精神科医が考える MMOで疲弊しないコツ② コンテンツの丈にあった遊び方をしよう
#1 はじめに
こんばんは。譲葉エミルです。
今回は読み原稿の改稿ではなく、ほとんど書き下ろしです。
譲葉は医学生時代はガチMMO勢(昔風に言えば「ネトゲ廃人」でしょうか)でした。ICD-11が発効していたらゲーム障害と診断されていたかもしれません。しかし、思い出補正を抜いても、譲葉がガチ勢だった1990年代後半~2010年代前半と比べて、MMOの世界は生きにくくなりつつあるように感じます。
MMOの世界は、かつてはサークルの部室のような空気がありましたが、現代のMMOは公共空間のようになってしまいました。現代のMMOでは現実の世界と同じ作法が求められる一方で、現実に繋がる情報を秘匿することがまだ求められています。このジレンマがトラブルを招いていることもあると考え、これから何回かに分けて、MMOで疲れないコツをお話ししていきたいと思います。
可能な限り一般論を述べるように注意しましたが、記事内容が譲葉がプレイしていたMMOの影響を受けている可能性があります。そのあたりは事情を承知した上でお読みください。
#2 固定パーティと野良パーティの善し悪し
「固定」と「野良」の善し悪しはあると思いますが、スポーツチームに例えるとわかりやすいと思います。
「固定パーティ」と似ているのは、サッカーならJリーグ、野球ならプロ野球、モータースポーツならF1です。プレイヤーはチームに所属し、ある程度の期間、選手として活躍します。契約期間が過ぎたとき、チームは継続して選手やスタッフを続けて雇うかどうか決めます。
「野良パーティ」はサッカーならワールドカップのチーム、野球ならワールド・ベースボール・クラシックのチームに似ています。本来バラバラのチームに所属している選手が、サッと集まって、チームとしてプレイして、仕事が終われば解散する。そういうものです。
固定パーティのいいところは、多少基準に満たないプレイヤーがいても戦略の工夫でリカバリーが効くところです。バフの優先順位や、装備の優先配分などで火力を底上げしたり、失敗の多いところでコールをしたりすればよいのです。
このことでフラストレーションをためるプレイヤーもいるでしょうが、チームとして機能している限りはクリアまで持ち込めるでしょう。同じメンバーでプレイし続けるため、人間関係やチームワークを構築する必要があります。これも攻略を後押しする材料になります。万が一失敗しても、失敗した原因について話し合うことができますし、次回にそれを生かすこともできます。戦術の変更も可能でしょう。融通が効くため、参加者の特性に合わせ攻略方法をとることができます。
野良パーティの良いところは自分の都合にあわせてパーティを編成できることです。固定パーティは全員の都合の合うときにしかコンテンツに挑戦できませんが、野良パーティはいつでも参加できますし、見合うパーティがなければ自分で募集することもできます。しかし、入ってくるメンバーの技量がどのくらいか判別する方法は殆どありません。すべて自己申告によるものです。稀にクリアしたいがためだけに嘘をついて加入する人も居ます。先ほどのスポーツの例のとおりですが、一定以上の技量を持っているメンバーに恵まれなければ、コンテンツに挑戦してもクリア出来る可能性は低くなるのです。
#3 「コミットメント」
ゲーム内でのトラブルに繋がりやすいのは、コミットメントの違いによるものです。日本語で表現しづらいので、英語から拝借します。コミットメントの意味を英英辞典で引くと次のようになります:
ロングマン英英辞典の引用の「2」項が最も近い概念です。「組織や活動に対する忠誠心や熱心な活動」とでも言えばいいでしょうか。
つまり、コンテンツに対してどのくらい貢献できるかということです。わかりやすく例を挙げれば、やる気、時間、ゲーム内のアイテム収集など、「クリアに対してチームに貢献する」という熱意であり、実行するための強い意思です。
大人になればなるほど、ルールに沿って遊び、目標を達成したときに強い快感を得るようになります。ルールが複雑で挑戦する相手が困難であるほど、達成したときの快感は強くなります。高難度コンテンツは特にその強い快感が得られるのです。
そういったゲームで遊ぶには社会性が必要です。ゆえに、ある程度精神的に成熟していなければ楽しめません。子供がCPUをボコボコにして喜ぶように、大人は複雑怪奇な仕組みを多人数で解くことに快感を得るのです。
集団で遊ぶからにはルールが必要です。それを守るには社会性が必要です。そして、プレイヤー自身の「クリアしたい」という強い意志も必要¥です。
#4 「ネトゲーは 遊びじゃないの 仕事なの」
「〇〇をクリアするので仕事辞めてください」といわれた、という冗談のような本当のような話が1990年代のMMO黎明期にありました。これは、集団の目標のために個人の生活を制限するということです。表題の「ネトゲーは遊びじゃないの、仕事なの」のとおり、MMOにはコンテンツをクリアするために個人の自由を制限することがあるのです。
なぜなら、MMOは集団行動だからです。
