見出し画像

神社清掃を通して思うこと:ボランティア精神ゼロだった私がなぜやっているのか

こんにちは~^^
EY mental Lab心理カウンセラーの広石です^^

EY mental Labでは神社清掃活動をしています。

その活動はいわゆるボランティアに値するのですが
今まで生産的な活動ばかりに重きを置いていたサラリーマンの私が
この活動を通して感じたことについて書いてみたいと思います。

「ボランティア」は英語で
「Voluntary」=自発的な
「Volunteer」=(自発的に集まった)有志
という意味合いがあります。

サラリーマンでがつがつ仕事をしたり
プロジェクトにがつがつ関わったりしながら
そういうボランティア活動には過去興味を持てなかった私。
ボランティア活動にはまったく自発的に関わろうとしなかった私。

そういう自分に嫌悪感を感じている部分もありながら
実際は、自発的にボランティア活動に申し込む
ということは出来ませんでした。
そしてさらに、自分の薄っぺらさや、慈悲の感覚や、貢献したい思いがない自分にどんどん嫌気がさして、さらに仕事を頑張る始末。
(エセ・自発で頑張ってたと今振り返ると思います)

そんな、人格のレベルでポンコツ極まりない私が
今、ボランティアに興味を持っているのは
「非認知能力」にアプローチした結果なんだと思います。


「ボランティアはするべき」 
「ボランティアを通して貢献をすべき」
というべき論、白黒思考を無意識的にもっていたことへの気づき。

そして、それを「別にボランティアはやってもいいしやらなくてもいい」
という自己受容にアプローチをしたこと。
(本当にどっちでも良いものですし)

「生産的であるべき」
というべき論、白黒思考を無意識的にもっていた事への気づき。

そして、「生産的でなくてもいい」という自己受容にアプローチして
かつ「非生産的でないこと」を通して感じる
ただ、「たのしい」
ただ、「気持ちいい」
ただ、「落ち着く」
というような感覚があることに気付いていったこと。
(生産的であることだけが人間の喜び・幸せだとしたら
  大昔の人はみんな喜んでないし、不幸せになってしまいますもんね)


まとめると
ボランティア的な活動に興味を持てるようになったのは
自分の人間的な感覚や、自分を縛り付けているべき論という思考のクセなど
その他多数の
「非認知能力」に目を向けて
実践や
習慣化をしていったら

その活動を通して得られる
言語化の難しい感覚を手に入れることが出来た。
私にとっては、それがボランティア活動でした。

疲れたら、休み休みやりましょう。
サラリーマンの方々は平日働きすぎていますしね。
私も疲れたら手を止めておしゃべりするし
ベンチに座ってぼーっとすることもあります。

気持ちの良い自然の中で過ごしたい方。
神社清掃をしている場所は

@瀬田玉川神社(東京都世田谷区)

とても、手の行き届いた
気持ちの良い場所です。
お待ちしています。

帰りに二子玉川・用賀周辺のぶらぶらと街歩きもできます。

みなさまのご参加お待ちしております。
お申し込みはこちらから↓
https://forms.gle/XKDNV4CTfdJg1828A


近くの桜新町駅はサザエさんゆかりの地

いいなと思ったら応援しよう!