いき(粋)
江戸時代の「江戸の美意識」
「いき(粋)とは、江戸時代に生まれた日本の美意識(美的観念)のひとつである。「いき」という言葉は江戸時代に江戸の深川で絶大な人気を誇った芸者集団である「辰巳芸者」を表現する為に使われ始めたと言われている。
「いき」とは身なりや振る舞いが洗練されていて、格好よいと感じられること、また、人情に通じていること、遊び方を知っていることなどの意味も含む。
深川は明暦ごろ、主に材木の流通を扱う商業港として栄え、大きな花街を有していた。商人同士の会合や接待の場に欠かせないのは芸者(男女を問わず)の存在であったために自然発生的にほかの土地から出奔した芸者が深川に居を構えた。
土地柄、辰巳芸者のお得意客の多くは人情に厚い粋な職人達で、その好みが辰巳芸者の身なりや考え方に反映されている。
薄化粧で身なりは地味な鼠色系統、冬でも足袋を履かず素足のまま、当時男のものだった羽織を引っ掛け座敷に上がり、男っぽい喋り方。
舞妓・芸妓が京の「華」として人気があった一方で、気風がよくて情に厚く、芸は売っても色は売らない心意気が自慢という辰巳芸者は粋の権化として江戸で非常に人気があったという。
「いき」は「粋」と表記されることが多いが、これは明治になってからのことで、上方の美意識である「粋(すい)」とは区別しなければならない。
「いき」は「意気」とも表記される。上方の「粋(すい)」が恋愛や装飾などにおいて突き詰めた末に結晶される文化様式(結果としての、心中や絢爛豪華な振袖の着物など)、字のごとく純粋の「粋(すい)」である。
これに対して、江戸における「いき」とは突き詰めない、上記で解説した異性間での緊張を常に緊張としておくために、突き放さず突き詰めず、常に距離を接近せしめることによって生まれるといわれる。
「いき」の原点は、江戸時代の江戸で町人の間で形成されたと考えられている。それゆえ「いき」の要諦には江戸の人々の道徳的理想が色濃く反映されている。
それは「いき」のうちの「意気地」に集約される。いわゆるやせ我慢と反骨精神にそれが表れている。そして、「宵越しの金を持たぬ」と言う気風と誇りが「いき」であるとされた。
「いき」には、単純美への志向など、わび・さびなどの日本の美的観念と共通部分もある。また、これまで海外ではわび・さび日本の美学の代表のように捉えられていることもあった。
だが、無常などの宗教観念と関連するわび・わは難解とされ、日本人でも説明するのは簡単ではない。また、現在の日本人の日常生活からは、わび・寂びはむしろ遠のきつつあるともいえる。
これに比較して、「いき」は「さっぱり」「すっきり」などという形容が当てはまるように、より親しみやすく、意味は拡大されているが、現在でも広く日常的に使われる。
以上