島根県 海士町(あまちょう)/ 地域で取り組むまちづくり
〈目次〉
1.島根県 海士町の特徴
2.行政は住民総合株式会社
3.若者がやってくる島
1.島根県 海士町の特徴
島根県の沖合に隠岐諸島という4つの島があり、この中のひとつ中ノ島に海士町は位置しています。
ここ海士町は、現在、まちづくりに関して注目されている地域のひとつでもあります。
現在、人口は2,300人足らずで小さな町ですが、それにもかかわらず、毎年多くの自治体関係者が視察に訪れていています。
海士町は離島であり、典型的な条件不利地域です。この町にはコンビニエンスストアもなければショッピングモールもありません。しかも、本土までは船で3時間近くかかります。
島に入ると、まず目につくのが「ないものはない」というフレーズが書かれたポスターです。
このフレーズには、①無くてもよい、②大事なものはすべてここにある、という二重の意味が込められています。
都会の便利さや娯楽がなくともこの町は充分に満たされているのだという町の誇りが感じられます。
実は町の人口のおよそ1割が、町外からやってきた方々で構成されていて、中には大企業に勤めていた方もいます。この町に魅力を感じて、移住してきたのです。
2.行政は住民総合株式会社
海士町のまちづくりにおける立役者の一人は、2002年にこの町の町長となった山内道雄さんでした。
2003年には当時の小泉内閣が三位一体の改革※を推進したことで、全国の自治体は厳しい財政難に悩まされました。
※三位一体の改革とは、「地方にできることは地方に」という理念の下、国の関与を縮小し、地方の権限・責任を拡大して、地方分権を一層推進することを目指し、国庫補助負担金改革、税源移譲、地方交付税の見直しの3つを一体として行った改革のこと。
この時に山内さんがとった対応は、徹底的な支出の見直しでした。
町長自ら給与を50%カットして身を切ると、続いて町議、教育委員、職員の給与も次々にカットしていき、当時において「日本一給料の安い自治体」となりました。
しかし、こうした受け身の対応では、すぐに限界が来ました。もともとが放漫財政であったわけでもなく、使うお金を減らすだけの戦略では町を立て直せなかったのです。
そこで次に山内さんが目指したのは、「町を丸ごとブランド化」することでしたり
まず取り組んだのが、「海産物のブランド化」でした。
町がお金を出し第三セクター「ふるさと海士」を立ち上げ、異例の5億円もの費用をかけてCASシステムという、当時最先端の冷凍保存技術を導入しました。
山内さんは背水の陣でこの取り組みを推し進めました。
結果として、新鮮な産地直送の魚介は都市部や海外で人気を博し、特産の白いかやブランド岩がき「春香」などの販売によって、数年後には黒字化に成功したのです。
行政に続いて、民間の事業者も町のブランド化を後押ししていきました。
次に町で行われたのは、「隠岐牛」のブランド化です。
町で建設業を営んでいた男性が、2004年に政府の構造改革特区制度を利用し、有限会社「隠岐潮風ファーム」を立ち上げ畜産業に挑戦しました。
この試みも、やがて実を結びました。急峻な崖地で放牧され、ミネラル分を多く含んだ草を食べて育つ隠岐牛は、松坂牛に匹敵するといわれるほどの高い評価を受けました。
山内さんの持論は、「行政は住民総合サービス株式会社」。
町長は社長、副町長は専務、管理職は取締役、職員は社員で、税金を納める住民は株主。それと同時にサービスを受ける顧客でもあるといいます。
そして、はじめにまず職員の意識が変われば、行政全体の雰囲気も変わり、そして行政が変われば住民の意識も変わる、という発想です。
町政座談会へ行くと、以前は「○○を作ってほしい」という要望ばかりであったのが、近年は意識が変わってきたと言われています。
3.若者がやってくる島
海士町の取り組みは、上で述べたようなビジネスだけに限った話ではありません。
近年、特に注目されているのが、島へ移住してくる多くのIターン、Uターンの方々の存在です。
山内さんは、「島が生き残るとは、この島で人々が生活し続けること」だとして、持続可能な島の生活を目指すために広く島外との交流プロジェクトを積み重ねていきました。
その目玉の1つが、「島留学制度」です。
2008年当時、少子高齢化のあおりを受けて、島前地区で唯一の高校は統廃合の危機にさらされていました。
この危機をなんとかすべく立ち上がったのが、「島前高校魅力化プロジェクト」です。
特別進学コースや地域創造コースを新設し、さらに島外からの留学生に食費や旅費の補助を行うこの取り組みはたちまち評判を呼び、2012年には入学者の約半数が島外からの留学生で占められ、全国的にも異例の学級増となりました。
島外からの訪問者は子供たちだけではありません。大人も海士町に集まってきます。
20代から40代の働き盛りの若者が島に移住してきています。
町は、Iターン者のチャレンジに対して支援する姿勢を見せています。
島の豊かさと、人の温かさ、そしてチャレンジしがいのある環境、こうしたことが若者たちを惹きつけていると思われます。
参照元: 「九州大学附属図書館」Webサイト
以上