高難度コンテンツは同時に何人かが行動します。ゆえに、「時間を守る」「コンテンツの予習をする」「コンテンツに適切な装備を揃える」「コンテンツに必要なアイテムを持つ」「攻略に必要なスキルやゲームの進行を覚える」ことが必要です。一方で、プレイヤーは、「強い武器が欲しい」「世界最速クリアを目指す」というような欲望をもってコンテンツに挑戦します。
この欲望を叶えるために必要なのは集団のルールです。集団のルールが守れなければ、個人の能力がどれだけ高くてもコンテンツには1人で参加できないのです。
事前に打ち合わせをしたり、コンテンツについて動画や攻略記事を見て研究したり、ステータスの調整をしたりすることは攻略をスムーズにします。スポーツのようにイメージ・トレーニングをしたり、疑問点をSNSで質問したり、ゲーム内の先行者に尋ねたりするなどするのもいいでしょう。
これはもはや仕事です。
いや、MMOは高度になりすぎて仕事やスポーツと同じくらい複雑になってしまったのです。クリアするには個人の巧拙だけではなく、チームワークも必要になりました。チームワークが機能するかどうかは、他の参加者と同じだけの熱意とコミットメントを持って参加しなければなりません。
これを共有できなければ、不満やフラストレーションがチームに蓄積していき、固定チームなら維持できずに解散・メンバーの追放が行われ、野良パーティなら良くて「急用を思い出しました」と言われ、悪ければ黙って抜けられ解散の憂き目にあいます。
「どうせゲームだから遅刻してもいいか」とか「今日仕事忙しかったし、昨日のところから先の予習できてないや」というのが他の参加者のリソースを浪費させます。リソースというのは時間だけではありません。ブースト・タイミングといわれる、アイテムを使っていく時間帯であれば、ゲーム内通貨も無駄にさせます。
#5 規律が必要
なんだか軍隊のようです。
「フルメタル・ジャケット」のハートマン軍曹のような人が居れば、高難度コンテンツがクリアできるかというと、そうではないと思います。
譲葉は自衛官の人と同じ固定パーティにいたことがありますが、彼は軍隊のような規律のことは気にせずゲームをしていましたし、誰かに命令することはありませんでした。
彼に一度、「高難度コンテンツを自衛隊の人たちに挑戦させたら簡単にクリアしてしまうのではないか」と尋ねたことがあるのですが、そうしたら「遊び方を知っていても無理だろう」という返答が返ってきました。
このときはそれで終わってしまったのですが、今回の話を書くに当たって再考してみたところ、彼が言いたかったのは「指揮役が居ない中で集団行動ができるかどうか」であると考えるようになりました。
通常の仕事や部活動(あるいは軍隊)では命令する立場の人が居て、その指示の元に動きますが、MMOではそうではありません。自分が自分を導かねばならないのです。MMOでは多くの場合、各職で役割が独立しており、互いにメンバーはフラットな関係です。高難度コンテンツでは作戦や出発日時を決めるだけのゆるい上下関係があるだけで、各職に対して強い指導力を持った人はいません。
ですから、参加者それぞれに規律と敬意が求められます。敬意というのは、敬語を使っていれば良いとか、丁寧に接すれば良いとかいうものではありません。相手を信頼してすべてをあずけることが最低限必要です。
要するに、時間を守らなかったり、予習をしていなかったり、必要なアイテムや装備を持っていなければ、それは参加者全員に対して敬意を欠いているし、規律も守っていないのです。
しかし、規律を守らなかった結果、ハートマン軍曹のように「連帯責任だ」といって腕立て伏せを強要したりする人はMMOには居ません。
どうなるかというと、パーティが崩壊してしまうのです。「急用があります」といってパーティを抜ける人も出てくるでしょう。皆が同じ水準の規律とコミットメントを持ち、チームに貢献することがパーティの崩壊を避ける唯一の道です。
#6 身の丈に合った遊び方をしよう
身の丈に合わない遊び方は身を滅ぼします。
MMO黎明期ではプレイ時間がものをいいましたが、これで健康を害した人を譲葉は何人か知っています。
学業や社会生活に支障を来した人も知っています。そういう人たちは身の丈に合わない遊び方をしただけで、大切なものをいくつか失ったのです。現代のMMOやソーシャルゲームでも同じような現象が起きています。
ゲーム内の人間関係も同じようなことが言えると思います。ゲームに対してどこまでストイックになれるか、ゲームのことにどれだけのめり込めるか――価値観が共有できない相手と遊び続けるのは神経を削り、精神的な疲れをもたらします。
ゲームに繋ぎたい気持ちが失せたり、誰かと遊ぶのが辛くなったりすることもあるでしょう。それは身の丈にあったゲームの遊び方をしていないのです。
自分の能力の中で許された範囲で遊び、ときどき負荷をかけて無理をしてもよい、というのが理想的な遊び方です。
いつも負荷がかかっていては、いずれ楽しめなくなってしまいます。
#7 さいごに
きょうはMMORPGの高難度コンテンツの構造について考えてきました。
次回は今回取り上げた「規律」について掘り下げていきたいと思います。
最後までごらんいただきありがとうございました