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#自己紹介 Mr.EXPO
人生既に半世紀以上生きてきたが、最も活き活きとして最高の日々を送ったのは2004年‐2005年の2年間だった。
この2年間、私は勤務する総合商社から、2005年愛・地球博(愛知万博)を主催する財団法人2005年日本国際博覧会協会に出向していた。協会での肩書は財務国際本部の上席調査役、万博の世界では通称「リエゾンオフィサー」と呼ばれていた。
リエゾンオフィサーとは言わば海外からの参加される各国の皆さんを接遇する「ホスト役」であり、開催中は担当国の数多くのVIPの接遇を行った。
また開催前は、世界各国を回って愛知万博の概要、参加条件等を説明し、参加招致活動を行い、既に参加を決めた政府とは参加に関していろいろ打合せを行うといった事をしていた。今までずっと民間で働いていたが、初めて公の仕事、一大国家プロジェクトに関わり、出向中の2年は私の人生にとって貴重な特別な2年であった。
その後、2008年サラゴサ(スペイン)、2010年上海(中国)、2012年麗水(韓国)、2015年ミラノ(イタリア)、2017年アスタナ(カザフスタン)と国際博覧会EXPOが開催されたが、海外駐在中だった2010年の上海万博を除いて、すべての万博を訪問してきた。実は世界で国際万博に関わる人達は決まっていて、ある人は「万博マフィア」と呼んでいた記憶がある。つまり万博に関与してる人達の顔ぶれは変わらないという事で、実際2005年愛知万博である国の政府代表が2018年も同じ国の政府代表をやっていた。勿論、そこまでのすべての万博でも政府代表を務めていた。だからいつの万博に行っても顔見知りがおり、事前にコンタクトしてれば、VIP並みの接遇をしてくれた。
オリンピックでのIOCに相当する組織は博覧会国際事務局(Bureau International des Expositions、BIE)と呼ばれ、1928年に締結された国際博覧会条約(BIE条約)に基づき同年設立、現在170か国が条約締結、本部はフランスのパリ、凱旋門の近くにある。2019年に大阪に来日したBIEのロセルタレス事務局長は2005年も同じポジション、当時愛知に常駐していた若手スタッフのディミトリ・ケルケンツェス氏も今は事務局次長となっている。デイミトリ氏は博覧会協会の職員で我々の部署に居たスタッフとその後結婚したため、今でも夫婦ともに交流がある。
愛・地球博では「人生一度は万博だ」というキャッチフレーズのポスターがあったが、それをもじって私は自分の事を「人生一生万博だ」と言っている。