大岡信を読む(3):「わたしは月にはいかないだろう」
わたしは月にはいかないだろう
わたしは月にはいかないだろう
わたしは領土をもたないだろう
わたしは唄をもつだろう
飛び魚になり
あのひとを追いかけるだろう
わたしは炎と洪水になり
わたしの四季を作るだろう
わたしはわたしを脱ぎ捨てるだろう
血と汗のめぐる地球の岸に――
わたしは月にはいかないだろう
素朴な詩だ。こういう作品を「批評」するなんて野暮というもの。自分勝手に節でもつけて、なんども繰り返し口ずさんでいたい。シャンソンにしたら似合うだろうなあ。
この詩が収められている詩集『透視図法―夏のための』が出版されたのは1972年、アポロ11号に乗って人類が初めて月の上に立ったのは1969年のことだ。きっと月面着陸のニュースに触発されて書いたのだろう。大岡さんはまだ40歳になるかならないかの頃だ。
大岡さんは、本当に自分が月にいかないと確信してこの詩を書いたのだろうか。あの頃はまだ時代がどんどん進んでいるという感覚が溢れていた。むしろ1972年を最後に月面着陸が途絶えるなどという事態を予想していた人のほうが少ないはず。当時40歳であれば、生きているうちに詩人も月旅行をして、月面に座を囲んで連詩を巻くなんてことも、あながち夢物語ではないではないか。
頭の片隅でちらっとそんな光景を思い浮かべながらも、あえて「詩人のふりをして」(谷川俊太郎「鳥羽」よりお借りしました)「わたしは月にはいかないだろう」と呟いてみた大岡さんを想像してみる。彼は「飛び魚になり/あのひとを追いかける」というロマンティストでありながら、現実に対しても人一倍興味津々の人だったと思うから。
それにしても――、あの頃はまだこんな素朴な歌い方が許される時代だったのか。「炎と洪水」、「血と汗のめぐる地球の岸」という言葉がやけに眩しく見えるのは、今ではそれらがもう記号でしかないからか。詩人が「領土」を所有せず、「唄」だけを持って生きているという現実は、今も当時も変わらないのだけれど。
この詩が書かれた頃、僕は10歳くらいだった。「調布 V」に登場するAkkunこと大岡玲氏もほぼ同い年で、まだ「徴兵の齢」になるには何年もあったのだ。この詩の言葉の眩しさに、あの頃の自分の無垢が重なる。
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