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LGBTQとかどーでもいい。

いろんな方面から叩かれそうなタイトルになってしまいました。

でも、これは私がほんとに思ってることです。

「LGBTQとかどーでもいい。」

あぁ待って。
なんやこいつふざけんな叩いたろ。
そう思ったそこのあなた、ちょっと待って。
落ち着いて最後まで話を聞いてほしい。
最後まで読んで、それでも納得できなければ、
叩かれるのも受け入れますから。

さて、本題に入りましょう。

「どーでもいい」とは何事か。
きっとそう思った人も多いはず。
これは、無関心であるとか、LGBTQなんて私には関係ないとか、
そういうシンプルな話ではないです。

私の意図をわかりやすくするために、主語を変えてみましょう。
そうすると、
「誰が誰と付き合ってもどーでもよくない?」となります。

だってそうでしょ?
男同士が付き合ったり、女同士が付き合ったり、心と体の性が一致していないこと、人間に対して性的欲求を感じないこと。LGBTQにもいろんな人がいると思うけど、それをなんで周りがやいやいいう必要があるの?と思うのです。

当事者の人たちがすごく悩んでいることもよくわかってます。
私の周りにもLGBTQに属するアイデンティティを持っている友達はたくさんいるし、私自身バイセクシャルかなと悩んだ時期がありました。

人間は承認欲求があるから、自分のことをわかってほしい、理解してほしいと思うのは当然で、だからこそ最近ではレインボーパレードとかがあっているわけで。

私はそういう活動を否定したいわけではないのです。

例えば道端で、「同性婚を認めてもらうための署名に協力してください」と言われれば、私は喜んで協力するでしょう。だって、国民の義務をちゃんと果たしているのに、法律で定められてるいわゆる「普通」の夫婦と同じように結婚する権利が与えられないのはおかしいと思うから。国民の義務を果たしているすべての国民には、基本的に使える権利に差があってはいけないと思うから。それを改善するためには、協力は全く厭いません。

でも、例えば友達から、「私今同性の人と付き合ってる」と言われたとき、私がどう思うか。それが「どーでもいい」なのです。
何がどーでもいいのか。それは、

「あなたが幸せなら、相手の性別とかどーでもいい」ということです。

だって、「自分は同性が好きで、同性の人と付き合って一緒にいたい」と言われたとき、「そんなん変だしきもいからやめろ」っていうの、そっちの方が頭おかしくないですか?だってそれがその人の幸せなんですよ?友達が同性と付き合うことで、自分になんの迷惑がかかるんでしょうか?少なくとも私はそういう迷惑を感じたことないです。

大体日本は周りの目を気にしすぎなんです。
学校教育では、みんな一緒であることが美徳とされて、出る杭は打たれる。
そして自然と周囲から浮かないように自分を押し殺すようになる。
この風潮が私はほんとに嫌いです。
国語の教科書に「みんなちがってみんないい」とか書いてあるくせに、
学校はこれから何を学んでるの?と思います。

それから、日本のLGBTQを「しぶしぶ」受け入れなければいけないみたいな態度も嫌いです。

なんか、「同性愛とか変だと思うけど、でも受け入れなきゃダメみたいな雰囲気だから受け入れなきゃな...」って思ってる人もまぁまぁいるように感じます。それの証拠として、LGBTQカップルを特別視というか、異端なものとして扱っている人も多く聞きます。例えば、同性カップルの夜の生活について聞いてみたり、性転換した人の性器について聞いたり、ほんとにデリカシーのない話をする人もいるみたいですね。でもそれって、異性同士のカップルだったら、そんなこと聞きます?普通は聞かないですよね?

だから私はいうのです。

LGBTQはどーでもいい」と。

一番大事なのは、

自分が一緒にいて幸せだと思える人といられること。
その人の前で自分らしくいられること。

それに性別とか国籍とか人種とか、はたまた人であるかすら、
私は「どーでもいい」と思っています。
なので私は友達と恋バナをするときも、「パートナー/恋人はいる?」と、性別を限定しないようにしています。
まぁそもそもパートナーを必要としていない人もいるでしょうから、この質問自体あまりしないのですが、自分のことを聞かれたら相手にも聞いとこうかなという雰囲気に飲まれてしまってますね^_^;

どーでもいいとは言ったものの、私がこう言えるのは、きちんとLGBTQについて学んだからだといえます。性的アイデンティティに限らず、自分と違うことを受け入れるのは簡単ではありません。特にみんな一緒教育を受けてきた日本人にはなおさら難しいでしょう。
学校教育で、相手を傷つけてはいけませんと教わった人は多いのではないでしょうか?そして、何をしたら相手が傷つくのかをたくさん考えてきたのではないでしょうか?それをLGBTQにも応用すればいいわけです。
でも、あんまりよくわからないしな。調べればいいのです。

だから私は今、どーでもいいと思っているのでしょう。
同性婚は認められたらいいなぁと応援や協力はするでしょうが、
同性愛だからという理由でそのカップルをあえて応援とかはしないと思います。普通にカップルとして素敵であれば、長く続くといいなとは思いますが。

LGBTQの活動の中には、アライという人たちがいるそうです。
これは、英語で同盟や支援を意味するally から来ていて、LGBTQの当事者ではないが、その人たちに理解を示して支援する人々のことだそうです。

私はなんかアライとは違うような気がしてます。
性別どうこうじゃなくて、人としてその人たちを見てるので。
別にそれが偉いとかそういうんじゃないですけど。

早く世の中のすべての人が、戦うことなく幸せを手に入れることができる世界になるといいなと思っています。

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