました。冬というのは、もっとも気分や機嫌が変わりやすいのでしょう。
冬の世界はもっとも、強き風と白や透明な小さき塊が、わたしの羽や体を打ち当てます。
ですが、そんな冬の世界でも、わたしはまた次の世界へと行く準備をするのです。飛び立つ準備のために、わたしはひとまず休むのです―― 多くの方々や自然たちのように。
春夏秋とわたしは飛び続けていました。
凍てつく冬の純白な世界で、わたしは過去を見つめ、今を見つめ、そして未来を見つめるのです。未来というものは、接吻出来るほどの距離にあります。が、届きそうで届きません。届いた瞬間にそれは現在になり、また光の速さで過去となってしまうのです。ですが、わたしは次の世界という未来へ行くのです。空が快晴になったのを見計らって、わたしは飛び立ちました。
こうして、わたしは何年も何十年も何百年も何千年も飛び続けました。
四季は巡りますが、同じ四季はやってきませんでした。
長いこと飛び続けているうちに、多くの〈方々〉の姿形、 それから言葉たちも進化や変化を遂げました。
わたしはあの〈御方〉にまた再会するため、飛び続けました。
再会出来ないから悲しいという感情は湧きませんでした。
逆にいずれ再会できると思うと、希望と喜びという光に包まれるのです。
気づいたら、わたしは今の〈私〉となっていました。
今の〈私〉があるのは、あの御方のおかげ、そして、四季をつくり四季とともに住む多くの〈方々〉、四季の〈自然たち〉のおかげなのです。
全ての自然や、多くの方々、そしてわたしも、命の終わりを迎えます。
ですが、また命の華は咲き、生き続けるのです。
わたしは、命の季節という、とわに終わることのない、 途切れることのない波に揺られ続けながら巡るのです。揺られ続ける限り、わたしは一つの命を持つ、生命なのです。
わたしが長い歳月を経て頂いたたくさんの恩恵を、今度はわたし自身、 感謝を込めて勇気と感動の物語を、あなた様の心にお届けします。
今、翼を広げたわたしの物語たちは、 未来と全てのあなた様に向かって出発いたします。
無事、あなた様に届きますように。