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神社清掃を通して思うこと:ボランティア精神ゼロだった私がなぜやっているのか
こんにちは~^^
EY mental Lab心理カウンセラーの広石です^^
EY mental Labでは神社清掃活動をしています。
その活動はいわゆるボランティアに値するのですが
今まで生産的な活動ばかりに重きを置いていたサラリーマンの私が
この活動を通して感じたことについて書いてみたいと思います。
「ボランティア」は英語で
「Voluntary」=自発的な
「Volunteer」=(自発的に集まった)有志
という意味合いがあります。
サラリーマンでがつがつ仕事をしたり
プロジェクトにがつがつ関わったりしながら
そういうボランティア活動には過去興味を持てなかった私。
ボランティア活動にはまったく自発的に関わろうとしなかった私。
そういう自分に嫌悪感を感じている部分もありながら
実際は、自発的にボランティア活動に申し込む
ということは出来ませんでした。
そしてさらに、自分の薄っぺらさや、慈悲の感覚や、貢献したい思いがない自分にどんどん嫌気がさして、さらに仕事を頑張る始末。
(エセ・自発で頑張ってたと今振り返ると思います)
そんな、人格のレベルでポンコツ極まりない私が
今、ボランティアに興味を持っているのは
「非認知能力」にアプローチした結果なんだと思います。
「ボランティアはするべき」
「ボランティアを通して貢献をすべき」
というべき論、白黒思考を無意識的にもっていたことへの気づき。
そして、それを「別にボランティアはやってもいいしやらなくてもいい」
という自己受容にアプローチをしたこと。
(本当にどっちでも良いものですし)
「生産的であるべき」
というべき論、白黒思考を無意識的にもっていた事への気づき。
そして、「生産的でなくてもいい」という自己受容にアプローチして
かつ「非生産的でないこと」を通して感じる
ただ、「たのしい」
ただ、「気持ちいい」
ただ、「落ち着く」
というような感覚があることに気付いていったこと。
(生産的であることだけが人間の喜び・幸せだとしたら
大昔の人はみんな喜んでないし、不幸せになってしまいますもんね)
![](https://assets.st-note.com/img/1730709128-uByL3tdk9TPKCQ8DJaV6GjvS.png?width=1200)
まとめると
ボランティア的な活動に興味を持てるようになったのは
自分の人間的な感覚や、自分を縛り付けているべき論という思考のクセなど
その他多数の
「非認知能力」に目を向けて
実践や
習慣化をしていったら
その活動を通して得られる
言語化の難しい感覚を手に入れることが出来た。
私にとっては、それがボランティア活動でした。
疲れたら、休み休みやりましょう。
サラリーマンの方々は平日働きすぎていますしね。
私も疲れたら手を止めておしゃべりするし
ベンチに座ってぼーっとすることもあります。
気持ちの良い自然の中で過ごしたい方。
神社清掃をしている場所は
@瀬田玉川神社(東京都世田谷区)
とても、手の行き届いた
気持ちの良い場所です。
お待ちしています。
帰りに二子玉川・用賀周辺のぶらぶらと街歩きもできます。
みなさまのご参加お待ちしております。
お申し込みはこちらから↓
https://forms.gle/XKDNV4CTfdJg1828A
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