APEC (アジア太平洋経済協力、Asia Pacific Economic Cooperation)
この「政府間協議の枠組み」について、解説いたします
APEC(Asia-Pacific Economic Cooperation/アジア太平洋経済協力)とは、アジア太平洋の21か国による政府間協議の枠組みで、「開かれた地域主義」という理念から発足したものです。
〈目次〉
1. APECとは
(1)APECの意義
(2)APEC加盟国
(3)APECの理念「開かれた地域主義」
(4)APECの組織
2.日本が主導したAPEC設立の歴史
3.APECとFTAAP構想
■FTAAPとTPPの関係
4.まとめ
1.APECとは
APEC(アジア太平洋経済協力)とは、アジア太平洋の21か国による政府間協議の枠組みのことです。
(1)APECの意義
APECの目的は「経済協力」であり、具体的には以下の2つの活動を軸にしています。
①アジア太平洋の持続可能な成長と繁栄に向けて、貿易・投資の自由化と円滑化を通じた地域経済統合推進、質の高い成長の実現、経済・技術協力などの活動を行う。
②ビジネス界とも緊密に連携。APECビジネス諮問委員会(ABAC)が、ビジネス界が重視する課題を首脳に直接提言する。
つまり、経済面の交流を増大させることで、各国の成長につなげていくことが目指されているのです。
なぜ「アジア太平洋」という地域なのかと言うと、この地域が「世界の成長センター」であり世界人口の約4割、世界の貿易量の約5割、世界のGDPの約6割を占める地域だからです。
日本としては、この地域との経済的結びつきを高めることで、日本経済の成長につなげることができると考えらます。
(2)APEC加盟国
APECの参加国は「エコノミー」と言われ、アジア太平洋地域の21エコノミーが参加しています。参加エコノミーは以下の通り、徐々に増えてきた経緯があります。
発足時1989年:12エコノミー
日本、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、カナダ、インドネシア、ブルネイ、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、大韓民国
1991年:+3エコノミー
中華人民共和国、中華台北(中華民国/台湾)、香港(当時イギリス領)
1993年:+2エコノミー
メキシコ、パプアニューギニア
1994年:+1エコノミー
チリ
1998年:+3エコノミー
ロシア、ベトナム、ペルー
(3)APECの理念「開かれた地域主義」
APECは、実は日本政府の主導によって開催されたものです。
APECの大きな特徴は「開かれた地域主義(Open regionalism)」という理念です。
地域主義というのは、特定の地域に何らかの秩序を作り出す政治的な試みのことです。
しかし、地域主義的な秩序は域内で特別な協定を作り、域外に対して何らかの差別化をすることになってしまいます。
日本は、アジア太平洋地域において経済的な結びつきを強めたい一方で、地域主義的試みはアジアやアメリカらの国から反発を招く可能性がありました。
そこで、「開かれた地域主義」という理念を打ち出し、地域主義だが域外にも「開かれた」オープンな試みであることを主張しました。
また、アジアだけでなくアメリカも加え、日米関係やアジアに配慮ということをしたのです。
この経緯から、APECは今でもゆるやかな地域協力の枠組みであり、首脳会議も非公式のものとされています。また、台湾を国家として認めるのかどうかの政治的問題を回避するため、国家ではなく参加国は「エコノミー」と呼ばれます。
(4)APECの組織
APECは1989年に閣僚会議として開始し、1993年から首脳会議もはじまりました。そして、首脳会議をトップに、以下のような組織となっています。
首脳会議と閣僚会議(外務相、経済担当相が参加)が、年1回開催され、常設の事務局はシンガポールに置かれています。事務局長は、開催国から1年任期で選出されます。
2.日本が主導したAPEC設立の歴史
APEC開催までの経緯を解説いたします。要点をまとめると以下のようになります。
①60年代から永野重雄を中心とした、財界による経済外交が行われる
③70年代には大来を中心としたメンバーによる、アジア太平洋の協力の枠組みが蓄積
③70年代末からより公的な動きがはじまり、PCCやPECCという枠組みが開始される
④80年代、アメリカからの日米FTAの打診をきっかけに通産省がレポートを提出し、それを骨格にAPEC設立に向けて本格的に動き出す
⑤APEC設立に向けて、日本の通産官僚が各国を説得に回り、アジアや日米関係への配慮からアメリカもメンバーに加わる
⑥表向きはオーストラリア政府が発表し、APEC閣僚会議が開始(1989年)
結論から言うと「アジア太平洋の開かれた地域主義」というアイディアは、日本が戦後の禍根が残るアジアと、特別に重視された日米関係の両方に配慮したために作られたものと言えます。
日本がAPECを構想し実現へと動いた背景には、以下の理由が考えられます。
・日米貿易摩擦におけるアメリカからの圧力の回避するため。
・欧米の地域主義に対して、成長するアジア・太平洋にも地域秩序を形成する必要性があるため。
また、アメリカをメンバーに入れたことは、以下の理由が考えられます。
・日米FTAなどのアメリカの二国間主義を多国間の枠組み形成で対応するため。
・アジアでの実態上の統合がブロック形成でないことのアピールするため。
日本は、戦後のアジアにおける微妙な立場と日米関係重視という政治上の特性から、「地域主義だが閉じられていない」という「開かれた地域主義」を理念に掲げたのです。
3. APECとFTAAP構想
APECがゆるやかな地域協力の枠組みです。しかし、実は将来的にはより強い地域統合的なつながりに発展させられることが構想されています。
これを「FTAAP(エフタープ/Free Trade Area of the Asia-Pacific)」と言います。
FTAAPは、APEC21エコノミーでFTA(自由貿易協定)を締結し、自由な貿易・投資を実現する構想です。
■FTAAPとTPPの関係
こうして構想されたFTAAPですが、21エコノミーで一つのFTAを締結するのは壮大で困難が予想されます。
そこで、アメリカ政府はTPPの活用を検討し始めます。
TPP(Trans-Pacific Partnership Agreement/環太平洋パートナーシップ協定)とは、2010年から日本も参加した広域FTAで、現在はアメリカが離脱し11カ国で署名されています。
TPPは、もともと中小国の間で構想されていたものにアメリカが参加し、日本への参加を迫った枠組みです。
日本のTPP交渉参加の意思表明が行われた翌月の2010年11月8日、APEC高級実務者会合では、 「アジア太平洋における地域構想は、FTAAPが最終的なゴールであり、それを実現するためにTPP、ASEAN+3FTA(EAFTA)、ASEAN+6FTA(CEPEA)の3構想を土台にしていく方向」で各国が一致しました。
FTAAP構想の実現を最終ゴールとしつつ、現在はTPP(アメリカは離脱)、RCEP※の2つの大きなFTAが現在進められている状態です。
加えて、アメリカは日本に二国間の日米FTAを迫るなど、状況は複雑になっています。
※ RCEPとは、地域的な包括的経済連携協定のことで、その参加国には日本の主な貿易相手である中国や韓国も含まれています。この両国と日本は、個別に経済連携協定を結んでおらず、RCEPが初めて締結した協定となっています。なお、日本は、2022年に1月に参加することになりました。
4.まとめ
①APECとは1989年の閣僚会議から始まったアジア太平洋地域における経済協力の枠組みのことです。
②APECの開始にあたっては、日本の政府や財界の役割が大きかったと言えます。
③APECは、FTAAPという広域FTAをゴールにしています。
以上