醤油の歴史
江戸の町から現在の醤油が広がった
日本の料理には欠かせない醤油。
この醤油はどのように生まれ、日本全国に広まっていったのだろうか?
1.醤(ひしお)
しょうゆの前身とされる「醤(ひしお)」という発酵調味料があった。中国かは飛鳥時代に日本に醤が伝わったとされている。
醤は大きく四つに分類される。魚や肉を塩漬けにした「魚醤」や「肉醤」。野菜を塩漬けした「草醤」。そして穀物を塩漬けしたものが「穀醤」で、醤油や味噌の原型といわれている。
2.室町時代に「醤油」が生まれた
室町時代のさまざまな文書に、醤油に似た調味料の言葉が記されている。垂れみそ、薄垂れなど、製法を表すと思われる言葉から、「漿醤(シヤウユ)」、「漿油」、「シヤウユウ」など、状態を表す言葉まで、さまざまである。
そして、『多聞院日記』という文書(年代 : 1568(永禄11)年)に「醤油」という語が初めて記述されている。これらのことから室町時代に醤油が生まれたと言えるだろう。
3.上方醤油の発達
室町時代後期以降、近畿地方に醤油の産地が形成された。堺、湯浅、龍野などの産地は、江戸時代中期に醤油の量産化がすすんだ。産地がいわゆる上方であったことから、これらの醤油は上方醤油と言われた。
4.江戸時代初期
1603(慶長8)年、幕府が江戸に開かれると、経済や文化も江戸を中心に発展するようになった。江戸初期には生活用品の多くは上方のものが使われていた。醤油も上方から大量のしょうゆが江戸に送られていた記録が残っている。
江戸の町が整備されるとともに関東でさまざまな産業が発展し、上方からの輸送に依存しないようになっていった。
関東における醤油の生産の中心として発展したのが、下総国の野田と銚子だった。醤油づくりに適した気候、江戸川・利根川を利用した水運、また周辺に原料となる大豆・小麦を産する平野がひらけていたことで、醤油の一大産地となった。
5.江戸時代中期
江戸時代中期(1700年代)以降、下総国の野田や銚子などで発展した醤油作り。その味は江戸の人々の嗜好に合わせて作られた。
江戸の町は、各地から集められた職人、参勤交代で地方から参上した家来衆など、男性の人口比率が高い社会だった。そこで発達してきたのが小料理屋や屋台、現代の居酒屋的なそば屋などだった。
労働で汗を流した人々は塩味が効いて濃い味つけのものを好んだことから、濃厚で切れの良い関東風の濃口の醤油が好まれるようになった。
6.江戸時代の後期 日本全国へ広がった
江戸時代後期(1800年代)以降、次第に上方醤油はほとんど使われなくなり、江戸の醤油はほとんどが関東で作られたものになった。
関東の醤油の評価は高まり、日本全国に広がっていった。現在の醤油は江戸の町で作られた醤油がベースとなっている。