「6.そして誰もいなくなった~採用は人物重視か実績か」の脚注

「6.そして誰もいなくなった~採用は人物重視か実績か」の脚注をまとめています
脚注は無料で公開されています(でも、脚注だけでは分からないですよねぇ)


就活にも効く(しゅうかつにもきく)

 新卒採用のエントリーシートや面談などでよくある質問の一つ。学生の本分は勉強だから、といっても学生時代にどんな活動をしていたのかは、入社後の将来予測をする一つの手がかりにはなる。特に仕事をする上では、関係者とうまく調整しながらやっていかないといけないことが多いので、そうした片鱗を伺えるものはないものか、と思うとつい聞いてみたくなる質問ではある。そのためか学生向けの就活対策本でも定番の項目となる。となると学生もそれに備えるので、ゼミや部、クラブ、サークルでの取りまとめ役を担ったとついいいたくなる。ただ、「長」とつくものは一人に限られてしまうので、「副」とか「サブ」とかが乱立することになる。こうなってくると、もはや質問の機能は失われるのだけれど、採用する側は定番だし他に代える質問も思いつかないのでとりあえず聞いてみるし、学生側は対策本に書いてあるし行けばやっぱり聞かれるのでその準備もするようになる。こうして新卒採用における“様式美”は出来上がっていく(と思う)

弦バス(げんばす)

 コントラバスのこと。弦楽器の中では一番大きく、多くの場合立ったまま弾いている。
 そもそもバスというのは低音でも低い方を指すのだけれど、わざわざ「弦」をつけているのは、金管楽器にも「バス」がいるから。こちらの方は「管バス」ではなく「バスチューバ」と呼ばれることが多いような。
 それの対比でいうなら弦バスじゃなくてコントラバスといえば良いようなんだけど、たとえ二文字であっても省略したいということか?
 だったら「コントラ」の方を採用してはどうか、という意見もあるかもしれないけれど、コントラと名がつくのは「コントラバスクラリネット」とか「コントラバスサクソフォーン」とか「コントラバスファゴット」ととかもあるので…

演奏会ノルマ(えんそうかいのるま)

 演奏会を開くに当たって費用を団員が分担するその額。金額であることもあるが、「チケットノルマ」というのもあって、分担額を上回るくらいのチケットを渡される。そのチケットを売って分担金に当てても良いし、格安で配って差額を自己負担にしてもよい。ここで交友関係の広さや、地元民か下宿生かの差が付いてしまうこともある。地元民で自分だけでなく親の顔も広ければ負担はゼロと言うこともあるし、知り合いもいないし板としても同じ下宿生なので金もないから必死でバイトに励むということもある。

両立できなくて(りょうりつできなくて)

 バイトの部活の両立はできるけれど、学業を加えた3つのバランスが取れなくて留年するケースも少なくはない

降り番と乗り番(おりばんとのりばん)

 オーケストラの場合、曲によって楽器の編成が異なることがあって、例えばモーツアルトだとかだとトロンボーンはほぼ出てこない。また同じ作曲家でも曲によっては同じ楽器が何本も指定されることもあれば、少ないこともある。また、指揮者の好みで増えることもある。そうなると曲によってステージに乗れる(演奏できる)人の数も調整する必要が出てくる。演奏する人を乗り番、自分が出る曲を待っている人を降り番という。大所帯のオケだと、全員が出られないので、プログラムの前半だけ出る人、後半だけ出る人というパターンで乗り番、降り番ができることもある

パーカッション(ぱーかっしょん)

 打楽器パートのこと。大太鼓、ティンパニー、スネアドラム、トライアングルなど名前の通り叩いて音を出すものが多い。パーッカションは曲に多様な色彩を付ける。結果的に派手な曲ほどパーッカションの種類が多くなる。とはいえ、彩りであることから常に鳴っているというよりはアクセントとして用いられるから、いくつかの楽器を兼務することも可能。ただし、そのタイミングは重なることも多いので、それなりに人数が必要とされる

弦パートだから気がついていないかも(げんぱーとだからきがついていないかも)

