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『上野東照宮』/ 徳川家康をまつる江戸の東照宮について


上野東照宮は東京の上野公園内にある神社で、徳川家康をまつる「東照宮」の1つです。

出世、勝利、健康長寿に特にご利益があるとされており、境内には、金色殿とも呼ばれるきらびやかな社殿のほか、唐門、透塀、銅灯籠、大石鳥居といった国の重要文化財があります。



〈目次〉
1.上野東照宮の歴史
2.国の重要文化財
(1)社殿(金色殿)
(2)唐門
(3)透塀
(4)銅燈籠
(5)大石鳥居


1.上野東照宮の歴史
1625 年、徳川家康の遺言に従って天海僧正が東叡山寛永寺を創建しました。

その境内に 1627 年に創建された神社「東照社」が上野東照宮のはじまりです。

現在の社殿は、1651 年に三代将軍の徳川家光によって建て替えられたもので、日光東照宮まではお参りに行けない江戸の人々のために豪華な社殿を建てたと言われています。

上野東照宮は、寛永寺の建物の多くが焼失した上野戦争でも火の手が及ばず、関東大震災でも倒れず、第二次世界大戦中に社殿のすぐ裏に投下された爆弾も不発弾であったというように、なんとも強運に恵まれた神社です。

江戸初期に建立された社殿がこれだけの災害を免れて現在に至るのは、奇跡的であると言われています。

2.国の重要文化財
(1)社殿(金色殿)
金箔を贅沢に施した豪華絢爛な装飾に彩られた社殿は「金色殿」とも呼ばれてきます。

社殿の内部は、鷹や牡丹などの彫刻が施され、幕府御用絵師・狩野探幽による障壁画が当時のままの状態で保存されています。

ただ、社殿内部は、文化財保護のため、通常は非公開となっています。

社殿(金色殿)


(2)唐門

日本には一つしかない金箔の唐門です。扉には梅に亀甲の透彫、門柱には左甚五郎作昇竜降竜の高彫、門の側面左右上部の松竹梅に錦鶏鳥の透彫など、精巧を極めた造りになっています。

唐門


(3)透塀

透塀は、神聖な社殿を取り囲み、俗世から分離させています。また、透塀に囲まれた区画は周囲の地面よりわずかに高くなっており、神社が外界から離れていることを強調しています。

透塀


(4)銅燈籠

上野東照宮の落成に合わせて、各大名が寄進した石燈籠ではなく、格式の高い大名は、銅製の燈籠を作成し、寄進しました。

上野東照宮には、50基の銅燈籠があります。

銅灯籠


(5)大石鳥居

大石鳥居は、寛永10年(1633年)上州厩橋(現在の前橋)藩主で老中を勤めた酒井忠世が奉納したものです。

石鳥居のの左の柱に寛永10年 酉四月十七日 厩橋侍従酒井雅楽頭源朝臣忠世」と刻まれています。  

この鳥居の様式を明神型鳥居といいます。

大石鳥居



参照元: 「Hotels.com」ホームページ

以上

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