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上野公園/ 前方後円墳について
かつて上野公園は古墳だらけだった!?上野のお山に今も残る(東京都台東区)
【古墳プロフィール】
名 称:擂鉢山古墳
古墳の形:前方後円墳
時 代:5世紀頃
今回は、上野公園内の古墳をご紹介します。
かつてこの上野の山には、東京都文化会館敷地内の桜雲台古墳、上野動物園前の蛇塚古墳、東京国立博物館敷地内の表慶館古墳などの小型円墳が点在していました。
現在はすべて消失してしまっており、唯一現存するのが東京都文化会館裏の正岡子規記念球場横にある摺鉢山古墳です。
5世紀後半に築造された前方後円墳とされ、弥生式土器や埴輪の破片が出土しています。
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墳上へは階段がつけられ、脇に説明看板が立てられています。
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1984年に東京都教育委員会が測量調査を行っており、現存全長70m、後円部径43m、前方部最大幅23m、脇の道からの高さは5mと記録されています。
墳上は大きく削平されて広場になっており、緑の木陰で休憩する人の姿が見られます。
この墳上には、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征伐の際に薬祖神を祀ったのが始まりとされる五条天神社や、徳川家康のブレーンとして活躍した天海僧正が建立した清水観音堂が鎮座した歴史があります。
それゆえ江戸時代には古墳の形は大きく改変されたとみられています。
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後円部墳上の広場。前方部を西に向けた前方後円墳です。
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離れて古墳を遠望すると、面影を感じることができます。
古墳の存在は東京の考古学関係者には早いうちから知られていました。
発掘調査は行われていないので埋葬施設や被葬者は不明ですが、少し離れて見ると擂鉢を伏せたような古墳の形が確かめられます。
歴史や美術を愛する人々が行きかう様子をずっと見守っているかのような古墳です。
引用先: 「旅恋」webサイト
以上