オーケストラは人数が多いので練習場所を確保するのが大変。さらに弦パートに比べて管楽器、打楽器パートは実際に演奏している時間が短いことも多いので、ふだんの練習は弦楽器と管楽器で別々にやっていることも少なくない。練習の後に食事やお茶を共にしたり、演奏会の打ち上げに行ったりしないと、お互いにあまり知らないままということも起きうる。

感想文(かんそうぶん)

 採用試験で感想文を書かせるところは少ないが、長めの文章を書かせるところは多い。それによって何を識別し、採否の判断に使うとしているのか、疑問に思われるケースも少なくない。内容はそれほど重視していなくて、文字がきれいかどうか、誤字脱字がないか、「てにをは」はきちんとしているかを見るといった、まるで小中学校の作文並みの判断しかしていないこともある。応募する学生が多い企業などでは寄せられる作文の数も半端な量ではないので致し方のない側面もある。人間が読むと時間もかかるし、読む人によって評価基準が揺らぐので、スキャナーなどで読み取り、AIで判断させようという取り組みもある。いずれにしても、その仕事に対する専門性の高さ、保有する知識の高さを検証するのであれば、そうした業務に関するレポートを書かせる方が良く、感想文はあまり向いていない

一緒にやっていけるだろうか(いっしょにやっていけるだろうか)

 日本の雇用は【メンバーシップ型】といわれるが、そこで語られる象徴的な言説の一つが「一緒にやっていける」かどうか。
 顕著なのは新卒採用。そこではなにができるかということはあまり問われない。今でこそ傾向は弱くなったが、かつては「真っ白な状態で入社してくれた方が、あとは我が社のカラーに染まりやすくてよい。ほかを経験していると、『前の会社ではこうでした』とかと言い出してかえって面倒なことになる」ということが人事界隈ではまじめに話されていた。新入社員教育を経て、定期的なローテーションでさまざまな経験をさせ、総合職として「我が社の社員らしく」育成していく。
 在職期間中は、入社年次で昇給、昇級、昇格を管理していく。最初のうちは、なかなか明確な差がつかないようにすることで、ライバルには負けたくないと切磋琢磨することを期待する。いつでも逆転できると思っているので、ここというときには多少の無理もするし、それを会社の方も期待してたりする。そして「あぁ、そんな無理も利かなくなった。いつまでも若くはないかも」と思う頃には、しっかりと選別がされていて、そこで気がついて転職しようにもう遅かったりもする。
 大体同じ様な経験をしている社員なので、人事異動の発令もしやすいし、将来のことがあるので多少の無理も呑むだろうという期待感があり、勤務地の変更を伴う異動もかけやすい。
 最終的には会社が面倒を見るから、という大家族主義的なところが日本の会社員の忠誠心を高めていたとも言える。就職、つまり職に就いているというよりは会社に就いているから「就職ではなくて就社だよね」と言われるのがメンバーシップ型。
 一方で、ここ最近よく聞くジョブ型は、職業や職務に就くことが前提。
 ところで、日本はメンバーシップ型、米国や欧州はジョブ型といわれて対比されることが多い。この時、メンバーシップ型の反対がジョブ型というよに二者択一で捉えられ、語られることが多いけれど、メンバーシップ型(メンバーシップ志向の強弱)✕ジョブ型(ジョブ志向の強弱)の2つの軸を持つマトリクスで考えた方がこれからの人事を考える上では役に立つ。
 そして、メンバーシップ志向が強くても、ジョブ志向が強くてもそれぞれメリットもあればデメリットもある。答えは一つではなく、それぞれのメリットを引き出し、デメリットが出ないように運用するのが人事部門の力量の見せどころといえる。

$$
\begin{array}{|c c|c c|}\hline
& & メンバーシップ志向 弱 & メンバーシップ志向 強 \\ \hline
ジョブ志向&弱&(1)特に特徴のない会社&(2)大家族主義的な日本の会社\\
ジョブ志向&強&(3)職務中心の欧米の会社&(4)両者の特長を活かした会社\\ \hline
\end{array}
$$

