一度諦めた人生を、変えてくれたのは1通のDMだった。
社会人まで残すところ、あと2日となりました。
今回は社会人になる前に、これまでの22年間の自分の過去や、現在の思考をnoteに書き留めておこうと思います。
あまり自己紹介や自己開示が得意ではないので、公開するのをためらいましたが、自分のことを知らない人に少しでも届いてくれると嬉しいです。
僕には一度、自分の人生を諦めた時期があります。
しかし、ある日を境に自分を変える決意をし、一歩を踏み出したことで、人生が少しづつ動きはじめ、これまでの人生の中で圧倒的に濃い3年間を過ごしてきました。
そんな僕の22年間のお話を書かせていただきます。
幼少時代
生まれは新潟県妙高市。
田んぼに囲まれた田舎で、5人家族の兄、姉がいる次男の末っ子として生まれた。
小さい頃はとにかく恥ずかしがり屋で、母の後ろで隠れているような子供だった。自分から発言する・行動するなんてことは滅多になく、なんでも母や兄、姉の後ろについていく、そんな子供だった。
小・中学校時代
小学校から親に言われるまま習い事を始めた。英会話、そろばん、塾、サッカー。もちろん嫌ではなかったが、自分の意志で選んだものはひとつもない。兄が通っていたサッカー。姉が通っていたそろばんや塾。自分から通いたいと言い出したわけではなく、親が「兄と姉が通ってるから、陸も行けば」みたいな感じだったと思う。
学校内では、小学校で応援団の団長、中学校で部長、学級長、指揮者、応援リーダーなど人の前に立つ仕事をたくさんやらせてもらった。この頃も兄の姿を見て、兄がやっていたから自分もやってみようかなと思いやっていた。
この頃兄はパイロットを目指し、県外の高校に進学する。
中学校時代、勉強はクラスで中の下くらいのレベルで、できるタイプではなかった。自分の学力に合っていることと、サッカー部があることを条件に高校を選んで受験した。この時も深く考えることはなく、そんな適当な基準で選んだ。
高校時代
受験した高校に進学した。自分の学力に合った高校を選んだので、合格して嬉しかったという記憶はない。
しかし、この頃からやっと将来に対して漠然と考えるようになり始めた。
この頃は将来地元で公務員になろうと思っていた。理由は両親から
「公務員はいいよ、公務員は安定してるよ」と常に言い聞かされていたからだ(地方出身の人はわかってくれると思う)。
安定したいという欲求はあったため、まあ無難で悪くはないと思っていた。
そのために、専門学校に行くのか、大学に行くのかは分からないけれど、とにかく将来の選択肢を減らさないために、勉強をする必要があることだけは分かっていた。
そんな将来の漠然とした不安から、高校に入って勉強をするようになった。自分からまともに勉強してこなかったので、やり方がよく分からなかったが、とにかく時間をとって量をやった。そのかいあって、高校一年生の時から校内では上位が取れた。ほぼほぼテストは暗記だったが。
そんな勉強をしている時に、兄がパイロットの夢を諦めることになった。ずっと後ろにくっついて背中を見続けていた兄が、夢を諦める瞬間を見た時は、なんだか自分のことのように辛かった。その時からより一層将来に対して不安を持つようになった。この出来事から嫌でも現実を見ざるを得ない状況になった。「自分の将来は安定しよう。困らないようにしよう」という思いが強くなり、公務員になると決めた瞬間だった。
◉部活
そして部活はもちろんサッカー部に入り、3年生の時は副部長を任せてもらった。それほど強いチームではなかったが、2年生になる時に顧問の先生が、Jリーグで審判をしたこともある、県内で有名な先生に変わった。それから一層練習がきつくなり、ほぼ毎日走っていたと思う。特に冬は雪が降るのでグラウンドが使えず、毎日廊下を走っていた。当時は全然楽しくなかったが、今となってはそこでかなりメンタルを鍛えられたと思う。
◉進路
高校といえば進路選択。通っていた高校は自称進学校のレベルで、大学に行く人が7割、専門学校に行く人が3割ほどの高校だった。
僕自身地元で公務員になりたいというのは決まっていたが、そのまま高卒でなるのか、専門学校に通うかで迷っていた。そんな時担任の先生から大学進学を勧められた。その時はテストの成績だけでいえば校内3位くらいには毎回入るレベルだった。大学は考えていなかったため全く調べておらず、何も知らなかった。ただ姉が大学へ進学しており、楽しそうに過ごしているのは知っていた。それから少し大学を調べて、大卒で公務員になる方がいいことも知った。そして担任の先生にうまくノセられて大学受験を決意する。これが高校3年の5月くらいだったと思う。今考えればライバルはとっくに猛勉強を始めている時だった。
