東京湾の埋立地の拡大について
東京湾付近は埋立地が多いです。
いつから埋め立てが始まり、拡大していったのしょうか?気になったので少し調べてみました。
なんと驚いたことに、江戸幕府の成立あたりから、東京湾の埋め立ては始まったことがわかりました。
〈目次〉
1.東京の湾岸の埋め立てにより市街地が形成
2.埋め立ての拡大と問題の発生
1.東京の湾岸の埋め立てにより市街地が形成
東京の湾岸は、江戸時代からの広範な埋め立てによって市街地が形づくられていきました。
東京湾は、江戸時代から沿岸部の埋め立てが盛んに行われるようになりました。
徳川家康が江戸城に入ったとき、すぐ目の前に、日比谷の入り江があったそうです。
江戸幕府の成立し、急増する武家や町民の居住地となる土地を確保することが急務となりました。
まず、日比谷の入り江を埋め立て、そして隅田川の東側が広範囲に埋め立てられてました。
やがて、江戸のゴミの捨て場が江東地区の低湿地に定められ、埋立地が拡大していきました。
第二次世界大戦後は、物流機能の拡張のため、豊洲、品川、大井などの埠頭、羽田などが造られ、廃棄物処理のための埋め立ても、江東区を中心に行われていくことになりました。
2.埋め立ての拡大と問題の発生
昭和時代の高度成長期には、品川埠頭、辰巳、有明、台場、大井埠頭、青海埠頭などが造られ、埋め立てが拡大していきました。
一方、ゴミ処理場としての埋め立てには、さまざまな問題が発生しました。
その中でも昭和40(1965)年には、「夢の島」にハエが大量発生し、大きな事件となりました。
1998年には、東京都23区最後のごみ処分場として「新海面処分場」の埋め立てが始まりました。東京港の埋め立ては、この「新海面処分場」が最後となる予定です。
以上