(1)メンバーシップ志向・弱/ジョブ志向・弱

 (1)のゾーンは特徴がないともいえるが、方針がないともいえる。場合によっては都合のよいときには「社員一体となって」と言われ、別の時には「働きに応じた処遇」と言われることもある。よく言えば柔軟性があるといえるが、別の言い方をするなら優柔不断。
 時と場面によって方針が変わるので、「そんなはずではなかった」と個人の方だけでなく会社の方も思うことがある。
 それだけでなく、組織内のメンバーの中でもさまざまということになるので、予期せぬ軋轢を生むこともある。

(2)メンバーシップ志向・強/ジョブ志向・弱

 (2)のゾーンはある意味では典型的な「日本企業」。このところ旗色が悪いけれど、組織のあり方としてまずい訳ではない。メンバーとして受け入れられさえすれば、ある意味、定年まで安心して過ごせるともいえる。
 ただその間、お互いのために譲り合うことが求められる。多くの場合は組織が個人に譲ることを迫ることが多いので、どうしても滅私奉公的な働き方になる。言われたことをこなすのに左右され、消耗させられてしまうことがあるともいえるが、全部会社にお任せと割り切ってしまえば面倒なことは考えなくてもよい。うまく行かなくても、会社が決めたことだから「会社が悪い」とある種の開き直りもしやすい。
 時に、こういう組織の中であっても我を通してうまくやっていく人もいる。それが我慢している人からすれば、フリーライドしているように見えて、怨嗟の対象となってしまうことがある。

(3)メンバーシップ志向・弱/ジョブ志向・強

 職務中心の米国企業はこのタイプ。これが目指す姿かというと、やはり目指したいか?ということかと。
 組織開発(OD;Organization Development)という領域があって、米国企業の中にはそれ専門の部署があり、その部門で活動する専門職(ODコンサルタント)の育成を目的とした大学の学部、コースもあったりする。その組織内の関係性を改善し、組織としての生産性の向上を図ったりするのが組織開発の目的。「うちの部署、どうも状態が良くないようだ」だと考えたマネジャーが専門家であるODコンサルタントに依頼して組織開発を進めていく。マネジャーはそう思っていなくても、モラールサーベイなどで数値が下がると、マネジャーにODを進めるよう勧告されるというパターンもある。
 この時、特に関係性の改善に注目することが多いように見える。
 これ、考えようによっては組織内のメンバーシップを健全化しようとしているともいえる。何が言いたいかというと、そもそも組織開発という領域が米国で進展していったのは、ジョブ志向が強い割にメンバーシップ志向があまりにも弱いので、それが問題となることが多く、だからこそODコンサルタントいう役割が生まれたのではないか-とも考えられるということ。
 ちなみに、では、メンバーシップ志向が強い日本の会社にはODが不要かというとそうでもない。組織の一員として埋没しすぎてしまい、別の意味で健全な組織となっていないことも多いから。 

(4)メンバーシップ志向・強/ジョブ志向・強

 強、弱でマトリックスをつくっているので、なんとなくこのパターンが良いように、理想であるように見える。よく言われる「米国式と日本式のいいとこ取り」という見方。
 確かに理想ではあるけれど、じゃぁ、具体的にはどうすればよいのかというと、やらなければならないことはたくさんある。
 少なくともジョブ型VS.メンバーシップ型という捉え方をしていると、この領域は端から存在しないことになってしまう。あると仮定し、それが一つの理想と設定したときに、どうすればそれが実現できるのかを考える必要がある。 

とんがったところ(とんがったところ)

 とんがったところがある、それを大切にするというのは、言うのは簡単だけれどなかなか大変。というのは、とんがり続けなければならないから。放っておくと同様の人は増えてくるわけで、とんがり続けようとするなら、それなりの努力は必要になってくる。もう一つある。そのとんがったところが必要とされる領域がいつかはなくなることがあるということ。社会環境が変われば求められなくなってしまうものがある。それは例えば「速記」。かつては速記ができる人を養成する学校もあったし資格もあった。しかし、デジタル録音ができるようになり、音声が文字に変換されるようになってくると、速記を使って記録するという場面は大いに限られてくる。こうした流行廃りはどんどん早くなっていきそう。

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