校内での成績は良かったので推薦入試を強く勧められたが、なんとなく負けた気がして断った。
それからは、部活と並行しながら勉強を進めた。テスト勉強のための勉強しかしてこなかったので、大学受験のための勉強を意識するようになった。校内のテストで点数を取ることと、大学受験の模試等で点数を取ることは全然違うことを知り、猛勉強を始める。
8月に部活を引退し、行きたい大学も決まった。地方の国立大学だ。選んだ理由は表向きでは地元の就職に強いこと。裏の理由では、兄も姉も進学していて、家庭の金銭事情も知っていたので、国立の中からしか選べなかったという感じだ。
もともと勉強ができるタイプではなかったので、夏休みからは部屋にこもって1日10時間は勉強していた。周りには予備校に通う人もいたが、親に金銭的に迷惑をかけたくなかったので自分で考えながら勉強した。毎日アプリを使って何をどれだけやったか時間を測って、記録なんかもしていた。
そんなこんなでたくさん勉強をしたが、センター試験は大失敗に終わる。目標の7割も取れなかった。そして、国立の2次試験。志望校はC判定だったが受験することを決める。
結果は、今思えば当たり前だけど不合格だった。
受験発表の時は家でインターネットで確認したが、不合格を知り、親に合わせる顔がなかった。
これから自分が行きたくない大学に行き、将来も見えない。それだけでなく私立大学のため、親にお金の面でかなり負担をかけることになる。
この時、初めて過去の選択を後悔した。ほとんど勝手に決めた大学受験。初めて自分の意志で決めた大学受験。
なんで推薦入試を断ったのか。なんでそのまま就職しなかったのか等、過去の自分を責めて泣いた。
自分の人生を半ば諦めた瞬間だった。
大学時代
◉1年生
滑り止めで受験していた神奈川の私立大学に通うことになる。直前まで乗り気ではなかったが、入ってしまえば大学は楽しいもの。すぐに友達もできたし、サークルにも入った。バイトも始めた。友達とほぼ毎日家を行き来し、飲み会をしたり、ゲームをしたり。騒ぎすぎて警察を呼ばれたこともあった。THE大学生みたいなことをしていたと思う。その瞬間を切り取ればすごく楽しかった。ただふとした瞬間に「将来どうなってしまうんだろう」という不安に襲われた。そして、入学から半年ほど経つ頃には、ただ楽しい生活にも飽きていた。高校までは基本的に忙しく暇な時間がなかったので、大学に入って時間ができ、有り余る時間をどう使っていいかが分からなかった。
◉2年生
そんなモヤモヤを抱える時期に知らない人からTwitterに一通のDMが来る。このDMから人生が徐々に動き出す。どんなDMだったかというと「2月20日にBackpackFESTAっていう旅イベントあるから来てください」みたいな勧誘系。そのDMに気付いた時にはそのイベントは終わっていたし、そもそも勧誘系は相手にしないタイプだけど、とりあえずサイトを見てみた。見終わった瞬間に「やばい、行きたかった」となったのを今でも覚えている。これが僕の人生を180°変えたTABIPPOとの出会い。
TABIPPOとは、ざっくり言うと「旅を広めようよ」という会社。
そのサイトの中でも世界一周DREAMというコンテストが目に止まり、YouTubeで〝DREAM 世界一周〟で検索して過去の色んな人の世界一周プレゼンを見た。自分より年下の高校生の女の子が堂々と2000人の前で夢を語ってる姿なんかは本当に魂が震えて「自分ってなんだろう。何してんだろう」って思った。気付けば夢中で何人ものプレゼンを見ていた。
こんな流れでTABIPPOを知って、これに関わりたいって思ったし、漠然と自分を変えたい、成長したいという想いから、一歩踏み出して学生スタッフになることを決意する。
学生スタッフの日々の活動はイベントの企画運営だったり、他団体への交渉だったりなど様々。大学生ではなかなか経験しないことを経験した。
TABIPPOに入ってからは毎日刺激の連続で、いい意味で変なやつばっかりで、自分とは全く違う生き方をしている人ばかりだった。でもなぜか分からないけれど居心地がよかった。やりたいことを言っても笑われないそんな場所だし、朝まで夢中で語れる友達もできた。自分のやりたいことを追求し、周りに影響を与える人の集まりで日々学びも多かった。そんな場所で活動することで自分の中の価値観がどんどん変わっていくのが自分でも分かった。
今までの自分はやりたいことなんてなかったし、やりたいことを持つことさえ無駄だと思っていた。そうやって自分の心の声に蓋をしていたけど、それが取れた瞬間だった。「自分のやりたいことをやるのが人生じゃん!」って思えた瞬間だった。
