詩(と諸芸術)の雑誌「みらいらん」創刊!
昨年11月日本に帰る前日、野村喜和夫さんから連絡があった。氏の主宰するエルスール記念館でイベントがあるので、ぜひ立ち寄ってとのお誘い。羽田には当日の昼前に到着する予定。イベントは午後三時から始まるとのことなので、空港から直行すれば間に会うかも。
三時を少し回って会場にたどり着いたら、ちょうど野村さんが作曲家の篠田昌伸さんと対談されているところだった。篠田さんは僕の「言語ジャック」に曲をつけてくださった奇特な方。野村さんの詩も合唱曲に仕立て上げ、その初演を目前に控えたイベントというわけだった。
時差ぼけと途中でひっかけてきた日本酒の勢いもあって、僕は誘われるままにお話に加わり、勝手なことをべらべらと喋り捲った。初対面の篠田さんに向かって、どうして合唱曲の歌い手たちはみんな真面目な優等生ぶった歌い方をするのか、現代詩のテキスト自体が変態的な言葉なのだから、もっと自由奔放にやればいいのになどと、あとから思えば作曲家にとってはお門違いの文句をつけたり。
話がひとしきり終わったあとで、傍らでその様子をじっと見守っていた人がこっちを向いて、「始めまして。『洪水』の池田康です」。「ああ、池田さん!」初対面だったが、雑誌「洪水」には詩を寄せたことがある。その節はどうも、と言うと「いや実は、あの雑誌はもう終わることにしたんです」とおっしゃるではないか。
「そのかわり新しい雑誌を始めます。今日の対談はその創刊号に載せる予定なんです」
思わずのけ反った。不躾な真似をさらした上に、それが活字に残るだなんて。しかもそんな晴れの舞台に使われるとは。野村さんも人が悪いなあ。一言教えてくれてたら、もう少し猫をかぶったのに。そういうと、「いやいや、サプライズだったんですよ」とニヤニヤ。
そのあとドイツに戻って年末年始をまた日本で過ごして、こっちへ帰ってきたら、届いていた。池田さんがおっしゃっていた新しい雑誌。その名も
みらいらん
あの日の野村さんと篠田さんとの対話が巻頭を飾っている。えらそうにふんぞり返ってる僕の写真まで載っている。穴があったら入りたい。でも雑誌は「洪水」同様読み応えがある。新年早々、同じ「エル・スール」で開いた朗読会で知り合った江田浩司さんが、熱の入った詩集評を寄せている。「びーぐる」仲間の高階杞一さんは詩を書いている。どの詩にも作者の言葉が添えられていて、これはいいなあ、「びーぐる」でもやったらどうだろう。
巻末の言葉に「『みらいらん』は詩を中心に、諸芸術すなわち文学の他のサブジャンル、美術や音楽、映画や演劇などに視野を広げ、その創造の過程にひそむ重要なテーマを考えてゆく方針です」とある。
雑誌の名前は、「未来卵であり、未来への乱でもあり、まあこれはRUNだろうという取り方もあり得ましょう」とあるが、表紙には 「MI・LYRE・N」とも書かれてあって、どことなくアイルランドあたりの言葉のようだ。
新しい門出を祝し、実りある旅をお祈りします。