心の傷を癒す〜ゴミの埋立地での気づき
心の傷
いくつもある
向かい合う勇気がなくて
ずっと見て見ぬふりをしてきた
先日
その傷の痛みを
娘を通して感じる
ここ数日
なんとなくイライラ気味
満月かなぁ
そんな時に
娘のひと言にカチン
しかし
我慢して
深呼吸して
言いたいことを飲み込んだ
言い争いなく
その場は乗り切る
しかし
やはり我慢してしまっているものは
消化されずに残った感
そして今朝
また同じ話題になり
大人気ない私は
我慢していたものを
吐き出してしまった
あー深呼吸してない。。。
嫌味を
言ってしまったぁぁぁ
そして
泣きながら訴える娘
「ちっちゃい時に
ママにバカだって言われて傷ついた
私はバカだから
ホームランが打てないの」
ソフトボールを3年ほどやっている
打席に立つとビビってしまうのか
打てない
バットを振れない時もある
娘の言葉がグサッと胸をさした
コロナ以前の荒れていた時に
子供たちにバカって言っていた
何度も何度も言ってしまった
まさに
自分の言うこと
やることが
全て自分に返ってくるとは
こういうことだ
私も「バカ娘」とか「あほ」とか
父に言われて傷ついていた
それなのに同じことを言っていた
Hurt people hurt people
テレビでもよく耳にしていた「あほ」や「ばか」
昔好きだったお笑い番組でも連発されてたよなぁ
聞き流しているようで
潜在意識に刻まれている
そして
無意識のうちに使ってしまう
口癖になってしまっていた
「ごめんね」
素直に謝った
しかし
謝ることで娘がすっきりするのか?
聞いたら
「No 」
だよなぁ
謝っても心の傷は癒えない
ごめんで済むなら警察はいらないよね
じゃあ何ができるのか?
お友達が迎えにきて
話が途中のまま娘は学校へ
いつものボタニックガーデンに出かけた
チューリップに癒される
ガーデンで働いているおじさんも
チューリップの写真を撮っていた
そのおじさんとしばらく話す
「この土地はもともと鉱山で、
のちにゴミの埋立地になり
その上にこのボタニックガーデンは作られたんだよ
だからでこぼこしてるでしょ」
エントランスのでこぼこは
ジェットコースター並み
60年前は
ゴミの埋立地だったこの土地に
ボタニックガーデンを作ろうという
すごいアイデアにも
実行してくれた人たちにも
感謝
歴史を知ることで
ますます
愛おしく感じられた
また今朝の娘とのやりとりが頭をよぎる
過去に起きた出来事は
変えられない
でも
今は変えることができる
今を変えれば
未来が変わり
きっと
過去に起きた出来事から
感じるもの
学ぶものは
変えられる
私が言ってしまった言葉は
決して消すことはできない
娘の心に残るだろう
今の私にできることは
ひたすら謝ることではない
もう2度と同じ過ちをおかさない
自分が聞いて気分が良くない言葉は
自分にも他人にも使わない
そして
娘と一緒に
乗り越えていく
認めること
寄り添うことで
心の傷を癒していく
昔の私のように
傷ついた心のまま
被害者のまま
人のせいにしたり
どーせバカだからと
開き直り
諦めて生きていくのか
それとも
自分はバカじゃない
他人に言われたことではなく
自分を信じて
前に進むのか
選択肢は私たちにある
今の私は後者を選ぶ
娘はどうだろう
ガーデンをお散歩していて
いいアイデアが浮かぶ
「ビジョンボード」
今週ずっとビジョンボードを作っていた
今受講しているチャクラワークの課題
「7maps ディセンディングチャクラワーク」
完成したビジョンボードを
毎日ワクワクしながら眺めて
アファメーションを唱えている
至福のひととき
早速コルクボードを買いに行って
写真を一枚だけプリントして
切りぬいて貼った
作業してる時からワクワク〜
できた!
娘がホームランを打つ姿を想像した
あとのスペースは娘の夢で埋めてほしい
どんな写真や言葉で埋め尽くすのか
あーーー楽しみ
夢ややりたいことを聞いても
「特にない」
食べたいものを聞いても
「何でもいい」
夢を描くこと
自分が何を求めてるのかを知ることって
意外と簡単ではない
練習が必要
夢を描く練習を楽しんでもらいたい
普段は歩いて学校から帰宅する娘
今日は放課後に
学校のソフトボールクラブに入るためのトライアウトがあり
そのあと別のソフトボールチームの練習があるので
学校までお迎えに行く
まだトライアウトの最中だった
娘がヘルメットをかぶり
打席に立つ
一球目と二球目
ゴロ
三球目
打った!
センターフィールドまで飛んだ!!
私の中ではホームラン
娘よ
すごいぞ!
ビジョンボードも
すごいぞ!!
「ママに言われたことを
吹っ切ったら打てた!」
涙が出そうだった
癒しは始まっている
自分を信じてくれてありがとう
正直な気持ちを話してくれてありがとう
私も娘を信じる
そして
自分を信じる
私の過去
ゴミの埋立地のように
ぐちゃぐちゃで
必死で臭いものに蓋をしようとしていた
鬱でアル中で荒れていた時のことを
なかったことにすることはできない
いや
したくない
それが私自身が描いてきた
人生の青写真だから
そして
今までの過去の全ての出来事が
今の私の土台になっている
緩い土台だから
でこぼこだけど
それはそれであり
そこに何を想像して
創造していこう
無限大の可能性
もうひとつ驚いたゴミのつながり
Kiaのヨガトレーニングの課題
「90日間Sadhana」に選んだ
クンダリーニ瞑想
「Sodarshan Chakra Kriya」
一年ぶりにするKriya
やり方を再確認しようと
マニュアルを開けた
「The tragedy of life is
when the subconscious releases garbage
into the conscious mind」
ここでも出てきたゴミ!!
選ぶべきして選んだ瞑想な気がした
このKriyaで
潜在意識にたまっている
「ばか」などのゴミを
掃除していきたい
スプリングクリーニングだね
生ゴミも堆肥に変わる
自然の偉大なる力
誰かのゴミが誰かの宝物に変わる
同じものでも見る人によって変わる
90日後に
自分の中の「ゴミ」を
どう変えているんだろう
どういうふうに見ているんだろう
楽しみ〜
今日も
自然からの
ゴミの埋立地から
生まれてきた
愛おしいガーデンからの
大切な気づきに
感謝
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