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浴衣(ゆかた)の歴史



〈目次〉
1.起源
2.素材


1.起源
銭湯の普及と共に浴衣の起源は、平安時代の貴族が蒸し風呂に入る時、水蒸気でやけどをしないように着たことから始まります。

浴衣の語源は、「湯帷子(ゆかたびら)」と言われ、平安時代に入浴時に着られていた着衣でした。

その後、綿素材で汗を吸い風通しの良いことから湯上がりに着られる着衣となり、就寝時に寝間着として用いられるようになりました。

やがて、江戸時代の中期に入りいまのような着方に近いちょっとした外出着にも着られるようになります。


2.素材
平安時代は麻素材が主流でした。
湯上がり着や寝巻き着として着られるようになってからは、木綿が使われるようになり、当時は白地の木綿を藍で染め抜くものが原則でした。

当時、入浴とは言っても現在のように湯に浸かるのではなく、蒸気を浴びる蒸し風呂で複数の人と入浴することとなり、汗取りとやけど防止、裸を隠す目的で使用されたものとされています。

室町時代には手拭いならぬ「身拭(みぬぐい)」と言われていました。

安土桃山時代頃から湯上がりに着て肌の水分を吸い取らせる目的で広く用いられるようになり、これが江戸時代になり町人文化の発展に伴って、「浴衣(ゆかた)」に進化してきました。

通常の私服とは違い、長襦袢を着用せず、素肌の上に着る略装です。浴衣が庶民の間に広がったのは、江戸後期に風呂屋(銭湯)が普及したことによります。

江戸時代頃から風呂には裸で入るようになりました。浴衣も初めは湯上がりの汗を拭き取るため(現在のバスローブ)に風呂屋の二階などで着ていたものが、次第にそのまま着て外に出られるようになりました。

そして下着から外出着へとその用途を変えていきました。


江戸時代では、盆踊りや花見などに揃いの浴衣で出かけることが流行し、華やかな文禄が生まれました。

また歌舞伎役者が舞台で着た衣裳を庶民が真似るなどしたことで、浴衣文化が江戸に花開きました。

もう一つ江戸時代に浴衣が広まった要因として「天保の改革」が挙げられます。天保の改革で、町人は絹を着てはならないという掟が出されてからは、木綿の浴衣が益々発達しました。

浴衣が夏の普及着として全国に定着したのは明治時代に入ってからです。

それまでの木藍の手染めに変わって、大量生産が可能な「注染(ちゅうせん)」という染色方法が発明されました。

注染は本染めとも呼ばれており、微妙な色のにじみ具合や優しい濃淡など、手作業ならではの風合いが特徴です。

浴衣には暑い日本の夏を快適に過ごす工夫が凝らされています。

古典的な浴衣には紺地と白地が多く見られます。白地の浴衣は昼用で、家の中で着ると真夏でも涼しく過ごせますし、見ていても涼やかに感じられます。

紺地の浴衣は紺色に染めるために使われてる「藍」の香りを虫が嫌うことから、虫の多く出る夕方から夜にかけて着用するのが良いとされています。

浴衣には暑い夏を快適に過ごすための、日本人の生活の知恵が染め込んでいるのです。


参照元: 「日本ゆかた文化協会」Webサイト

以上

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