「社会のため」が裏目に出る日本人
先日見た番組で
日本人は『社会のため』とよく言うけど〇〇人はそういうことは言わない
と、ある外国人が発言していました。
「神に代わって成敗してやる」の神はもしかして社会のこと?
刑務所では受刑者に社会のためになるように教育している
〇〇警察
愉快犯というのは社会を常に意識している
社会のために自分を出さないで記事を書く人も多い
「社会のため」だと思うことが日本人のステイタスであり誇りになっているもよう。
僕自身も note を投稿するとき「社会のため」と思っている部分があります。
しかし、それがよい方向に作用していたのは昔の話で、いまの日本人の「社会のため」は裏目に出ているように感じられます。
単に「個人の拡張」ではないでしょうか。
いまの裏目に出た日本人に魅力はないし、馬鹿げているように感じます。
日本を出て行きたい
海外生活に憧れている
子育ては海外で
日本人はクソだ
アメリカのポチ
消えたい
と思う人は個人主義かもしれないけれど、それが人間として正しいような気がしているきょうこの頃です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?