美しさの基準
私は男性で、まぁ女装嗜好もないのでメイクもしませんし、鏡を見て「あーシミがある」と思いつつ若く見せようとはあまり思いません。
男女問わず若い人たちの肌を見て「いいなぁ、自分もこういう頃に戻りたい」と思うことはありますが。
プラセンタ、プラセンタの毎日
私が以前見ていた衛星放送のあるチャンネルで、日中ひたすら流れていたCMが「プラセンタ」を使った肌を美しく保つための商品でした。
よくあるパターンで使用した人たちの、その効果を称賛する声も流れていたと記憶しています。
最初は気にならなかったのですが、その商品を使用している人たちが50代くらいの女性ばかり。
そのうち60代の女性まで現れ...
ダイエットでプロポーションを取り戻すなんてCMもあって、コンテストで優勝した女性は涙までながしてたり。それも確か中年の女性。
このCMが放映されていた時間帯を考えれば、中高年の女性が対象となるのもうなずけはします。
とは言え、こういうCMが延々と流される背景にはいつまでも若くありたい、美しくありたい、という女性の強いニーズがあるのでしょう。
で、プラセンタって何?
美容に関わる製品にはどんなものが使われているのかよく知りませんが、このプラセンタって哺乳類の胎盤です。
たぶんおそらく食用の豚の死体などから特に用途のない胎盤を集めているのでしょう。
最初の頃は「ふーん、豚の胎盤か」と思ってCMを見ていたのですが、なんか商品が出来上がるまでのプロセスを想像すると、複雑な気分になってきました。
そうまでして、若さを保ちたいか?みたいな。
すさまじい美への執念といったものすら感じます。
「モンスター」という小説
美容、といっても美容整形に関わることでとても勉強になったのがある小説です。知人から勧められ読んだ「モンスター」という小説がそれ。
ある女性が美容整形によって見違えるような美女になり、整形前に自分をあざ笑った男性に復讐するという内容でした。
その小説では主人公の女性と美容整形を施す医師との会話で、医師は美しく見える顔の基準のようなものに触れていました。美しい女性の顔立ちには、傾向がるようです。簡単に言えば鼻が高いとか、目が大きいとかになるのですが、小説の中では詳細に語られていました。
しかし、私たちがこの世に生を受けた時、そんな基準は持ち合わせていないはずなのに、どこで身に着けていくんでしょうかね?
肌は白い方が美しい。
鼻筋は通っている方が美しい。
目は二重のほうが美しい。
どう考えても、西洋偏向の価値観なのですが。
「美白クリーム」の改名
ここで、話がちょっと変わるのですが、ある有名な企業がインドで販売している美白クリームの名称を変更するそうです。”Fair and lovely"という商品名で”Fair"は色白を意味します。
つまり”白い肌は美しい””白くない女性の肌は劣ったもの”となりかねないということで問題視されているそうです。そしてこの有名な企業がヨーロッパ系であることが、問題を大きくしている一因でもあると。
やっぱり西洋発祥の基準です。間違いなく。
先ほどの「モンスター」という小説で知ったのですが、美容関連の用語で「ハリウッドライン」という言葉があります。鼻の先端とあごの先端を結んだラインに唇が付かない横顔の事です。
綺麗な女優さんや、モデルさんによくあるパターンですね。
この言葉から察するに、ハリウッド映画が普及するにしたがって、白人主体の美しさがとめどなく世界に広がっていったとも思えます。
モニカ・ベルッチばかりじゃない
ただ、例えばヨーロッパに行って、美人ばかりかといえばそうではありません。確かに白人が多いでしょうから、肌の色が白い人は圧倒的に多いとは思います。
ただ、例えば顔立ちにおいて、イタリアに行ったからってモニカ・ベルッチのような女性ばかりかというとそういうわけでももちろんありません。
いったい私たちの持っているこの美の基準っていうのはどんな経緯でできあがっていったものなんでしょうね?
モニカ・ベルッチがローマ時代にもイタリアの宝石たりえたかどうか、といえば、なんだか確信がもてなかったり。
もう少し勉強します、はい。