熾火を守る01

熾火を守る。 2016.10.18

福岡は曇り。昨夜は実に楽しい出会いがあり、ちょっと酩酊。

今年に入って動き出した2つのプロジェクトで、伝統産業に関わることになった。プロジェクト内の位置づけ、関わりの深さは異なるが、またこのテーマについて考えることになる。尊さと難しさ。伝統産業のあり方は、いまも社会的課題として横たわっている。

伝統的モノづくりをノスタルジーで語るのはたやすい。かつてご一緒したテキスタイルの石垣昭子氏は、手仕事をガラスの向こうにやってはいけないと喝破された。引き継ぐべき本質は何か。表層の造型だけを継承するのは、最もわかりやすいが、最も危険でもある。魂を失ったモノづくりの支援は、単なる延命治療になりやすい。それではならじ。
今回、何の因果か、久留米絣と琉球絣という案件が舞い込んだ。前者は多少の機械化も行いつつ、それでも衰退は止められない。後者は全工程が手作りで、とはいえ苦境にあることは変わらない。どこかの国の諺に、伝統を守るとは、火を絶やさないのでなく、その下にある熾火を守ることだ。とある。絣の熾火を見つけ、新たな炎を興せるだろうか。

今日は税理士事務所からお叱りを受ける日。夜は日生協の皆さんと会食。

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・時代変化に迎合する必要はないが、寄り添う余地はあるのではないか。