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不正はなぜなくならないのか

1.急増する企業不正

 8月10日の日経新聞一面記事によれば、粉飾決算や着服など資産流用、といった国内会計不正が過去5年間で3倍に急増したそうです。大半が上場企業で、記事の中で例に引かれた企業はいずれも大手上場企業か、その子会社でした。

 コーポレートガバナンスコードが浸透し、社外取締役が拡充されて久しいはずの上場企業でこれはどうしたことでしょう。

 わたくしはある時まで他山の石のケーススタディのつもりで、不正があった企業名を個人的なメモに記録していました。やがてそれが不正というより単なる著名な企業リストの様相を呈し、やがてしばしば日本を代表する大手企業が、その本業の信用を根幹から揺るがすような不正でリスト入りするに及び、記録をやめました。

 単純なことに気づいたからです。

 それは、不正はなくならない。そして繰り返す。規模や歴史や上場非上場や信用の大小といったことに無関係に。どんな企業あるいは組織においても。いうことに。そしてそれはなぜなのか、ということにも。 

2.不正のエコシステム

 社長でありコンプライアンス委員長でもあった時期、社内でおこるすべての不正行為の情報があがってきました。もちろん新聞で報道されるような重大ものではありませんでしたが、なぜこんなことを、なぜあの人が、どうして防止できなかったのか、誰か気づくものがいなかったのか、というのが当たり前ですが、情報に接した際に最初に抱く思いです。

 不正の種類はたいていお金にまつわること、つぎに就業規則違反、もうひとつがハラスメントを含む、人間関係に関することです。同じようなことが時を経て、人を変えておこる。もう一つ特徴的なのが、顔の見える位置にいる上司がまったく認識していない一方で、本人を取り巻く数人ないし周囲のかなり多くの人がその不正に気づいていて、しかも長い間それが口に出せない、あるいは出しても取り合ってもらえないと思っている、という特徴があることにも気づきました。

 周囲のヒアリング、そして本人のヒアリング。事実関係をまとめてコンプライアンス委員会から懲戒委員会へ。そして当人やときに監督者にも上司罰が下ります。

 厳重注意や減給から、時に懲戒解雇にいたる厳しい処分を下さざるを得ないような不正。なぜ人は作るには何年もかかる信用をいっぺんに失うような不正を行ってしまうのでしょうか?

 これは個人やその上司だけの問題だったのでしょうか?

 個人や上司をいくら罰しても別の個人や上司が同じことを繰り返す。これは不正にはそれを育むエコシステムがあり、罪深いことに、会社は意識することなくそのシステムを育んでいるから繰り返し起こるのではないか? 

3.「風通しが悪かった」からではない


「上下間の風通しが悪かった」

 不正があると対応策とともに説明される言葉です。説得力がありそうで、実は的外れな説明です。社内に限らず大人の人間関係において、「風」のような抽象的な存在があろうはずがなく、あるのは強い、弱い、ない、という3つのつながりの形だけです。

 不正は主に強いつながりの中で生まれ、共有され、時に支配し支配され、弱いつながりの中で認識が広がり(かなりの人が不正に気づく理由)、つながりのない関係(業務上のコミュニケーションすらない、という意味ではありません)においてはたとえ目の前に座っていても(役員フロアにいればなおのこと)つたわらない、というだけのことです。

 もともとつながりのない上司や役員が、これからはなんでも言ってくれ、と言っても警戒されるだけです。なんでも言ってくれ、と言う側にも、部下の中にはびっくりするほど狭い世界の中で生きている者がいるかも知れない、という認識が必要です。

 どれほど狭いかというと、例えば、上司の不正を明らかにすれば自分も左遷される、先日異動になった彼もそうだ(そんな理由の異動でないのに)、だから従うしかない、つながりのない役員などに伝えても取り合ってくれないかも知れないし、逆に災いがあるもかわからない、というほどの狭さへの認識です。

4.不正は雑草

 花壇や菜園を持つ人にはわかりやすいと思います。草花や果物という本来の成果物を得るための土壌は当然雑草にも好都合です。放っておけば大事に育てたものを覆いつくし、根絶やしにしなければまた同じ状態になる。ある種の雑草などは地上の葉や茎を刈っても地下茎を深く広く伸ばすことで根絶やしすら困難になります。雑草がもし口を利ければ、そもそも雑草など人間の勝手な命名で、そこに快適な土壌があったから種を残すために繁殖したのだ、という言い分があるだけのことでしょう。

 不正は雑草と似ています。成果物を得るための土壌、とは会社方針や企業文化と言い換えても良い。それらは会社が成果物を得るための土壌だからです。

 どうやら会社方針や企業文化と不正は実は仲が良いようなのです。

 売上や利益が方針になればすっと寄り添う不正があります。品質重視の文化があれば、手っ取り早い向上をそそのかす不正があります。経費削減方針で人員や時間に制限が加わればそこに忍びこんで現場を助ける不正があります。給与が頭打ちになれば金額的な埋め合わせを合理化する不正があります。

 会社のかかげる成果主義で一定の成果を出した人が権限をグリップすれば属人化が始まります。そうなると上司といえども簡単に口出しできない=不正の余地が生まれる、といった具合です。

 そして土壌が変わらなければたとえ一本が引き抜かれても種や根が繁殖のために残るのです。

 雑草の言い分(?)同様、不正を行った個人にはたいてい言い分があります。これは方針や文化への対応あるいは対抗措置であって個人の不正ではない。むしろ方針や文化を作った側の問題ではないか、と。


5.クリステンセン教授(HBS)とグーグルの教え

 関係者の厳正な処分や再発防止策。もちろん重要なことです。でも肝心の方針や文化がそのままだとしたら? 

 わたくしには正解が語れるわけではありません。

 しかし繰り返し起こることを考えれば、個人の道徳的判断レベルへの語りかけと、会社が最も大切にしていること(決して利益やROEや経費削減ではないはず)の優先順位の変更を、思い切って、終わりなく、繰り返し、掲げ続けることではないか、とも思うのです。

 二つ引用します。

『ほとんどの人が、「この一度だけ」なら、自分で決めたルールを破っても許されると、自分に言い聞かせたことがあるだろう。心のなかで、その小さな選択を正当化する。こういった選択は、最初にくだしたときには、人生を変えてしまうような決定には思われない。(中略)しかしそのような小さな決定も積み重なると、ずっと大きな事態に発展し、その結果として、自分が絶対なりたくなかった人間になってしまうことがある。(中略)この道に踏み出す最初の一歩は、小さな決定だ』イノベーション・オブ・ライフ クレイトン・M・クリステンセン (翔泳社)

『正しいことをせよ』アルファベット コード・オブ・コンダクト(行動規範)第一節

追記:7月29日にアルファベットを含むGAFAの首脳達が独占禁止法に関する調査で米議会下院の公聴会で証言しました。かつては『邪悪になるな』。これを刷新して『正しいことをする』を行動規範の最上位にして急成長した最強企業アルファベット。同社が皮肉なことに直面する経済法上最高レベルの不正の疑い。不正の防止にはまだ正解も、そして終わりもないようです。