修士論文「女子生徒の制服と女性表象によるジェンダー規範の記号論: 教師の解釈」アブストラクト(要旨)
修士論文の提出が終わりました!
私にとってこれは「次の10年」のためのチャレンジでもあり、自分の人生を納得できるするものにするための挑戦でもありました。20代はがむしゃらに仕事、30代は自分が社会的に価値があると信じて夢中になって邁進した自分自身のビジネス、40代は子育てで仕事をセーブすることで社会から切り離された「お母さん」を知りました。それぞれの10年ずつ、周りに助けてもらいながら、自分なりにがんばってこれたように思います。
そして50歳になる前、ニュージーランドの学校でインターン経験したのをはずみに、チャレンジしたのがランカスター大学の社会正義と教育という研究修士課程です。この修士課程で学んで感じたことなど、また近いうちに書き留めておこうと思いますが、今回は修士論文のアブストラクト(要旨)をここ note にも書き留めておこうと思います。
元々英語で書いているもので、機械翻訳を使っての日本語でこなれませんが(意訳したくなかったのであえてそのままにしているところもあります)、良かったら読んでみていただけると嬉しいです。元の英語も載せています。
「女子学生の制服、女性の表象を通じたジェンダー規範の記号論:教師の解釈」アブストラクト(要旨)
世界で最も男性的な社会のひとつである日本では、統計によると、女性は抑圧を経験する可能性があり、家庭内や企業内で男性に従属することが期待されている [1]。女性が大企業の重役の地位に「上り詰めた」としても、規範は、女性が男性に従属し続け、育児をほぼ一人で担うことを規定している。この現象は、日本で広く浸透している「良妻賢母」イデオロギーと密接に結びついている。このイデオロギーは、具体的な物質的、視覚的、行動的、美的実践に深く根ざしており、イデオロギー的意味を探求する視覚的アプローチが、それを調査する適切な選択となりうることを示唆している。したがって、この質的研究は、記号論と視覚文化が交差する学校教育の中で、このイデオロギーに関連する教師の見解に光を当てる(可視化する)ことを目的としている。
この研究では、16人の教師の参加を通じて、さまざまな研究や教育概念を探求するために視覚メディアを応用する記号論的・視覚文化的アプローチや手法である探究グラフィックスを用いる(Lackovic, 2020)。インタビューの目的は、日本社会における女子の制服に象徴される意味と、それが女子の性別役割分担や進路希望に関する認識にどのような影響を与えているかを、教師の視点から深く掘り下げることである。より深い洞察のために記号論を用いることで、この視覚的探求は、参加者と研究者が選んだ制服、女子生徒の制服、女性にとって望ましいキャリアのイメージをめぐる洞察を含む。これは、日本社会における女子と女性の位置づけに関する暗黙的で潜在的な連想と、学校における女子の位置づけと女性のキャリアに関する教師の見解を明らかにするのに役立つだろう。
その結果、教師は一般的に「良妻賢母」イデオロギーの要素を、様々な程度で、時には無意識的に、自分たちの見解を進歩的なものとして表しながらも、示していることが示唆された。これは、性別や勤務する学校のタイプによる違いは見られるものの、すべての教師において顕著であった。
この研究は、「良妻賢母」イデオロギーに牽引され、高度に男性化された社会の中で、学校という文脈の中で永続する「文化資本」に光を当てるものである。女子生徒の将来のキャリアへの影響は、専業主婦や母親以外の様々なライフスタイルへの野心や可能性を学校が抑制していることかもしれない。学校教育において、女子の野心や自己実現が意図せず抑圧されている可能性に対処することの重要性が浮き彫りになった。この研究は、日本の教育においてより解放的な対話を促進する必要性を指摘しており、それは日本だけでなく、同じような価値観を共有する社会においても、女性の未来を形作る可能性がある。
次は、もともと修士論文用に書いた英語のアブストラクトです。この後に、日本語で良妻賢母についての補足を書いているので、英語が不要な方は読み飛ばしてください。
【原文】Semiotics of Gender Norms through Schoolgirls’ Uniforms and Female Representations: Teachers’ Interpretations
Abstract
In Japan, one of the most masculine societies in the world, statistics evidence that women may experience oppression and are expected to subordinate themselves to men in domestic and corporate settings[1]. Even as women “ascend” to executive positions, prevailing norms dictate their continued subservience to male counterparts as well as almost a sole responsibility for child rearing. This phenomenon is intricately tied to the ‘good wife and wise mother’ ideology, widely spread in Japan. This ideology is deeply rooted in specific material, visual, behavioural and aesthetic practices, which suggests that a visual approach to exploring ideological meanings can be an appropriate choice to investigate it. Thus, this qualitative study aims to illuminate teachers’ views in relation to this ideology within schooling at the intersection of semiotics and visual culture.
