2024/2/17天を回らす事についての私見
第二次世界大戦の終盤、敗戦濃厚な戦局に日本が特攻で対抗した事は戦後75年ほど経った今も悲惨な戦争談話として語り継がれている。
その多くの知識は爆弾を積んだ飛行機が敵の船へと体当たりする“特攻”だろうが、横山秀夫が書いた『出口のない海』で描かれたもう一つの特攻兵器、人間魚雷「回天(かいてん)」も忘れてはならない。
大戦の終盤、戦争の舞台は海から空へと移り、空での戦いはゼロ戦が活躍したが、圧倒的な国力の差の前に成す術がなかった。日々敗戦の色が濃くなる戦局を憂いた海軍兵士が使われなくなった九三式酸素魚雷を改良して人間が乗れるようにしたのが回天だ。九三式酸素魚雷はスクリューからの気泡が酸素の為水に溶け、魚雷の発見が遅れる事から海が主戦場の時は活躍した武器だが、空での戦いには向かない。
魚雷をニコイチにして大量の炸薬を積む事で特攻兵器にしたのが回天だが、この回天は出撃したら最後、敵艦に当たらなくても海底に沈んだ回天はその水圧で中からハッチを開ける事が出来ず、酸素が欠乏して搭乗員はいずれ死に至る。
この兵器を開発するにあたり、昭和天皇は「出撃したら最後となるような兵器にしてはならない、必ず搭乗員が脱出できるようにする事」と指示したため、開発者はハッチを付けたが、水圧により機能しない事は分かったうえで製作したと本で読んだ。開発を発案した兵士は「天を回らし戦局を逆転させる」と言う意味でこの兵器に名前を付けたが、天を回らせる事が出来なかったのは歴史が証明している。
特攻兵器で出撃する兵士は戦争に勝利する事を願って出撃したと言うよりは、敗戦国となった場合の家族や恋人など大切な人の生活を案じていたのではないかと推察する。回天の訓練では多くの殉職者を出した事も戦争の悲しさを増幅させる。
戦争を美化するつもりも正当化するつもりもないが、後に残る日本人の事を思い訓練、出撃した先人には感謝と二度と戦争を起こさないと誓う事は、日本人として当然の事と思う。国を挙げての戦争、国策をもってしても奇跡はそう簡単には起きない。日々の平和を願って過ごすばかりである。