物乞いの少女に涙したお話
こんばんは。現在トルコを旅している最中のこばたです。
約2ヶ月前にノマドニアというプログラムに参加すべく、ジョージアに降り立ち1ヶ月生活しました。本当に学びの多い、濃い時間でした。
現在はノーコードでのWeb製作の勉強をしています。これが本当に楽しい。
そして今いる場所はトルコのカッパドキア。熱気球で有名な場所ですね。夢にまで見たこの場所をたしかに自分の足で目で耳で感じることができました。とにかく感動と興奮でした。
近況報告はここまで。
今日はトルコ入国直後のバスターミナルで物乞いの少女に出会ったときのお話。
1ヶ月生活したジョージアを後にし、アルメニア、トルコと全て陸路で旅してきました。そして11月14日にバスで5時間かけ、ジョージアのバトゥミという都市からトルコのトラブゾンという街に陸路で移動。以前アルメニアからジョージアへ行こうとしたら「PCR陰性証明書がないと通さない!」と言われてしまい、国境を越えられないというトラブルがありました(めっちゃへこんだ)。そのため国境越えはかなりドキドキだったんですけど、ジョージアからトルコへの国境越えはワクチン接種証明書の提示でうまくいき、ホッとしていました。
そして予定通りトルコのトラブゾンという街に到着。大きなバスターミナルがあり、ここからトルコのどこにでも行くことができるという場所。目的地のカッパドキア行きのバスチケットを購入しベンチで座って出発を待っていた時のこと。
小学校低学年くらいの少女が僕に近寄ってきて、小さな声で「MONEY...」と一言。身なりはとてもきれいとは言えず、かなり顔も疲れ切った様子でした。今振り返るとその少女の瞳は黒く濁っていたように思います。とても未来に希望を持っているような瞳ではなかったことだけは覚えています。
今回海外で生活していた2カ月間を振り返ると、たしかに物乞いの人は多くいました。トルコだけでなくジョージアにも、アルメニアにも。そしてジョージアのバトゥミでは子供10人くらいに集団で囲まれて、お金を要求されたこともありました。基本的に物乞いの人にはお金を渡さないようにしています。その日を生きるためにお金をもらっていては何も変わらないと思うから。しかしその時は身動きが取れないくらい周りを囲まれ、手を引っ張られたので、小銭を少し渡して逃げました。この状況を周りの大人たちは注意することなく見知らぬ振り。大人が子供達にそういう教育をしていることさえあるそう。この時もかなり衝撃を受けたのですが、正直この時は集団で急に囲まれて、手を引っ張られたためいい気分がしませんでした。なんなら大人げないけど子供たちに対して少し腹が立ったくらい。
そして話を戻して、トルコで出会った少女。基本的にお金は渡さないようにしているのでその時も「NO」と言いました。すると隣のベンチに座っている男性に声をかけに行き、断られ、その隣のベンチに座っている人に声をかけ断られ、何度も声をかけは断られるということを繰り返していました。そして何人もの人に声をかけ、断られ続けた挙句、バス会社の大人に「出てけ!!」と怒られていました。
これが10歳にも満たない小学校低学年くらいの女の子です。
日本に住んでいる時に「世界には貧困や格差がある。物乞いの人たちはたくさんいる。」ということを何百回とテレビやネットで見たり、聞いてきました。
そしてこの2カ月間で実際に物乞いをする人をたくさん目にしてきたけれど、これまでその人の立場に立って物事を考えたことがありませんでした。しかし、この少女の姿を見て嫌でも考えさせられてしまいました。
どういう気持ちで「MONEY…」と声をかけ続けているのか…
学校には通っているのか…
好きな食べ物をお腹いっぱい食べたことはあるのか…
好きなことを思いっきりやったことはあるのか…
将来の夢はあるのか…
どの質問をしても恐らくポジティブな回答が返ってこないことは目に見えていました。なぜならその日を生きるために必死で物乞いをしている様子だったから。勝手な決めつけや偏見は良くないけれど、そう考えざるを得ない顔つきと身なりだったことはたしかです。
そのような考えを巡らしている時、ちょうど僕の目の前にはバスチケットを買うヨーロッパ系の親子がいました。お母さんと、物乞いの少女と同じくらいの年齢だろう子供が手をつないでバスチケットを買っていました。その子供の身なりはとても綺麗で、服も靴も新品でピカピカ。まさにお金持ちという感じの親子でした。
その姿を見た瞬間自然と涙が止まらなくなってしまいました。
一つ言っておくと僕は全然泣きません。どんな感動する映画でも、景色でも覚えている限りは一度も泣いたことがありません。
そんな感情がないと周りに言われる僕なんですが、その時ばかりは嗚咽しそうなくらい涙しました。周りのおっちゃんが心配して近寄ってくるくらい。
なぜ生まれた場所が違うだけでこんなにも生活が変わってしまうのか
なぜ生まれた場所が違うだけで幼い子供が物乞いをしなければならないのか
なぜ生まれた場所が違うだけで好きな食べ物をお腹いっぱい食べれないのか
なぜ生まれた場所が違うだけで将来の夢を持つことさえ叶わないのか
こんなことが頭の中を何十周もしました。
そして、だからってその少女に対して何もできない自分、どうしていいのか分からない自分、この少女よりも裕福な生活をしている自分に一番むしゃくしゃしました。
お金って何?ただの紙切れ。お金の価値って誰が決めるのか。
ただの紙切れなのに。でも結局お金がないと生きていけない。
こんなことがぐちゃぐちゃに頭を巡り、むしゃくしゃしました。
2か月間旅して改めて気付いたこととしては、日本という国は地球上で最もと言っていいほど、便利で安全で裕福な国だということ。日本人というだけで、世界中の人から好感を持たれ、優しくしてくれる人が多くいます。
僕がその少女くらいの年齢の時は、何も考えずに学校に通い、放課後は毎日友達と遅くまでサッカーをし、帰ったら夕食が用意されているという生活だったはずです。お金の事なんて一度も考えたことがなかった。
そうです。日本という国は当たり前のように義務教育があり、当たり前のように安全に医療を受けることができる。バイトをすれば学生でさえ、月に10万円ものお金を稼ぐことができるし、仕事がなくなればタウンワークに行き好きな仕事を選ぶことができる。
何も不自由がなく、身の回りには便利な制度が溢れるようにあり、それが生まれた時から当たり前にある。
不自由なくあり溢れている制度に何も疑問すら持ちませんでした。
自分自身で何も考えず、いつの間にか日本の常識のレールの上の中に存在する選択肢から無難な道を選択してきたんだ。ということに気がついた瞬間でした。
この記事を書いたのは、世界にはまだまだ格差や貧困の現状があるということを多くの人に知ってもらうためもあるのですが、
一番は自分自身がこの時考えたことを一生忘れたくないと思ったためです。
いくつになっても、便利な環境には感謝し、好きな物が食べれることに感謝し、帰る家があることに感謝する。きれいごとなんかではなく、常に小さな当たり前に感謝できる人でありたいと強く思いました。
長くなってしまったにも関わらず、何のまとまりもない何を伝えたいかもわからない文章になってしまいました。最後まで読んでくれた人は本当に変わり者です。ただ、読んでいただいた方が一人でも多く、今ある当たり前に少しだけ感謝の目を向けてもらえると嬉しいです。
そろそろ日本に帰ります!ではまた!