The research employs inquiry graphics, a semiotic and visual culture approach and method that apply visual media to explore different research or educational concepts (Lackovic, 2020), in this case through interviews with 16 teachers. The aim of the interviews was to delve deeper into the meanings epitomised in girls’ school uniforms in Japanese society and how these may be informing girls’ perceptions of gender roles and career aspirations, from teachers’ perspectives. By employing semiotics for more profound insight, this visual exploration involves a discussion around participant and researcher-chosen images of uniforms, schoolgirls uniforms and a desirable career for women. This would help to unveil implicit, subconscious associations concerning girls and women’s positionality in Japanese society and teachers’ views of girls’ positionality in schools and their vision of women’s careers.
The findings suggest that teachers generally exhibited elements of the ‘good wife and wise mother’ ideology, to various extent and sometimes unconsciously, even as they presented their views as progressive. This was evident across all teachers, with variations observed based on their gender and the type of school they worked in.
This research sheds light on the ‘cultural capital’ perpetuated in the context of schools, in a highly masculinized society, driven by the ‘good wife and wise mother’ ideology. Its implications for female students’ future careers may be that schools are curbing their ambition and possibilities for different lifestyles, other than housewives and mothers. It underscores the importance of addressing the potential unintentional suppression of girls’ ambitions and self-realisation in the context of schooling. The study points at the need of fostering a more emancipatory dialogue in Japanese education, which could shape women’s futures, not only in Japan but also in societies sharing similar values.
[1] Statista Research Department, Jul 21, 2023. Gender equality in Japan - statistics & facts. Retrieved from https://www.statista.com/topics/7768/gender-equality-in-japan/#topicOverview (2023)
Lacković, N. (2020). Inquiry graphics in higher education. Cham: Springer International Publishing.
女子の野心と「良妻賢母」イデオロギーについて
この修士課程で、私は特に「女子の野心が砕かれる」仕組みを知りたくて研究してきました。イギリスの大学院ということもあり、日本だけでなくグローバルの見方をするよう何度も指導の先生から促してもらいました。これがとても良くて、結局どこの国も女性は抑圧されていて日本で暮らしている人と同じようなことをどこかの時代で経験していることも認識できました。そして外から日本を眺める視点も持てたおかげで、日本の場合は女性の従属の仕組みを継続させるためにどのような仕掛けがあるのか、という問題意識を継続させることができました。
上記のアブストラクト(要旨)を読んでくださった方の中には、「良妻賢母」イデオロギー(イデオロギーとはものの見方や考え方という意味)についてとりあげているのを見て、「そんなの古いのでは?」と思った人も多いのではないかと思います。でも、この「良妻賢母」は、明治時代に男女の役割規範ができてから、形をかえて再生産(ぐるぐるリピート)されています。例えば、わきまえる、つつましい、控えめ、という資質だったり、手足をそろえる、彩度の低い服を着る、というふるまいだったり、「きれいな」言葉遣いだったりです。女性が企業で働くようになっても、役員になってもこれらが求められます。それが「良妻賢母」イデオロギーです。これは女性にとって鎧の役割もするので身に着けるように教育されますが、一方で女性を男性に従属する立場におくものでもあるやっかいなものです。それが日本の女性の抑圧がしつこく続いている大きな理由でもあります。
少しずつになるとは思いますが、私がこの修士課程で得ることができたものをシェアすることで今まで出会ってきた人、これから出会う人たちと刺激し合いながら、思考を深め社会正義(ソーシャルジャスティス)と教育(含社会人)について理解を深めていけたら、と思います。これからもよろしくお願いします!