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細かい人と流して欲しい人

流してほしい人というのが重宝される傾向にあると私は思っている。

私は、なんでも、しっかり理解したいと思っている。

なんでも

とは言ったけど別に

フランス料理のコース説明で、

「すいません、その原産国は最近大統領が変わった国ですか?」

などど、無意味極まりない質問を場も考えずにしたりしません。

または、服を買いに行き、

「これお似合いですね」

と言われ

「どうお似合いなんですか?400字以内で答えよ」

などと言ったりしません。

そうではなく、保険の説明を受けた際

「以上となりますが何か質問はありますか?」と聞かれ

「先ほどの説明では●●とおっしゃっていたように思うのですが、それをやっても僕にあまり得があるようには思えないのです。しかし、すごく得になるようにおっしゃっていたので、いったいどこが得なのか、短く教えてほしい」

といったようなことはしょっちゅう聞きます。

もちろん、得、損の話でいうと、しっかり自分の頭の中の「常識」「事前知識」、そして「思い込み」に照らし、わかる場合もありますので、その時は不安なら

「●●ということでよろしいですね?」と念押しで確認はします。

コロナのときのホテル代安くなるよ的な話のときは、ホテルでそういう簡単な説明を受けた際、

「結局は僕は何の手続きをするんですか?」と聞いたら、ホテル側が

「・・・・・、そう、ですね・・・」となったこともある。

まあホテル側もしっかり理解していなかったのかもしれない。

それはわかる、いきなりの制度だったし。そのときは調べることにした。

医者なんか行っても結構聞きます。医者の口から聞きたいというのもあるしね。

と、知っておきたいこと、知っておかなければならないと思われることについては、しっかり理解するようにしている。

すると説明の上手な人というのはどういう人かというのがだんだんわかるようになってきた。

それは、

説明が上手な人は、

こちらがどの程度知識があるのかを最初の数分で把握しているように思う。

結局理解というのは、その人の頭の中の接続の問題だから、知識や前提があればあるほど、

使いやすい知識が頭の中の接続しやすい位置にあればあるほど

早く

「なるほど」

となるのだと思っている。これが説明している段階ですぐ見抜けるとすごく伝わるのだが、説明する側が自分の知識量を前提にしたり、語彙量が少なかったりすると、聞く方は結構骨の折れることが多いではないかなと個人的に思っている。

この辺りの話は、「伝わることと伝えられない理由」というタイトルでまた後日お出しします。

さて話を戻しますと

こういう風に私は思っているのだが、世の中この話をすると

「めんどくさい客」とレッテルを貼ってくる人が結構いる

なので、あまりこういう考え方をしていると言わないようにしているのだが、

「流せばいいのに」と言われるとなんだが、がっかりしてしまう。

「知りたいことを知りたいというと、大人にめんどくさいと思われた子供の頃を思い出すぜ」

流した方がいいのかね。



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