ここで活動した1年間はこれまでの人生の振り返っても、一番と言っていいほど濃い1年間だった。熱狂していた。活動にコミットすることで失うことも多かったが、得たものが大きすぎて一ミリも後悔はない。
あと、2年生の時はたくさん旅をした。これまで自分のことが嫌いで、自分に自信が持てない、劣等感だらけの人生だった。しかし「こんな遠くまで来て、言語やルールなど、分からないことだらけの国で旅している。」そんな小さな成功体験を積むことでほんの少しだけ自分を好きになって、自信を持てた瞬間だった。
◉3年生
TABIPPOは1年周期の活動のため終了し、3年生で何をしようと考えた結果、営業を学びたいと思った。TABIPPOでは営業活動を行っていて、ある一定の成果を残せたが、それはあくまで学生に対してだった。もっと難易度の高い法人営業に挑戦して力試しをしたいという思いに駆られ、営業インターンを探し始める。そこで以前、出席した就活イベントに登壇していた代表を思い出し「インターンを紹介してください」と長文のメッセージを送ると、お会いしていただくことになった。その方からたくさんインターンを紹介していただいたが、僕はその時点で代表の人柄やマインドに惹かれていたため、代表の近くで働きたいと思っていた。代表の経営している企業はSNSマーケティングの会社で、社員数名のスタートアップ中のスタートアップだった。環境としてとても面白そうだと思い、後日メールで「働かせてほしい!」と頼んだ。すると「給料は払えないけど、それでもいいなら」と承諾してもらった。それからは営業で単月50万円を目指すことになる。普通の企業なら低い数値だが、立ち上げ期だったので僕にとっては高い目標だった。メールを1日1000通送ったり、テレアポしたりと、とにかく新規営業の辛さを学んだ。そして学生なのにバリバリ商談にも出させていただくなど様々なことを経験し、ビジネスの基本を学んだ。大学に通いながらのインターンだったのでこの時が実際一番忙しかったかも。
◉4年生
大学生のメインイベントといえば就職活動。
就活は3年生の夏から始めていて、そのインターンは3年生の終わりごろに就活に専念するために辞めた。
就活はそれなりにしっかりやっていて、過去の原体験から人材の業界を中心に見ていた。過去の原体験を詳しく書いた記事を一応貼っておくので、興味ある方は読んでみてください。
しかし、どの企業に入りたいか選ぶのはかなり時間がかかった。自己分析を2週間くらいした時もあった。
最終的に自分の価値観とフィットしていて、得たいスキルを短いスパンで得られる企業に決めた。就活が完全に終わったのは4年生の5月。
学歴がなくて就活には不安を抱いていたが、実際やってみると経験でカバーできた。就活で重要なのは実績だということを知った。(学歴も実績のひとつ)
そして10月に「旅をしたい×個人的に稼げるスキルを身に付けたい」という想いからノマドニアに参加することを決める。
リモートで働ける10個の職種を1ヶ月間かけて東欧に位置するジョージアという国で学ぶというプログラム。
現在は、ここで出会った「ノーコードWeb制作」を続けていて、少しづつお仕事もいただいている。場所に縛られない働き方を近いうちに実現していきたいと思っている。
あと学生最後の海外だったので、お金がなくなるまでたくさん旅をした。
まとめ
長々書きすぎました。本当にすみません。
最後まで読んでくれて本当にありがとうございます。心の友です。
伝えたかったことは「人生意外と自分の行動次第でどうにでもなりそう」ということです。めちゃくちゃ無責任かもしれないけれど、僕は過去の経験から強くそう思います。大学受験失敗という挫折を経験したけれど、失敗を経て、たくさんの素敵な人や心から尊敬できる人と出会い、様々な経験をさせていただきました。今では「地元の大学に行かなくて良かったかも。大学受験失敗して良かったかも」と思えています。
これからも挫折はあるだろうし、辛くてしんどいこともあるだろうけど、人生諦めず、思考し行動し続ければ人生なんとかなる気がします。失敗したら、その失敗を意味あるものにするために行動し続ければいいだけ。今はそう思えています。
これからももっと挑戦して、失敗して、変わり続けていきたいと思っています。社会人まであと2日。まずは必死に立派なビジネスマンとして成果を残していきたいと思います。そして近いうちに場所に縛られない働き方を実現し、いずれは中高生向けのキャリア教育に携わりたいと思っています。
長くなってしまいました、それでは!