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宗教とイデオロギー

暖かい陽気になってきて、外の空気は気持ちがいいのに、#Stay Homeということで、あまり外に出れず、残念な気持ちになりますね。
でも、コロナウイルス感染の拡大を抑えるためには、国民全員で一致団結して行動していくことが求められます。
こういう時、日本は強いですね。ルールを守るという意識が元々強いので、国に強いリーダーシップがなくても、理由を伝えればみんな一緒に足並み揃えられます。
一部では、「これから日本の時代が来る」なんて言われるのも、そういった理由があるのかもしれません。

さてさて、今日は宗教とイデオロギーという、ちょっと賢そうなお話。

宗教がなぜ生まれたかというと、これは組織に所属している人たちにルールを守らせるため。

ある部族がいて、その村の周辺ではキツネがよく獲れた。
でも、あまりにキツネを取りすぎるもんだからどんどんその数が減っていってしまった。
そんなとき、その部族の曹長は、「尻尾の白いキツネは神様の使いだからくれぐれも殺さないように」と伝えます。
そうすると部族の人間はキツネを殺すのをやめます、理由を考えることなく。

これが宗教の始まりでした。
国や組織を収めるには、神様という、人間を超えた存在を創り上げることが最も効果的な方法でした。

一方のイデオロギーとはどういうものかというと、どのように国や組織を運営していくと効果的かという経済的な視点に基づいて考えられたものですが、宗教同様、その組織の基本ルールとして守られています。

イデオロギーの話をすると共産主義の方が際立っているため例に挙げられることが多いですが、個人的には資本主義の方が面白い考え方だと思っています。
資本主義とは、資本家と労働者という2者に分け、資本家がお金や土地など資本を提供し、労働者がその資本を活用して生産を行うというものです。
普通に考えたら、そんな労働者の立場に自分を置かれたら拒否したくなりそうなものですが、大半の人が労働者という立場を受け入れて人生を過ごしています。

どうしてほとんどの人が労働者という立場を受け入れてしまうのか?

これは僕が思うには、「神様(運命)が決めたことだから」と思っている人がほとんどだからだと思います。
どんな家庭に生まれ、どんな教育を受けて、どんな仕事に就くのかは、生まれたときにほとんど決まっていて、それを変えることなんてできないから、与えられた人生を受け入れるしかない。

何が言いたいかというと、多くの人間が、宗教とイデオロギーというものを混同して考えており、そのせいで多くの機会を逃してしまっているということです。

冷静に考えれば、この資本主義経済の中で成功という人生を歩むためには、労働者ではなく、資本家側に回らなければならないのは誰でもわかるはずなのに、それを考えること自体を放棄してしまっているということは、その裏側に宗教が存在し、思考をコントロールされてしまっているということです。

自分の思考が、自分の知らないうちに誰かに制限されていないか?

#Stay Homeで家の中でゆっくり考え事ができるこんな時だからこそ、少し自分の常識の外のことについて考えてみるのもよいのではないでしょうか?

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